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幽天 § 約束


 そんな幸せな日々が、どれだけ過ぎた頃でしょう?

 それは、寒い冬の日でした。

 いつも通りにお城の中を歩いていたお姫様が、突然、糸の切れた操り人形のように、膝から崩れ、倒れ伏してしまいました。

 豪華なドレスが、華やかなケープが、痩せ細ったお姫様の体を、誰の目からも覆い隠していたのです。

 その事を知った人たちは、とても悲しみ、心配しました。

 姫が寝込む日々は続き、人々の顔からは笑顔が減り、城下からは、かつて姫の愛した活気さえ失われてゆきました。

「医者にも原因が知れぬのなら、あれはよからぬ悪魔の仕業に違いない」

 そう考えたお城の人たちは、国を護る聖霊を呼び願う儀式を執り行いました。


 ――果たして、床に臥す姫の枕元に現れたのは、人とほとんど変わらない姿ながら、思わず目を背けたくなるほど、見れば訳も知れず恐怖を覚える存在でした。

「ああ、なんて恐ろしい。あなたが私をこのような目に遭わせた……悪魔なの?」

 姫の、ほんの小さな物音にもかき消えてしまいそうな、か細い声を、その者は正しく聴き留めて、応えます。

「たとえ私が悪魔であろうとも、それは私がしたことではない。それをする理由がない。だが……おまえは既に気付いているのではないか? 原因は、おまえ自身の内にあるのだと」

 その者の言葉は、姫には何故か、それがとても正しいのだと思えました。

「でも、私にも心当たりがないの。この、まるで胸の内にぽっかりと、穴が開いてしまったような喪失感に」

 姫の言葉に、その者は、その岩壁のようにごつごつした手のひらを、そっと姫の額に添えました。

 姫にはその手のひらが、どうしてだか、とても柔らかく温かいものに感じられました。

「……なるほど。覚えていないのも仕方ない。だがその記憶も、その心の空白も、おまえ自身の選択が、切り捨てたものだ」

 その言葉が絶対に正しいのだと、姫は理解して、でも、そう感じる理由の知れなさに混乱して、ただ息をのむことしかできませんでした。

 そんな姫に、その者は、ただ静かに、告げます。

「お姫様になれるのは、一人だけ」

 その言葉を聞いた瞬間、姫の脳裡には、ある光景が浮かび上がってきました――


 ◇―∽―∽―∽―∽―∽―∽―∽―∽―∽―∽―∽―∽―∽―∽―∽―◇


 連絡先を交換した。私にしては思い切った申し出だったけど、声を掛けてしまえばなんてことはない、事は淡々と進むだけだった。

 電話番号、メールアドレス、チャットアプリ。

 別に、頻繁にやりとりをするわけでもない。他にやることもない夜に、アプリで簡単なやりとりを交わすのがせいぜい。それもスタンプの応酬ばかりで済んでしまったりもして。

 それでも、その僅かな時間が、私にとっては特別な“重さ”を持っていた。あっという間に過ぎ去ってしまうのに、そこばかり強く心にのしかかる感じ、とでもいうか。まあ、なんとなくそう感じるだけで、自分でもよく理解しているわけじゃない。でも、確かではないということは、私にとっては、それだけ大切な事なのかも知れない。

 ――そんな“特別”が輝きを失うことなく、だけど過ぎ去った日常という膨大な時間の中では、都会の夜空の星ほどと思えるようになった頃。

 彼女から、一つの誘いが来た。

 もちろん私は、それを断る理由はなくて。

『それじゃあ、約束、ね。日取りは、明日にでも伝えるね』

 彼女のメッセに『了解』のスタンプを返して一息、ふと、自分の心に、楽しみに思う気持ちとは違う、ざわつきを覚えた。

 ――『約束』――

 その言葉が私にとって、いや、“私たち”にとって、大きな意味を持つ言葉であることを、その夜、眠りの淵に落ち込む直前になって――それは、歯車が奇跡的に噛み合って再び動き出したからくり仕掛けのように――ようやく思い出すことができた。


 ――約束。

 それは遠く、もう所々曖昧で、だけど決して忘れていたわけではない、幼い日のこと。

 その時は、休みにみんなで出かけよう、たしか、そんな話になったのだった。

 仲良くしたい、そう思いつつも、どうしても気が引けて(というよりもきっと、恥ずかしくて、恐かったのだ)、ずっと話しかけられずにいた女の子を、思い切って誘った。それは、一つの、約束。

 だけどその時、浮かれていた私は、集合場所を伝え忘れていることにすら気付かなかった。――そう、まだ年齢が一桁の頃から、私という人間はやはり、大切なことほど、取りこぼしていたのだ。

 当日、待ち合わせ場所にその子は現れなかった。その時になって、それが当然だと気づき――絶望した。

 結局時間が迫り、その子を待ち続けることは、できなかった。

 遊びに行った先は遊園地だっただろうか。自分を罰するように乗った、上空へ飛び上がるような絶叫マシン、その時見下ろした街並み、空の色、それが綺麗で、ただ無性に悔しかった、その痛み。それだけを覚えている。

「もう、いいよ」

 翌日、怒るでもなく、ただただ悲しそうにそう言う彼女の前で、あたしの胸が、心が、強く締め付けられた感触も覚えている。その強い苦しみこそが、私の中にこの記憶をとどめているのだろう。

 それから、彼女とは接点を失って、春休み、そしてクラス替えが私と彼女の距離を決定的に遠ざけた。

 ――きっと、子供だった私にとって、それを抱えたまま日常を過ごすには、辛すぎる想い出で。

 糾弾されていれば良かったのだと思う。責められることなく放置されてしまったことで、私の罪悪感は強く私の心に根を張り、そしてそれが育つたび、耐えがたい痛みになっていったのだ。

 その痛み自体は、決して忘れられようもない。だから私は、彼女の“顔”を忘れてしまうことで――大切なものを手放すことで――自分を守ったのだろう。


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