38 色ち買い
「ねえ、アリス。どっちも買うのはダメなの?」
かなりの時間、服屋の中で悩むアリスの様子を辛抱強く待っていてくれたゴトフリーが、ちょっと笑って言った。
悩みはじめた当初は傍に居た店員も、これは長くなりそうだと空気を読んだのか、今ではもう別のお客さんの接客をしている。
「ダメ。だって、同じ形で色違いだと、絶対どっちか一枚しか使わなくなるんだもん」
アリスは目の前の壁にかかった二枚のワンピースを見比べて、またじっと悩みだした。
この国で有数の稼げる職、竜騎士のゴトフリーの収入に比べたら、文官のアリスの給与は微々たるものだ。とは言っても、そこそこの額を貰ってはいるから別に金銭的な意味で二枚とも買えない訳じゃない。けれど、今住んでいる部屋の備え付けのクローゼット収納だって空きには限りがあるし、どうせ二枚買うならそのうち一枚は別の形が欲しい女心もある。
(どうしよう。こっちの水色は夏っぽくて爽やかで可愛いし……でも、このクリーム色も顔映りが良さそうだし可愛い……どっちも、良いのよね)
目の前にあるワンピースは、高級なレースを用いていてとっても可愛い。かなり人気の形みたいで、もうこの二枚しかない。
今二人が居るお店は庶民向けとは言え、ちょっと背伸びした縫製も凝っているお高めの服が置いてある。何かのお祝いの時やちょっとしたホームパーティなどのお呼ばれ時に着ていけるような服が置いてあって、可愛い物が好きなアリスが、目移りするくらい可愛いらしい服ばかりなのだ。
「……あのね、ゴトフリーはどっちが良いと思う?」
いくらめんどくさいことには自覚のある自分に、底抜けと言える程に優しいゴトフリーもこれ以上待たせると機嫌を損ねてしまうかもしれない。買い物にはあまり時間をかけないという男性を、これ以上待たせる訳には行かないとようやく気がついたアリスはついに選択権を隣に居た彼氏に手渡した。
「ん。アリスは俺が選んだので良いの?」
長身のゴトフリーは、ふっと笑いながら身を屈めてアリスの顔を覗き込んだ。特別な竜騎士になれるほどに素晴らしく整った容姿を持つ彼は、女性が多いこの店に入ってから自分の元に集中している視線など、全く気にしていない様子だ。
きっと、彼は恋人のアリスの動向しか眼中にない。
そもそも隣に居る彼に可愛いなと思ってもらうために買うんだから、最初からそうすれば良かったかもしれない。そのことにようやく気がついたアリスは自分のことをしみじみ間抜けだなと思って、口を尖らせた。
「うん。だって、ゴトフリーが可愛いなって思ってくれないと意味ないなって思っちゃって……」
そうやって目線を合わせてくれる彼の紺色の目を真っ直ぐに見る。ゴトフリーは、一瞬間を置いてからはあっと大きくため息をついた。その仕草を見て、アリスはちょっと焦ってしまった。もしかして、何か間違ったことを言ってしまったのだろうか。
「……えっ……どうしたの。いっぱい待たせちゃったから? ほんとごめんね」
壁にかけられた時計を確認するとかなりの時間、この店に滞在していることになる。
この後の予定は、食通エディが紹介してくれた美味しいレストランで夕食を食べるだけとはいえ、いつも自分の意見を優先してくれるゴトフリーにだって行きたい店があったかもしれないのに。
しょんぼりと肩を落としたアリスに、ゴトフリーは驚いて首を横に振った。
「服を選ぶのに待ったことは、何の問題もないよ。俺は、アリスのことならいくらでも待てるし。誤解させてごめん。違うよ。俺のアリスは、本当に可愛すぎて……なんか、どんどん可愛さが増してきている気がして、胸がいっぱいになっただけ。さっきのため息は、本当に気にしないで」
そう言って目の下をすこし赤くしたから、そんな彼の様子に安心するとアリスはほっと息をついた。
すこし前から付き合い出して、色んな出来事があったから、初めての恋人のゴトフリーがどれだけこの自分を好きで居てくれるか、わかってはいるつもりではいる。けれど、人の気持ちは良くも悪くも変わり続けるから、大好きな彼の気持ちをずっと自分の元に繋ぎ止めたいとそう願ってしまう。
「ふふっ。良かった。えっと……それで、ゴトフリーはどっちが良いと思う?」
二枚のワンピースを視線で示すと、彼の決断を待つ。
真面目な表情で自分を見つめるアリスにゴトフリーはにこっと笑いかけると、壁にかかっていた二枚とも手に取った。
「じゃあ、どっちも。俺が選んだんだから、俺が買う。アリスは何着ても可愛いし、俺に可愛いって思われたいと思ってくれているならどっちも着てくれると嬉しい」
