(4)
「久しぶりにきてみたら、めっちゃデブになってたw」
ある種ありふれたコメントだと思う。
これが、そのへんのUチューバ―へのコメントだったら「へー」って感じで、読み流してた。
でも、それが、ヒロ星人へのコメントとなれば、話が変わってくる。
ちょっと悩んだ。10分くらい悩んだ。
結局、消さずにそのまま残しておくことにした。
消したところでたぶん、またあーだこーだ言われるんだろうし。
それにヒロちゃんは、そんなに気にしないような気がする。
ボサボサ頭でデートに行く人だもん。ボサボサでもぽっちゃりでも、ヒロちゃんはきれいだからね。
「昔の動画、痩せてて可愛くてびっくりした」
これも、有名税ってやつかな。
視聴者が増えれば、こういう考えなしのコメントを免れるのも難しくなってくるんだろう。
「宇宙人コス、パツパツになってるやんww」
ヒロちゃんはたぶん、気にしていない。
むしろ、食べる量はどんどん増えていく。
配信もどんどん増えていく。
ヒロちゃんは段々、損なわれていくみたいだった。
「よもも、今日もショート動画、お願いね」
「うん、それはいいんだけどさ、ヒロちゃん、ちょっと休めば?」
「よもも、休みたいの?」
「そうじゃなくてさ、ヒロちゃん、もっとちゃんと寝た方が良いよ」
「じゃあ、よもも、泊まっていけば良いよ。通勤時間の分、寝られるじゃん」
私の睡眠時間の話じゃなくて、ヒロちゃんの話だよ。
そう言おうとしたけど、やめた。
言ったとしても、たぶん、返ってくるのは「ガー」だ。
ヒロちゃんの黒髪は、脱色している人よりもよっぽどパサパサで、これ以上傷めつけたら、ぷちぷちと途中で切れてしまいそうな有様だった。
だから私は、「うーん、今日はいいや」と言った。
ヒロちゃんは「そっか」と返した。
それで私は、家に帰って寝た。
寝ている間に、ヒロちゃんはSNSを更新していた。
「星に還りま。」
私が起きた時には、いくつかコメントがついていた。
「里帰り?」
とか
「引退だったら泣く…」
とか。
どのコメントにも、ヒロ星人からの返信はついてなかった。
どうしてだろう。宇宙人らしいポストだな、って笑うことができなかった。ざわざわした。
部屋着のまま、ヒロちゃんの家に向かった。
ヒロちゃんの部屋は、昨日と変わらなかった。
「どうしよう……」
呟いても、誰も返事をしてくれない。
昨日までと違う、唯一のこと。
出不精な人の熱が、どこにも感じられない。
どうしよう。
どうしよう、ヒロちゃん。
私、ヒロちゃんの星、知らないんだよ。
日が傾く前に、602号室に着いた。
勤め人が帰り始める時間よりも、早い時間だった。
人気のない部屋のドアにもたれる。
そのまま、ずるずるとしゃがみこむ。
何度もRINEを開いては、SNSを開いては、更新がないことに、時間がほとんど進んでいないことに、変な焦りを感じる。
エレベーターが開く音がする度に、顔を上げる。知らない顔の不審げな目と目が合う。
19時を過ぎた頃、またエレベーターが開いて、ようやく見知った顔が現れた。
誰よりも不審げな目が、突然はっと見開かれる。
それから、どたどたと駆け寄ってきた。
「何してんだよ、お前。家の鍵でも失くしたのか?」
「か、鍵じゃ、なくって」
「じゃあなんでそんな薄着で、真っ青になってるんだよ」
モテアキが、鬼の形相で私の顔を覗き込みながら、言った。
ああ、だからか。口の筋肉が凍り付いたみたいに、うまく動かせない。
「だって、ヒロちゃんが、」
「ああ、ヒロちゃんね。ハイハイ。ヒロちゃんがどうしたって?」
モテアキが、歪んだ顔で笑って、コートを脱いだ。
そのコートが空を切って、私の肩の上に落ちた。
「ヒロちゃんが、いないの」
「いない?」
「ヒロちゃんのSNS、見てない?」
「……見てないけど」
もう何度も見返した画面を、モテアキの眼前に押し付けた。
