9.あるいはその美しい楽園は①
お読みくださり、ありがとうございます。
スパイアイがたどり着いた地上。
ヴィヴィアンもいよいよ、その目に新しい世界を写します。
さて、そこはどんな世界なのか……。
今回も、よろしくお願いいたします。
1 楽園回帰
創世暦10240年 Mar 21day──。
それからさらに数ヶ月の時を経て、ついにヴィヴィアンは地上に立っていた。
ピッタリとした黒色の狩人服を身にまとい、灰黒色の長い髪を緩やかな風になびかせ、その黒色の瞳に穏やかな光を写し込んで──。
コケむした巨木の梢から差し込む早春の柔らかな日差しが、芽吹き始めた新芽にそっと降り注いでいる。
樹精の芳香と魔素が適度に混じり合い、森はしっとりとした心地よい空気を作り出していた。
まだ少し冷たい風がピリリと肌を刺すが、それすらも興奮して瞳を輝かせるヴィヴィアンには気持ちよかった。
思い切り深呼吸して、肺の底まで緑香の濃い空気を吸い込む。それだけでふつふつと活力が漲ってくる。
木漏れ日の陽だまりで、プラントモードになった全身の細胞が光に満たされ、活性化しようとフル展開する。
目覚めてから絶望と隣り合わせの生活だった。思い悩んで後悔して、気が狂いそうな孤独にさいなまれ、暗闇に溶け込んでしまいそうな自分自身。
それを奮い立たせたのは、地上への郷愁だった。
ここへたどり着くために──。後半はただひたすら、地上へ還ることだけを考えて耐え抜いたのだ。
──およそ十ヶ月。孤独に目覚めたあの日から、それだけの時を経て、ヴィヴィアンはようやく地上に出ることができたのだった。
これからのことを考える必要もあったが、今はまだこの感慨に浸っていたかった。
光が射している。風が吹いている。土が香っている。草が芽吹いている。木の枝が揺れている。
くるくると心浮き立つままに回転しながら、靴底が踏む土や草の感触を楽しむ。周囲にあるものすべてが夢ではないことを確認する。五感全てを総動員して確認する。
当たり前に存在する樹皮の手触りも、硬くて冷たいだけの石ころも、以前は気持ち悪いと思っていた毛虫すらも、今ここにあるすべてが愛おしかった。
枯れ草の中に倒れ込むようにして寝そべると、土の匂いが濃くなる。そうして見上げた空は青く澄み渡り、太陽がまぶしすぎて目を開けていられない。
腕で日差しを遮りながら、風でゆっくりと流れてゆく白い雲を見つめる。
最後に見たのは、ラウンジの天井に映し出された人工の青空だった。あの時は悲しみがいっぱいで、青い空を見て思い出したリュイノーマに胸を痛めた。
けれど今は、本物の青空の下、白い雲を見ても安堵しか浮かんでこない。
もしかしたら本当は、世界は暗闇で覆われているんじゃないかと、ずっと恐怖していた──。
何も恐れることなどないというような、当たりまえに存在するこの光景に、ヴィヴィアンは心底から安堵していた。
どこかで小鳥がさえずっている。リスや野ネズミなどの小さな生き物が、落ち葉を動かすかすかな気配もある。風が梢を揺らしている。
そういったザワザワとした音は、静寂の時を過ごしてきたヴィヴィアンには、鋭敏に感じられて多少わずらわしい。それでも無音よりは、よっぽどいい。
光も音も匂いも──。可能な限り受けとめていっぱいにして、この命ある世界と自分を繋げてしまいたかった。
目尻からこぼれ落ちるしずくは、こうして再び命の輪に戻れた事への喜びと感謝の表れだった。
「……エリュシオン。ありがとう。ほんとうに、ありがとうね」
エリュシオン、そしてロボットたちの活躍によって、念願の地上回帰を果たせたのだ。
もちろんそれ以前の精霊の働きや、気づいていないところで助けられたこともあるのだろう。決して、自分一人で成し遂げられたことではない。
周囲を監視しているスパイアイのひとつが、木の枝からじっとヴィヴィアンを見つめている。
「おまえたちも、ありがとうね」
『また泣いておるのか』
「そ、それは……。しょうがないじゃん。見てみなよ。ほら。世界はこんなにもまぶしい──。目にしみるんだよ。それに、ねぇ。信じられるか? この青い空は本当に、どこまでも果てしなく続いているんだ。どこまでも、どこまでも。ずっと遠く。はるかかなたまで……」
