異種族との恋(そしてあけすけな性)についての三つの物語
プロローグ
「久しぶりね、3人全員が顔を合わせるなんて」
庭園の中に丸テーブルがしつらえられている。そのテーブルを囲んで、三人の女が互いの顔を見合わせていた。彼女らは種族こそ違えど、学友だった。同じ学園で魔法を学んだ仲である。
春の昼下がり。うららかな日差しが庭園を包んでいるようだった。
「卒業してから、色々あったでしょう?」
ティーセットにサフランティーを注ぐのは、ヒューマンのサラ。茶色い巻き毛を、今は後ろでひとつにまとめている。
「正式に司書として働くことになったんでしょ? お祝いをしようと思って」
ハーフリングのリリィはサラよりも二回りは小柄だ。ヒューマンと並ぶと子供のように見えるが、立派な成人である。
「久しぶりって感じはしないわ。二人のことは手紙でよく聞いていたもの」
妖精であるペタラは、リリィよりもさらに小さい。彼女の頭に乗ることさえできる。だが、カップは他の二人よりもワンサイズ小さいだけだ。フェアリーのちいさな体のどこにカップの中身が消えるのか、サラには不思議で仕方なかったが、「科学的に解明できることばかりじゃない」というのが、妖精族の答えだった。
「でね、サラに聞きたいことがあったの」
一口目を飲んで落ち着いたところで、ペタラが身を乗り出した。
「うん。どんなこと?」
好奇心旺盛なフェアリーは、いつも突飛なことを言う。サラもそのことはよく分かっているつもりだった。だが、この時ばかりは、ペタラは予想を軽々と超えてきた。
「オークのおちんちんが大きいって本当?」
ブフッ。
サラは含みかけたお茶を盛大に吐き出し、咳き込んだ。
「ちょっと! もうちょっと色々、先に聞くことがあるでしょーが」
リリィが、サラの背中を叩いて落ち着かせてくれる。
「だって、正式に恋人同士になったんでしょ。オークってソッチもすっごいって言うじゃない?」
ペタラの表情には、サラを困らせたいというイタズラ心は微塵もない。純粋な好奇心に満ちている。
「ま、まあ……たしかに。異種族のそういうことって、聞く機会がないものね」
なんとか口元を拭いながら、サラは呼吸を落ち着ける。
「でも、そういうのはあんまり人前で話すことじゃないっていうか……」
「そう? でも心配だわ。世の中にはハーフオークがいるんだから子どもはできるんでしょうけど、もし大きすぎてサラに入らなかったら大問題じゃない!」
ペタラは大真面目だった。真剣に友人の心配をしているのである。
「じゃ、じゃあ……あなたたちの話も聞かせて。恋人とのこと」
ほんとのところ――以前から、サラも異種族との恋愛事情について興味を持っていたのだ。
リリィも、ペタラも、自分とは違う種族の恋人を持っている。そのことをいつか聞きたいと、彼女も思っていたのだ。
「包み隠さず、ベッドの中のことまでね」
「あたしはベッドは使ってないけど」
「どういうこと!?」
あっさり答えたリリィに、サラは思わず大声を上げた。異種族との交流について、実のところ彼女も興味津々だった。
「それは、話せば長くなるんだけど……順番にいこう、順番に!」
と、リリィがサラに水を向けた。
「……オークがみんな性欲や精力が強いわけじゃありません」
「私が見た本にはそう書いてあったけどな」
「むかしの記述は誤っていることもあるの。特に、『北伐』の時代は、オークへの偏見が強かったから……」
「で、サラのカレはどうなの?」
リリィに肘でつつかれて、サラは答えに詰まった。
「う……」
友人ふたりが、にやにやと顔を覗き込んでくる。
「つ……強い、です」
顔を真っ赤にして答えるサラへ、ふたりは歓声を浴びせた。
「こんな美人が近くにいりゃあね。そうでしょうよ」
「ねえ、早く聞かせてよ!」
サラはなんとか呼吸を整えてから、自分の記憶を辿る。
「私が語学の研究をしていたのは知っているでしょ。卒業後も研究に没頭していたんだけど……」
1,サラとグローグ
サラはゆっくり語りはじめた。
「私は学園の手伝いをしながら、異種言語学と歴史を研究してた。十七の言葉を修めて、色々な言語で書かれた記録の比較をしたの。同じ時代、同じ場所の記録でも、それを書いた種族によって内容がまるで違っていた。いま、学園で教えている歴史は一部の種族にとっての歴史に過ぎない。多くの種族の歴史を比較する必要があると思ったの」
「私の恋人はエルフだけど」
と、フェアリーのペタラが口を挟んだ。
「エルフはエルフの言葉でしか歴史を語らない。他の言語では表現できないと思ってるみたい」
うん、とサラは頷いた。「種族の中でしか知られていない物語を比較できるようにしたいと思ってるの」
「立派な目標だけど、恋人の話はいつ始まんの?」と、リリィ。
「分かってるってば。それで、私はもっと古い言語を新しく習得したくなって」
「古代魔法語?」と、ペタラ。
「ううん。古オルク語」
「それって、『北伐』で滅んだオークたちの言葉でしょ。いまのオークが使うオーク語とは別」
「うん。彼らは自分たちの言葉を文章に残そうとはしないし、図書館の本をひっくり返したけど、古オルク語についてはわずかな手がかりくらいしか得られなかった。でも、古オルク語を使っている人がひとりだけ見つかった」
「それが、彼?」
リリィに聞かれて、サラは照れながら頷く。
「オークは部族ごとにまとまって、放牧や狩猟をして生活しているでしょ。その中には、『語り部』と呼ばれる、歴史を語り継ぐ役目があるの」
「昔の歴史を語るために、昔の言葉を身につけてるってわけね」
「その通り!」
思わず身を乗り出してしまってから、サラは一息入れるためにティーカップを傾けた。
「でも、オークの社会は他種族に厳しいでしょ」と、リリィ。「どうやって部族に受け入れてもらったわけ?」
