31 危機
日が暮れてしまう前に住んでいる集合住宅までゴトフリーに送ってもらったアリスは自分の部屋のドアを開けて、なんだか、違和感を感じた。いつもと何か空気が違うようなそんな気がしたのだ。首を傾げながら持っていた荷物をテーブルの上に置く。
窓から薄紫の光がぼんやりと差し込む暗い部屋の中、灯りをつけようとした時に後ろから、誰かに抱きつかれてその出来事のあまりの衝撃に頭が真っ白になる。
この集合住宅はかなり安全対策は取られているし、まさかこの場所でこんな事があるなんて予想をしていなかった。
突然、視界が暗闇に染まる。鼻の前にきつい薬品の匂いがして、くらりと意識が遠のいていく数瞬の間、必死で思った。
(ゴトフリー! アレック……アレック! 助けて……)
あの不思議な生き物は、人の心の中を言葉を聞くことが出来る。
以前ゴトフリーが言っていたように名前を思い浮かべただけで届くなら、これで届くはず。アレックに伝われば、ゴトフリーはきっと自分を助けに来てくれる。
(……きっと、きっと)
◇◆◇
嫌な汗が体中から吹き出しているのを感じる。不快な気分だけが体と心を占めている。いくつもの下卑た男たちの声が冷えた空気に響いている。
(ここは……どこ?)
何かで縛られているのか、体が動かない。地面に横になったまま、重い瞼を開けた。
ゆらり、と揺れるような視界の中に見えるのは、古びてもう使われなくなってしまっていた教会のような建物の中の内部だろうか。
いくつもの等間隔に置かれた椅子。倒れているものも多いが、装飾もあって高そうだ。
天井が高いのか、上には大きな空間が広がっている。暗い。
(……アレック……私今、なんか、古い、使われていない教会みたいなところに居る……こわい……こわいよ)
今も半信半疑だが、ゴトフリーの相棒であるアレックに呼びかける。
あの賢い生き物が自分の竜騎士を乗せて、迎えに来てくれることを信じたかった。
このまま、近くに居る男たちに想像したくもない仕打ちを受けた上に殺されてしまうことなど、絶対に考えたくなかった。
死にたくないと泣き叫んで、のたうちまわりたかった。
けれど、それは叶わない。
体の中で自由になるところは頭の中だけと言える程に体中がんじがらめに縛られていたし、口には猿轡だろうか、何か乾いた布のようなものが口の中まで大きく入り込んでいて、ひどく不快だった。
「笑いが止まらんぜ。女一人を攫って売るだけでこんなに貰えるなんてな」
「ぼろい仕事だった。売る前に俺たちも楽しんでも良いなんて、良い依頼主だしな」
「……あれは竜騎士の一人の恋人らしいぞ。なるべく手を出さない方が良いんじゃないのか。あいつらが一騎当千と呼ばれているのは伊達じゃないんだ」
「もう攫ってしまったんだから、今更だろう。流石の竜騎士様が選んだ女だ。顔も可愛かったし体も良さそうだ。久々に良い思いが出来るな」
げらげらといくつもの不快な笑い声が、古い教会に響く。
漏れ聞こえてくる言葉に体の震えが止まらなくなった。この人達が自分をどうするつもりなのか、さっき想像した通りだった。
(それも、ゴトフリーのことも知っているなんて……どういうことだろう)
アリスは自分のことを攫ってと頼んだ誰かが居ることを感じて、背筋が寒くなった。
(アレック……アレック……お願い。私きっともうすぐ……どこかに売られちゃうから、ゴトフリーに大好きだよって伝えて)
横たわったまま泣いているアリスは、顔を流れていく涙を感じた。
もう会えなくなってしまうかもしれないけれど、どうしても、今それだけは大好きなあの人に伝えたかった。
あの時に言っていたように迎えに来てもらおうにも、今ここがどこだかわからない。
彼らは信じられない程の速度を出すことの出来る移動手段を持ってはいるが、それを使うにしても迎えに来る自分の位置がわからないと無理だろう。
何故、こんなことになってしまったんだろう。あの時偶然会えてから、ゴトフリーと付き合ってとても、幸せで。まさかこんなことになるなんて夢にも思わなかった。
狂気すら感じさせるように叫んで、叫んで、この場所から、逃げ出したかった。でも、猿轡をされた口からは何の音も出てこない。
横倒しになっている体は動かせないし、いつ来るともしれない陵辱の予感の恐怖とも戦った。
(アレック……アレック……怖いよ。こわい……こわいよ……最後に、ゴトフリーに会いたかった……)




