15 帰り道
さっき別れたリリアと食事をしたお店の前に佇む。近くに美味しいと評判のレストランが出来たから、行きたいねって前々から話していて、今夜はゴトフリーがちょうど夜に勤務が終わるから、仕事終わりに迎えに来てくれるように頼んでいたのだ。
以前、ブレンダンが言ったことが蘇る。いずれ来てくれるであろう、その人を待つのはそう、何だか、楽しかった。そんな気持ちも、きっとゴトフリーと付き合い始めるまでは分からなかった事に違いない。
お酒も飲んでいたから、外気の冷たさは気持ち良い。はあっと息をつくと、白い息が出た。
じっと城へと繋がる道を見つめていると、遠くから待っていたその人が走ってくるのが見えて、アリスは思わず微笑んだ。
「……アリス! ごめん、遅くなった。ちょっと色々あって、団長の説教が長引いて……こんなにほっぺたが冷たくなってる。店の中で待っていたら良かったのに」
走って来たばかりなのに、ゴトフリーは息も切らさない。その大きな両手でアリスの赤くなっている頬を包み込むと、顔を近づけた。今日も勤務中に書類を届けに来たから会ってはいるんだけど、やっぱり今また会えると嬉しい。にこっとはにかむと嬉しそうに彼も笑ってくれる。
「ううん、迎えに来てくれてありがとう。ゴトフリー。行こう?」
そう言いながら歩き出すと、大きな手のひらと手を繋いだ。冷たくなっている自分の手を包み込むようにするとゴトフリーは優しく握った。
「リリアはもう帰ったの?」
「うん、ついさっきだよ。ダニエルが迎えにきたから」
「そっか。待たせてごめん。心配だから、今度からは俺が来るまでは店の中で待ってて」
その言葉にうんと頷いて、ぎゅっと手を握る。ゴトフリーと居ると、やっぱり大好きだからこそ緊張はしてしまう。ただ、心と裏腹の言葉を言ってしまう癖はマシになってきた。
彼はきっと、どんな部分を見ても、自分のことをバカにしたり、嫌いになったりしないという信頼感が出てきたのだ。付き合ってから、幾度も幾度も愛の言葉をくれる彼のことを、知れば知るほど、大好きになっていく。
「……ゴトフリー、あのね、私ね、こうやって、夜に彼氏に迎えに来てもらうの、すごく憧れてたんだ。だからありがとう」
「ん、お礼を言われることじゃないよ。俺も仕事終わりに、アリスに会えるの嬉しい」
ゴトフリーは優しくていつも理想的な彼氏だ。アリスが「してほしい」と言う事はかなりの確率で叶えてくれようとするし、大事な時に言葉に詰まってしまうアリスのことを今では理解してくれて、時間をかけて辛抱強く待ってくれる。
「団長さんにお説教されたの?」
アリスは以前に助けてもらったあの銀髪の美青年を思い浮かべた。ブレンダンもあの時軽口を叩きながらもかなりの緊張感を持っていたから、仕事上はすごく厳しい人なのかもしれない。
「うん。でも、まあこれは仕方ないことなんだけど、俺たちの仕事ってひとつミスしたら仲間が怪我したり、最悪死んだりもするかもしれない。だから、団長は細かい事にも厳しいんだよ。新人も配属されてそろそろ一年経つから、すこし余裕が出てきてミスが目立つ頃だから」
アリスは確かに、と頷いた。自分の関わっている経理の仕事もそうなのだけど、「自分はもうこの仕事が出来る」と思い込んでしまうと、途端にミスが増えるのだ。そういう時期に気を引き締めるように指導するのは上司の仕事の内なのだろう。
「でもね、私、ゴトフリーを待ってるの、楽しかったんだ。来てくれたら何言おうかなとか、そんなこと考えてると、全然待ってる感じしなかったよ」
ゴトフリーは歩きながらアリスの顔を覗き込むと、口を押さえて息をついた。
「はー、俺のアリスが可愛すぎて身が持たないな。お願いだから、可愛いのは俺の前でだけにして」
「私のこと可愛いって言ってくれるの、ゴトフリーだけだから大丈夫だよ」
