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8.どこかへ扉をつなぐための②

お読みくださり、ありがとうございます。


なにかと残念美女のヴィヴィアン。

それでもたくましく困難に立ち向かいます。


「泣いてなんか、ないぞ……」


クスン。

2 スパイアイ


 ロボットの修理と調整と、周辺の状況把握──。

 暗がりの中で、淡々と作業を繰り返す日々を過ごしていると、時折ふと、先の見えない絶望に飲み込まれそうな狂おしい気持ちになる。


 そんな時、ヴィヴィアンは恥も外聞もかなぐり捨てて、エリュシオンに泣きついたり、時に大声でアニメソングを歌ったり、大きな瞳のスパイアイへの愛に目覚めたりしながら、何とかやり過ごしていた。


 まるで地下迷宮に居座るような生活をし続けて、半年も経った頃だろうか。けれどついに、その日はやってきたのだった。

 そう。一匹のスパイアイが、とうとう地上へとたどり着いたのだ。


 その美しく大きなひとつ目が、地上にて最初に捕らえた光景は──。


 ──光、だった。

 暗視カメラを通常のカメラに切り替えても、まだまぶしく感じるほどの光の洪水。


 最初は神殿のような、薄暗い石造りの建物の中だった。

 崩れた石畳のすき間からひょっこり顔を出すと、スパイアイは細く長い足を使ってスルスルと壁を這い上る。天井に近い穴は、明かり取りの穴か。何もない窓から、スパイアイは外の世界をのぞく。


 その瞳が見つめる先は、きらめくような太陽光があまねく降り注ぐ、森林だった。

 さんさんと輝く太陽が照らす世界──。そこはまさに緑の楽園。草や木といった緑が広がり、視界に入る限りの地表を覆っている。


 操舵室のモニターでその光景を見たとき、ヴィヴィアンは目を見開いたまま、しばらくそこから動けなかった。

 なぜか記憶の中の懐かしい顔ぶれが、つぎからつぎへと頭の中に浮かんできて、夢を見ているような気分になる。都合のいい夢を。心にずっとある願望があふれ、夢を見ているんじゃないかと……。


『夢ではない。現実だ』


 疑惑を口にしていたのか、エリュシオンはそう告げ、ヴィヴィアンもそのはずだと分かっていた。

 ユメじゃない。一度そう思って気がゆるむと、知らないうちに涙があふれてくる。黒い瞳を濡らして、次から次へとポタポタとこぼれ落ちてくる。


 ここは焼け付くような砂漠でも、凍り付いた大地でもなかった。

 こんなにたくさんの緑あふれる、命のある世界だったのだ。


 あまり期待しないようにしていた。だから、これは思いもしない光景だった。夢ではないかと、また何度もエリュシオンに確認するほどだ。

 あんまり本気にしてはしゃいで、もしこれがエリュシオンの見せたイタズラだったら、やけっぱちになって、自分でも何をするか分からない。


「本当に、ほんっとうに、ほんんんっとうに!!!」

『本当である。本当にこれは、あのスパイアイがリアルタイムで送ってきている映像だ』

「ウソじゃないんだよね? 喜んでいいんだよね? エルフの文明が滅んだってのも、3500年以上も時が過ぎたってのも、間違いだったんだよね!!!」

『いや。植物が生息する環境であるのは確かだが、あとはマスターの抱くタダの願望だ。エルフの文明はついえておるし、確かに3579年の時間が過ぎておる』


 相変わらず容赦なく現実を突きつけてくるが、エリュシオンの語る主張はブレない。そこは頼もしくもあり、それなりに信頼を置いている。

 あとはそれを自分で確認すればいい。そのためにも調査を続けて、ヴィヴィアン自身が外に出る必要があった。これからはその準備を進めていかなければならない。


 その話し合いをエリュシオンと進めていくが、今までとは違って気持ちは明るかった。こんなに気分が高揚したのは、目覚めてから初めてのことだ。

 あの緑が息づく世界に再び戻れるのだと思うと、薄暗くて何もないここでの生活も、それほど苦痛ではなくなってくる。気持ちに余裕が出てきたのは、迎え入れてくれる世界が広がっていると知ったからであった。

