39 しゃぼん玉
「じゃあ、押すね」
これから何が起こるのかと、どうしてもうきうきする気持ちを隠せないアリスは、ゴトフリーが会って早々渡してくれたちいさくて四角い魔道具にある起動のためのボタンを押した。
今日は二人と出掛けるからと、仲良しの竜に頼み前もって人化していたアレックも、じっとそれを見つめたまま息を殺している。
魔道具にある吹き出し口から、雲のひとつない青い空に数え切れない程のしゃぼん玉が飛び出した。
「うわぁっ……」
ちいさな少年の姿らしい仕草でアレックが思わず両手を上げて、目を輝かせて歓声をあげた。飛び跳ねて空に浮かぶ七色の球体を捕まえようとしている。微笑ましい姿にアリスは目を細めると、隣で得意そうな顔をしているゴトフリーに聞いた。
「すごい、これどうしたの。ゴトフリー」
「俺が作った」
それは得意そうな顔をしている訳だ、と納得してアリスはまた驚いた。
魔法具に魔法を込めることが出来るのは、特殊な技術を持った人だけだ。隣の魔法大国は庶民でも生活魔法を自在に使えるため、逆に魔法具が高価らしい。
ここヴェリェフェンディでは国民が日常で使われるような生活必需品は、国家事業として専門の魔法使い達が大量生産している。もちろんそれは、誰もが使えるほど簡単な魔法ではない。魔法を封ずるのは本当に特殊な技術なので、それが使えると言うことは特別な竜騎士でなかったとしても、彼は高給な仕事を得られると言うことだ。
「すごい。もう。本当に驚いちゃった。ゴトフリーは、なんでも出来るんだね」
恋愛上手な親友リリアに前に聞いた通り、男の人は好意を持っている女の子に褒められるのにとっても弱いらしい。そうアリスに言われて何より嬉しそうな顔をしたゴトフリーは、体を屈めてすぐ隣に居る彼女の顔を覗き込んだ。
息がかかるほどに、間近にある紺色の瞳に映るのは、いつもアリスただ一人だ。
「うん。アリスに喜んで貰いたくて、作ったんだ。この前お風呂で俺がしゃぼん玉を作ったら、可愛く喜んでくれたから」
「私のために作ってくれて、すごく嬉しい。ありがとう。ゴトフリー。大変だったんじゃない?」
二人で一緒にお風呂に入った時に、ゴトフリーがふざけて大きな手の人差し指と親指で輪を作り、しゃぼん玉を作ってからそんなに時間は経ってない。確か二週間は経っていないだろう。あれから制作を開始したとして、しゃぼん玉を吹き出すような複雑な魔法を自ら構築して魔法具の機関も計算して……よく分かっていないアリスがなんとなく工程を考えただけでも、途方もない時間がかかりそうなのに。
「このところ魔物退治もなくて暇だったから、書類書いたりしながら仕事中に考えてた」
「……それすると、考えてることついつい書類に書いてたりしない? 私、たまにしちゃうんだよ。夕食の食材で帰りに買わなきゃいけない物を、書いちゃったりするの」
仕事中の失敗談を恥ずかしそうに言ったアリスの言葉を聞いて、ゴトフリーは吹き出した。
本当に面白そうな笑い声を上げるゴトフリーにちょっと顔を赤くしたアリスが目を逸らす。彼の相棒の竜アレックは生まれて初めて見るしゃぼん玉にまだ夢中な様子で、公園を走り回っていた。
「ふ。俺のアリスは本当に可愛いな。銀行の振り込みの書類に、食材書いちゃうの?」
「ちゃ、ちゃんと書き直すよ。間違いないように、何回もチェックするんだから。流石に提出までには気がつくよ」
「そうだね。食材より俺の事を考えて、ついつい名前とか、書いてたりしてたら嬉しいんだけどな」
完全に揶揄っている様子のゴトフリーの言葉を聞いて、アリスは一瞬息を止めてそれから顔を真っ赤にして俯いた。
(……え。なんか、自然な話の流れで、私が仕事中ゴトフリーの事ばっかり考えてるのが、バレちゃった。嘘でしょ。めちゃくちゃ恥ずかしい)
「アリス。こっち向いてよ」
ゴトフリーの独特な低い声がして、アリスはゆっくり顔を上げた。とろけるほどに優しい声音も、意味ありげな熱い視線も全部彼の恋人のアリスだけの特権だ。
「……巨額の振り込みの際には、ぜひその調子で俺の名前を書いてくれると嬉しいんだけど。俺もそれなりにお金は持ってるから、別に職場のお金を横領なんてしなくても、一生遊んで暮らせるから安心して」
気まずそうな様子のアリスを本当に愛しそうに見て、ゴトフリーは軽く頬にキスをくれた。
「ゴトフリーはずるいよ……」
「ん? なんで?」
ゴトフリーは本当に不思議そうに首を傾げた。あざといと言える程にその整った顔は可愛いし、彼はアリスの好みを体現したかのような完璧な容姿をしている。その上で湯水のように心をとかす甘い言葉をくれるし、世界で一番と言える程に大事にしてくれるのだ。
