25 愛され上手
「付き合ってる彼氏にもっと好かれる方法?」
リリアは食後の紅茶を口にしながら、不思議そうに言った。アリスはこくこくと頷く。持つべきものは恋愛相談に最適な愛され上手な友人だ。婚約者のダニエルはどこをどう見ても長年付き合ったリリアを愛しているし、リリアはそんなダニエルを上手く操縦しているのだ。
すこし考えるような素振りを見せてリリアは言った。
「そうねえ……褒めてみたら良いんじゃない? 男の人って褒められるの好きよ。ゴトフリーさんはアリスの事が好きなんだから、そういう女の子に褒められたら嬉しくなるし、好感度ももっと上がるんじゃないかしら」
アリスはその言葉を心に刻んだ。恋愛経験がない自分では絶対に思いつかない助言だから、すごく勉強になる。
「……どんな事褒めたら良いのかな。ゴトフリーは大抵のことは出来るけど、彼が嬉しいなって思うことじゃないとダメだよね?」
竜騎士である彼は幼い頃から続く過酷な競争を勝ち抜いてその職に就いている訳だから、それこそなんでも出来ると言っても過言ではない。勉強だって高等学院に通っていたアリスと同程度には出来ていたはずだ。そう思うと、なんでそんな彼が自分と付き合っているのか、やっぱりわからなくなる。
「アリスが彼の得意そうなことをわからないふりをして聞いてみたら? わかっていてもわからないふりしても良いじゃない。なんでも正直に言わなくて良いのよ。それで向こうが良い気分になるなら嘘も方便よ」
リリアの言っていることはもっともなんだけど、それは褒め上手の高等テクニックだ。けれど今までまともに気になった男性と話すことも出来なかった自分が上手く彼の前で嘘をつくことなど出来るのだろうか。
「誰かに好かれるって難しいね……ゴトフリーが何かのきっかけで奇跡的に今私のことを好きで居てくれるのはわかるんだけど、これからもずっとそれを継続させたいの。リリアが今ダニエルに好かれているみたいに。私たちもいつかそうなりたいんだ……」
そうため息をついて頭を悩ませる親友の姿を見てリリアは微笑んだ。
「あのね、誰だって最初からなんでも上手くはいかないのよ。私たちだって付き合い始めはいっぱい喧嘩したし、幾度も話し合って意見の擦り合わせをしてきたわ。それってどうしても好きな相手じゃないと無理だから、アリスはゴトフリーさんとどんな事してでも一緒に居たいって思うのなら、そういう気持ちを伝えたら良いんじゃないかな」
ゴトフリーは付き合う前から、あの偶然に会えた夜からアリスの事を好きだと言葉を尽くしてそう言ってくれている。だから自分に自信を持てなかったアリスも、彼を信じてみたいとそう思えたのだ。
自分の本当に思っていることを曝け出すのがこんなに怖いことだなんて、彼と付き合うまでは考えたこともなかった。
◇◆◇
大きなお弁当が入ったバッグを持って竜騎士団が使用する大部屋の扉の前に立ち尽くす。
今日はいつも食堂で一緒に昼ご飯を食べているリリアが前々からの予定での休みだから、ゴトフリーと中庭で一緒にお弁当を食べる予定にしていて、彼を迎えに来たのだ。
アリスが作るお弁当は二人の勤務の合う時にゴトフリーが朝取りに来てくれて食べ終わったらお弁当箱を戻してもらうのが習慣になっていた。けれど、一緒に中庭で食べるのは付き合ってから初めてだ。
覚悟を決めてノックをすると、近くに居たのだろう一人の竜騎士が扉を開けてくれた。大きな体をした彼は首を傾げてアリスに尋ねた。
「誰かの彼女かな? 良かったら呼んであげるよ」
その人は竜騎士になれるだけあってきりっとした整った顔をしている。厳しい篩にかけられる彼らはその生まれ持った容姿も審査基準に入るのだ。
「……あ、あのっ……ゴトフリー・マーシュさん……お願いしますっ……」
真っ赤な顔をしてつっかえつっかえ言ったアリスに彼は微笑んでから、後ろを振り向いて大きな声で言った。
「おい、ゴトフリー、かわいい恋人が迎えに来てるぞ」
その声を聞く前から察知してこちらに向かってきていたのか、すぐに大好きな彼はアリスの前に現れた。
「アリス。待ってたよ。レンドール先輩、ありがとうございました。かわいいのは俺が一番よく知ってるので、それは言わなくても大丈夫です」
軽口を叩いたゴトフリーの頭を小突いたレンドールは呆れた顔をした。
「独り者の先輩によく言うよ……え。もしかしてこの子、例の経費窓口の子か。どうやって口説き落としたんだよ」
「それは言えないです。すみません。さ、行こう。アリス、今日は天気も良いから外で食べると気持ち良いよ」
思わず固まっているアリスの背中を押してゴトフリーは歩き出した。機動性を重んじているせいか、竜騎士団の部屋は執務棟の一階に位置しているから、中庭はすぐそこだ。建物に囲まれているから冷たい風にも晒されないし、彼の言った通りぽかぽかする程の陽気だから、この季節に外で食べても寒い思いはしなくて良さそうだ。
「あ、あのねっ……今日はゴトフリーの好きなお肉の入ったサンドイッチにしたんだ。調子に乗ってたくさん作りすぎたから食べきれないかも」
そう言うアリスの持った大きなバッグを取りながら、ゴトフリーは優しく言った。
「今日は朝から鍛錬だったから、お腹ぺこぺこなんだ。どれだけあるかわからないけど、多分全部食べられると思うよ。もし食べきれなくても、持って帰りたいから心配しないで」