「ヒロちゃん、星に還るって……。ヒロちゃんの星って、どこ?」
モテアキが、最後の希望だった。
モテアキは、画面をじっと見ていた。
でもすぐに、ふい、と目を逸らした。
「知らねえ」
あまりに気の無い言い方に、体中の精気を持っていかれたみたいな気がした。
「知らねえって……」
モテアキが、ちらっと私を見た。
それから、はっ、と短くため息をついた。
「俺らとっくに、終わってたんだよ」
「終わってた? 別れたってこと?」
「……別れてねえ。でも、俺たち、最初から始まってもいなかったんだよ。最初から、お互いのことなんて好きじゃなかった。ただの遊び。遊びにもなってなかったけど」
「何、それ……」
「俺は、好きな女と同じ匂いがする女にふらふらとついて行っただけだし、あいつは、まじで誰でも良かったんだよ。黙って彼氏になる男なら、誰でも」
随分と嫌な言い方をする。
でも、内容自体を否定する気にはなれなかった。
だってヒロちゃんは、ずっと、そんな感じだったから。
だけど、モテアキは。
「じゃあモテアキはずっと、黙って彼氏してたってこと?」
「なわけねえだろ。俺はずっと、別れたいって言ってた。でも、あいつは絶対に承諾しなかった」
「なんで?」
「……宇宙人式の呪いなんだろ」
「なに、それ。ちゃんとわかるように言って」
モテアキは、はーと長いため息をついて、がしがしと頭を掻きむしった。
「……お前さ、俺が今お前に、付き合って、って言ったら、何て答える?」
「は? 何なのその質問」
「いいから、答えろよ」
「そんなの、断るに決まってるでしょ」
「なんで?」
「なんでって、ヒロちゃんの彼氏と付き合えるわけないでしょ」
「……そういうことだよ。俺は、ずっと、和音の彼氏」
モテアキが初めて、ヒロちゃんの名前を呼んだ。
何だか、知らない人の名前みたいに聞こえた。モテアキだけが知っていて、私は知らない誰かの名前のように。
「あいつがどっかに消えちまったから、俺はずーっとあいつの彼氏」
モテアキが、乾いた声で笑った。
「お前はなーんも知らなかったんだよ。あいつはまじで、宇宙人。結構やばいやつだったよ」
■ ■ ■
一ヶ月ぶりに、ヒロちゃんの部屋に来た。
家主を失った部屋は、埃っぽく感じられたけれど、それ以外は何も変わらない。たぶん、この先も変わらない。誰かが家賃を払い続けて、ヒロちゃんと、ヒロ星人がいた場所は、ずっとここにあり続けるのだろう。
ふと、木製の棚が目に入った。
ヒロ星人が大切にしていた、三段の棚だ。
その二段目、『星の導き』と『Le Petit Prince』の間に、不自然な隙間があった。
「本……読むんだ」
独り言が、こぼれ出た。
ヒロちゃんは、本を読まないのに。
だけど、たぶん、廣瀬和音は本を読む人だったのだろう。『星の王子さま』を片手に姿をくらますような、そんな人だったのかもしれない。
彼女はきっと、狭い星からやってきた。窮屈で息苦しい場所を捨てて、異星人になった。
彼女は地球で、桜井よもぎに出会う。桜井さん、と呼ぶ。よもぎちゃん、と呼ぶ。よもも、と呼ぶ。
沢山の人と出会う。沢山のものと出会う。
故郷を思うことがあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。
彼女はやがて、地球を去る。
彼女は、「星に還りま。」という言葉だけを残して、どこかへ消えた。訳者たちはそれを、思い思いの地球語に翻訳する。
でも、桜井よもぎのペンだけは、ずっと動かない。この先ずっと、動くことはない。
こんなことならば、異星語について教わっておけばよかった。そうこぼして、それでもずっと、ペンを置けずにいる。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!