48 自慢
「はーっ……疲れた」
そろそろ年度末の時期が近付いているアリスは、大量の書類の処理を終えて、遅い時間にくたくたになって集合住宅へと辿り着いた。
格子のある扉の鍵を開けて、カシャンと金属音をさせて閉じた。ここは女性専用の集合住宅で、防犯を考えて二重に鍵が掛かるようになっているのだ。
一度この集合住宅で怖い目に遭ったアリスは、ゴトフリーと結婚を機にこの集合住宅からの引っ越しはぼんやりと考えているものの、まだ先のことだろうなと思っていた。
カツカツと音をさせて暗い廊下を歩きながら、明日処理しなければならない量を思い出すとうんざりしてしまった。
(計数室……暇な時と忙しい時の差が、あまりにも激し過ぎるんだよね……)
アリスは個人経費担当の文官で、月初で皆が書類を出し終えた後は暇になる。ひと月の中で一番に忙しい時期が月末で、ここで提出日に遅れた誰かが居るとまた業務が増えてしまう。
最高に業務が増えるのは、年度末だ。泊まり込み前提での書類処理が待って居るし、それは、アリスだけでもなくお城全体の文官たちも同じことが起こっているのであった。
しかし、アリスは計数室で働く文官の仕事が嫌いな訳ではない。
大量の書類を処理した後に、綺麗に数字が合えば嬉しいし、違ったならば違ったでどの数字が間違っていたかを探し当てるのは謎解きのようで楽しい。
(ゴトフリーは仕事を辞めれば良いと言うけど、そうすると、仕事中に会えなくなっちゃうし……)
ゴトフリーは勤務日には、いつも決まった時間に姿を見せる。そうすると、アリスは作って来た弁当を持って彼の待つ城の中庭へと赴くのだ。
(仕事は嫌いでもないし、ゴトフリーに会えるのは楽しいし……別に辞める必要性がないんだよね)
アリスがガチャガチャと音をさせて部屋の扉を開くと、そこに見えたエプロン姿のゴトフリーに驚いた。アリスを見てにっこり微笑んだ彼は、皿が載った盆を持ち、机の上へと並べているようだ。
「えっ……! ゴトフリー、何してるの?」
「何してるの? って、アリス。俺は昼に今日は家で待ってるって言ったけど……」
彼の存在に驚いたアリスに、戸惑った様子のゴトフリーは言った。
「……あ!」
(そっ……そうだった! 私ったら、信じられないよ~! 大量の書類を処理したり別部署からの問い合わせを何件か掛け持ちしていたら、ゴトフリーが言ったこと忘れてた!)
もし、付き合い初めの頃、特別視しているゴトフリーが家に来てくれると聞いていたら、それからはソワソワして仕事も手に付かなくなってしまっていたはずだ。
出会ってから付き合ってからの期間も長くなり、ゴトフリーの存在に慣れてしまったのかもしれない。
(それって、良いこと? 悪いこと? ゴトフリー、これを聞いたら怒るかな~?)
アリスも聞いていることは思い出したので『聞いていない』と言い張ることは出来ないし、正直に言うしかないと思うものの、彼の価値が自分の中で下がってしまったように聞こえそうで怖い。
「あっ……あのねっ……その」
なんと言うべきか迷ってアリスが言いよどんだ時に、ゴトフリーはニヤッと笑って手招きをした。
「アリス。俺が待ってるって言ったことを、忘れていただろう? 別に気にしてないよ。俺も忙しい時はそういうこともあるし。そして、早く座りなよ。遅くまで仕事疲れただろう?」
机に置かれたゴトフリーの作った料理は何品も用意されていて、おかずの種類も豊富で見た目も鮮やかだった。
「ゴトフリー、すごい……」
アリスが家で料理をしたとしても一人だけ食べる用なので、適当に切って適当に食べるのみだった。目の前の料理は野菜の切り方にも拘っていて『誰か』に食べさせることを意図して作っているようだ。
「まあね。料理は凝り出すと楽しいよ。アリスも早く食べて。俺も食べたいから」
「あっ……ごめんね!」
早めに仕事を上がっていたはずのゴトフリーもお腹をすかせていたはずだと気が付き、アリスは薄いコートを脱いで仕事用の鞄を床へ置いた。
「どうぞ。今日は自信作が多いからさ」
「ありがとう。ゴトフリー……私、こんなに幸せで良いのかなって思っちゃう」
ゴトフリーはエプロンを外して席に付き、アリスはしみじみとしてそう思った。
(幸せ過ぎて……恋人居ない歴年齢だった私が、付き合って一年になる彼との結婚の話が出ているんだよ……!)