 外に出る日のことを思うと、大抵のことは我慢できる。

 いや逆に、やる気が漲ってくるというものである。


 それから最初のスパイアイが辿った経路の他にも、さらに次々と地上への道筋が見つかっていった。

 その中からさらにルートを吟味し、ヴィヴィアンが通る通路を整備する計画を練る。その工事に必要な小型作業用ロボットを使えるようにし、取り敢えずの仮通路を作って、地上にまでケーブルを繋いでみる。

 そうして神殿のような建物の屋根に、小型の折りたたみ式太陽光パネルを展開する。これでギリギリだったエリュシオンの電力が、ほんの少しだけマシになる。


 おかげで動かせるロボットの数と種類がふえ、やれることも加速度的に増えていく。

 食事にも手を加えることができた。外の様子をモニターすることで、地下深くでも朝夕の区別がつく。すると自然に生活サイクルも整いはじめる。

 ヴィヴィアンの心身にも、ようやく本当の意味での余裕が生まれていた。




 それからあらためて、現在と向き合う気持ちが生じて、ヴィヴィアンはラウンジのある庭園へと足を向ける。

 今はまだ枯れ果てた植物たちが無残な姿をさらすだけの薄暗い空間だが、ここに再び青空が映し出される日もきっと遠くはない。

 そしてまた豊かな緑の庭園が復活する日を思いながら、一本のクスノキの前に立つ。


 緑の精霊エリーとは、ほんのわずかな時間しか交流していない。交わした言葉もそれほど多くはない。美しく優しい精霊だと感じたが、彼女の思いを本当の意味で知ることはできない。


 何千年も眠り続ける名付け親を、彼女はどんな思いで見守っていたのか。最期はどんな願いをもって消えていったのか──。それを知るよしはない。


 ただ、眠っているだけのヴィヴィアンに、とてもよく尽くしてくれたのは確かだろう。残された『桃色の神聖樹の実』から、それは充分に感じられた。


 ここにあるクスノキの大樹は、残念ながら全て枯れ果ててしまっている。だが残された多くの種子は、今も芽吹く時をじっと待って眠っている。

 いつか地上に出たら、よく日の当たる小高い丘の上に、このエリーの分身たちを芽吹かせてやりたいとヴィヴィアンは思う。

 それが恩返しになるかどうかは分からなかったが、ヴィヴィアン自身がまたエリーに会ってみたかった。もっといろいろな話をしてみたかった。


「……エリー。ありがとう」


 いつかそんな日が来ることを願って、ヴィヴィアンはその場を離れた。


 次に向かったのは紫の精霊シオンのもと……だが、「またな、シオン」と告げただけで、サッサと通り過ぎる。向かうべきはその先の、まだ足を踏み入れたことがない部屋だった。


 シオンに関しては、あまり感傷的にはなれない。たぶん同じように眠っているヴィヴィアンに尽くしてくれたのだろうが、その実感がほとんどないせいだ。

 精霊は物質を素通りすることができる。特に土の精霊に関しては、洞窟や地下こそは己の力が発揮される領域である。エリーと違ってこの船にしばられる必要はないし、自由に外へ行き来していたことが想像できる。


 そのせいだろうか……。

 最期は名付け親の元へ戻ってきたのかもしれないが、だから感謝しろと言われても困る気はする。

 それほど思い入れがわかないのは、もしかしたら相性の問題もあるのか?

 チラッと横目で見て、一言を告げるだけにして、ヴィヴィアンはその先へと進んでいった。




 半年もエリュシオンの船内で暮らしていたヴィヴィアンだが、実はこれまで必要最低限の場所にしか入ったことがない。

 どこに何があるかは、エリュシオンから説明を受けていたが、必要もないのに見て回る気はしなかった。目の前の問題に必死で、そんな余裕がなかったのだ。

 だが一箇所だけ、どうしても自分の目で確認しておきたい場所があった。

 それは──。ドグミッチの研究室である。


 エリュシオンの中にドグミッチの研究室があったことを、ヴィヴィアンは知らなかった。

 ドグはよく空港へ出かけていたが、それはエリュシオンの状態確認をかねた、ドグの息抜きだと思っていた。完全な宇宙船は貴重だし、よくある宇宙への夢やロマン、あこがれがあるんだろうと……。

