50 草原
長い距離を走って荒い息をついて、アリスは広い草原へと辿り着いた。
(もっ……! もう! 働き始めてから、走ることなんて本当にないから、身体が追いつかないよ!)
学生時代に必死で勉強し続けて来たアリスは、もちろん課外授業で身体を使うような科目を選んでいない。
そこには走って来たアリスのことを、大きな身体を持つ緑竜が、大きな黒い瞳をキラキラとさせて待って居た。
(か、かわいい!!)
可愛いもの好きアリスは、疲れを忘れて慌てて彼の元へと駆け寄った。
「なっ……何? どうしたの? アレック」
ゴトフリーからアレックはアリスの事を気に入っていると聞いてはいるものの、彼が居ない時にこんな風に呼びだされたのは初めてのことだった。
アレックは楽しそうに『キュルキュル』という鳴き声をさせると、くるりと振り向き大きな尻尾を振って歩いた。戸惑いながらアリスが付いて行くと、そこにあったのは大きな赤い紙袋に包まれた何かだった。
(? 何かが入ってる。リボンもあるし……)
そういえば、アレックは以前アリスに、誕生日プレゼントをくれたことがあった。
小さな少年に変化した三匹の竜の合同の贈り物ではあったのだが、アリスの好きそうな可愛らしい置物を買ってくれたのだ。
そうして、自分の誕生日がもうすぐにやって来ると気が付き、アリスはアレックと視線を合わせた。
「もしかして、誕生日プレゼント!?」
アリスが声を上げると、アレックは嬉しそうに大きな頭を上下させて頷いた。赤い袋を開けてみると、そこには、ふわふわの白い毛糸を使った大きな布が入っていた。
大きさとしてはベッドに掛けるには小さく、仕事の時に膝掛けにちょうど良さそうなものだった。もうすぐ寒くなるので、足元が冷えないようにと考えてくれたのかもしれない。
「わ! 嬉しい! アレック。ありがとう! そうなんだ。ゴトフリーに言付けてくれても良かったのに……」
アリスがそう言うと、アレックは首を傾げて頭を近づけた。寂しそうなキュウという声で鳴いたので、アリスもそれを耳にしてなんだか切なくなってしまった。
(そういえば、最近ゴトフリーが忙しいこともあって、アレックに乗って遠出をしていないかも……だから、この子に、あまり会えてなかったんだよね)
不思議な質感のする大きな頭をぎゅっと抱きしめると、頭を擦り付けてきたので、おそらくは寂しかったのだろうと気が付いた。
勤務が不規則なゴトフリーは緊急で出勤することも多く、決まった時間に働くアリスとあまり時間が合わない。
アレックに乗って遠出するとなると、アリスの休みに合わせなければならないが『休みだけど王都の近くで待機』という日も避けなければならない。
(私に会えなくて、寂しかったんだ……! そうなんだ。なんだろう。すごく嬉しい……)
アリスはキュウキュウと甘えた鳴き声を出すアレックの頭を、両手で撫でて抱きついていた。
この恐ろしくも不思議な生き物はアリスの心を読み、嬉しそうな反応を返してくれる。愛おしくてなんとも形容しがたい気持ちが心に溢れた。
「……浮気現場だ」
そこにゴトフリーの特徴的な声が聞こえて、アリスは慌ててアレックの頭から手を離した。
「ゴトフリー!」
まったくやましい事をしていないけれど、不穏な単語に慌てたアリスは焦ってしまった。けれど、そこに居たゴトフリーの様子が穏やかで優しく微笑んでいただけだったので、ほっと安心して息をついた。
ゴトフリーは彼らしい淡い色の私服を着用しているので、突然の緊急招集を終えて、勤務日のはずの今日は休みになったのかもしれない。
「浮気現場って! 見て。これ、アレックが私にプレゼントしてくれたの……嬉しいな」
「……アレックがアリスに、どうしても早く渡したかったって。誕生日はまだだって言っていたんだけど、そろそろ気温が肌寒くなって来たから、職場で寒くないか心配だったらしい」
