53 公共の場
竜騎士が使用する大部屋にやって来たアリスは扉を叩き、そして出て来た竜騎士にここに来た事情を説明することにした。
「あの……今年闘技大会が開催されて、他の騎士団は経費書類の期日を遅らせてくれるよう届け出があったんですが、竜騎士団のみ出ていなくて、一応の確認を」
話をしながら中の様子を何気なく見ると、いつも身体の大きな竜騎士たちでひしめき合う大部屋は閑散としていて数えるほどしか人が居なかった。
「あ。それは、おそらく出し忘れだと思う。これを見ての通り、鍛錬の時間続きで……皆、とても書類に集中している時間はないんだ。悪いが団長か副団長に確認して、後で届け出を出すようにするので、今日付で処理しておいて欲しい」
事務処理に詳しそうな彼は頭に手を載せて、困った表情をしていた。
書類は上長の判子が必要になるので、口頭での届け出をしてから、後ほど提出になる場合はままある。アリスはそういう場合にも慣れているので、冷静に彼の背景を観察しつつ頷いた。
「あ。はい……承知しました。あの、闘技大会に向けての鍛錬続きって、もしかして、今も……ですか?」
大部屋の内部にアリスが視線を向ければ、彼は苦笑して背後を振り返り苦笑して肩を竦めた。
「そうなんだ。もうこのところ、鍛錬漬けで皆大変だよ。竜騎士団が負けるわけにはいかない……それは、この国では当然のことだから」
竜騎士はヴェリエフェンディでは『厳選されてその上で竜から選ばれた騎士』であり、彼らが他の誰にも敗北することなど決してあってはならない。
だからこその言葉なので、アリスは黙ったままで微笑んだ。
対応してくれた竜騎士にお礼をしてから、アリスはなんとなく竜騎士が普段使う闘技場へと足を向けていた。
(そうよ。これはただの偶然なの。偶然に私が仕事を終えて計数室に帰る途中に、闘技場があって、ゴトフリーの姿が見えるかもしれない……そんな偶然であって)
来た道とは少々違っても計数室へと戻る道には間違いなく、アリスは書類を胸に抱きしめつついかにも仕事で必要な道筋ですと言わんばかりの真面目な表情で足を進めていた。
(ええ。私は別に恋人の格好良い姿を見たいがために、回り道をしている訳ではないです……神聖な仕事場で……そんな……よこしまな考えなんて……あるはずなくて……)
心では言い訳をしながらもこれは私的な理由で闘技場へとやって来たことは、アリスが一番に理解していた。
真面目で良い子でありたいと思うがゆえに自分に素直になれなかった過去を持つアリスは、そうではない行動をした時には異常な罪悪感を感じてしまうのだ。
(ゴトフリーをひと目見たら、すぐに帰ろう……っていうか、ゴトフリーだって仕事中に私に会いに来て話したりする訳だから、これって同じことなのに……同じことなのに、すっごく!! 悪いことをしている気がするー!)
ゴトフリーはしれっとした顔で業務時間中にアリスの居る受付に来て話していても、誰かに怒られた様子もなく特に悪びれているといった風情でもない。仕事中だけど書類を渡しに来るという仕事のついでなのだし、ゴトフリーは罪悪感なくアリスに会ってから会話を楽しんで帰っている。
アリスは今からそれと同じ事をしようとしているだけなのに、彼と自分の要領の良さ悪さを感じてなんだか情けなくなった。
学生時代から勉強をサボることなど考えられず、黙々と目の前の課題に向き合ってきたのだから、学業の成績が多少良かったとしてもそれは当然だとアリスには思えてしまう。
他の人が恋愛だったり友情だったりに多くの気持ちを注いでいた時に、アリスは単に勉強しかしていなかったのだ。それが集中されてしまえば、後の成果が出やすいと考えるのが普通だ。
「……あれ? アリス」
「ふわ! あ、ゴトフリー!」
ゴトフリーは鍛錬の休憩中だったのか、水を頭から浴び半裸で布を肩から掛けていた。
(え! 嘘! ここは、職場だよ! なんて格好してるの。ゴトフリー!)
実際は騎士たちが鍛錬中にこういった格好をしているのはままあることなのだが、真面目な性格が邪魔をして仕事中の彼を見に来ることがなかったアリスは、半裸に近いゴトフリーに顔に熱が集まるのを感じた。
「アリス、どうしたの? ここって、もう闘技場しかないけど……薬草園の庭師が書類提出でも忘れていた?」
急ぎ足で近付いて来るゴトフリーの言う通り、アリスが辿る道の先には薬草園しかない……薬草園の手前の道を右へと曲がれば行けば、城へと戻れるが。
「……! ちょ、ちょっと用事があって……そのっ……今から、帰るとこ」
アリスは自分へと近付くゴトフリーから、自然と後ずさった。
「? え? 何。アリス。別に汗臭くないよ。さっき、水浴びしたとこだから」
ゴトフリーは不思議な表情のままで大股で近付き、アリスの手を取った。
「ち、近いよ!」
「え?」
ゴトフリーは目を見開き、驚いた表情をしていた。
それはそうだ。彼はアリスとほど近い距離にいつも居て、なんなら私的な空間では、もっともっと距離が近いことだってあるのだ。
(そそそ、そういう場合ではなくてね! こういう職場でそういう格好をしていることが、私の中でなんていうか!! すっごく、非日常っていうか!!)
