幸福 § 出逢
それは、どこか遠くとも近くとも知れない世界の、いつとも知れない時代のお話。
その世界の片隅には、小さいけれど、強く、豊かな王国がありました。
そして、王国の中心であるお城には、一人のお姫様がおりました。
「あら? 何の香りかしら?」
姫が香りに誘われて庭に出てみれば、花壇に煌めく黄金の花たちが出迎えます。
「まあ! 今日はキンセンカが綺麗に咲いているわね。いつもお世話、ありがとう」
花の美しさを愛で、世話係へのねぎらいも忘れない、お姫様。
「今日も城下は活気に溢れているわ。そして、みんな笑顔に満ちていて、とても素敵ね」
平和を愛し、国民の幸せを自分のことのように喜ぶ、お姫様。
そんな、美しく優しいお姫様のことを、お城の中の人たちも、お城の外の大勢の国民たちも、みんなみんな大好きです。
――だけど。そんな優しく穏やかな日々の中で、何故でしょう。
美しいものにふれるたびに。
豊かさに感謝するたびに。
愛されていることを実感するたびに。
幸せを知るたびに。
姫の心の中には、ちくり、ちくり、と、小さな棘が刺すような、かすかな痛みが生まれていたのでした。
でも、その一つ一つは本当に小さな痛みで、お姫様は、そんな痛みなんて気のせいだと思えるほどに、日々は幸せに過ぎていきました。
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「私たち、昔どこかで会ったこと、ある?」
言いながら、まるで下手くそなナンパの台詞みたいだ、なんて思ったのは、既に、彼女に少なからず惹かれている自覚があったからかも知れない。
言ってから、もしかしたら初対面の、しかも同性の人に言う言葉じゃないな、とも思ったけど。
「どうかな? 私も覚えていないだけってことも、あるかも知れないし」
だけど彼女は、そこにどんな感情が込められているのか判らない笑顔で、そう答えた。
その出逢い――もしくは再会――が、私の心の片隅で凝り固まっていた過去と向き合うきっかけになるものになるなんて、その時はみじんも思いもせず、ただのんきに、仲良くなりたいな、なんて、漠然と思っていた。
でも、顔を合わせるのは偶のこと。それは彼女が私の職場に現れるときだけ。私は彼女のプライベートな事を知らないから、仕方ない。
だけど、偶のことであるからこそ余計に、その時は嬉しく思うのだろうし、後で寂しくも思うのだろう。
でも、後に寂しさが待つことを知っていてもなお、その時は嬉しさにかまけて、ほんのひとときの逢瀬を楽しむ。
――そう、逢瀬。
彼女へ対して抱く思いは、親しさというよりは、慕わしさという方が――どちらかというと――しっくりくる。そんな気持ちで接しているのなら、それは私にとって、そう呼ぶべきものだ。彼女にとって、取るに足らないことであったとしても。
いったい、彼女の何が私を惹きつけるのか?
わからない。わからないけど……彼女のことを思ううち、なぜか、幼い昔に見たのだろう、ドレスに身を包んだ女の子の絵が、ふと思い浮かんだ。
それが、好きだったはずの絵本の挿絵だということを思い出したのは、また少し後、突然のことだった。
一つ思い出すと、不思議と関連した記憶も――完全とはほど遠いけど――思い出されてきた。
かわいらしいお姫様。花に囲まれて、鳥と戯れて、人々と親しんで、笑顔を浮かべている。
それらは全体的に淡い暖色系の色調で描かれ、子供心に、それは優しく温かい“幸せの色”だと感じていたような気がする。
思い出せるのがその絵を眺めていた記憶ばかりなのは、難しい字が使われていて自分では読めなかったからだったか。
でも、それは母か、叔母か、あるいは保母さんか、朧気ながら、女性の声で読んでもらったような記憶はある。
絵から感じていた印象通り、お姫様の幸せな生活が描かれて、それが大好きで。でも――そう、途中で急に雰囲気が変わるんだった。
そこからは前半と打って変わって、暗い雰囲気の色合いで。その中に真っ赤な――あれは、目、だろうか、とにかくそれが幼心に怖かった。もしかしたら、そのせいで、幼い私は、ちゃんと見るのも、ちゃんと聞くのも、やめてしまったのかも知れない。
――私というのは、いつもそう。物覚えが悪いわけではない。だけど、それが大切であるほど、その確かさは危うくなるのだ。