「彼らの部族は、都市と交易もするし、対話しやすい方だった。でも、部族の領域に入れてもらう交渉には一年以上かかったわ。でも、交流を重ねるうちに、私がオークの言葉を正しく使えることを理解してもらえた。だから、学園でオークの歴史をどう教えてるか伝えたの。そしたら、『お前たちの歴史は嘘だらけだ!』って」
「怒られた?」
「まあね。でも、こう言った。『だったら、本当の歴史を誰かが伝えないと。私がその役目を負います』
……で、彼らの集落への立ち入りを認められた。ただし、話をしていいのは『語り手』とだけ。他のオークとは口をきいてはならないって条件で。
それで、私は戦士隊に囲まれて、『語り手』のところに向かった。ちょうど、その時彼は水浴びをしていたわ。若くてたくましいオークで……」
「水浴び中に人に会わせたの?」と、リリィ。
「オークはあんまり、そういうことを気にしないみたい」
「見えた?」ペタラがテーブルに手をついて身を乗り出した。
「……見えた。リリィの腕ぐらいあったわ」
「その時、すでに!?」
「自信があるから隠さないんだわ、きっと!」ペタラは興奮気味だった。
ざわつく二人の反応が落ち着くのを待って、サラは続きを話しはじめた。
「彼の名前はグローグ。戦士たちと比べても、体格や筋量では劣ってなかった。私が挨拶すると、『そうか』って。もちろんオーク語で。水浴びが終わって、服を着るまで待ってたんだけど、他の方向を見ようとするとまわりの戦士隊が鼻をならして威嚇するし。彼の方を見ているしかなくて。下着を着けてないと、歩くたびにビタンビタンって。すごい迫力だった」
「鮮烈な思い出だねえ」
「こほん。で、彼のテントには何度も通ったわ。はじめは部族の外から来たヒューマンにいい顔はしなかったけど、私の贈り物が気に入ってくれたみたい」
「何を贈ったの?」
「本を。グローグは部族の中で、自分の本棚を持っている唯一のオークだった。オークはほとんど文字を読まないの」
「その彼は共通語の本を読めたの?」
「そう、そこよ。私は古オルク語を知りたい。彼は共通語の文字を読みたい……つまり、お互いに相手の知りたいことを知っている。だから、お互いに言葉を教え合わないかって提案したの」
「言葉の交流ってわけね。ロマンチック!」
妖精がちいさな手を二度叩くと、テーブルの中央に花瓶が現れた。白とオレンジのアルストロメリアが生けられている。開花術は妖精にとってごく身近な魔法だ。
「私とグローグはお互いに自分たちの言葉を伝え合った。オークの知性が劣ってるなんて、とんでもない! グローグは一度覚えたことを決して忘れないし、複雑な概念を理解する能力に長けていた。共通語の文字なんて、すぐに覚えてしまったわ」
「それじゃあ、もうお返しに教えることがないじゃない」
「私もそう思った。引き換えにして古オルク語について教えてもらうはずだったのに、私には出来ることがなくなって。追い出されないかと思ったんだけど……」
「けど?」
「あるとき、グローグが村の子どもたちを集めてきたの。『この人からヒューマンの言葉を教わりなさい』って」
「他のオークと話しちゃいけなかったんじゃなかったの?」
「そのはずだったんだけど。私のことを、グローグは他のオークに話してくれていたのよ。『ヒューマンの言葉を皆が身につければ、昔のような争いを避けられるかも』って。さいわい、私は現代のオーク語を使うこともできた。だから、ヒューマンの歴史や文化についても、多くのことを伝えられた……いつの間にか、みんなが私のことを『ガァアン』って。これはオーク語で『先生』って意味なんだけど」
「すっかり受け入れられてるね」ペタラは自分で出した花の香りを嗅いでいる。
「子どもたちに教えていると、彼らから家族の話を聞くでしょ。それに、彼らの親が挨拶に来てくれたり。最初のうちは色々言われたわ。『細すぎる』とかね。
オークたちの共同体では、女性でも強さを見せないと侮られる。だから、『私には魔法がある』って言い返したの。試されるようなこともあったわ。彼らは猪を飼ってるんだけど――豚じゃなくて、猪よ――その猪が暴れたときに呼び出されて、なんとかしろって。オークの猪飼いは猪が暴れると、おとなしくなるまで押さえつけるのよ。そうやって力の差を示すんだって」
「サラはどうしたの?」
「魔法で眠らせたわ。力じゃ敵わないもの。見ていたオークたちは、反応に困ってるみたいだった。彼らは魔法を学ばないから。恐れていいのか、驚いていいのか決めかねていた。しばらく皆が黙りこんでいたんだけど、グローグが最初に口を開いた。
『すごい!』って、ひと言。そうしたら、まわりのオークも『すごい!』『大したものだ!』って。
それ以来、他のオークとも話をすることが多くなったわ。特に、猪飼いの女性たちと」
「さすが。受け入れられたってわけね」
「そのうち、グローグについても聞かされるようになったの。彼は部族の中で交流が少なくて、特に女性とはあまり顔を合わせたがらない、って。でも、私とは古オルク語や歴史についてよく話してた」
「サラとは話をしてくれたわけね」ペタラがかちゃりとティーカップをならしたので、サラは2杯目を注いだ。「どう思った?」
「……イケる! って」
「サラって見た目と違って積極的よね」
「やるって決めたらガッといくタイプだから」
友人たちの賞賛しているのか呆れているのか分からない視線を浴びながら、サラは話を続けた。
「だって、あんなに強くて大きくて立派なひとが、部族の中で孤独を感じてるなんて。ギャップがあるって言うか、かわいそうなのがかわいいっていうか!」
サラは興奮のあまり鼻をならしてから、咳払いをした。鼻をならすのは、オーク語では時分の主張を強めるときの合図である。オークの部族と暮らすうちに、うつってしまったクセのひとつだ。
「他のオークと興味や関心が違うのよ。みんなは部族の歴史に誇りを持っていても、正確に残そうとは思っていない。でも、グローグは起きたことの正しさを残そうとしている。
