(1)
ヒロちゃんが暮らすマンションの一室は、私が借りているそれよりも、1.5倍くらい広い。
でも、間取りが変だ。
いわゆるワンルームで、玄関を入ったら洗濯機があって、それからすぐにだだ広い部屋。風呂とトイレはさすがに仕切られた空間にあるけれど、それ以外の全てが、この一室に集約されている。
備え付けの収納みたいなものも一切ない。剥き出しのハンガーラックに、服がぎゅうぎゅうにかかっている。
コートに食べ物のにおいとかついちゃわない、と私が聞いた時ヒロちゃんは、料理しないから大丈夫、と答えた。実際、ひとつしかないコンロは、いつまでもピカピカのままだった。
その広い部屋の一角に、どピンクの丸いカーペットが敷かれていて、ヒロ星人はいつもそこで撮影をしている。
彼女の後ろには、ちょうど彼女の座高と同じくらいの高さの三段造りの簡素な棚が置かれている。彼女は異星人系Uチューバーだから、棚を占める本は、星に関わる本ばかり。星占いの本とか、『星の王子さま』とか、『Le Petit Prince』――つまり、星の王子さまのフランス語版とか。
そういった本たちがスカスカの空間に横倒しにならないのは、変な顔が縫い付けられた星形のぬいぐるみたちが、一生懸命支えているおかげだ。これは、私の提案だ。
彼女の前には、楕円のローテーブルが置かれている。これは、プラスチック製のくせに、いっちょ前に木目が刻まれている。
ヒロちゃんの財力ならもっといくらでも良いテーブルが買えるはずだけど、こいつの軽さは侮れない。ちょっと足をぶつけたくらいでぐらぐらするところはいただけないが、撮影用の小道具は、軽ければ軽い程良い。
私もヒロちゃんも、非力な女子だから。これはかわい子ぶっているわけでもなんでもなく、本当に、そうなのだ。二人とも出不精で、運動嫌いで、痩せぎすで、とにかく筋肉がない。
「そだなあ、全部おいしかったけど」
ヒロ星人が、腕を組みながら、テーブルの上を見回す。
「これ、イモのシュークリーム、これが一番おいしかったかなあ。――ヒロ星にはイモないの? あー、そうだね、安納芋はないよ」
配信画面の向こう側で誰かが入力した質問に、答える。
「シュークリーム? シュークリームはほら、夏にも食べたし。地球でね。あれも美味しかったよねー」
また、答える。
質問者は、同じ人だった。
「んじゃ、お腹いっぱいで眠くなってきたし、今日はこれで配信終わり。じゃあねー」
プチッ。
ぶっとんだキャラ付けをしている割に、お決まりの挨拶とかは、特にない。だいたいいつも、じゃあねー、ばいばーい、おやすみーのどれかで終わる。
チャンネル登録よろしく、とか、高評価よろしく、とかもない。
それが多分、一部の人にはウケているんじゃないかと思う。
ごくごく一部の人にね。それで、登録者数は33人。
志の低いヒロちゃんは、「はは、ミミだ、ミミ」と言って喜んでいた。
「よももー」
ヒロちゃんが、私を呼んだ。
「お茶飲みたい、苦いやつ」
「緑茶?」
「そー。口があまーい」
「おっけー、ちょっと待って」
私は、ヒロ星人チャンネル専属動画編集者、兼、ヒロ星人のお世話係だ。
シンク横に置かれた水切りラックから、お揃いのカップを二つ引きずり出す。それから、同じくシンク横に置かれた箱から玄米茶のティーバッグを二つ取り出し、それぞれのカップに入れる。そこに、ウォーターサーバーでお湯を注げば、任務完了だ。
あーあ、そろそろ、ウォーターサーバーのボトルが空になりそう。これ、ボトル替えるの大変なんだよなあ。12リットルのボトルは、か弱い女の子の腕には、重すぎる。
あ、そうだ。
「ねえヒロちゃん、今彼氏いたっけ?」
「いるよお、アッキー」
「お、まじ? 今度、いつ家に来るの?」
「えー、明後日だったかなあ、DVD持ってくる」
「おー! ナイスタイミング、ヒロちゃん! じゃあさ、その時アッキーにボトル替えてもらってよ!」
「ウォーターサーバー?」
「そ!」
「おっけー。んじゃ、忘れないうちにRINEしとこーっと」
ほかほかと湯気を立てるカップを二つ、テーブルの上に置く。2分後に、飲み頃だ。
ヒロちゃんは、スマホをぽちぽちしながら、それを待つ。
私は、ヒロちゃんの食べかけのモンブランを手に取って、それを口に運ぶ。
「うお、あま」
「ね」
ヒロちゃんは短く答えて、スマホをまたぽちぽち。
相手は、アッキー。アッキーか。たぶん、最近できた彼氏だよね?
