49 突然
「……はーっ、確かに恋人が竜騎士なのは自慢だけど、忙しすぎるからあまり会えないんだよね……会ってても緊急で呼びだされたりするし」
昼休み食堂で、アリスは大きくため息をついた。竜騎士ゴトフリーと付き合っていると思えば、とても鼻が高い。
付き合い初めの頃だったり、誘拐されて竜騎士団に助けられた時も色々と大変だったけれど、多くの人たちから羨ましがられたりもしたものだった。
あの頃には物珍しく思われた竜騎士と城で働く文官の恋人同士だったけれど、今ではもう当然のことのように受け止められて、二人に特に注目する人も居なかった。
「近衛騎士だったら、時間通りに家に帰って来るわよ。王族の旅行でもなければ、あの人たちは遠征なんてないもの」
昨夜、深夜に近い時間に急に呼びだされたゴトフリーの話を聞き終わったリリアは、食後の紅茶にふーっと息を吹きかけながら言った。
彼女の婚約者ダニエルは近衛騎士のため、王族の警護が主な仕事で決まった時間で交代制で、急に呼びだされることなどは皆無らしい。
対して飛行出来る手段を持つ竜騎士は、機動力が高過ぎるゆえに使い勝手が良く、遠方での魔物退治でも便利に使われてしまうのだった。
「それは、確かに羨ましいかもしれない……」
アリスは追加で頼んでいた甘いデザートを口に含んだ。かと言って、ゴトフリーと別れて近衛騎士の誰かと付き合いたい訳でもない。
「何にしても良いところがあれば、悪いところもあるわよ。アリスだってそうでしょ」
リリアはそう言って、肩を竦めた。同い年の同性のはずなのに、達観したものの見方をするリリアにアリスは自分とは違う生き物なのではないかと考えてしまう時がある。
(リリアって、悩みとかあるのかな……今まで私の悩みを聞いてもらうことが多かったけれど、リリアって自分から、あまり悩みを言い出すことはないかもしれない)
婚約者ダニエルとの交際中の出来事など、話を聞いたりすることは多いのだが、それは『こういうことがあった』という報告に近いもので、長い付き合いの中で親友リリアが悩んでいる様子を見たことはない事に気が付いた。
「……! リリアって、悩むことってあるの?」
「ないわよ。少なくとも、私は誰かに相談したりはしないわね。大体の悩み事は自分の中に答えがあるんだけど、それを確定させたくないから結論を先延ばしにしているだけだもの。悩みたいから悩んでいるのよ。本当は何かを選ぶべきだということは、悩んでいる自分が一番に知っているわ」
心に浮かんだ疑問を率直に聞いたアリスに、リリアは間髪を入れず答えた。
「それで言うと、私の悩みはゴトフリーと付き合う上で絶対に別れる気はないけど、不満を誰かに言いたいだけって事だよね……?」
彼が忙しすぎて会う時間はないとは思うけれど、別れたいなんて考えたことは、一秒もないと言い切れる。
「自分のことを良くわかっているじゃない。けど、アリスの話って何をどう思えばそういう結論になるのかわからなくてすごく面白いから、私の前ではいくらでもそういう話をしてもらって良いわよ」
「……それって、良いことなのかな?」
アリスにとってはリリアの達観が理解不能なように、彼女からもそう思われているようだった。
「いいえ。需要と供給の話よ。話して欲しい人と聞いて欲しい人が、ここに居るっていうこと。求めていることがお互いに提供出来るから、私たち仲が良いの」
身も蓋もない言い方だが、リリアとアリスの二人がお互いに納得しているのなら、それはそれで良いことなのかもしれない。
(私とゴトフリーだって、そうなのかもしれない……確かに竜騎士なのは自慢だけど、ただそういう条件だけで、好きって訳でもないんだよね……)
ゴトフリーがやたらと女性に優しく、男性であるにも関わらず家事を出来たりしてしまうのは、片親の母親をずっと大事にしていたからだと知っているし、そういう彼の背景を知るたびに好きになった。