耳たぶに付けた銀のイヤーカフから聞こえてくる、エリュシオンのあきれたような声に答え、ヴィヴィアンは空に向けて腕を伸ばす。
この先に何が待っているのかは分からない。エリュシオンとともに残りの時間を静かに過ごすのか、エルフを探して旅に出るのか、はたまた、ただ単に世界を見て回るための冒険に出かけるのか。それとも──。
その手の先に、青空に負けない色でくっきりと浮かぶ、この惑星の衛星があることに気が付く。
それはかつて親しんでいた月と、何も変わらないように見える。
いつのまにか、気づいたら日暮れまぎわの時刻となっていたようだ。
少し気温も下がってきたようで、ヴィヴィアンはぶるりと身震いする。
まもなく日は沈み、夜のとばりが落ちるだろう。
「なぁ、エリュシオン。今宵は天気がよさそうだ。このまま天体観測といこうか」
時の経過を確認するなら、星の位置を確かめるのが最も手早い方法だった。
3000年と言えば気の遠くなるほどの時間だが、宇宙の成り立ちから見ればほんの瞬きほどの時間に過ぎない。
月もさほど変わっては見えないし、この惑星のこの場所に限っても、大きな気候変動はなかったようだ。
それでも地軸のブレなどから、星の位置にズレは生じているはずだった。
記憶にあるこの時期の代表的な星と、この空が映し出す星を比べれば、3579年──という、眠っていたあいだの時の経過も、自分なりに納得できるはずだった。
あとでエリュシオンと答え合わせをして、細かい計算は任せればいい。
『おい。そのまま外でひと晩過ごすつもりか?』
「まぁ、何の準備もしてないけど、大丈夫だよ。恐れるような大型の獣もいないし、バッチリ充電できたから体調も良いしね」
『毒蛇にでも噛まれたらどうする。マスターをこっちまで搬送できるロボットなどないぞ』
「おっと。意外と心配性だね」
『当然だ。ここでマスターに死んでもらっては困る。どうにかして安定した動力源を確保してもらわねば、吾輩も滅びを待つばかりだからな』
「なるほど。そりゃ、ごもっともな話で」
いくら太陽光パネルを広げていても、天気に左右される地上では十分な力は発揮できない。それにロボットが使うエネルギーも増えている。
エリュシオンのエネルギー残量は、今もエンドラインを下回った状態である。
確かに早急の安定確保が必要だった。
「わかったよ。引き続き周辺のくわしい調査と、エネルギーの確保が課題だな。とりあえず今日はいったんそっちへ戻ることにするよ。星がきれいに見える時間になったら教えてほしい。その時に天体観測するから」
『了解した』
もっと地上の空気に触れていたかったが、さすがに夜はまだ冷えそうだった。
それに明日からも、まだ時間はたっぷりある。
後ろ髪を引かれつつも、その日はそうして、ヴィヴィアンはエリュシオンのもとへと戻った。
ちなみにその夜の天体観測で、星の位置にズレが生じていることを、ヴィヴィアンは自分の目で確認した。
最初にエリュシオンが言ったとおり、かつてヴィヴィアンが生きていた時代から、一気に数千年のタイムワープをしたようだった。
それはもう覚悟していたし、現実として受けとめるしかない。
次に確認することがあるとすれば、本当にエルフが絶滅したのかどうか、だろうか。
本当に絶滅したかもしれないし、もしかしたら高度な電子魔導文明から離れて、自然の森に生きているかもしれない。
あるいはヴィヴィアンと同じように、この広い世界のどこかで、未だ睡眠ポッドで眠り続けているかもしれない。
だがそれは今のところ、それほどの重要案件ではなかった。
気にはなるが、たとえ他にエルフがいたとしても、必ずしも味方になるとは限らない。仲間になれたらいいなとは思うが、それは会って話をしてみないことにはわからないのだ。
そんな、いるかどうかも分からない相手を探すより──。
今は、腹ぺこを訴えている、相棒を何とかするほうが先だった。
お読みくださり、ありがとうございました。
当たり前にある世界に感謝……。
森で日光浴のヴィヴィアンはプラントモード。
それはつまり……。
次回「5.あるいはその美しい楽園は②」。
イチゴ、苺、一号!?