「えっ……ダメだよ! ゴトフリー!」
アリスは会計をして貰おうとして歩き出した彼の腕を取った。
二人ともきちんとした職を持って働いているし、付き合っているとは言え、まだ結婚して家族になり生計を共にしている訳じゃない。
有事の際にはこの国のために命をかけて戦う竜騎士のゴトフリーが、アリスには想像も出来ないような高給を貰っているのは理解している。だからといって、彼に自分のためにあまりお金を使わせたくはなかった。
(ゴトフリーが私には想像出来ないくらいお金持ちなのは知っているけど、彼と付き合っているのはお金が目的じゃないもの)
親友のリリアにそう言えば「また変なところに、こだわって」と呆れた顔をされそうだけど、アリスの中のちっぽけなプライドが邪魔をする。ゴトフリーと付き合った理由を、絶対にお金目当てだとは誰にも思われたくなかった。
彼はその気になれば簡単に振り解けるアリスのちいさな手の引き止めに足を止めて、首を傾げて微笑んだ。
「何がダメなの?」
「えっと……あのね。だって、今日は買って貰う理由がなくて……誕生日とかでもないし」
自分を見上げて目を潤ませるアリスに微笑むと、彼は耳打ちをした。
「男って脱がせるために、女の子に服を買うんだよ。この理由で納得した?」
意味ありげな視線と言葉に顔を赤くしてその場に立ち止まったアリスを置いて、ゴトフリーはさっと会計を済ませた。
「ほら、レストランの予約の時間にちょうど良いし、もう行こう」
彼はそう言って、店員から渡された服の入った可愛い柄の袋を持つ手と反対側の手を伸ばした。複雑な顔をしたアリスと手を繋いで店の外に連れ出した。
外に出れば、やさしい色合いの紫の空。そろそろ夕食の時間のせいか、たくさんの飲食店の並ぶ大通りから美味しそうな匂いも風に乗って流れてくる。すうっと無意識に息を吸い込んだアリスの頬に、ゴトフリーはキスをした。
「あまり着ない方の一枚は、俺の家に置いておくと良いよ。そうしたらしまう場所にも困らないよね?」
アリスが長時間悩んでいた理由などすべてお見通しのゴトフリーは、いつも歩く速度を慎重に合わせてくれる。そうやって愛されていることに、何の不満もない。ただ、こんなに素敵な彼と釣り合うくらいの、何かが欲しいだけだ。
「私に甘すぎるよ。ゴトフリー。こんなに甘やかされて、すごーくわがままになったら責任取ってくれるの?」
むくれた顔をして自分を見上げたアリスに、ゴトフリーは軽く吹き出した。
「ふ。もしわがままになったとしても、わがままなアリスも可愛くて好きだから、問題ないよ。それに、俺はそれなりに稼いでいるから、わがままなアリスの一人や二人問題なく養えるから大丈夫」
「じゃあ、お城が欲しいって言ったら?」
あまりに自分に甘すぎる彼に、冗談めかしてそう言ったらゴトフリーはうーんと考える顔になった。
「確か、この前イルドギァとの国境辺りの古城が売りに出されてるって聞いたことあるな。俺は職務上王都をあまり離れられないから、城に住むのは無理だけど、たまに行く別荘にでもする?」
「え! やめてよ。冗談だよ。ゴトフリー。もう。からかわないで。お城っていくらするかちゃんと知ってる?」
むっとした顔をして慌てて言ったアリスに、ゴトフリーは悪戯っぽく微笑んだ。
「アリスは俺の生活を知っていると思うけど、俺は元々が庶民だから贅沢も知らないし、竜騎士になってから稼いだお金をぜんぜん使ってない。だから、古城くらいその気になったら簡単に買えるよ。その後もアリス一人だけを、お姫様にするくらいならちゃんと稼ぐから心配ないよ」
確かに竜騎士として働きだしてからろくに使ってもいないなら、途方もない金額が貯まっている銀行口座なのだろう。けれど、アリスはそれには特に興味はなかった。
ずっと憧れだった彼が自分の恋人として居てくれることが、今何よりの幸せだから。
「私は迎えに来てくれるなら王子様より、竜騎士が良いな。可愛い緑竜に乗って、お城に迎えに来てくれるの」
「その条件にぴったりな人、俺知ってるよ。アレックの首に大きいリボンでもつけとこうかな」
「え、それすごい可愛い」
目を輝かせたアリスにゴトフリーは苦笑した。
「ごめん。言い出したのは俺だけど、流石にそれは可哀想だからやめとこう。あいつも竜同士でいろいろあるんだよ」
「そうなの?」
レストランへの道筋を歩きながら進む二人を日が暮れて薄闇が包む。大きな通りに明るい魔法の灯りがともりはじめて、そろそろ夜のはじまり。