 だが本当は、この研究室が目的だったのかもしれない。ここならある意味、本来の研究室よりも警備が厳重だ。

 けれど、そうやって隠れるようにして、一体、何の研究をしていたのか──。


 何を研究していたのか知りたいけど、何となく知るのが恐かった。この研究室の存在を、ヴィヴィアンはまったく知らされていない。おそらくドグミッチ個人の秘密の研究室だ。

 もしかしたらそこで、見たことのないドグミッチの一面を見るかもしれない。それとも何も知らずにいた自分のマヌケさを、改めて思い知ることになるのか──。

 それを突きつけられたくなくて、今日まで研究室には足を向けなかった。


 コールドスリープ前だったら、そこまで臆病にはならなかったのかもしれない。ドグは生きているし、生きているドグのために、きっと何かできたはずだから。


 そのことを、ここで目覚めてから、ずっと考えていた。


 ヴィヴィアンが3579年という時間を超越した原因が、もしドグミッチにあったとしても、ドグをうらむつもりはない。きっとそれはヴィヴィアンのためだったからだ。

 いつだって味方でいてくれたドグミッチ。あの思慮深い老エルフは、ヴィヴィアンのためにならないことは絶対にしない。


 けれどこれがドグミッチの意に反したことだったり、あるいは相当な無理をした結果じゃないかと思うと、助けることもせずにのうのうと眠る自分がいたことになる。

 それが悔しかったし、あれくらいで『ふて寝』なんてするんじゃなかったと切実に思う。きっとそのせいで、大変な場面に立ち会えなかったのだ。


 そして何より、単純にさびしかった。


 どうして誰も起こしてくれなかったのか──。


 大事な娘に一方的な別れを押しつけるなんて、ドグミッチはどれだけ切羽詰まった状況に陥ったのか。

 自慢じゃないが魔力だけは、たいていのエルフには負けない。どんなに困難な状況に陥ったとしても、絶対に役に立てる場面があったはずだ。

 だから、もっと一緒にいたかった。もっと叱ってほしかった。もっと……もっと甘えていたかった。


『ヴィー』と呼ぶ、あのしゃがれ声を、もう一度聞きたかった。

 こんな何もない暗闇に、一人きりにしないでほしかった。


 いくらエリュシオンに聞いても謎のままである、例の〈死んだふり命令〉について、ここで何か分かるかもしれない。

 絶対にあの後すぐ、何かとんでもないことが起こったのだ。

 それが何かはまったく想像もつかないが……。


 エリュシオンの最下層にして最奥の部屋。

 他にも増して厳重に閉ざされている扉に、ヴィヴィアンはそっと魔力を流し込む。

 そうして静かに開いた扉の向こう側にある空間に、そっと目を細めた。


 薄暗い室内に、まぶしいほどの白い明かりが灯る。

 所狭しと試験管や実験器具が並んだ、臨床室のような研究室。一見しただけでは、何の研究かは分からない。チラリと見たところでは、見覚えのある筆跡で『ワーム』や『小鬼族(スターフィス)』という走り書きがメモに散見される。

 しかしデータや資料を見つけなければ、それだけでは研究の概要は分からない。


 さらに奥の部屋に進むと、並んだ三基の睡眠ポッドに似た装置が目に入った。

 ヴィヴィアンの目はそこに釘付けになる。まさか──。


(まさか、他にも眠っているエルフが、いた?)


 そんな考えが頭によぎり、心臓の鼓動が一気に早くなる。

 もしも他にも、コールドスリープしていた者がいたとしたら? それは一体だれなのか──。

 そう思った瞬間、懐かしい顔が脳裏を駆け巡る。


「……ドグ! リュイノーマ!」


 早足で近づいていくと、恐る恐る中を確認する。

 透明な樹脂の向こうで眠っていたのは……。


 それは、当然のことながら、ドグミッチやリュイノーマであるはずもなく──。


 全てを確認し終えると、ヴィヴィアンは深く落胆のため息をこぼした。

 ここのところ落ちついていたメンタルが、また揺らぎそうになる。


 もう少し落ちついてからまた訪れることにして、ろくすっぽ得るものもなく、ヴィヴィアンはふらふらとドグミッチの研究室を後にした。





お読みくださり、ありがとうございました。


ドグのことが大好きなヴィヴィアン。

強いのは愛があるから……。


さて、次回「5.あるいはその美しい楽園は①」。

楽園回帰──。

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