そして、今では再婚して幸せに暮らすゴトフリーの優しい母親のことを思い浮かべたアリスは、自分の両親の存在を思い出して、頬杖をついたまま深くため息をついた。
◇◆◇
アリスは忙しい時期には珍しく、定時の帰宅をすることが出来た。
(今日は書類も奇跡みたいに決裁がスムーズに進んだし、面倒な問い合わせもなかったし……いつもこうなら良いのにな~)
経費書類は上長の判子を貰わなければ決裁が下りないから、経費担当のアリスはそこで時間待ちをすることになり、事務処理はほぼ終わっているものの各部署の上長の判子待ちという事態も多い。
しかし、出張費などは先出しで給金と共に精算されるので、そこで遅れてしまうと、またひと月お金が返ってこないという状況になる。
お金がある人なら良いのだが、使った経費が精算出来なければ、死活問題になってしまう人も居る。そういった状況を防ぐためにアリスは定期的に書類を急かしているのだが、今日は不思議と返って来る書類が多く、何かを待たなければならない時間が少なかった。
早帰りに気を良くしたアリスは鼻歌を歌いながら、通勤路を歩いていた。城の近くの集合住宅を借りているので、人の多い大通りを進めばすぐに帰れるのだ。
不意に聞き覚えのある鳴き声を聞こえたような気がして、アリスは空を見上げた。
「……アレック?」
アリスは驚きに目を見開いた。夕暮れの空には、ゴトフリーの竜アレックがくるくると旋回して、自分の存在を彼女に知らせているように思えたからだ。
(わ! アレックだ! え? 王都の低空飛行は禁じられていると聞いたけど、お城の近くだから大丈夫なのかな……?)
アレックは『キュルルルル』と大きく鳴いて、アリスに懸命に自分の存在を知らせているようだった。
(何……? 私に何か、伝えたいってこと……?)
そこで、アレックはアリスの方を見て、大きく首を振った。
(うっ……頷いた! それに、もしかして、私に付いて来て欲しいってことかな……?)
アリスの心の声を聞くことの出来る竜アレックは、そこでくるりと旋回し、王都の門の方へ飛行して行った。あちら側には竜が舞い降りることの出来る広い草原があり、アレックとのお出かけの出発場所に良く使っていた。
(やっぱり! そうだ。私に付いて来てって、そういうことだよね?)
突然自分の前に現れた彼の意図を理解したアリスは、慌てて緑竜アレックが進む方向へと走り始めた。
アレックが帰って来ているということは、昨日緊急に呼び出されたゴトフリーも、既に帰って来ているということだ。
アレックと会う時は、いつもゴトフリーと一緒だった。それに、アレックは若い竜にしては穏やかでのんびりとした性格で、日だまりの中で昼寝することが趣味だという可愛らしい竜だ。
これまでに、何か強い自己主張することもなかった。
(何かな……? ゴトフリーに何かあったという訳でもないだろうし……アレックが私だけに何か用があるっていうことだよね?)
いつ何があるかわからぬ戦闘職の騎士たちには、何かあった時用に家族以外にも緊急連絡先を登録するようになっている。以前、どうしても素直になれなかったアリスは大変な状態にあったゴトフリーの元へと行くことが出来ずに、辛い思いをすることになった。
今ではちゃんと登録して貰っているから、ゴトフリーに何かあれば、アリスに一番に連絡が貰えることになっているはずだ。
(アレックが私にだけ伝えたいことって、なんだろう……?)
大きな翼を持つアレックの姿はゆっくりと降下して、今ではもう見えなくなってしまった。
けれど、位置的にいつもアレックが、自分とゴトフリーを待ってくれている場所だとアリスには理解出来た。
彼の意図を知るために、アリスはそろそろ街灯が明るく灯りはじめた大通りを懸命に走っていた。