ふたりで、いくつもの事柄について議論したわ。明らかな誤りと思われる伝承もあった。同じオークが何百年も離れた伝説に登場したりね。そんな話をしているうちに、グローグが『もっと本を読みたい』って言った。
『そんなにたくさんは持ってこられない』って答えたら、『なら、俺が行く』って。だから、今度は私が彼を街に招待した。図書館と――私の家に」
リリィとペタラは、息を呑んで聞き入っていた。
「『私から離れないで』って言ったわ。『オークに対して、よくない印象を抱く人もいるから』グローグは、『俺たちもそうだった。すまないことをした』って。街中では時々嫌な視線を感じたけど、図書館では問題にはならなかったわ。新帝国語を話せる人は学者として扱うのは常識でしょ」
「いつの間に新帝国語を?」
「古い歴史は新帝国語で書かれていることが多いから。二人で勉強したの。で、何日かかけて、いくつかの本を解読した。『北伐』についての本が多かったけど、もっと古い時代のものもあった。その間、彼には私の家に泊まってもらうしかなくて。だって、育った文化が違うから、宿屋でトラブルが起きたりした大変でしょ。その点、私の家なら浴室の使い方まで教えられるし……」
「一つ屋根の下で若い男女がふたりきり」
「何も起きないはずがなく……」
「か、勝手なこと言わないで!」
「起きなかったの?」と、リリィ。
「……起こしたのよ」
歓声が上がり、ふたりは手つきで続きを促した。
「ごほん! 私の家にはいちおう客室はあるけど、オークが使うにはちょっと手狭で……特にベッドが彼の体格には小さすぎたの。膝から下がはみ出してしまうぐらいだったから。だから、『私の部屋のベッドならもう少し大きいから、そっちを使って』って。『もちろん、私も一緒に寝るけど』
『君は客室のベッドを使えばいいだろう』って言われた。
『私が私の家で私のベッドを使って悪い?』って言い返したわ。強く見せるオーク流ね」
「そうかな?」とペタラ。
「いや、人間社会に慣れてないところにつけ込んでると思う」とリリィ。
「人聞きの悪いこと言わないで! 彼は紳士的で、『俺が妙な気を起こしたらどうするんだ!』って言ってくれたけど、『私には眠りの魔法がある』って言ったら、さすがに反論もできなくなったみたい。
……言っとくけど、私もいきなり襲ったりはしないわよ。同じベッドに入って明かりを消すとドキドキしたけど、それ以上に彼の大きな体を隣に感じると安心する感じがあって。そうして一緒にいることがすごく自然に感じた。そうしたら、落ち着いて眠れて……安らぐなあ、もっと一緒にいたいなあって」
「計画的にやったってことね」リリィはテーブルの上のお菓子を器用にもてあそんでいる。
「何度も引き返すチャンスはあったのに」ペタラがかぶりを振った。
「いいじゃない! 彼だって、一緒に寝ることには同意してくれたんだから!
……とにかく、彼が街に滞在する最後の夜になった。同じベッドに入って……勇気を出して抱きついた。でも、彼は応えようとしなかった。
『ヒューマン相手にそんなことはできない』って言われたの」
「異種族恋愛の難しいところね」
「じゃあ、結局ダメだったってこと?」
サラは首を振った。
「実は……そうなるんじゃないかと予測していたの。だから、猪飼いたちに相談して、古い歌を教えてもらっていたのよ。オークたちの愛の歌よ。それを彼の耳元で囁いた。暗闇の中でも、アレが存在感を増してくのが分かったわ」
「どんな歌なの?」ペタラが興味津々に聞いた。「私の彼は詩人でもあるから、知りたがるかも」
「共通語に直すと……
『私のおナカは準備万端。立派な○○○を飲み込むのも簡単』
『あなたの種をもらうため豊穣神に祈祷。一発必中できるきっと』
『戦場で叫んでた命令』。その声に濡れてしまったの○○○○』
……って、感じ」
○○と伏せた部分は、サラも言葉に出すのはためらわれたらしい。
「淫語囁き音声じゃん」リリィは思わずツッコんでしまった。
「オーク社会では肉体の愛が重視されてるのね、きっと」ペタラはやはり興味津々。使っているカップは白い新品。
「彼にとっても、古語の歌は刺激的だったみたいで。だんだん息が荒くなってきて……」
サラはほうっと赤くなる頬を押さえた。
「挿入ったの?」
その質問がとても重要だ、というように、リリィが聞く。
サラはゆっくり頷き、空にきりりとした視線を向けた。
「その日のために準備をしていたの」
「すごいこと言い出したな」
「ち、違うよ!? そういうんじゃないから!」
「何も言ってないけど」
「ほら、耐久性を上げる魔法の応用で。一部では有名な呪文なのよ。夜の悩みは夫婦生活につきものだから。長く楽しみたいとか、お互いの体を守るために接合部を保護するの。魔力で覆って、傷つかないように」
「見たところ、サラの体が傷つくようなことがなくてよかったよ」リリィはニヤニヤしながら言った。「ごくフツーのオタノシミになったの?」
「ええと……」
サラは空中に視線をさまよわせて、自分の指先を触れ合わせた。しばらくそうして言葉を探してから、「あまり覚えてなくて」といった。
「覚えてないって?」妖精が首をひねる。
「入れる直前までは覚えてるんだけど。その瞬間、頭が真っ白になっちゃって……」
「大きすぎて苦しかったから?」
「それもあるかも。でもそれ以上に……」
続きは言葉にならず、サラは両手で頬を押さえた。
「だいたい分かった。すごい体験だったみたいね」
「実は、ちょっとだけ後悔してるの」
「都市部でオークへの理解が十分じゃないのはわかるけど……」
「ううん、そうじゃなくて……」
友人への理解を示そうとするペタラを制して、サラはその時のことを思い浮かべた。
「シーツと枕の替えを用意してなかったから、次の日は洗濯が大変で」
「そっちの準備はしてなかったと」
