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(2)

 翌日、ヒロちゃんの家に行くと、シンクからカップが消えていた。

 

「洗ってくれたの?」

「アッキーがね」

「へー、やるう」

 

 見れば、ウォーターサーバーのボトルも、新しいものに交換されている。

 なるほど、腐ってもモテアキってわけか。

 

「で、どうだった? エイリアンズ・ユニバーシティは」

「みてない」

「みなかったの?」

「エイリアンズ・インクだった。アッキーが持ってきたの」

「おお……」

 

 やってしまったな、モテアキ。

 いや、ヒロちゃんが聞き間違えた可能性もあるのかな?

 いやまさか、私が聞き間違えたり勘違いしたわけじゃないよね? ヒロちゃんは、『エイリアンズ・インク』をみる、って確かに言っていたよね?

 ちょっと不安になった。

 

「残念だったね。ま、アッキーならすぐ、正しいDVD持ってきてくれるでしょ」

 

 何の確証もないけど。モテアキの名をいただいた男なら、たぶん、そうするだろう。

 でも、ヒロちゃんは不機嫌そうに、「いいよ、もう」と言った。

 

「いいの?」

「いいの。よももとみた方が絶対楽しい。よももが借りて来て、DVD」

「そ? んじゃ、近いうちに借りて来るね」

 

 ヒロちゃんは、ドライヤーのスイッチをオンにした。ガーとやかましい音が、部屋の隅々まで埋め尽くす。

 この「ガー」は、地球語に翻訳すると、「これ以上話しかけないで」だ。

 私は水切りラックの中から、モテアキが洗ったらしいカップを拾い上げた。それをウォーターサーバーの注水レバーに押し付けて、冷たい水で満たす。それから、こく、こく、と、なるべく時間をかけて飲みくだした。

 うーん。頭をひねる。

 もしかして私、悪いことしちゃったのかなあ。どうなのかな?

 

 

 

 

 

 私の中のハテナは、三日ほど寝かされた後、予想外の場所で解消された。

 臭気を放ち始めたごみを捨てねばならない、と、厚ぼったい瞼を擦って起き出し、下階行きのエレベータが開くのを待ち、そこでサトウモテアキに会った。

 モテアキは、きっちりとスーツを着込んでいたけど、顔だけはぽやんとしていた。ああでも、スーツと魂の抜けた顔は、別にアンバランスじゃない。こういう人、電車でよく見る気がする。

 

「就活ですか?」

 

 尋ねてみたら、モテアキの顔は一気にいかつくなった。

 

「ちげえよ。仕事だよ。乗るなら早く、乗れ」

「はいはい」

 

 エレベーターに乗り込む。扉が閉じる。

 ボロマンションのエレベーターは、人間ふたりとゴミ袋ひとつで、そこそこ満員になった。

 

「お前、ここに住んでるの?」

「そうだけど」

「お前の家?」

「いや賃貸だけど」

「いやそうじゃなくて。お前が借りてる家なの?」

「そうだけど」

 

 床の動きが止まって、扉が開く。

 私が先に出て、モテアキがそれに続く。

 マンションの出入り口を目指して、並んで歩く。

 

「モテアキはヒモなのに、結構ボロいところ住んでるんだね」

「ヒモじゃねえ」

「もしかして、ヒロちゃんと別れた?」

「……別れてねえ」

「あ、そなの? なーんだ、良かったー」

「良かった?」

「ほら、エイリアンズ・インク。私がヒロちゃんと一緒にみちゃったから、なんか変な感じになっちゃったんでしょ?」

 

 カラスよけのネットの下、住民が築いたごみ山のふもとに、我が家のごみ袋を滑り込ませる。

 そこに、サトウ家のごみ袋が追加されることはないらしい。

 サトウモテアキは黒い鞄を手にさげて、たぶん用がないはずのごみ山の前でぼっ立ちしている。

 

「エイリアンズ・インクは……関係ねえよ」

 

 かっこつけた言いぐさだけど、内容がファンシーだから、ちょっと笑える。

 

「ねえの?」

「ねえ」

「ふーん、ならいいけど……。モテアキ、仕事行かないの?」

「……行くけど。お前は?」

「ひと眠りしてから、ヒロちゃんのところで仕事ー」

「あ、そ。じゃ」

「行ってらっしゃい、サラリーマン」

 

 手をひらひらさせて、送り出す。

 モテアキは仏頂面を浮かべて、でかい手のひらで私の頭頂部を潰したあと、大通りの方へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 それから私は宣言通り、ひと眠りした後ヒロちゃんの家へと向かったわけだけど。

 ひと眠りというやつは、頭を中途半端にリセットする、ある種やっかいなものだと思う。

 眠る前に考えていたあれこれは、起きてしばらく経ってから、よくわからないタイミングでふいに頭に戻ってきたりする。

 

「そうだ、ねえ、ヒロちゃん」

 

 声をかけた時、ヒロちゃんは、睫毛を伸ばそうと奮闘しているところだった。

 西日に照らされた横顔は、化粧なんてしなくても十分きれいに見える。でもすごく、地球人じみていた。

 

「んー?」

 

 ヒロちゃんが半開きの口で答える。

 アイメイク中のヒロちゃんの口は、いつもこんな具合に開いていた。

 

「アッキーって、ヒロちゃんの仕事知ってるの?」

「なんで?」

「今日さ、偶然ばったり会ったんだよ、アッキーと。んで、ちょっと世間話したんだけど、そういえば、私がヒロちゃんの動画編集しているってこと話しても良かったのかなー、って気になって。あ、話して無いけどね?」

 

 ヒロちゃんは、真剣に考えているみたいだった。

 口をきゅっと結んで、マスカラの先のけばけばを眺めている。

 

「覚えてないや。話したかどうか」

「そ? じゃあ、私からは余計な話しないようにしておく」

「別に、そう何度も偶然会うこともないでしょ。うちにももう呼ばないし」

 

 そうなの? でも、モテアキは私と同じマンションに住んでいるみたいで。

 そう言う前に、また「ガー」が始まった。

 さっきまでヒロちゃんの手の中にいたはずのマスカラが、ドレッサーの上でコロコロと転がっている。

 

 ひょっとして、ヒロちゃんに彼氏の話題は鬼門なのかな?

 そういえば、ヒロちゃんに彼氏のことを尋ねたのは、今日が初めてかもしれない。

 今までヒロちゃんには沢山の彼氏がいたけど、彼らについて私が知っていることといえば、たぶんヒモらしいってことと、せいぜいあだ名くらいなものだった。

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