ふふっと笑いながら言ったその言葉にゴトフリーはちょっと複雑そうな顔をした。何か言いたいような言いたくないような、不思議な顔をしている。そんな彼の様子にアリスは首を傾げた。
出来るだけゆっくり歩いたつもりなのに、二人で話しながら歩くと、すぐに家に着いてしまった。生まれて初めて帰り道がもっともっと遠かったら良かったのになって思ってしまった。
「……あのね、家に、寄ってく?」
集合住宅の前でアリスは勇気を出してそう言った。
「……ごめん、アリス。明日早いからまた今度寄ってく。好きだよ」
そう言って帰り際、素敵なキスをくれたのに、自分の部屋に入ったアリスはなんとも不満だった。
付き合ってから、いつまで経ってもゴトフリーは、そういうことをしない。してくれない。どうしたら、そういう気分になるのだろうか。どうやって誘ったら乗ってきてくれるのだろうか。
学校の授業では、そんなことを教えてくれなかったし、何もかも経験不足のアリスには付き合ったばかりのゴトフリーの気持ちがどうしても、読めなかったのだ。
◇◆◇
「……それでやっぱり昨日の夜もダメだったの?」
いつものように食堂でお昼ご飯を食べながらのリリアの問いかけに、アリスはこくんと頷いた。誘っても部屋にさえ来てくれない。キス以上の事をしないゴトフリーにどうやってそれ以上を求めたら良いのか、手詰まりになってしまった。
「……もー。お酒飲んじゃおうかな」
「絶対にやめなさい。後悔するわよ」
リリアは渋い顔をして反対した。今までアリスがやった事を考えたら彼女の心配は真っ当なんだけど、お酒を飲むと割と気持ちが大きくなって言いたいことが言えそうな気がするのに。
「私がね、前に軽い女だと思わないでって言ったからかもしれない……」
言いにくそうに話し出したアリスに、リリアは首を傾げた。
「どんな話の展開でそんな言葉を言ったのかは、もう聞かないけど、そう言われたら確かに手は出しにくくなるかもしれないわね」
「どうしよう、リリア。このまま、ずっとしてくれなかったら……」
また悪い方向に考えが走り出してしまう。あんなに好きだよって言ってくれても、ゴトフリーだって健康的な成人男性なのだ。そう言う事は絶対したいはずなのに、お堅い彼女は許してくれないとなると、別の女性の所に行ってしまうかもしれない。
「そうね……こればっかりは性差があるから……とにかく、ちょっと待ちなさい。ダニエルにも聞いてみるから」
「えー、ダニエルとゴトフリーはタイプぜんぜん違うから、参考にならないよ」
食後のお茶を飲みながらむくれたアリスを見て、リリアは仕方なさそうに息をついた。
「それでも、女の私に聞くより絶対良い答えは返ってくるはずでしょ……とりあえず、絶対に早まった真似はしないこと。良いわね?」
頷きながら、アリスはやっぱり不満だった。
ダニエルは長く付き合っていて今は婚約しているリリアの事を、とにかく物凄く溺愛していて、それは傍で見ていても容易に想像出来るのだ。
でも、ゴトフリーはアリスと付き合い始めたばっかりだ。彼もすごくアリスのことを好きだとは言ってくれてはいるけれど、付き合い始めて間もなく、お互いのことを知り始めたばかりだし、愛が深まっているとは言い難い。
(そっか、彼のことは、ゴトフリーのことをよく知っている人に聞けば良いのかも……)
食堂の前でリリアと手を振って別れてから、歩きながらアリスは思った。幸い、アリスはゴトフリーと仲の良い同僚何人かと顔見知りだ。
ゴトフリーは竜騎士だし、幼い頃から国立の騎士学校でずっと学んで来たはずだ。彼のことをよく知ってる人なら、アリスの疑問を解決してくれるのかもしれない。
経験不足だし他人の心の機微にうといアリスはこの時、今まで自分の前では理想的な彼氏であるゴトフリーがなんで「嫉妬深い」と皆に言われているか、なんて全く考えもしなかったのだ。