「次の日の天気がいまいちで、乾かなくて。幸い、グローグは集落に帰る日だったから。翌日は私が客間のベッドを使えばよかったんだけど」
サラのカップはカラになっていた。話しているうちに体が火照って、汗をかいてきている。
「私が、正式に図書館に勤めることになったでしょう? だから、これまでのように頻繁にオークの集落を訪ねることができそうになくて。でも、グローグにも語り手としての役目がある。今のところ、月の3分の1だけ、彼を街に招こうと思ってるんだけど」
「3分の1も一緒に過ごせるなんて、愛されてるね」
ペタラはにっこり笑って、サフランティーを注いでくれた。念動力の応用だ。
「一緒に暮らせるまでは時間がかかりそうね」
「それが、そうでもないかも」
いたずらっぽくいって、サラは指を曲げた。ペンを握る手つきだ。
「グローグと二人で、彼の部族の伝承をまとめているの。本にして発表すれば、歴史学的にも価値があるし、その本を使えば語り手の仕事を軽くすることもできる……」
「でも、オークは口伝で語り継いできたんでしょう? 文字にすることに抵抗があるんじゃない?」
「まったくないわけじゃないと思うけど……」
サラはオークたちとの話し合いに思いをはせた。恋人と二人で、長老たちを説得したのだ。
「それよりも、学園にオークの歴史を知らせたい思いの方が強いみたい。一方的な歴史観を変えたいって」
「私も気になるわ。北伐の記録って、オークのことを一方的に悪者みたいに語ってるもの」
ペタラが花瓶のまわりをくるりと旋回してから、元の位置に戻った。
「私の話は、こんなところ」
サラはぽんと手を打って、それぞれの手のひらを二人に向けた。
「次の順番は、誰かしら」
話し終えてずいぶん気が楽になった。
「うーんと……」
リリィは小さな手をこすり合わせている。まだ踏ん切りがつかないようだ。
「じゃあ、私!」
ぴし、っと妖精が手を挙げた。
「どこから話そうかな。私はサラほどドラマチックじゃないけど。私と彼は、季節ごとに一度だけ会うことにしているの……」
2,ペタラとカレンシール
「私の恋人の名前はカレンシール。詩人で演奏家。彼はまだ140歳だけど、エルフの森で評議会の議員でもある」
ペタラは花瓶の上をくるりとまわり、開花術を唱えた。キキョウの花が花瓶の中にあらわれる。
「140歳? エルフにしては若いけど、さすが長寿の種族ね」
「すごい年の差だね」
感心するサラとリリィ。ペタラはくすぐったそうに小さな体を揺すった。
「まあね。60歳も違うんだもの」
「ん!?」
「え?」
ふたりがぎょっとして妖精の姿を見つめる。当人はきょとんとまばたきしていた。
「最初に出会ったとき、私はまだ30歳。ほんの蕾だった」
「妖精の時間感覚って、ぜんっぜん分からないな」リリィは驚いたような感心したような、不思議な表情だ。
「でも、私はフェアリーで、彼はエルフでしょ。ずーっと昔の伝統だと、立場は対等じゃない。エルフは他の種族よりも優れていることになってるから」
「それは第2紀のエルフたちがいた頃でしょ?」サラがカップの縁を撫でながら言った。「今は他の種族と平等に扱う条約を結んでるし、彼らの考え方もかなり変わったって聞くわ」
「街ではね。でも森には、まだ長生きのエルフたちがたくさんいて、古い感覚が完全にはなくなってないの。だから、エルフがフェアリーを小間使いにしたり、庭や枝の手入れをさせることはよくあるわ」
「ペタラとそのひとも、そうだった?」
「うん、そうなるかな」
翅をちらちらと動かしながら、ペタラは顎に指を当てた。
「それで、彼に招かれて、昼は一緒に暮らしていたの」
「そんな手下みたいな扱いを受けて、嫌じゃなかったの?」
「うーん、どうかな……嫌だって言う子もいたし、喜んで仕えている子もいたわ。エルフと一緒に居れば美味しいものが食べられるし、エルフ社会での礼儀も身につくでしょ。『昔ながら』のやり方が好きなフェアリーだってたくさんいるもの」
「ペタラはどうだったの?」
「彼はずっと若いエルフで、ヒューマンとの交流もあったみたい。だから、自分のことは自分でやっていた。でも、フェアリーを侍らせていないのは彼らの社会では不自然みたい。私は彼の詩や音楽を聞いて、感想を求められたりしてた。もちろん、お客様が来た時や人前に出る時は、それらしく振る舞うけど」
「なるほど」サラが頷いた。「一緒に暮らすうちに好きになってた?」
「ふふ、まあね!」
ペタラは空中でくるりと輪を描き、何もない場所に腰掛けた。
「でも、エルフの恋愛って不思議なの。彼らは公にそういうことを話すのを嫌うのよ。詩や芸術の中でも、恋の言葉は何重にも隠して語るの。エルフが作った恋物語を、ヒューマンはずっと歴史書だと思ってたって話もあるくらい」
「彼らの言葉は、表向きの文字だけじゃとても測りきれないわ」
言語の専門家として、サラはため息をついた。
「だから、好きとか愛してるって、言葉で伝えてはいけないのよ。その上、誰と愛し合っているのかまわりに気づかれるのも、恥ずかしいことだって思ってる」
「変なの」リリィが鼻白んだような表情で言った。「寿命が長いって言ったって、夫婦ができなきゃだんだん減ってくでしょ?」
「彼らにとっては一種の遊戯なのよ。結婚式は挙げないけど、結婚12年目のお祝いはするの。いつのまにかそうなっていた、っていうのが、彼らの理想の結婚なのよ。時々、こういうことに耐えられなくなったエルフがヒューマンの街に出て行くわけ」
「興味深いけど、とても私の人生じゃ付き合えそうにないわ」
サラが肩をすくめる。ペタラはイタズラっぽくその動きをマネした。
「それで、ペタラはどうなの?」
リリィが水を向けた。
「私も、彼らの流儀に則ることにしてる。でもそのためには、カレンシールと釣り合う女だって思われないといけないでしょ。そのためには、森にいるよりもこっちに来て、私なりに名声を集めようと思ったの」