その言葉にうんと頷きながら、二人で歩くとすぐにいつもゴトフリーがお弁当を食べている位置まで辿り着いた。彼は用意していたのかアリスが座れるくらいのかわいらしい布を取り出すと芝生の上に敷いてくれた。
「ありがとう。ゴトフリー、こういうのどこで買うの? かわいいね」
アリスはにこっと微笑みながらその布の上に座った。すっきりとした洗練されたものが好きな彼の趣味ではないかわいい小物をこうやって時たま取り出すことがあってそれは間違いなく彼女のアリスのために何処かで調達しているのだろうと思う。
「内緒。アリスがそのお店知っちゃったら俺が出した時に驚きがないだろ?」
その言葉にふふっと微笑むと、アリスはお弁当箱を取り出して蓋を開けながら精一杯の何気なさを装って言った。
「えっと……あのね、ゴトフリーって、学生時代どんな教科が得意だった?」
急に何を言い出したのかと、首を傾げながらゴトフリーはアリスをじっと見た。お手拭き用の布も渡して手を拭いてもらう。
「そうだね、知ってると思うけど竜騎士を目指すには不得意科目があると不利だから、苦手だなって思っても良い所を見つけてその教科を好きになるように自分に暗示をかけていたよ」
思いもしない回答にアリスは目を瞬く。得意な科目があればその関連の質問をして答えてもらって褒めたら良いかなってよこしまな事を考えていたのだ。けれど、純粋に学生時代の彼がとにかくがむしゃらに頑張ってきたことをその言葉だけでもわかってしまって自然と褒める言葉が出てきた。
「ゴトフリーはすごいなぁ。私はそんな風に考えられなかったもの」
「ふ。高等学院を出て文官になっているアリスにも不得意科目あったの?」
ゴトフリーは大きな口を開けてサンドイッチを食べると、反対にアリスに質問をした。
「あるよ。私は数術は得意だったんだけど……この前も言ったけどダンスとかすごく苦手だったし、あとは礼儀作法とかもあんまり好きじゃなかった」
アリスは数術は試験でも首位かその辺りだったが、潤沢な教育資金をかけられる貴族の子女が通うことも多い高等学院ではそういう社交術を磨く授業も多かった。実家は庶民で特待生でもあったアリスはそもそもの基礎がないからそういったものに慣れるのに苦労したのだ。
「んー、でも礼儀作法とかは、もう必要ないし良いんじゃないかな」
ゴトフリーはそう優しく言って首を傾げるアリスの頬にキスをした。
「俺は竜騎士だけど、爵位を持っている訳でもないし、結婚してもアリスが社交を頑張らなきゃいけないことはないからさ。万が一功績が認められて騎士爵を賜っても舞踏会には出る時はあるだろうけど、ダンスはそれなりに踊れる俺とだけすれば良いし、晩餐会とかも招待されても行かなければ問題ないよ」
当たり前のように将来を語るゴトフリーの言葉が嬉しくて、アリスは心の中身がするりと出てくるように口にした。
「……あのね、私、もっとゴトフリーに好かれたいんだけど、どうしたら良いかな?」
その言葉にゴトフリーは飲んでいたお茶を吹き出しそうになったのか、口に手を当ててけほけほと咳をした。慌ててその大きな背中を撫でてあげると、ゴトフリーは顔を赤くして言った。
「そう言って貰えて飛び上がりたいくらい物凄く嬉しいけど……いきなり、どうしたの? アリス」
「……いきなりじゃないんだ。私この先もずっとずっとゴトフリーと居たいから、リリアみたいに上手に出来るようになりたいの。この前リリアに聞いたらね、そういう気持ちをゴトフリーに伝えたら良いよって言ってくれたからね」
その言葉を聞いてますます顔を赤くしたゴトフリーは、はあっと大きく息を吐いた。
「……ゴトフリー?」
その仕草にすこし不安になったアリスは彼の名前を呼んだ。もしかしたら彼にめんどくさいと思われてしまったのかもしれない。そのことについて十分自覚のあるアリスは座っていても自分より高い位置にある彼の可愛い顔を見上げた。
「……あのね、俺は本当にそんなかわいいアリスのことが好きだし、これからも知るたびに好きになっていくと思うよ。頼むから、そんなかわいい事を仕事中に言わないで。何もかも投げ捨てて連れ去りたくなるから。わかった?」
どうやら自分の心配は杞憂だったみたいだとほっと息をついてはにかんで頷いた。ゴトフリーはそんなアリスを見て複雑そうな顔をして言う。
「これ以上ないくらい大事だし、そう扱っているつもりなんだけど、伝わっていなかったのかな。もしかしたら何かで不安にさせていたらごめん。アリスが俺にもっと好かれたいと思うなら、簡単だよ」
その言葉に首を傾げるアリスを見て愛おしげに笑った。
「居れる時に一緒に居て、そのかわいい笑顔を見せてくれるだけで良いんだ。俺のために何か努力してくれようとするのもたまらないくらい嬉しいけど、あんまりかわいい事言われたりされたりすると家に閉じ込めて誰にも見せたくなくなるから、そこは自重して」
それでも良いなって思ってしまう程彼に溺れてしまうのは、初めての恋がそうさせているのだろうか。たとえそうだとしても、この恋を持続させる努力を怠りたくはなかった。ゴトフリーの事が好きで、もっともっと好きになるたびに飢える程に彼からの言葉がほしくなる。
絶対に失いたくないものを持つことで人は強くなり弱くなる。ようやくその意味を知ったから。