「帰って来たら、机の上に食事が用意されているだけだよ?」
料理が出来ることが当然だと思っている様子のゴトフリーは苦笑いでそう言ったけれど、恋愛に臆病すぎた自覚のあるアリスは、それがどれだけ得がたいことであるかを理解していた。
「それに、作ってくれた人が竜騎士だもん……」
スプーンでスープを口に含んでいたアリスは、上目遣いでゴトフリーを見た。
(こういう事を言うと、喜んでくれるんだよね……)
ゴトフリーは自身がヴェリエフェンディの竜騎士であることに、誇りを持っている。だから、そこを事ある毎に褒めれば良いと彼の友人から忠告を受けていたのだった。
「そう? 自慢?」
「もちろん、自慢だよ! この王国でも一年に何人もなれない職業だし……何より、格好良いもん」
紺色の瞳を細めて話すゴトフリーは、やっぱり嬉しそうなので、アリスも嬉しくなってにっこり微笑んだ。
「アリスがそう言うようになってくれて良かったよ。出会った頃には自分が働くからって、竜騎士辞めるように言われたもんな……」
「あ、あれは! 危険なことをして欲しくないって思っただけで……!」
揶揄うように言ったゴトフリーに、アリスは慌てて言った。
「ははは。ごめんごめん。それは、気にしていないよ。アリス。けど、竜騎士である俺が格好良いって言ってもらえて嬉しい……一日に何回か言って欲しい」
「そんなの、言わないよ! もう……!」
アリスを見て微笑んだゴトフリーは、不意に何かに気が付いたように宙に視線を向けたので、アリスは彼が彼の竜のアレックと話していることを悟った。
契約で繋がった彼らは心の中で話すことが出来るので、竜騎士はいつでも離れた竜に話し掛けられる可能性があるということだ。
あまりに距離が遠いと繋がりが薄くなりそれも出来なくなってしまうらしいが、そういった二者の連携の速さだったり正確さが、彼らが周辺国で『最強』の名を欲しいままにする竜騎士団である理由のひとつだった。
ゴトフリーはアリスに向き直り、大きく息をついて話した。
「……アリス。ごめん。泊まっていくつもりだったんだけど、緊急招集だ。何があったかの詳細は城に集まってから説明があるらしいから、俺はこれから出て行かなければならない」
どうやらアレックを通じて、緊急の呼び出しを受けてしまったゴトフリーは、残念そうに立ち上がった。
「あ……そうなんだ!」
今まさに食べようとしていた食事中にも関わらず席を立つということは、かなり緊急性の高いものだったのかもしれない。
(どうしよう……すごく残念。だけど、こういう時にあまり寂しいって言い過ぎると、対応が面倒くさくなるかもだし……)
ゴトフリーは好きになってくれたアリスの、すべてを受け入れ許そうとする。けれど、彼の器がそれだけ大きいというだけで、自らも働く辛さもわかるので、甘えてしまってはいけないと考えていた。
ゴトフリーは座ったままで黙り込んだアリスに近寄り、彼女の頭を抱いた。
「アリス。寂しいって言ってよ。俺も同じ気持ちだからさ……大したことなかったら、すぐに帰って来るよ」
「うん……寂しい。けど、恋人が竜騎士なのは嬉しい」
上目遣いでゴトフリーを見上げれば、彼は嬉しそうに破顔した。
「アリス……俺が言われたら嬉しいこと知ってるね? もしかして、エディ?」
「……ナイジェル」
なんとなくそういうことだろうと思って居たのか、ゴトフリーは苦笑して頬にキスをすると足早に部屋を出て行った。
(寂しいよ……ゴトフリー)
机いっぱいに並ぶ美味しい料理を口にしながらも、ほんの少し前まで居た彼の気配を思い起こせば、アリスはどうしてもそう思ってしまうことを我慢出来なかった。




