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 ヒロ星人のお気に入りだった安納芋のシュークリームは、いつの間にか市場しじょうから姿を消していた。

 世間はもう、冬らしい。

 野外で吐く息が白くなっていることに気が付いて、私たちはますます出不精になっていった。

 けれどもそれは、別に悪いことじゃない。

 ヒロ星人はたびたび配信サイト上に現れ、時たま見知らぬ誰かの心を掴んで、チャンネル登録者数は50人を突破。

 私もせっせとヒロちゃんの家に赴いて、お茶を入れて、機材の準備をして、ショート動画を作って、それから、部屋のど真ん中に置かれたこたつに潜り込んで、おしゃべりをしたり、適当な映画を見たりしながら過ごした。

 あついお茶は、良いものだ。

 凍えた身体からだも、凍った背筋も、うすら寒い心も、ほかほかのカップを握りしめていれば、なんとなくやり過ごせる気がしてくる。

 

 私としては、こたつ、ウォーターサーバー、玄米茶のティーバッグは、巣ごもり越冬における三種の神器だと思う。

 こたつというものは――私が言うまでもなく、たぶん日本人なら誰しもが知っていることだとは思うけれど、とんでもない求心力がある。そこから出る必要があったとしても、なぜか2メートル以上離れたくない、みたいな気持ちになる。

 ウォーターサーバーの良いところは、その半径2メートルの円上にいかようにも設置できて、文字通り湯水のごとく使えることだ。

 手元のカップが軽くなって冷えてきたら、ほんの少しだけ足を延ばして、あついお湯をつぎ足しこたつに戻る。ずるずるとすするその液体が、ほとんど白湯と変わらなくなっても、そこに玄米茶のティーバッグが沈んでいる限り、せんべいのような香りだけはいつまでも鼻をくすぐる。

 

 一つだけ大きな問題があるとしたら、湯水を生み出す神器は、案外あっという間に涸れてしまうということだ。

 やれやれ、と思う。

 ヒロちゃん、たぶん今は彼氏いないんだろうなあ。だって、毎日私と過ごしているもん。

 私がウォーターサーバーのボトルを換えるほかないんだろうなあ。

 

 そんなことを考えながらほとんど死にかけのボトルを眺めていた翌日、ヒロちゃんの家に入ってみると、そのウォーターサーバーはなくなっていた。

 

「あれ、ヒロちゃん。ウォーターサーバー、捨てちゃったの?」

 

 ちょっと、悲愴な声が出た。

 ボトル交換が大変、と言ったのは私だ。でも、いなくなって欲しかったわけじゃあない。やつには、ボトル交換のわずらわしさを差し引いても余りある頼もしさがあった。

 

「ふっふっふ」

 

 ヒロちゃんは、わざとらしく笑っていた。

 それから、

 

「キッチン、見てごらん?」

 

 と続ける。

 ヒロちゃんの家のキッチンは、部屋に入った後、顔をぐるっと90度左に向けたところで、ようやく視界に入る。

 

「うお!? 何これ、ちっちゃ! なんで?」

「水道直結型にしてみたんだー」

「えー!? これが噂の?」

 

 そういう代物が存在することは、なんとなく知っていた。

 でも、仕組みがよくわからないし、たぶん面倒くさいやつなんだろうな、と決めつけていた。でも、まさか、私よりものぐさなヒロちゃんが自ら進んで導入してくれるとは。

 シンクの横で、今までのものよりも数段小さいウォーターサーバーがらんらんと輝いていている。かわりに、昨日までその場所にあったはずの水切りラックは、コンロの上で居心地悪そうにしている。

 

「どう? どう?」

 

 ヒロちゃんは、随分と嬉しそうだ。

 

「こんなんあったらさあ、ますますヒロちゃんちに入り浸っちゃうよ」

「私は歓迎だけどー?」

「そんなこと言ってさー。ヒロちゃんもう、新しい彼氏作る気なくなっちゃったの?」

 

 笑って返す。

 すると、ヒロちゃんの笑顔が、すん、と少しニヒルなものに変わった。

 

「いるよ、彼氏」

「え!? いたの!?」

「ずっといるよ。アッキーが私の彼氏」

 

 ……まじで?

 

 

 

 

 

 何の因果だろう。「え? まじで?」って、ずっとぐるぐる考えながら歩いていたから、なのかな。噂をすれば影、ってやつなのかな。それってつまり、どういう理屈なのだろう。

 とにかく私は、自宅に帰る道々で、偶然ばったりモテアキに出くわした。「アッキーが私の彼氏」宣言が、まだ新鮮ほやほやなこの時分に。

 見なかったふりをしようかな、と思ったけれど、もう遅い。

 がしりと肩を組まれて、体重を乗せられた。

 ぶわ、っと、深夜のサラリーマンらしい匂いが、鼻腔に充満した。

 

「ちょっとー、やめてよ、重いし酒臭いんですけど」

「いいだろ、これぐらい、許せよ」

「いやいやいや、世間の女はたぶん、許してくれないと思うよ」

「女ー? お前に女の自覚なんてあったのか?」

「いや私じゃなくてさ、彼女だよ、彼女。君の、カ、ノ、ジョ」

「あー、ハイハイ」

 

 モテアキは、「あー、俺の彼女ね、ハイハイ」と言ってへらへらと笑ったあと、はー、と酒臭いため息をついた。

 

「んで? なんで今更、彼女のことなんて気にするわけ?」

「今更って言うか、とっくに別れたと思ってたんだもん」

 

 だけど別れてないっていうから、沢山の元カレたちとは違うのかな? って思っちゃうじゃん。

 私もちょっと気を遣うべきかな? って考えちゃうじゃん。

 

「別れたのか、聞いて確かめようとか思わないわけ」

「ええー、聞かないよ」

「なんで」

「なんでって、聞いてどうすんのよ」

 

 モテアキがまた、酒臭い息をついた。

 

「お前さ、ずっと彼氏いないの?」

「いませんけど、何か?」

「高校の時もいなかったよな。好きなやつとかいなかったの?」

「ちょっと、何、だる絡みやめてくれる?」

「禁断の恋愛とか、してたわけ?」

「はあ? じじばば教師しかいない学校で、そんなことあるわけないでしょ」

「じゃあまじで、何もないの?」

「うるさいなー、もう。私もう帰るんで、放してくれます?」

 

 肩に乗せられた腕を、全力で押し上げる。なのに、全然退いてくれない。

「今何かしたか?」みたいな半目で見下ろしてくる酔っ払いが、腹立たしい。

 

「俺も帰る。送って行って」

 

 その酔っ払いが、また寝言を言い始めた。

 

「はあ?」

「俺んち、6階だから」

「2階までしか送りません」

「602」

「送らない」

「602」

「……」

「俺の部屋番、覚えた?」

「忘れた」

「トリアタマ」

「ドブに捨てて行くぞ、この酔っ払い」

 

 モテアキが突然、くくくと笑い出した。

 

「やべー、高校生に戻った気分」

「こんな酒臭い高校生、いません」

「いたけどな。まあ、俺のことだけど」

 

 モテアキは、何がおかしいのか、くつくつと笑い続けている。

 ほんと、なんなんだろう、この男。

 ヒロちゃんはこの男のどこが好きで、付き合っているんだろう。

 ていうかほんと、なんなんだろう。

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