54 熱
戦闘職たる騎士たちが勢揃いして戦う闘技大会開催前の熱は、だんだんと城内部の空気を支配してきた。
浮き足だった文官たちは優勝者が誰なのか賭け合い、女性たちの中でも一番人気の騎士は誰かという言い争いも起きてきた。
「絶対! ブレンダン・ガーディナーよ!」
「いいえ。リカルド・デュマースに違いないわ。皆だってそれは、既に知っていることでしょう?」
「まあ……キース団長だわ。彼以上の男性なんて、この国に居ないわよ」
「私は、ベイトマン様が……」
そろそろ地獄の年末作業が近付くアリスは、仲の良さそうな女官たちが言い争うのを聞き流しつつ廊下を歩いていたら、聞き捨てならない名前を耳にした気がして、バッと彼女たちの方向を見た。
(なっ……! ベイトマンって、エディのこと!? エディの恋人候補かも!? おすすめします! すっごく良い人なのよ。たまに、一言が多いけど……!)
モテモテの竜騎士のうちの一人はずなのに、いまいち残念な立ち位置に居るエディ・ベイトマンを思い出し、アリスは彼女たちをじっと見つめた。
エディは一言多いがまったく悪気はなく、優しく誠実な性格の男性なので、付き合えば大事にして貰えるだろう。結婚するとしたら、彼をよく知るアリスにもお勧めの男性だった。
しかし、女官たちは急ぎ足で歩いていて廊下を曲がり、あの数人の中の誰がエディの名前を出したのかはわからなかった。
アリスは気を取り直して前を向き、廊下を進むことにした。
いまこの手にある書庫にある書類と照らし合わせする作業が待って居ると思うと、気が重くなることは避けられない。
(まあ、私は絶対絶対、騎士の中で一番格好良いのは、ゴトフリー・マーシュだと思うんだけど……そこは譲れないんだけど、竜騎士団長も確かに格好良いかもしれない……うん)
アリスは何度か助けてもらった、美麗な容姿を持つ竜騎士団長を思い出した。
彼には助けられてばかりなので、良い印象しか持っていない。しかし、竜騎士たちには非常に恐れられているので、たまに会う程度のアリスには計り知れない、とても恐ろしい一面を持っているのかもしれない。
こうして、城内で普段とは違う楽しげで華やかな空気を感じるにつけ、誰かの戦闘などを好んで観たこともないアリスも、もうすぐ開催される闘技大会が楽しみになって来た。
(だって、ゴトフリーが参加するもんね……私は応援しに行かないと……!)
恋人ゴトフリーが参加するのだから、アリスはもちろん彼が出る全試合応援したいし、出来るだけ前列で活躍を観たい。
しかし、そうするならば人気の高い高価な入場券が必要となり、アリスはそれをお金に糸目を付けず手に入れるつもりでいた。
この時のために、高給を貰える文官という職業を志したのではないかと思えてしまう。
それほどに、年に一度しか開催されない闘技大会の入場券は争奪戦なのだ。
情勢が不安定で戦闘に駆り出されている騎士たちに闘技大会に参加せよとは言えず、三年振りに開催される闘技大会で、誰もがその入場券を欲しているのだから。
「はー……けど、先に仕事……仕事を、片付けなきゃ……」
小声でつぶやきながら、アリスはこれから自分がどれだけの量の書類と数字を片付けなければいけないかを思い浮かべて、小さくため息をついたのだった。
◇◆◇
年度末の締め日が近づき、アリスの所属する計数室は泊まり込みの日々が始まった。
室内は皆無言で、目の前にある書類の数字を計算している。誰かと軽い会話する余裕は、ここに居る誰にもなかった。
ようやく、今日の仕事の目処が付いたアリスは、眼鏡を外して目と目の間を摘まんだ。細かい数字を追い目を酷使する仕事が続き、そこを刺激すると滞っていた血液が循環するような気がした。
(はーっ……疲れた。もう今日は終わろう。続きは明日の私、なんとかしてね~)
立ち上がって周囲を見渡すと、空席がちらほらと目立っていた。遅い夕食に向かった人も多いのだろう。
アリスは書類を確認しながらつまめる軽食を口にしていたので、夕食は良いかと仮眠室に向かう前に大浴場に向かおうと思った。
更衣室で着替えて泊まりのための荷物を持ち、城の中にある大浴場へと向かう。
大浴場は深夜勤務の人間も多い城内にあるせいか、一度に百人は優にまかなえる入浴施設で、アリスはゆっくりと手足を伸ばして湯に浸かった。
(は~……気持ち良い。最高だよ。身体伸ばして入浴出来るなんて、家でなんて無理だもん。泊まり込み作業での唯一の楽しみって、この大浴場を使えるってことくらいだよね~)
城の施設でなければ難しいだろう建築費がたっぷりと掛かった施設の高い天井を見つめて、アリスはほうっと息をついた。
ヴェリエフェンディ国内でもこんなにも大きな浴場はここだけだし、それをこうして使用出来るのは、城で働く人間たちの特権と言えるのだった。
しかし、文官のアリスは汗をかくこともなく、こうして泊まり込み作業をするのは年度末の今だけ。
機嫌良くアリスはお気に入りの石鹸で洗い良い香りのする髪を乾かしてから大浴場を出て、冷たい外気が肌に心地良く感じた。
なんでも大浴場の湯はなかなか身体が冷えを感じないように特別製薬湯らしく、こんなにも気温が低いというのに、身体はほこほことして温かく冷えを感じなかった。
「アリス」
「わ……え! ゴトフリー! どうしたの?」
いきなり聞こえた恋人の声に、アリスは驚いた。にこにこと機嫌良く笑っている彼は、同じように大浴場を使ったのか入浴後らしく、蜂蜜色の髪が少し濡れていた。
「うん。今、アリス泊まり込みで作業してるって言ってただろう? 俺も今日は深夜勤務だから、もしかしたら会えるかなって思って、ここで待ってた」
ゴトフリーは深夜勤務ありの三交代制だ。だから、日を跨ごうとする深夜にも、彼がここに居てもおかしくない。
けれど、大浴場の前で湯上がりのままアリスを待っているなんて、考えたこともなかった。
「わ……そうだった。去年は確か、遠征に行ってたから……」
額にキスをして去って行ったゴトフリーを思いだし、アリスは自然と額を押さえた。
その動きを見て眠っていたはずの彼女があの時に覚醒していたことを察したのか、微笑んだゴトフリーはその手の上にキスを落とした。
「……うん。そうそう。深夜の城にアリスが居ると知りながら、俺はあの時泣く泣く遠征へ。今年こそは、こういうことが出来るかなって思って、待って居たってわけ。俺も後は仮眠だけで、少しだけで良いから、話そうよ」
「う、うん! 良いよ。すごい……ゴトフリーが居るんだ」
歩きながら話そうと手で促した彼に頷き、アリスはあまりない時間に感動して顔を明るくした。