「それじゃあ……」一転、リリィは尊敬のまなざしを向けた。「学園に入ったのも、花屋をやっているのも、人生計画のうちだったの?」
「もちろん!」妖精は思いっきり胸を張ってみせる。「いまや、私は街一番の開花術士。エルフの式典に飾るお花を任せられるくらいにね」
「すごい!」サラは目元を潤ませていた。「私、ぜんぜん知らなかった。ペタラがそんなに熱烈な恋をしてたなんて」
「言ってなかったもの」
ペタラは楽しそうに空中でステップを踏んで、とんぼを切った。
「でも、学園で学ぶのも、花を育てるのも楽しくてやってるのよ。友達もできたし」
そしてふたりにウィンクを送り、ペタラはティーカップに口を付けた。
「ところで」
リリィは両手を胸元に引き寄せる手つきをした。ハーフリングはジェスチャーを好む。この場合は、『話題を片付ける』の意味らしい。
「エルフとフェアリーで、デキるものなの? 夜のことは」
「その話をしなきゃと思ってたの。サラもお話してくれたし」
ぽっと頬を赤らめるサラを尻目に、ペタラは大きく頷いた。
「今は一つの季節に一度だけ、会うようにしているの。私が森に行く用事があればその時に。そうでなければ休みを作って。それで、一晩だけ一緒になる……」
「……どうやって?」
サラはドキドキ鳴る胸を押さえながら聞いた。
「一緒のベッドで一緒に寝るの。私は彼の髪を体に巻いて……すっごく幸せよ」
「えっと……それだけ?」
「身体的にはね」
「つまり、ふたりの関係は精神的ってこと?」
「それじゃあ、肉体的なつながりはないんだ?」
ふたりが拍子抜けしたようにまばたきする表情を見て、ペタラは不意に笑い出した。
「ふふふっ! ごめんなさい、ちょっとからかってみたくて。確かに身体的にはそれだけなんだけど、2人が想像しているのとはちょっと違うかも。私たち、夢の中でするのよ」
「夢で?」
きょとんとするリリィ。ペタラは目を閉じて、エメラルド色の髪をなびかせた。
「薬草を煎じて、お香を焚いて……寝室に魔法をかけるの。そうすると、2人で同じ夢を見ることができる。夢の中では、どんな姿にだってなれるでしょ。私がエルフになることもあれば、彼がフェアリーの大きさになることもある」
「そ、それは……刺激的ね!」
思ってもみないプレイに、サラは小さく鼻を鳴らした。
「季節ごとに私も彼も変わっていくでしょ。だからその一回をゆっくり、何度も味わうの。夢の中なら何度もできるし……」
小さな体を左右に揺らして、ペタラは陶酔の吐息を漏らす。
「他のエルフに気づかれないように……2人だけの秘密っていうわけだ?」
「そう。カレンシールがそれを詩にしてエルフたちに伝えるの。いま森で流行っている詩は獣が二匹で自然の中を遊び回る様子を描いているけど、その本当の意味を知っているのは私と彼だけ。いつかその意味をエルフたちに知らしめる時が楽しみだわ」
「エルフたちのゲームを、あなたと彼が楽しんでいるのはよく分かったわ」
エルフの詩人とイタズラ好きのフェアリーが仕掛けた『遊び』に、サラはすっかり驚嘆していた。
「サラの話ほど刺激的じゃなかったけど、ようやく打ち明けられたわ! このこと、森のエルフには絶対に言っちゃダメよ」
3人はうなずき合い、友情を確かめた。
「じゃあ、あたしの番か……」
リリィは頬を掻きながら、ためらいがちに口を開いた。
「ちょっと変な話に感じるかもしれないけど、とりあえず聞いて」
3,リリィとファイアーファング
「あたしは学園を卒業した後、世界で唯一の冒険料理人になった」
リリィは空を見上げながら話し始めた。
「普通では手には入らないような希少な食材を見つけて、誰も食べたことのない料理を出す! それがあたしの生き方だと決めたんだ。色んなところに行って、色んなものを集めてきた。あたしの屋台には、値もつけられないようなふしぎな食材がたくさん収められている」
「フェニックスの羽根つき餃子とか、ドワーフが掘り出した岩塩の塩キャラメルとか……」
いずれも、リリィが発明したレシピだ。一部では珍味として語り草になっている。
リリィの料理人としての腕は折り紙付きだ。その技術は学園で培った深い生物知識に裏打ちされている。
「あるとき、新しい食材を使うことを思いついたんだ。竜涎香だよ」
「鎧に覆われた動物だね!」
「それはセンザンコウ」
ペタラの堂々とした発言にサラがやんわりとツッコミを入れる。
「竜涎香って、ドラゴンの口の中にできるっていう石でしょう。それが料理に使えるの?」
「薬として使うんだし、量を調整すれば体に悪いものじゃない。独特の香りがするって言うから、その香りを料理に使えないかと思ったんだ」
胸の前で手の形を様々に変えながら、リリィはかつてを思い出す。
「竜涎香を手に入れるため、炎峰山脈をナワバリにしているドラゴンたちのところに向かった。彼らはヒューマンの街と境界を接しているけど、良好な関係を続けている。そこでなら協力してくれるドラゴンが見つかると思ったんだ」
「ねえ、恋人の話は?」
ペタラは退屈してきたようで、テーブルの上にぺたんと座りながらカップにもたれかかっている。
「もう、ペタラったら。リリィはその冒険の中で恋人になる人と出会ったのよね?」
「うん、まあ……そう、かな」
リリィの語りはやや歯切れが悪い。どう切り出そうか迷っているようだ。
「まず、あたしは山脈の麓まで屋台を引いていって、料理を振る舞った。ヒューマンの街とドワーフの鉱山があったから、その両方にね」
「恋人とはそこで出会ったの? 彼はヒューマン? ドワーフ?」
「どっちでもない。彼らの信用を得て、ドラゴンのことを聞きだしていったの。ドラゴンは山脈にたくさん住んでいるけど、人間の前に姿を現すのはそのうちの数体なんだって。どうも、彼らは当番制で交渉役をやってるみたいだった」