職場を同じくする二人ではあるのだが、たまに人の少ない時にゴトフリーが受付に来て話して帰ったり昼休みに一緒にお弁当を食べる以外では接触はしていない。
誰しも仕事場での顔があるように、アリスにもそういった公的な自分を演じている場所でもある。そんな場所での、彼の刺激的な姿には慣れていないのだ。
紺色の瞳の視線を向けたままゴトフリーは黙って、無言のアリスが何かを話し出すのを待って居た。
(あ……そっか。私がの気持ちが、落ち着くのを待ってくれているんだ)
アリスはほっと安心して、息をついた。
これまでの二人の付き合いの中で、ゴトフリーはこういった場面でアリスが言いたいことを言えない心の中にあるせめぎ合う気持ちを理解してくれて、それ以来は決して言葉を急かすことはしなかった。
何もかもを受け入れようとしてくれる彼だからこそ、自分でも対処しきれない気持ちを持て余す、アリスの素直な言葉を引き出すことが出来たのだ。
「ごめんなさい。そういう格好のゴトフリーに、慣れてないの……」
恥ずかしそうに小声で話したアリスに、ゴトフリーはほっとした顔で息をついた。
「あ……そういうこと。ごめんごめん。いまめちゃくちゃ汗をかいて、水浴びしたところなんだ。そっか、いきなり避けられたから、何かと思った。アリスは可愛いね」
ゴトフリーは半歩離れて微笑んだ。
そして、アリスはそんな彼の優しい反応を見て安心する。何をしても何を話しても、ゴトフリーは自分を理解しようと努めてくれるからだ。
「うん。ごめんね。私こそ……驚いて。年明けに、闘技大会があるんだね。私最近は年度末で忙しくて、全然そういうことも知らなくて……」
ぎゅうっと胸にある書類を抱きしめて話すアリスに、ゴトフリーはわかっていると言わんばかりに鷹揚に頷いた。
「ああ。そうそう。竜騎士団が優勝をするのは、当たり前……少なくとも全員上位入賞が絶対だから、必死だよ。このところは開催されてなかったけど、今は情勢が落ち着いているから」
ゴトフリーは肩を竦めて、竜騎士団が休憩している辺りを見た。高い指笛が響いたので、彼らも二人の様子を見ているのだろう。
「あ。ごめん! 仕事の邪魔しちゃった。私、そろそろ帰るね。帰って仕事するから……」
職場で半裸のゴトフリーを見て頭が真っ白になってしまったアリスは、慌てて帰ろうと手を振った。
「うん。あ。一個だけ! アリス。アレックが喜んでいたけど、どうしたの? 聞いても教えてくれないんだ」
ゴトフリーは片手を振りつつ、思い出したように言った。
「え! そうなんだ。そうなんだよね。やっぱり、あれってアレックに聞かれているんだよね……」
アリスはさっき計数室で、アレックから貰った毛布にお礼を言ったことを思い出した。
(すごい……それに、ゴトフリーにも嬉しいって言ってたんだ。可愛い)
あの緑竜が嬉しそうにゴトフリーに訴える様子が目に浮かび、アリスは微笑んだ。
「……? アリスがアレックに呼び掛けしたなら、絶対に聞いているよ。いつもは盗み聞きのようなことはしないと言っているけど……俺はまあ、それも込みで竜騎士としての契約を交わしているから、あまりに気にならない。それが気になるような奴なら、竜騎士になっていない」
常に心を読まれても特に問題はないと、ゴトフリーは肩を竦めて微笑んだ。
遠くからゴトフリーを呼ぶ声が聞こえて、彼はアリスにはあっとため息をついた。
「俺も行くよ……闘技大会では勝ちたいし、絞られてくる」
「あ……うん! 頑張ってね……!」
手を振り微笑んでから走って行くゴトフリーの背中を見守りながら、アリスはさっき彼が言った言葉を考えてしまった。
(けど、それって、竜騎士になっても、竜に常に試されている……ということだよね? 竜は高潔さを望む。もし、それに見合わないよこしまな事を考えたから、その人は竜騎士ではなくなるって……そういうことなのかな……?)




