秋月小冬
「あったあった、ぼーっとしてんな、俺」
いつも一緒に帰っている克己を置いて、俺は自分のクラスに忘れ物を取りに戻っていた。今回忘れたのは『深紅の手毬』という本だ。小鳥遊から借りて置いて帰るとこだった。帰りに気づいて良かった。これで夜も寝る時に困らない。
そして教室を出た。長い廊下を戻るとき、正面から秋月小冬さんが正面からやってくるのが見えた。
秋月小冬――。
二つ隣のクラスの、いや、学年一の美貌と評しても良い。
成績優秀……、でもなく。
超金持ち……、でもない。
ただ筆舌にし難い美貌に恵まれた女性。引く手あまただと聞く。
「やぁ、さよなら秋月さん」
いつもの陽キャスマイルで、さりげなく手を振る。
その時、彼女は背後を確認した。そして誰もいないのを確認して、俺の袖を引っ張った。
「ちょっ……!」
力強い!
男の俺でもバランスを崩しそうになり、彼女の肩を掴んだ。
「ど、どうしたの?」
「話があるんだけど」
来た。また告白か。願ってもないけど――。
「彼女作らないって話を聞いたんだけど」
思考を遮られた。俺はいくつか持っている答えの一つを提示した。
「作らないっていうか、作れないんだけど」
彼女は腕組みして、壁に寄り掛かった。何、この圧倒的強者感。
「私も告白されまくりで困っているの」
「そうか、お互い大変だね」共通の話が出来る事に少し高揚していた。「何が良いんだろうね。顔が良いだけで」
「私たちはね生まれもって異性に好かれるという欲求を一つ克服しているのよ」何か語りだした。「アドバンテージはこちらにあるってことよ」
「言い換えればそうかもね」
差し障りない答えを返す。
「ただ有象無象が寄って来るという壁が待ち伏せているの」
酷い言いようだ。
「確かに断るのって大変だよね」
「でしょぅ? そこで提案があるの」
「何でしょう……」
なぜか敬語になっていた。
「私たち付き合っている事にしない?」
「はぁ?」
頓狂な声が心胆から出た。
いや待てよ。確かに都合が良いかもしれない。
「モテて困るもの同士が仮初の付き合いをしている。それで皆のベクトルも違う方を向く。それってウィンウィンじゃない?」
ウィンウィンか? でも皆のベクトルは確かに違う方へと向く。
「秋月さんはそれでいいの?」
「貴方と付き合っているとなると他の男子も納得するから」
「そう……、ちょっと考えさせて」
「出来れば今が良いわ」
俺はその天秤をどちらに向けるか高速で考えた。出た答えは、自分でも意外なものだった。
「分かった、いいよ。そうしよう」
「決まりね」
仮初の彼女が出来た。
彼女は俺の肩に手を置いて頬にキスをしてきた。
「なっ……」
「じゃあ、明日からよろしくね。あ、貴方から告白してきたと言う事にしておいて」
「あ、……うん」
秋月さん、いや、小冬は手を振りながら教室を出ていった。
彼女の真意は分からない。だが少しでも懊悩の芽を潰せる事に安堵している気持ちもある。
彼女のグロスの感触が頬に残って離れなかった。