彼らは心の中で話すことが出来るから、ゴトフリーはアレックが彼に隠れてアリスに会いたがった理由を教えてくれた。
「そうだったの! もう、アレック優しいね。大好きだよ!」
あまりに可愛らしい緑竜に、思わず抱きついてしまったアリスは『しまった』と思った。
ゴトフリーはやきもち妬きで有名で、アレックでさえ雄だからという理由で、アリスとのこういう接触を避けるようと伝えたこともあったからだ。
おそるおそるゴトフリーを見ても、彼は以前のような緊張感などを見せることもない。ゆったりとしていて落ち着いた様子だ。
(あ……ゴトフリー。そっか。もう……大丈夫なんだ)
アリスはその時、そう思った。
付き合い初めのゴトフリーはアリスと付き合っていても、いつも不安で堪らない様子で、誰かに彼女を取られてしまわないかと恐れていた。
ここ一年間安定してアリスと付き合うことによって、彼の心は良い変化が起こったのかもしれない。
「アリス。俺が嫌がらないか、心配してるだろう?」
近付いて来て揶揄うように言ったゴトフリーは、アリスは慌てて頷いた。
「そっ……そうだけど! けど、ゴトフリー。もう大丈夫なんだね」
アレックの頭を彼も撫でると、緑竜は嬉しそうに目を細めた。
「うん。まあ、アリスと密会しても別にアレックなら良いかなって、俺にとってはどっちも大事な存在だし」
ゴトフリーは荒っぽい手つきで頭を撫でると、アレックは嬉しそうに鳴いた。
「ゴトフリーも空を飛んでいたアレックのことを、どこかで見掛けたの? 私もびっくりしちゃった」
アレックはゴトフリーに内緒でアリスを呼びだした訳だし、心の中で彼に教えるはずもなく、アリスはここに彼が居る理由が気になった。
「いや、アリスが……」
そこで、ゴトフリーは隣に居るアリスをチラッと見て口ごもった。
「? どうしたの? 何?」
「……うん。今日は早めに、帰ってるなと思って……」
アリスは年末に向けて忙しさが増していて、それは彼にも伝えていた。
「あ。うん。そうだね?」
「うん……そう。帰っているから、ついつい後を」
「尾けてたの?!」
目が泳いでいるゴトフリーを見て、アリスは驚いた。
彼にそれが出来たということは、アリスの帰る時間もわからずに通勤路で待って居たことになり……そして、離れている彼女が何をしているか気になって堪らないという気持ちがうかがい知れた。
(そういう、やきもち妬きに関しては良くなったのかな? と思って居たけれど、全然だった!! ゴトフリーでないと、騎士団詰め所に通報案件だよ!!)
アリスにしてみるとゴトフリーであれば、確かに問題はない。問題はないけれど、通常の恋人同士ではあまり起こらない事態には間違いない。
(少しだけ……良くなったのは確かだけど、ゴトフリーはまだまだ不安なのかな)
「アリスの家に今夜も行こうと思ってて、同じ事だよ。アリス」
背中をかがめて顔を覗き込んだゴトフリーが宥めるように彼女の背中を撫でると、アリスはふうとため息をついた。
(別にそれは嫌じゃないけど、あんまり良くないよね……私の帰りだって、これからは不規則になっちゃうし)
年末に掛けては、睡眠を削り泊まり込みが既に決定していると言っても過言ではない。それだけ大量の書類を同じ期日までにすべての部署が処理するという前提で、王城の複雑な運営は成り立っているからだ。
とは言え、ゴトフリーがどこで待って居るかは知らないものの、いつ終わるとも知れない仕事をこれからも待たせる訳にはいかない。
「同じ家に、住んだ方が良いのかな……?」
「アリス! 住もうよ!」
「キュキュウ!!」
一人と一匹が嬉しそうに顔を輝かせたので、ぼそりと唇からこぼれた独り言にハッとしたアリスはもう引くに引けなくなってしまった。




