16 相談
「ブレンダンさんっ!」
通信室に届け物をしに廊下を歩いている時に、アリスは自分の彼氏の同僚であるブレンダンを見つけた。整ったあまい顔立ちの長身の竜騎士は、アリスの声を聞いて、立ち止まると、微笑んだ。
「やあ、アリスさん。同じ城の中で働いているのに、会わない時は会わないね。ま、君のところに持っていく書類を独り占めにしている奴のせいもあるけどね」
肩をすくめて冗談めかしたその言葉にふふっと笑いつつ、アリスは書類を抱きしめたまま、ブレンダンを見上げた。
「えっと、実はブレンダンさんに相談があるんですけど、今日の就業後ってお時間あります?」
「……僕に? ああ、ゴトフリーのことかな?」
察しの良い彼の言葉に、恥ずかしそうに頷いたアリスにそうだなとすこし考えるようにすると、ブレンダンは言った。
「君の定時あたりに、交替で取る休憩をするようにするから計数室に迎えに行くよ。それで良い?」
「ありがとうございます」
はにかんでお礼を言うアリスに、ちょっと困った顔をしながらブレンダンは言った。
「……僕と二人で会うっていうのは、どんな理由だとしても、ゴトフリーには絶対言わない方が良いよ」
その忠告めいた言葉に、アリスは首を傾げながら頷いた。ブレンダンはその顔に苦笑しつつ、じゃあまた後でね、と手を振った。
◇◆◇
ブレンダンが約束通りの時間に迎えに来てくれると、一気に周囲の女性が色めきたった。遠慮がちな黄色い悲鳴も聞こえる。
彼はこの国でも抜群に注目を集めている独身の竜騎士なんだけど、それがないとしても、その整った顔立ちは女性は放っておかないだろうと、そう思ってしまう。とにかく女性受けが良さそうな爽やかであまい顔立ちなのだ。
そんな彼と連れ立って中庭に行くと、夕暮れの光に染まる東屋の椅子に隣同士で腰掛けた。緊張しながら、アリスはブレンダンに切り出した。
「……その、誰にも言わないでほしいの。ゴトフリーにも絶対に言わないで」
「もちろん」
にこっと笑った顔は嘘を言っているようには思えない。そして、彼は竜騎士だ。それは竜に選ばれるくらいの高潔さを持っているという証明でもある。
アリスはなんとかその事実を自分に言い聞かせると、弱い自分を奮い立たせてブレンダンにどうしても聞きたかった疑問をぶつけた。
「あのね、あの、男の人ってね、その、どうしたら、そういう気持ちになるのかな?」
ブレンダンは一瞬、すごく驚いた顔になったけど、すぐに優しく言った。
「……ゴトフリーはアリスさんのことがただすごく大事なんだよ。それは僕から見ても一目瞭然だから、いずれ自然とそうなるから大丈夫」
その言葉は、まるでこういう時に返す言葉のお手本のようだ。それが待てないから、アリスは今こうしているのに。
「……でもね、前に私、軽い女だと思わないで欲しいって言ってるから、なんだか今更なんだ……なんであんなこと言っちゃったんだろう。すごく後悔してる。男の人って、そのああいうことを定期的にしたいものじゃないのかな。もしかしたら、私以外の誰かとしてたら、どうしよう」
しゅんと肩を落としながら、なけなしのそういう知識を出して、ブレンダンに言い募った。
「……ある部分、それも事実ではあるかな。そうだなぁ……でも付き合っている好きな子が居るのに、その子以外とそういうことをしたいとは、僕は思わないけど」
うーんと考え込んだブレンダンは、自分を涙目で見つめているアリスにかけるべき言葉をなんとか探しているようだ。確かに同僚の彼女にこんなことを相談されても困ってしまうかもしれない。
でも、どうしても、この時に解決の糸口だけでも掴みたいアリスはブレンダンを一心に見つめてしまった。
その時、ざっと足音がして、二人ははっとして視線をあげた。
「……ゴトフリー?」
突然現れた、金髪の彼に驚いた顔をしたアリスの手を掴んでブレンダンの隣から立ち上がらせると、険しい顔のゴトフリーは二人を交互に見つめた。
「……二人で、何話してたの」
「ああ……」
