27 心配性
生まれて初めて舞踏会という名のつくものに参加するアリスの心の中は、いつになく昂り何か期待のようなもので満ちていた。
今夜はゴトフリーの勤番の関係で、彼には迎えに来ては貰えなかったのだけど、リリアに相談したらダニエルが馬車を手配してくれるから一緒に行こうと言ってくれて、三人で城に向かっていた。リリアの婚約者である近衛騎士のダニエルは無口な人だ。アリスの前ではあまり喋ったところを見たことはない。でも、恋人の親友であるアリスにとても親切にしてくれるし、優しい人なのだろうなとは思う。
「アリス、このドレスもよく似合うし本当に可愛いわ。ゴトフリーさんも見た途端に鼻血噴いて倒れちゃうんじゃないの?」
リリアは今夜何度目かの褒め言葉を口にした。今着ている作ったばかりのドレスはゴトフリーの瞳の色である紺のふんわりとしたドレスだ。効果的に白のフリルが使われていて、何度か行われた仮縫いの段階からこれが着られると思うと心が浮き立って仕方なかった。髪と化粧はリリアがよくお願いしているという髪結師を兼ねた化粧師さんに頼んで、一緒にしてもらった。そんなリリアこそ、恐らくダニエルの瞳の色だろう若草色のすとんとしたドレスがよく似合っていた。彼女は童顔でふわふわの稲穂のような金髪が魅力的なんだけど、今日はそれを綺麗に纏めてまるでいつもとは別人のような装いだった。
「リリアもなんだか大人っぽくてすごく素敵だよ。そういう一面もあるって知れてすごく驚いちゃった。今日は一緒に舞踏会に行けて嬉しい」
ふふっと二人で笑い合って窓の外を見た。まるで御伽噺の舞台のようなヴェリエフェンディの美しい王城はすぐそこだ。あの場所で毎日働いてはいるんだけど、こうやって夜に着飾って訪れることになるなんて思ってもみなかった。
「……お姫様達、そろそろ着くよ。アリスはマーシュさんに引き渡すまで俺達の傍を離れないように」
ダニエルが窓の外を確認しながらそう言うから、アリスは首を傾げた。多分仕事を終えたばかりのゴトフリーは迎えには来てくれてはいるだろうけれど、今日は人出も多くてごった返すだろうし馬車を降りて二人と別れてから自分だけで探すつもりだったのだ。
「ダニエル、私もう子供じゃないし大丈夫だよ。一緒に連れて来てくれただけでも有り難いんだから、馬車を降りたら二人で楽しんで来てよ」
そう言って笑ったアリスの顔を見て、ダニエルは眉を寄せて首を振った。
「ダメだ。何かあったらどうする。絶対にそうしないと気が済まないから、言うことを聞いてくれ」
そう言った彼は頑なな表情を崩そうとはしない。何かあると言ってもヴェリエフェンディの王城内だ。そこら辺中に衛兵は居るだろうし、なんなら今夜男性側の招待客は騎士しかいないと言っても過言ではないのだから、何かあったとしてもすぐに助けは来るだろう。
その言葉にびっくりしたアリスの耳元でリリアは囁いた。
「ダニエルがこうなったらもうダメよ。言い出したら聞かないんだから、言うことを聞いてあげて」
ひどく心配性な彼氏の行動には慣れているだろうリリアは、すこし肩をすくめた。
◇◆◇
「……アリス!」
三人で城の廊下を歩いている時に後ろから独特な低い声がした。彼氏の声だ、と気がついたアリスは慌てて振り返る。
(え、やばい。信じられないくらいカッコ良い人が走って来るんだけど)
竜騎士達が式典などで着用する紺色の正騎士服は金と白の複雑な意匠がなされていて、整った顔を持つ彼に似合っていたし、いつも可愛らしい印象を与える蜂蜜色のふわっとした髪の毛は丁寧に撫で付けられていた。物語に出てくる騎士が飛び出て来たかのようなその感覚に驚く。
「アリス、知っていたけど今夜の君は特にかわいい。迎えに行けなくてごめんね……スウィントンさんにリリア。アリスを送って来てくれてありがとう。また今度お礼はさせてもらいます」
頭を下げたその言葉にダニエルはアリスを送るのは当たり前のことなので、と真顔で言って苦笑しながら手を振るリリアを伴って会場の方へ行ってしまった。
