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12 涙越し

 病室に入りゴトフリーが寝かされているベッドの脇にある椅子に座るとぼたぼたと大粒の涙が落ちて白いシーツに染みを作った。やっと会えたと思って堪えられなかった。


 思わずその大きな手をとって頬に当てた。固い皮膚があたって、その温かさに彼が生きていると感じた。


 けれど眠ってしまっている彼は当たり前のことなのだけど手を握り返してくれないし、涙を拭ってもくれない。


 いつものように、紺色の瞳でアリスのことを見て優しく微笑んでくれないのだ。


 その手のひらにキスをして、彼の筋肉質な腕を胸に抱きしめる。やっと彼の存在を感じることが出来て、アリスはまた涙を止めることが出来なかった。


「アリスさん……」


 ブレンダンは、そんな様子を見て躊躇いがちに話しかけようとしたが、黙ったままでアリスの頭を一度だけ撫でたキースに目で合図される。アリスと寝ているゴトフリーだけを残して、二人は静かに部屋を出ていってしまった。



 ようやく涙越しではなく、目を閉じた彼の顔をきちんとその目に映すことができるまで、どれだけの時間が経ったのだろうか。


 部屋のどこかにあるだろう時計を見る気力も沸かないし、時間感覚などとうになくなってしまっていた。


 そして、今のアリスにはそんなことはもうどうでも良かった。目の前の彼がその目を開けてくれることを、ただ一心に願っていた。


「……ゴトフリー」


 ぽつりと名前を呼んだひどくかすれた声が、自分のものではないような気がして、なんだか、嫌だった。そして、その呼びかけに返事が返ってくることがないことが。


 柔らかな蜂蜜色の髪をそっと触って、閉じられた瞼にそっとキスをした。そんなことをしたって、彼が目覚めることはないのはわかっていた。それでも。


 眠っていて意識のない彼の耳元に唇を寄せて、今なら素直になれる気がして、アリスは消え入るような声で囁いた。


「あのね、私、ほんとはね、ゴトフリーのこと、ずっとずっと前から知ってたんだよ」


「ゴトフリーの書く書類の文字がすごく綺麗だったから、名前を見てこの人はどんな人なんだろうって、気になってたの」


「それでね……あのね、ゴトフリーが書類を届けに来るのがね、いつもすごく楽しみだったの……」


「戦争している時、不謹慎なんだけど、ゴトフリーがよく来てくれたから、なんだか、すごく嬉しかったんだ」


「……その、顔もね、すごく好きなの、優しそうで可愛いから、私の好みのど真ん中だったんだ」


「……飲み屋で会った時ね、ゴトフリーが居るのを見てこれはチャンスだと思ったの。いっぱい飲んだらその時だけでも素直になれる気がしたんだけど……今、思えば大失敗しちゃった」


「あのね、あの時、失恋したって言ってたけど……なんていうか、今思うと、全然恋じゃなかった。ただ、こんな私の事たくさん褒めてくれる人がね、婚約してたってだけなの」


「あの朝……私ね、ゴトフリーが私が処女だったから責任取ろうとしていると思ってて、なんか、なぜかそう勘違いしたの。私はね、もう好きだったから、責任感じて付き合ってもらうのは違うような気がしたんだ」


「でもね、あの後、ゴトフリーが同僚さんも牽制して、仕事を理由にしてたくさん会いに来てくれて嬉しかった」


「私の眼鏡かけた時があったでしょう。あの時ね、全然似合わないって言っちゃったけど、本当はすごく似合ってて、その、びっくりしたの」


「異国の人が慌てて私に迫ってきて助けてもらった時もね、ゴトフリーがすごくカッコよく見えて、恥ずかしくて、お礼も言えなくてごめんなさい」


「湖の時に、付き合おうって言ってくれて、良いよって言おうとしたのに、なぜかいやって言っちゃったの。あの時のこと、今でもやり直したい」



「……私って本当にダメだよね。ゴトフリーにキスしたのは私なのに、ゴトフリーのせいにして責めてしまったのに、私のせいだとは絶対に言わなかったよね、すごく……自分が情けなかった」



「えっとね、勇気出して、ゴトフリーに会いに竜騎士団の使う部屋まで行ったんだ。元カノと一緒に居るの見てすごくショックだった……でも、あの後私を追いかけて来てくれて嬉しかったな」


「あのね、私の作ったお弁当早く食べて欲しいの。自分の持っていくお弁当で一応作る練習だけしてて、リリアが試作品食べるのもういやだって言うんだよ、ひどいよね。ゴトフリーはいっぱい食べるから、大きいお弁当箱にたくさん作るんだ……」