そんな彼のことを、好きにならないはずがない。
「どんどん好きになって、もうくるしいくらいだから。あんまりそういう事言わないでほしい」
「その調子でどんどん好きになってくれても、大丈夫だよ。俺はアリスになら、監禁されても良い」
真面目な表情で、どこか真剣みのあるその言葉にアリスはびっくりした。彼を監禁なんて、考えたこともない。
「そ、そんなこと、しないよっ。もうっ。どうして、そんな話になるの?」
むっとして口を尖らせたアリスに、ゴトフリーは優しく微笑んだ。
「……こういう事言うと、アリスみたいな真面目な子には引かれるかも知れないんだけど……いわゆる男の浪漫なんだよ。大好きな女の子を、どこか自分しか来れない場所に閉じ込めて自分だけのものにしたいって。心の奥底にそういう欲求があるんだ。もちろん現実では絶対にしないけど。時々、そういう事を考えたりするから」
「ゴトフリーも、私のこと閉じ込めたいの?」
そう不思議そうに言ったアリスの言葉を予想もしていなかったのか、ゴトフリーは驚いた顔をしてから、口に手を当てた。
「……聞いても、引かない?」
「え? えっと……大丈夫だよ。男の人って、女の人と違って、そういうところもあるもんね?」
最近ようやく身近になった異性である彼氏ゴトフリーや彼と仲の良い友人たちと親しく話せるようになったアリスは、訳知り顔で頷いた。
彼氏と特に仲が良くて相談しやすい明るいナイジェルとエディも「女の子にはわからないかもしれないけど、男にはこういうところがある話」をアリスの前で良くするのだ。
ゴトフリーは覚悟を決めるように大きく溜め息をついてから、アリスの目を見つめ話し出した。
「君に嘘をつきたくないから正直に言うけど、俺はアリスが他の男を見たり逆に見られたりするのも嫌だ。窓口の仕事も仕事だってわかっているけど不特定多数の異性と接触するくらいなら、俺がその分のお金払うから、ずっと家に居てくれないかなって思ってる。でも、アリスがすごく努力をして文官になったことも知っているし、仕事を楽しんでることも知ってるから、そこはちゃんと我慢出来る……もしアリス本人が許してくれるなら、誰の目からも隠して監禁したいくらいに、君を愛している。でもそれが倫理的に許されないのはもちろん理解しているし、そんな自分勝手をして、何より大事なアリスに嫌われたくない。だから……絶対にしないから安心して」
それは、ゴトフリー以外の誰かがもし言ったとしたら、走って逃げるべき言葉であるのだが、大好きな彼の自分への底知れない執着を感じてアリスは嬉しかった。
「あ、あのね……あの、ゴトフリー」
ゴトフリーの前で、久しぶりに言葉につまってしまった。彼と話せるようになってすぐの素直になれなかったあの頃も、言いたいことの反対を言ってしまったとしても、ゴトフリーはいつも優しくてアリスを否定することはなかった。
「ん。良いよ……ゆっくり言って。俺は待てるから」
アリスが何か自分に言いたいことがあるけれど、なかなか言葉が出てこない状態なのを察した彼は、いつも通り慣れた様子で待ってくれた。
顔を真っ赤にしながらも、やっと決心するとアリスは口を開いた。
「あ、あんまりね。その……仕事がある時はもちろんダメなんだけど、監禁しても良いよ。休みの時とかなら……」
ゴトフリーは恥ずかしそうに言ったアリスの言葉に呆気に取られているのか目を大きく見開くと、その言葉を理解して思わず吹き出しそうになるのを咳込んで誤魔化した。
「あー、そっか……本当に監禁しても良いの? 俺の好きにされちゃうんだよ?」
そうして、ゆっくりとこくんと頷いたアリスに続けて何かを言おうとした時、さっきまでしゃぼん玉に夢中だったはずのアレックののんびりした声が割り込んだ。
「アリス、ゴトフリーに監禁されちゃうの?」
腰のあたりにあるやわらかな金髪の頭をゴトフリーは、大きな手で撫でた。
「……お前、絶対にワーウィックには言うなよ。あいつが知ったら、すぐに竜騎士団中に知れ渡るんだから」
お喋りな竜で良く話題に出る名前を聞いて、アリスは笑った。
「ふふっ……この話を知られたら、ゴトフリー犯罪者みたいになっちゃうね」
「アリス、笑い事じゃないよ。俺、一応高潔なはずの竜騎士だから、噂だけでも団長の呼び出しが来るよ」
どこかうんざりした顔のゴトフリーを見てからアリスは笑いだして、その笑い声につられて二人も笑い出した。
青い空に数え切れない程のしゃぼん玉が浮かんで、それを見つけた子供たちもどこからか公園に集まってはしゃぎはじめた。




