選択 § 融解
姫は、まるで悪夢から飛び起きるように、その上体を起こしました。
息は荒く、全身からは汗が噴き出し、そして、その頬を涙が伝いました。
そんな姫に、恐ろしいはずの存在は、不思議と優しく響く声で語りかけます。
「その選択が誰のものか、私は知らない。だが、その結果として、今がある」
姫には、今自分が感じている生々しい汗や涙の感触と同じくらい、先ほど見た光景が本当のことのように思えました。
「だが、あるいは――」
その言葉の先にあるものに縋るように、姫はその者に顔を向けます。
「今のおまえこそが、本当のおまえが見ている、夢なのかも知れない」
お城での生活は、とても幸せなもののはずなのに、姫にはその言葉が、嫌とは思えませんでした。
「おまえが強い決意を持って選ぶなら、夢から覚めることができるかも知れない」
それは姫には、甘い――それこそ、悪魔の誘惑のように――思えました。
「とはいえ――」
姫はただ固唾をのんで、言葉の続きを待ちました。
「目覚めたとして、その先に待つのは、愛すべき平凡な日常か。それとも、悲しく残酷な現実か。私にも知ることはできない」
姫は、遅まきながら自分が小さく震えていることに気付き、自分の肩を抱きました。
「一つだけ確かなことは……おまえは選ばなければならない、ということだ」
姫は、恐怖と、反感を、心に抱きました。それゆえに、その言葉が逃れようのないものなのだという思いも。
「他の誰でもない、おまえ自身の、何を現実とするのか、何を夢とするのか」
それを語る存在の口元は、姫に対して優しく微笑むようにも、姫を蔑む皮肉げな笑みにも見えました。
姫はそれを見て、それがどちらであるかを決めるのは、自分の心一つなのだと、知りました。
同時に、“今”を現実とするにしても、“切り捨てたもの”を現実とするにしても、強い心を持って選択しなければ、待っているのは不幸しかないのだということも。
そして、姫は――
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――果たして、そこに居た。
街灯の明かりが浮かび上がらせるシルエット。それが紡ぐ、言葉たち。
「ほんと、子供だったよね。携帯なんて無くたって、あの頃はまだ連絡網とかもあったのに、それを思いつく頭もなくて」
「楽しみだったんだ、すごく」
「きっと私、あなたが好きだった」
「だから、誘われて、本当に嬉しかった」
「だから……ひたすらに悲しくて、あれを、ケンカで終わらせることもできなくて」
「引っ越したんだ、あの後の春休みに」
「あの時のこととは関係なく、家の事情」
「忘れてなんて、なかった。一目ですぐわかった」
「でも、覚えてることをあなたに伝えることは、怖くてできなかった」
「びっくりしたよ。あの頃とは全然変わってるのに、すぐ分かった自分に。そして、その時感じた、自分の気持ちに」
「来なければ良いとも思った。そうすればもう、傷つかずに済むから」
「でも、来てくれたら良いと思った。だって――」
「好きなんだ。今でも」
――私は、彼女の言葉を、自分に都合の良いように解釈しているだろうか?
その言葉たちは、私にとって、断罪で、赦しで、仲直りで、愛の告白だった。
あの、無垢だった日に、私が心に刻んだ痛みは、失恋の痛みだったのだと、知った。
だから私は、今、こんなにも――
――幼い頃、好きだったはずの絵本の、結末は、どんなだったっけ?
ふと浮かんだ疑問は、だけど、交差した頬の温度を融点に――それは夢の中に聞いた声だったかのように――次の瞬間にはもう、その形をとどめてはいなかった。