「……ゴトフリー、好きだよ。大好きなの。出来たらこんな私で良かったら……付き合ってください。こんな時になるまで素直になれなくて、ごめんね」



 夕日が彼の蜂蜜色の髪を照らして、その色がとても綺麗だと、そう思った。




「……ゴトフリー、早く起きて。返事してよ。良いよって……笑ってよ……」




 大きな窓から赤い光が差し込む病室に、浮かんでは消えていくたくさんの今まで言えなかった言葉は、こんなに近くにいるのに眠ってしまっている彼には決して届かない。


 そう思うと、枯れてしまったと思っていた涙が一筋だけ、頬を伝った。



◇◆◇



「ブレンダン、さん?」


 面会時間の終了を告げられ、やっとのことで腰を上げ、帰ろうとしたアリスは足を止めた。


 ブレンダンが、長い脚を組んで待合室に座っていたからだ。あの時に部屋を出て行った彼はもう帰ってしまったと思っていたから、アリスはその姿を見てひどく驚いた。


「や、帰り送るよ」


「え? あの、お仕事は?」


「これって団長命令なんだ。だから仕事の内」


 肩を竦めたブレンダンはあくまで優しい。衝撃を受けてアリスには時間感覚をなくしてしまっていたが、彼を長時間待たせてしまっていたことはわかっていた。


「あ、あのすごく待ったんじゃないんですか? ごめんなさい……私、気が動転してて、泣いてばかりで」


「……それは気にしなくて良いよ。僕は誰かを待つ時間って割と好きなんだ。それに泣き顔の君を誰かに見られたって聞いたら、絶対ゴトフリーが発狂するから、被害者は団長と僕の二人だけで良いよ」


 緊張感をほどくような冗談めいた言葉に、アリスは思わずふふっと笑ってしまう。彼はその外見が想像させる通り、女の子の扱いに良く慣れているようだ。


「……なんで待つの、好きなんですか?」


 ブレンダンは立ち上がってアリスの歩調に合わせて歩き始めた。


「言葉にしづらいんだけど、自分の元に必ず誰かが来てくれるからかな……当てもなく待つのは、すごく辛いけどね。ただ、今日は、アリスさんが絶対あの部屋を出てくるのがわかってた。だからかな」


 謎掛けのようなその言葉にアリスは首を傾げた。それを言った彼はまるで当てのない誰かを待っているようにも思えたのだ。


 ブレンダンは歩きながらじっと不思議そうに自分の顔を見るアリスに苦笑した。


「ま、そんなことは良いよ、馬車で来てるから家まで送っていくね。それにゴトフリーの今の状況も説明する」


 それはアリスが今一番聞きたかったことだ。彼がいつどうやったら目覚めるのか、その情報が何よりも欲しかった。


「あのっ……時間が経てば起きるんですか」


「んー、そうとも言うし、そうでないとも言えるかな……あいつが吸い込んだのは、エクシャルっていう名前のいつもはあまり遭遇しない蜘蛛型の大型魔物が使う睡眠毒なんだけど、解毒剤が特殊なんだ。珍しい原料も使用するし作りたての新鮮なものでないとダメだから、今調合師に依頼してる。作成にかかる時間はその時々だと思うから、数週間か数ヶ月か……それがいつになるって言うのは、僕にもわからない。ごめんね」


 その言葉にアリスは肩を落とした。なんて長い時間を待たねばならないのだろう。目覚めたゴトフリーにすぐにでも、今すぐにでも会いたいのに。


「アリスさん、団長がすぐに手続きをしてくれるって言ってたから明日からは病室に入れると思うよ」


 こくんと頷いたアリスは、治療院を出て、もう日が落ちかけて薄紫の空を見上げた時、パッと頭に閃いた。


 薬なら、原料を集めて作れば良い。どこかの誰かが作ってくれるのを安穏と待つなんて、出来ない。


 アリスには勉強が出来るということしか、自覚している長所はなかった。最終専攻が数術であったので、薬学も基本を修めた程度ではあるけれど、高等学院で学んでいるし、城の図書館にある貴重な薬学の本も、文官である自分になら上司の許可さえあれば読むことも出来る。



 笑顔の彼のいる場所へと、たった一歩ずつでも進みたかった。いつ来るかわからないものをただ待つだけなんて、絶対に嫌だった。


 そうしたら、きっと言える。そう思った。


 ずっと前から好きだったと、彼の紺色の目を見ながら。


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