二人きりになってにこにこと嬉しそうに自分を見る恋人の顔にもじもじしてしまう。もちろんゴトフリーは普段からいつも素敵だ。それは彼女である自分が一番よく分かっている。ただ、特別な場面でしか見られないだろう彼の姿を見てしまうと彼のはずなのに彼ではないような、そんな気もして高鳴る鼓動を抑えられない。
「……どうしたの? アリス。緊張してる?」
首を傾げながら言ったその言葉にちいさく頷いた。自分の頬が熱くなるのを感じる。これが惚れ直すという言葉の意味なのだろうか。何度こういう瞬間を繰り返せば、目の前に居る彼に慣れることが出来るのだろうか。何か言いたそうなアリスのことを察してくれたのか、慣れた様子で微笑んで待ってくれる。とはいえ、そろそろ開催の時間も迫っていることもわかっていたから、なんとかアリスは決心して言った。
「……あのね、ゴトフリーが素敵すぎて、恥ずかしい……なんでこんなにカッコ良いの? 私ぜんぜん心の準備が出来てなくて……なんか胸がくるしい」
ぽつりぽつりと言ったアリスにちょっと驚いた顔をすると、嬉しそうに微笑んだ。
「そう言ってくれて、ありがとう。さっきも言ったけど、そんなアリスは世界一かわいいよ。今日君と一緒に踊れるなんて夢みたいだ」
優しく手を取ってゆっくりと歩き出した。周囲には同じような恋人たちや夫婦だろう男女の組み合わせがたくさん居る。そんな人たちもお互いをこんな風に言い合っているのだろうか。それは素敵なことだと思った。お互いのことを大事なものだと、そう言い合えるのはきっと奇跡みたいなことなのだろうと思う。
「アリスちゃん!」
会場入りして、飲み物を片手に初めて入る大広間を物珍しく観察していたアリスは呼びかけられた聞き覚えのある声に振り向き、そして笑顔で言った。
「ナイジェル、こんばんは! わ、皆すごく素敵だな。なんだか今夜は私としか踊らないなんて勿体ないね」
ゴトフリーの同僚四人が彼とアリスに近づいて来たのだ。特別な竜騎士になれるくらいだから、もちろん全員端正な容姿を持っている。周囲の女性からの視線が集まってくるのを感じた。
「アリスちゃんのドレスもよく似合ってるよ。その色に誰かさんの執着の強さを感じるけど、まあそれは仕方ないな」
軽口を叩いてゴトフリーの肩を叩くと、ナイジェルは笑った。自分の周囲に集まった背の高い五人の竜騎士を見回すと、アリスは言った。
「なんだか、不思議だね。あの飲み屋で会った時は皆と舞踏会で踊ったりするなんて思わなかったな。あの……ゴトフリーは伝えてくれているかはわからないけど、私ダンスあんまり得意じゃないから、それだけはごめんね」
しゅんとして言い出したアリスに大きな体のエディは笑った。
「ちゃんと聞いてるよ。体を動かすのが仕事だしダンスのリードくらい俺達はお手の物だから心配しなくて良いよ。それに女の子はちょっと鈍臭いくらいがかわ……」
「エディ、それって俺のアリスが鈍臭いって言いたいの?」
ゴトフリーの刺すような視線にエディは大袈裟に体を震わせた。その姿を見て全員で笑ってしまう。
「ふふ、鈍臭いのは本当だよ。でも、皆素敵。どこかの王子様達みたいだもん。きっと城中の女性から嫉妬されちゃうな」
また見回して嬉しそうに言ったアリスに今夜は珍しく眼鏡を外しているレオは首を傾げて言った。
「アリスさんもかわいくてお姫様みたいだから、丁度いいんじゃないかな。それに、嫉妬されない人生より誰かに嫉妬されるくらいの人生を僕は選ぶけど」
レオのその言葉にアリスは頷いた。それもそうだ。名前も知らない誰かにどう思われるかどうかなんて気にしていたら、きっと生きていけない。竜騎士のゴトフリーと付き合っている時点でどうしても羨望の眼差しは集まるのだから、ここで彼の同僚何人かと踊ったところで何だって言うんだろう。
「さ、そろそろ王の挨拶があって、それから音楽が始まるよ。アリスちゃんと踊る順番はもう決めているから、今夜は楽しもう」
そう言ったナイジェルの言葉に頷くと、魔法の灯が効果的に灯されて明るい大広間に王の登場を知らせる大きな音が響いた。