「面白いわ。ドラゴンにも組織があるのね」
「基本的には、ドラゴンは人間を見下しているからね。相手をするのも面倒と感じるか、もしくは自分を崇めさせようとするんだ。でも、どっちのパターンでもいずれ戦いになる。だから、ドラゴンの中で代表者を選んで人間やドワーフと交渉をさせてるんだ」
「ふーん……」
ペ 恋の話を待ち焦がれるペタラは、少し気のない返事をした。サラが続きを促す。
「その頃、交渉役をやっていたのはファイアーファングって呼ばれるレッドドラゴンだった。月に一度、街の広場に降りてきてヒューマンやドワーフの代表団と話をするんだ。代表団とも会ってね。その場で出す料理を任せてもらうことになった」
「さすが。名高い冒険料理人のレシピを味わえるなら、ちょっとしたイベントになるわね」
「もちろん! ドラゴンの前で料理するなんて、それ自体が冒険でしょ? それで、メニューを考えた。ヒューマンやドワーフへのコースとは別に、ドラゴンのための料理を考案したんだ」
「へえ!」退屈そうにしていたペタラがぱっと顔を上げた。「ドラゴンってどんなものを食べるの?」
「好き嫌いは竜によるけど、その時はルビーを使うことにした」
リリィは胸を張って、さっと両手を左右に開いた。
「高級品が好きなんだよ。分かりやすいでしょ?」
サフランティーで喉を潤したあと、リリィはドラゴン向けのコースについて熱く語った。だがその内容はあまりに専門的、かつ刺激的だった。
「……そしてメインがシュリンプのルビーパウダー和え。レッドドラゴンのために作った赤く輝く料理ってわけ」
コースを頭から紹介し追えたハーフリングは、ごくりと喉を鳴らした。
「でも、その時は緊張したよ。赤い影が空に現れたかと思うと、だんだん大きくなってきた。頭上に自分より大きな存在がいるっていうのは、本能的な恐ろしさがあった」
「あ、ああ。ついに会合が始まったのね!」
さすがのサラも、レシピ紹介を聞いてすこしぼーっとしていたようだ。気を取り直して聞く態勢を作る。
「ファイアーファングは真っ赤な鱗に全身を覆われたドラゴンだった。頭から尻尾の先まで、15メートルくらいかな……」
「成体ドラゴンね」
サラに頷いて返し、リリィが続ける。
「ドラゴンの口って、臼歯がないでしょ。短剣がいくつも並べられてるみたいだった。息を吐くと陽炎ができるの。こんな生き物がいるのかって、最初は思ったわ」
「会合は、どんな風に進んだの?」
文化に興味を持つサラである。だが、リリィは軽く肩をすくめた。
「あたしはほとんど料理の準備をしてたから、細かい内容までは分からないな。でも、激しい言い争いも長い議論もなかったみたいだから、『いつも通り』って感じだったと思うよ。うまくやってたみたいだった」
「そう」サラはいくらか残念そうに頷いた。「平和が一番ね」
「コースが進んでいって、ついにメインのルビーシュリンプを彼の前に出した。ただでさえ人間がドラゴンに料理を振る舞うのが珍しいのに、これは特別彼の興味をそそったみたい。『面白い味だ』って」
「好反応ね!」
大きな竜との邂逅に、すっかりペタラも身を乗り出して聞いている。
「会合の内容も概ね終わったみたいだったから、彼の前に出て言ったの。
『この料理を作ったのはあたしです。お口に召しましたか?』
ドラゴンはこう答えた。『ああ。新鮮な経験だった』
彼は満足してるみたいだった。だから、今ならイケると思ったの。
『食後の口の中を掃除すると、きっとさっぱりしますよ』って」
「そうやって竜涎香を取ろうと思ったの?」
「そう! あたしは欲しいものが手に入り、ファイアーファングは牙が綺麗になる。会合はまとまって全員ハッピー、でしょ?」
ハーフリングの指が虚空をちょんちょんと三カ所叩きながら主張する。
「ちゃっかりしているっていうか、なんというか……」
「ノミやハンマーも用意したんだ。竜涎香は石みたいに硬いっていうからね」
「ドラゴンさんは了承したの?」
「『やってみろ』って言って、広場に伏せて首を舗装の上に乗せて口を開いたんだ。ドラゴンっていえば空を飛んでるところしか見たことないから、なんだか大きいオモチャみたいなシルエットだなと思ったよ」
「ほんとうに? もしかしたらそうやって油断させて、首を斬ろうとしてるのかもしれないのに」
物騒なことをさらりという妖精に、
「ファイアーファングはだいたいあたしの狙いを察してるみたいだった。それに、もし殺すつもりでもできっこないと思ってたよ、きっと。あたしの体格じゃあね」
リリィは両手を広げてみせる。小柄なハーフリングの身長は、せいぜい120センチメートルあるかないかというところだ。
「ドラゴンの口をぐるっと眺めて、奥の牙の内側に白い石みたいな塊がついてるのがわかった。だからあたしは口の中に入っていって、それをノミで削り取ることにした……」
「ドラゴンの口の中に入ったの!?」
「食事の後だからね。もし食われたら、あたしの料理で満足してないってこと。でしょ? 料理がドラゴンに通用しなかったんなら、食べられたって仕方ないと思ったの」
「根が冒険家なんだから……」
呆れたような、心配したような……そんな声をサラが漏らす。友人は目の前にいるのだから、食べられてはいないとわかっても冷や冷やするらしい。
「土足じゃ悪いと思って、靴を脱いで、そっと牙を跨いだ。頭を下げて、四つん這いで入って行った。ドラゴンの舌は濡れていて、なのにざらざらしてる感じだった。考えてみれば、たくさん人にものを食べてきたけど、舌がどんな形をしているのか、自分で体感したのははじめてだった。食べられる料理に目があったらどんな光景が見られるのかが分かったよ。深い穴が目の前にあった。ドラゴンの喉だよ。ひくつく粘膜に覆われて、奥は真っ暗だった。奥からはすこしだけ、硫黄のにおいがした。頭の上にある鼻の穴を空気が出入りするヒューヒューって音が聞こえた。あたしは見とれて、しばらく喉の奥を眺めてた。5秒か……10秒かな。我に返って、奥歯の方へ向かった。舌の上に胸を着けて、這っていったんだ。そのとき、急に……」