ヒロちゃんの彼氏は、季節ごとに変わる。たぶん。
そういうもんなんだろうな、と思ってるから、いつ別れていつ付き合ったのか、わざわざ聞くこともない。
ヒロちゃんの異性の趣味は、良く知らない。
ただ、共通して言えるのは、彼らは総じてヒロちゃんのヒモってことだ。
彼らは、ヒロちゃんの――正確に言えばヒロちゃんのご実家のお金で養ってもらっている。
これがどういうことかというと、ヒロちゃんがお願いすれば、ウォーターサーバーのボトルの交換くらいは、二つ返事でやってくれるだろう、ってことだ。たぶん。
「何の映画観るの?」
あつあつの緑茶をずずずと吸い上げながら、尋ねる。
「えっと、ほらあれ、エイリアンズ・ユニバーシティ」
「ユニバーシティ? インクじゃなくて? ヒロちゃん、エイリアンズ・インクみてたっけ?」
『エイリアンズ・ユニバーシティ』は、『エイリアンズ・インク』の続編だ。
「いやー?」
「みなきゃだめだよ」
「そう?」
「そう」
そういうわけで、アッキーとの約束のきっかり3時間前に、私はヒロちゃんの家に着いた。
もっと早くに待ち合わせしていたはずだけど、私が寝坊した。
まあ、映画は2時間もないはずだろうし、大丈夫だろう。そう思って、『エイリアンズ・インク』の鑑賞会を始めた。
私は言うまでもなくボサボサ頭だったけれど、ヒロちゃんも負けず劣らずボサボサ頭だった。長い黒髪が絡み合っている。
だから、画面上に新しいエイリアンが現れる度、「このエイリアン、今日のヒロちゃんみたい」「あっちのモブっぽい敵、よももに似てる」と言って笑いあった。
エンドロールまで見終わった後、私がお茶を入れて、ふたりでそれを飲んで、「案外面白かった」「でしょ」と言い合っているうちに、2時間40分が経っていた。
ピーンポーン、とインターホンが鳴る。
「あ、来た」
「え、宅配?」
「アッキーだと思うよ」
「まじ? 早くない?」
「アッキー、早いんだよ」
「いやいや、早すぎでしょ」
待ち合わせなんて、遅れてなんぼだと思っていた。
でもアッキーとやらは、そうじゃないらしい。
あわてて、自分のカップを持って立ち上がる。さすがの私も、カップルのデートの邪魔をするほど無粋ではない。
シンクに置いたカップに水を張り、「明日洗うから!」と言って、自分のリュックをひっつかんで玄関のドアを開ける。
そこに、がたいの良い男が経っていた。
「あ、どうも。ヒロちゃんのトモダチです。お邪魔しましたー」
精一杯の外面で挨拶したのに、「あ゛?」と言われた。
あ゛、とはなんだ、とその顔をねめつける。
「サトウモテアキ?」
男の顔が、心持ちたじろいだ気がした。
でも、それだけ。
「……なわけないですよね、すみません。お邪魔しましたー」
今度こそ帰ろうと、男の横をすり抜けようとしたところで、がしりと肩を掴まれた。
「モトアキ、だ。サトウモトアキ」
「……まじ?」
「まじだ」
「ヒロちゃんの彼氏?」
「……そうだけど」
……まじか。
サトウモトアキ。高校に何人かいた佐藤の中で一番モテていたから、サトウモテアキ。
「年取ったね、サトウモテアキ」
「うるせ」
変わってないなあ、サトウモテアキ。
こういうやさぐれた仕草が、一部の女子のキャーキャー言われていたのだと思う。それが、十代ってやつなのだ。
深夜2時に、そんな感じの夢を見た。
せっかくなので、それっぽく肉付けして投稿することにした。