08 話の流れ
「え、えっとね。ゴトフリーのね。文字ってすごく綺麗だよね」
食後、二人とも美味しい料理にお腹がいっぱいになって、まったりとした空気の中アリスはなけなしの勇気を出してその言葉を言った。
(この流れでゴトフリーの事、気になってたって言えたら……!)
「あー、幼い頃に勉強を見てくれていた祖父がさ。めちゃくちゃ厳しくてね。良く課題を書き直しさせられて、必要に迫られて丁寧に書くようになった。そっか……アリスは俺の書いた書類いつも見てるもんな」
ゴトフリーは広げていた弁当を片付けて、何もなくなった敷布の上にごろんと体を横たえていた。顔を上げて肘をついたまま、座っていたアリスを見上げる。
「う、うん」
(ここから、ここからが大事……話の流れもあるから早く言わなきゃ)
こんな事を話すことの出来るチャンスなんてそうそうない。仕事場でするような内容でもないから、アリスはどうしても今日伝えたかった。
「別にそうしようとしてやっている訳でもなかったんだけど……字だけは今でも良く褒められるから。アリスもそう思ってくれていたなら、じいさんに感謝だな」
きらきらした瞳に厳しかったという祖父への尊敬がうかがえて、アリスはやっぱり好きだと思った。
(そうなの……! 好きなの。早く伝えないと……)
「え、えっとね。それでね」
口ごもってしまったアリスを不思議そうに見やると、そのまま言葉が続かないのでここが会話の切れ目だと思ったのか、ゴトフリーはおもむろに立ち上がった。
「ごめん。俺。用を足して来る」
「えっ……?」
せっかくの告白する機会を逃してしまったアリスは、思ったより残念そうな声を出してしまった。
「昼飯の時、お茶を飲み過ぎたな。何。アリスも一緒に連れションする?」
「……しない!」
顔を真っ赤にして言葉を返してぷいっと横を向いたアリスに、笑い声をたてながらゴトフリーはアレックが昼寝しているだろう方向へと歩いて行ってしまった。
季節柄、寒いかと思っていたけれど雲一つない日の日光は暖かくて、アリスはふわっとあくびをして目をこすった。
昨日、仕事から帰ってすぐに、慌てて自分の持っている服をひっくり返して、ゴトフリーの目の色である紺色のワンピースを見つけたアリスはそれに合うコートを探した。
コートも脱いでいるのに、残念ながら今のところ着ているワンピースの色は指摘されていない。
吟味して吟味して、やっと服が決まったのは深夜で、それからベッドに入ったけれど、わくわく感に目が冴えてしまい、昨夜は全く眠れなかったのだ。
可愛い柄の大きな敷布の上で、つい先ほどまでのゴトフリーのように、ごろんと横になって、穏やかなひだまりの中でゴトフリーが帰るまですこしだけ目を閉じようとそう思ったことだけアリスは覚えている。
目を開いたその時、ゴトフリーの可愛い顔が間近にあって、アリスは今までみていた甘い夢の続きのようで嬉しくて笑ってしまった。
笑顔をみてゴトフリーは目をすこし見開くと、アリスの頭を大きな手で優しく撫でながら静かに言った。
「おはよ、アリス。美味しいお菓子も買ってきてるから、そろそろ一緒に食べよう」
それから体をゆっくり起こそうとしたゴトフリーの顔が遠ざかってしまうのが、なぜかすごく嫌で、ふわふわした起きたての思考の中、衝動的に彼の唇に自分の唇を重ねた。
ゴトフリーは驚いたのかしばらく動きを止めると、自分の隣で横になっているアリスの背中に手を回して、ゆっくりと自分の体の上に抱き上げた。
くっついたままの唇を離したくなくて、彼の首裏に手をかけると、アリスはぺろりとちいさな舌を出して彼の唇を舐めた。その拙い誘惑に誘われるようにゴトフリーはゆっくりと口を開くと、アリスの舌をするりと吸い込んだ。
久しぶりに味わう彼の味をもっともっととねだるようにアリスは舌を絡ませた。二人はしばらく深いキスに没頭した。
彼のその大きな手が自分の胸を服の上から優しい加減で、揉み始めるのをアリスはぼうっとした意識の中で感じていた。
キスをそのまま続けながら、ゆっくりとゴトフリーは上半身を起こすと唇を離さないままに、自分の膝の上にアリスを横座りにさせた。
「アリス、かわいい」
起きたてで焦点の合わなかった目に風景が映るのを感じたアリスは、パキンと近くで小枝が折れる音を聞いて、はっとその方向へと視線を走らせた。
「……小鹿だ。可愛いね」
薄茶色の可愛らしい動物は声を聞いて二人の存在にやっと気がついたのか、急いで森の奥へと消えていってしまった。
「……やっ……」
外でこんな事をしていた自分が急に恥ずかしくなって、やっと我に返ったアリスは、慌ててゴトフリーの膝から立ち上がった。
「アリス? どうしたの……?」
思わぬ行動に眉を顰めたゴトフリーに、アリスはふるふると唇を震わせながら言った。
「わ、私は一回関係したってだけの人に、そういうことを許すような簡単な女でもないんだから。付き合ってもいないのに、勘違いしないで! こんなことばっかりするなら、もう会わない」
はぁはぁと興奮したアリスの姿にゴトフリーは驚いてから、その後、自分のしてしまったことを悔いるように目を伏せながら言った。
「ごめん。それは、俺もちゃんとわかってるよ。でも、アリスが可愛過ぎて、我慢が出来なかった。これからは付き合えるまでは我慢するから、もう会わないなんて言わないで欲しい」
彼の声を聞きながら、自分が先にキスを仕掛けたからだとは決して責めない彼の誠実なその思いを感じて、また素直になれない自分が嫌でアリスは涙をこぼした。
それからの会話はぎこちなくなってしまったけれど、最低限のやり取りをして、二人はアレックの背へと乗り込んだ。
夕焼けに染まっていく空を見ながら、いつになれば自分はゴトフリーに思っていることを伝えられるようになるのだろうとため息をついてしまったアリスに、ゴトフリーは抱きしめるように手綱を握る手を回しながら語りかけるように言った。
「今日は本当にごめん。つい、夢中になって我を忘れた……俺はアリスのことを簡単だなんて思ったことは、一度もないよ」
彼の絞り出すような言葉に何を返して良いかわからなくて、やっぱりアリスは何も言えなかった。