「急に?」
「真っ暗になった。何が起きたのか分からなかったけど、ファイアーファングが口を閉じたんだ。あたしは舌と上顎の間で閉じ込められた」
「ええっ!?」
「ケガはしてないよ。口の中にすっぽり入っちゃったんだ。ヒューマンの大きさだったら、どこかが牙に引っかかったかも」
「食べられそうになったの!?」
「違うって! たぶん、いたずらのつもりだったんだ。飲み込もうとはしなかった。飴玉を口の中に入れるような感じだよ。びっくりしたけど、不思議と怖くなかった。それに……」
「それに?」
リリィは鼻を隠すように両手の指先を触れあわせた。
「感じたんだ……」
「何を?」サラはキョトンとして聞き返した。
「感じたの! 気持ちよくなったんだよ!」
今度は目元まで隠して、サラは叫んだ。耳が赤くなっている。
「全身で彼を感じたんだ。感触。におい。聞こえる音も見えるものも、なにもかもが彼の体の中だ。あたしの体ぜんぶが、ファイアーファングのナカにあった。そんな経験は初めてだった。だから、そのぉ……生まれ変わった気分というか、新しい自分になったっていうか……」
「……新鮮な体験をしたみたい、ね?」
これって聞いていい話なんだろうか。サラはちらっとだけ思った。
「びっくりして、ドラゴンの舌に抱きつきながらイってたの! 悪い!?」
「悪くないよ! むしろ……すごい! それじゃあ、リリィの恋人って……ドラゴンなの!?」
驚嘆満面、ペタラが声をあげる。
「……うん」
こっくりと頷くリリィの小さい肩にサラがゆっくり手を触れる。
「それって……すごい経験だわ。伝説上に半竜人がいるから、ドラゴンが他種族と肉体的なつながりを持ちうることはわかってけど、実例が目の前に居たなんて」
「話を続けて、リリィ!」
ペタラが両手を振り上げる。卓上の花瓶に紫のグラジオラスが現れた。
「ええと。結局、あたしはファイアーファングの口の中で動けなくなって、彼に吐き出された。よだれまみれになって……噛まれたんじゃないかって大騒ぎになったんだけど、その場はなんとか取り繕ったんだ」
「取り繕えてたの?」
「……た、たぶん」
ドラゴンの唾液まみれでうっとりしているハーフリングの姿は、街の人々にはどう映っただろうか。少なくとも今のところ、リリィの耳に評判は入ってきていない。もしかしたら、口にすることがはばかられているのかもしれない。
「それから半年、彼のところに通ったわ」
「半年!?」
「毎日じゃないよ。月に一度。彼の巣に通って、料理を振る舞った」
「竜涎香を分けてもらうため?」
「ううん……。彼に会いたくて」
「リリィってすごいね」妖精は目を潤ませていた。「私だったら、ドラゴンなんて近づくのも怖いわ」
「べ、別に特別なものを感じてたわけじゃないんだからね! 人型種族相手じゃ味わえない快感を思い出しちゃっただけなんだから!」
「私にはリリィが恥ずかしがるポイントが分かんなくなってきたわ……」
こほん、とリリィは咳払いをした。それで仕切りなおそうと思ったのだろう。
「あたしはそんなにたくさん経験があるわけじゃないけど、さいわい料理の腕には自信があるからね。まずは胃袋を掴めっていう古来寄りの知恵を実践することにしたんだ」
「ちょっと違うような気がするけど、先人にならうのは大事なことね」
「あたしは戦略を立てた。ファイアーファングは人間とドラゴンの橋渡し役をやってる……だから、自分のねぐらから動けない。ってことは、普段食べているものも近隣の産物に限られるわけでしょ。そこで、彼が普段食べられないものを提供することにしたんだ」
「へえ!」ペタラは小さくつばを飲んだ。「どんなメニューを?」
「まずは南から取り寄せたフルーツ。赤い果肉が鱗と同じ色でかっこいいでしょって、サラダにしたんだ。ドラゴンってなんでも食べられるのに偏食家が多いみたい。野菜や果実のおいしさをあまり知らなかったみたいだった。
次の月は、琥珀海で取れたシーフードを振る舞った。普通なら切り身にして出すんだけど、ドラゴンが食べるサイズなら三枚に下ろした魚を半身ずつ調理できるでしょ。あたしにとってもやったことない料理だから面白くて……」
「毎月、一品ずつなの?」
リリィが不思議そうに聞いた。
「ドラゴンってあの巨体だけど、寝て過ごしているうちはあまりたくさん食べる必要はないらしいんだ。それに、あたしも材料を担いで山に登らないといけないから、たくさんは用意できないし。さいわい、火だけは困らないけど」
「ドラゴンの吐息で調理したの?」
「彼はけっこう器用でね。火力を調節できるんだ。最初は薪を運んでたんだけど、三回目からは火を吹いて協力してくれるようになった。四回目からは山に登る必要もなくなったんだ」
「どうして?」
「あたしが麓まで行くと、彼が降りてくるようになったんだ。信じられる?」
「ドラゴンを料理で魅了するなんて」
サラの目は感心を通り越し、感動の色に輝いていた。
「五回目には珍しがって人が集まっちゃって。いつもなら喜ぶところだけど、落ち着かなくってさ。そしたら、六回目には彼がねぐらまで運んでくれるようになった……ドラゴンの背中に乗って飛んだんだ」
「すごい! 英雄みたいね」
「ドラゴンに恋人として見初められたんでしょ。英雄よりもっとすごいわ!」
喜びのあまり、ペタラは空中で踊っていた。そうせずにはいられなかった。
「『帰りも乗せてやろう』って言われたんだけど、『一夜でいいから一緒にいたい』って言った。ファイアーファングの瞳孔が広がったのが分かった。少し考えていたみたいだった。
『他の生き物がファイアーファングと並んで臥せたことなどない。それは竜が他者に与える最大の栄誉だ』
それから、こう言った。