何かを答えようとしたブレンダンの腕を慌てて掴んで、真っ赤な顔をしたアリスは言った。
「言っちゃだめ!」
言ってからしまったと思った。彼のことだから、きっと上手く誤魔化してくれたかもしれないのに。
でも、いくら今まですごく悩んでいたとはいえ、さっき自分が言った言葉がとても恥ずかしかった。ましてやその悩みの元に伝えられるなんて、ものすごく恥ずかしい。
「アリスさん……」
流石のブレンダンもどうしたものかと、ゴトフリーとアリスの顔を困った表情で交互に見てる。
「……ブレンダン、行って。俺ちょっとアリスと話したいことあるから」
ゴトフリーは、アリスのちいさな手が掴んでいるブレンダンの腕を見ながら、表情をなくして言った。
「……アリスさん、大丈夫?」
ブレンダンは確認するようにアリスに聞く。アリスはその意味がよくわからないけれど、ゴトフリーが二人の話していた内容から興味を失ってくれるのならそれで良かった。その言葉にこくこくと頷いた。
ブレンダンはゴトフリーに念を押すように言った。
「一応言っておくが、お前が心配するようなことは何も無いから」
「もう良いから、早く行けよ」
彼はもうブレンダンの顔を見ようともしない。ブレンダンはアリスを気遣うようにしながら、歩いて城の中へと行ってしまった。
ゴトフリーは、アリスを座らせると、さっきブレンダンが座っていた場所に腰掛けた。膝の上でぎゅっと大きな手を握り込むと、自分を落ち着かせるようにふーっと大きく息をつく。
「……あ、あのね、ゴトフリー。さっきの、ほんとに何でもないの。ちょっと話を聞いてもらっていただけだから」
アリスのその言葉を聞いて、ゴトフリーは顔を上げた。その可愛い顔の紺色の瞳にあるものの正体がわからなくて、アリスは覗き込もうとした瞬間に、ゴトフリーはいつもの笑顔で言った。
「アリス……明日は休みって言ってたよね? もうちょっとで勤番が交替だから、今夜、俺の家にご飯食べに来ない? 俺、結構料理得意だから、良かったら食べて欲しいな」
「……うん!行きたい!」
そう言った笑顔の彼が何を企んでいるなんて、まだまだ付き合った期間のすくないアリスにはその時わからなかった。
◇◆◇
「ゴトフリー、ほんと美味しい」
アリスはゴトフリーの手料理を食べながら、頬を紅潮させて感動した。
献立自体はよくある普通の家庭料理なんだけど、ちゃんと基本の手順通りに作られていて、男の人の料理にありがちな大味なこともなく、繊細な味付けも引き立っている。ゴトフリーが料理上手であることは今夜ご馳走になっただけでよく分かった。
「そ? こんなので良かったらいつでも作るよ。食後のお茶も飲むよね? ここさ、結構大きい家なんだけど、俺一人暮らしだから、普段使う部屋しか掃除してなくて、今使えるのここと俺の部屋だけなんだ。ゆっくり出来るし、上に行こうか」
「うん。ゴトフリーの部屋行けるの嬉しい」
笑って頷いたアリスに微笑んで、ゴトフリーは熱いお茶をいれたカップを持って、階段を上がり自分の部屋へと案内してくれた。
白い壁紙に濃いブラウンの家具、カーテンの爽やかな薄い緑の色合いは、彼の竜アレックの色を思わせた。初めての彼の部屋を見てアリスは、目を輝かせる。
「……アリス」
静かに自分を呼ぶ声がして、コトンと彼がカップを置いた音がした。彼が居る方向を振り返ろうとしたアリスは、戸惑った。
(なんで……体が動かないの……)
ゆっくりとした足音がして、耳元で大好きな彼の声がした。
「ねえ、アリス。ブレンダンと話したこと教えてよ」
「やっ……ゴトフリー、体がっ……」
戸惑って自分を見上げるアリスにいつもの笑顔で笑いながら、ゴトフリーは言った。
「俺ね、適性があるみたいで、拘束魔法がすごい得意なんだよね。こういう風に、何の道具も使わずに、思った部分だけ、自由を奪うことも出来る……ブレンダンと何話してたか、言いたくないなら、自分で言いたくなるようにしてあげる。今夜は覚悟して?」
まさか、こんな風に自分が願っていた状況になるなんて、アリスはもちろん思ってもみなかった。