『しかし、誰かに与えられた食事を楽しみに待ったこともなかった。お前には最大の栄誉で報いるべきだろう』
それで、私たちは一夜を過ごした。竜の住処には山鳥も近寄らない。静かで、あたしは彼の鱗の下を熱い血が流れる音だけを聞いて眠った。すごく……満たされた夜だった」
話をじっと聞いていた二人の口から、長い吐息が漏れた。
「すごいことを成し遂げたのね」
「熱い恋で竜の心を溶かしたんだわ!」
「そ、そんないいものじゃないよ。なんていうか……あの大きな体をもっと感じたいって、その思いで夢中だったんだ。性欲だよ、性欲!」
「なるほど?」サラの目元がイタズラっぽく細められた。「それじゃあ、体も満たされてるの?」
リリィの耳が再び赤くなった。
「サラみたいなことはまだできないよ! アレなんてあたしの体ぐらいあるんだから!」
大声を上げてから、リリィは口を手で塞いだ。庭園には他の姿はないが、誰かに聞こえているかもしれない。
「私たちもそうだよ!」
「ペタラみたいにもできないよ。夢を一緒に見るのは、エルフの魔法でしょ」
手で顔を仰ぎながら、リリィは深く座り直した。
「じゃあ、どうするのよ?」
「それはできないけど、おたがいに舌でとか……」
「ドラゴンの舌で?」
「彼もあたしの肌に舌で触れると興奮するらしくて……」
小さな体をますます小さくして、リリィは呻くように言った。
「リリィがするときは、どうやって?」
「こう……」
リリィは何かに抱きつくような仕草をしてから、ぶんぶんと首を振った。
「それだけは言えない!」
「おほん。さすがにこれ以上聞くのはよくないわね」
咳払いしてから、サラは首を傾げた。
「でも、伝説の半竜人はどうやって生まれたのかしら」
「ドラゴンの秘術で、人間に姿を変えることができるらしいんだ」
話題が変わって、リリィはほっと胸をなで下ろした。
「それじゃあ、彼がハーフリングに姿を変えれば……」
「そんなのダメ!」
掌を大きく振って、リリィは再び叫んだ。
「大きな体がいいのに! そりゃあ、人の姿になれば抱き合えるし、キスもできる……でも、あたしの倍くらいの身長でいてほしい。それに、鱗がなくなるのもいや! なめらかな熱い鱗で抱きしめられたいし、大きな口で噛み跡をつけてほしい!」
「こじらせちゃったみたいね」
早口にまくしたてるリリィ。彼女がこれほどの情熱を持って料理以外のことを語る姿を見るのは、親友達にとっても初めてだった。
「……こ、こんなところかな」
ひとしきり竜の体に対する欲望を口にしてから、リリィは我に返った。
花々で彩られた卓上には、ほんのりと熱が漂っている。彼女らが漏らしたため息が、その場に留まっているかのようだった。
エピローグ
「なくなっちゃったわ」
サラはカップにサフランティーを注ごうとしたが、ポットは空になっていた。
「二人が囃すから、話すつもりじゃないことまで話しちゃったじゃんか」
両手でほっぺたを押さえて、リリィがつぶやく。
「いいじゃない。私、こんなに楽しいのは久しぶりだったわ。カレンシールと一緒の時を除けばだけど」
「のろけちゃって」
リリィは皮肉っぽいことを言って会話のペースを取り戻そうとしたが、ペタラは動じない。
「二人の話にあてられちゃった。大事な友達がこんなに情熱的な恋をしてたなんて思わなかったもの」
ハーフリングはふいっと顔を横に向けた。
「私、違う文化のヒトと付き合うことにちょっと悩んでたんだけど……」
サラは細い肩をすくめた。
「むしろ、小さな悩みに思えてきたわ。ふたりとも、自分の何倍も大きな相手がいるんだもの」
「エルフたちには絶対知られちゃいけないことなんだけど、サラが包み隠さず話してくれたから」
フェアリーは興奮を静めるように翅を休めていた。
「自分がちょっと変なのかもって思ってたけど、心強いよ」
リリィは手元のティーセットを片付けはじめている。
「私も楽しかった」
傾いていく日がカップの底に反射して、きらりと光った。
「何考えてるか、当ててみせようか?」
彼女にとっては高い位置にある友人の顔を見上げて、リリィは笑った。
「カレに会いたいと思ってるんでしょ?」
「えっ! ……どうして分かったの?」
「リリィもそう思ってるからでしょ?」
三人はしばらくお互いの顔を見つめ合い、そしていっせいに笑い出した。
庭園には温かい風が吹き抜け、三人の髪を揺らした。
「またやりましょう、お茶会」
「もちろんよ! 今度はもっと早くやりましょう」
「賛成。こんな話を聞かされちゃったら、その後どうなったのか気になって仕方ないもんね」
それぞれに別れを惜しみながらも、三人はてきぱきと茶話会の片付けをして、手を振り合って別れた。
足取りは軽く――というよりは早足になって――駆け出さんばかりだった。
一刻も早く恋人に会いたい。その気持ちが高ぶり……
ムラムラしていたのだった。
(了)
Twitterでリクエストを受けて作成しました。
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異文化交流いちゃらぶコメディ
【男性陣】
ドラゴン(人型になれてもなれなくても)
エルフ(ダークでも正統派でも)
オーク(豚でも人型でも)
【女性陣】
人間
ハーフリング
妖精
上記の組み合わせで自由に男女カップリングを作り、それぞれの異種間ならではシモネタトークを女三人が姦しくわいわい繰り広げる話
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初の異世界恋愛に挑戦しました。当初の予定を大幅に超える文字数まで楽しんで書くことができました。
リクエスト:とりにくさん https://twitter.com/tori29umai
作者のTwitterID:https://twitter.com/Isogai_Button