1.この恋はある日突然に①
はじめまして。
本日はこちらにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。
つたない文章ではございますが、せいいっぱい書かせていただきました。
どうぞ、最後までご一読を。
よろしくお願いいたします。
1 リュイノーマ
ブーツのヒール音が、石畳にカツッ、カツッと力強く打ち付けられて響く。急ぐような大股の足取り。
動きやすいピッタリした黒色の狩人服に包まれるのは、すらりと伸びた手足。だが、その動きは荒れている。
長い灰黒色の髪を乱暴になびかせながら突き進む、その姿は男か女か分かりづらい。
滑らかな褐色の肌、黒色の瞳、そしてツンと先の尖った長い両耳。
気を昂ぶらせる細身のエルフは、連なる大樹のなかでも特に巨大なものの前で立ち止まる。
かと思うと、そこに穿たれたドアを、ダンッと荒々しく開いた。
「ドグっ! 居るっっっ!?」
「うひゃぁぁっ!!!」
驚いて手に持っていたマグカップの中身を、盛大に自分の顔にぶちまけたのは、しわくちゃ顔の小柄な老エルフだった。
「おわぁ、あっち! あっち! あっち!」
あわてて膝の上にもこぼしたらしく、浮き足だって大混乱である。とんできた小鬼族の家政婦が、二人がかりで駆けつけタオルを持ってくる。
「何してるんだよ、ドグ。そんなことして遊んでる場合じゃないよ!」
そう言って部屋の中をズカズカ突き進むと、広いデスクを両手でバンッと叩き付ける。勢いで書類の山がなだれ落ち、その場は局地的地震に見舞われたかのようだ。
老エルフはビクッと肩をすくめ、おずおずとちん入者を見上げる。そして、そこにある表情にギョッとする。美しく澄んだ黒い瞳をぬらし、その頰をしたたり落ちるのは涙だ。
ようやくただならぬ事態と悟り、老エルフは自らを襲うこの災厄についての文句も、いったんは棚上げとした。
「な、何があった、ヴィヴィアン……?」
大事に抱えていたマグカップを小鬼族の家政婦に返し、さらに世話を焼こうとする彼らを下がらせる。
彼女──。ヴィヴィアンと称する若い女エルフは、その優しくいたわるような声音にくしゃりと顔をゆがめた。
彼女なりに堪えようとしていたのだろうが、さらにドバドバと大粒の涙がその瞳からこぼれ落ちる。
「とりあえず、そこに座りなさい。何があったのか、話を聞こうじゃないか」
「うううっ、ドグっ……。ありっ、えっ、ない……って! リ、リュイ、ノーマァ……がっ……」
鼻水の嗚咽混じりで話し始め、興奮して立ったまま、席に着く様子もない。
しかたなく、ドグと呼ばれた老エルフは、そのまま彼女の話にじっくり耳を傾けることにした。
このヴィヴィアンという女エルフ──、実はすこし変わっていた。
このエルフ社会においては──。
見た目も能力も一人前なのだが、他よりもやや感情が豊かなのである。
いや。いつもはここまで激しく気持ちをさらけ出すことはないのだが、やはり喜怒哀楽の振り幅が大きいことには変わりない。
まぁ、エルフが感情にうとい種族──。よくいえば冷静な思考を好み、悪くいえばガンコで自己中心的。他人への興味は薄く、ある意味、究極の個人主義とよく言われる。
そんな中、ヴィヴィアンの感情の豊かさは理解されがたく、時として煙たがれることになる。
感情的に関わってくる、うっとうしいエルフという認識が、一部ではなされているのである。
実際のところは、このドグことドグミッチが研究の結果生み出して育てた、とても優秀なエルフなのである。
集大成にして最高傑作──、のはずなのだが……。鼻水混じりの聞き取りにくいグダグダの会話で、せっかくの高性能機能もかたなしである。
とにもかくにも、話はほんの少し前までさかのぼる──。
リュイノーマはそんなヴィヴィアンにも普通に接する、男性エルフの一人だった。自分勝手しがちなエルフにしては人当たりが優しく、穏やかな性格を持ち合わせている。
理知的で仕事ぶりも優秀なのに柔らかな雰囲気があり、常に冷静に話を聞いてくれる。
ヴィヴィアンはそんな彼が大好きだった。
リュイノーマに喜んでもらおうと、今日も今日とて、疲労回復に効果抜群のキリナッツを使った『キャラメルソースザブレ』を差し入れに行くところである。もちろんヴィヴィアン渾身の手作り。
研究室のサロンで、ゆったりと論文雑誌を眺めているリュイノーマ──。その柔らかな白銀の髪がガラス越しの木漏れ日にとけている。誰よりもキレイなその姿を目にしただけで、ヴィヴィアンの胸にはほっこりと温かな気持ちがわいてくる。
そして「大好きだなぁ」と思う。リュイノーマがいてくれて本当によかったと思うし、ずうっとこんな優しい日常が続けばいいなぁと思う。
ふだんは他のエルフたちを意識して、ヴィヴィアンはキリッとした表情を心がけている。でもリュイノーマの姿を見ると、どうしてもふにゃりと表情筋が緩んでしまう。
しかし今日のサロンには、もう一人エルフがいた。彼女の名はジルルコ。とても可愛らしい見た目の、小柄なハニー・エルフである。
ストンとした体型の中性的なヴィヴィアンと違い、ボディラインのメリハリが非常に良く効いている。
彼女もこの研究所の職員である。
彼女はリュイノーマと相席というわけではなく、少し離れた席でゆったりと何か飲んでいる。
しかし可愛らしい見た目と違って、その舌鋒はとても鋭い。話が長引いてくると、毎度ヴィヴィアンの心は折れそうになってくる。
深呼吸して心を落ち着けると、ゆったりとした足取りを心がけて歩み出す。
「リュイノーマ。遅くなってゴメン。何かおもしろい論文は見つかった?」
声をかけると、文字を追いかけていたその視線が、ヴィヴィアンへと向けられる。
澄み渡った空のようにクリアな、美しい水色の瞳──。
「やぁ、ヴィー。今日はゆっくりだったね。おかげさまでずいぶんと賢くなったよ。読みたかった論文にも、じっくりと目を通せた」
少し大げさに肩をそびやかし、目元に優しげな笑みを浮かべる。その大人な気づかいに、「やっぱり好きだなぁ」とヴィヴィアンもクスッと笑ってしまう。
「今日はね、ザブレ焼いてきたんだ。キャラメルソースがかかったの」
「それはまた甘そうだな」
「もちろん。しっかり甘いよ。アップル糖から作った特製キャラメルだもん。スライスしたナッツとあいまって、イイ感じでパリパリだよ」
「それは美味そうだな」
そんな会話をしながら紙袋を差し出すと、雑誌をテーブルに置いたリュイノーマが「ありがとう」と告げて、そっと受けとってくれる。
それを見ていたジルルコが、思わずと言った感じで口を挟んだ。
「ちょっと、リュイノーマ。そんなもの受けとって、どうするの? まさか、あなたが食べるつもり?」
本気で驚いたような声に、ヴィヴィアンは「ああ、やっぱり来たか」と身構える。
「……ああ。疲労回復の効果が期待される、キリナッツが使われているしね」
「だとしても、その子の手作り、なんでしょう? 気持ち悪くない? 食品なのよ。口に入れるモノ。個人が作ったモノなんて、衛生的にどうかと思うわ」
「まあ。それは……。そうなんだけどね」
リュイノーマが少し困ったように答える。エルフは衛生観念がきわめて高い。
基本的に工場で衛生管理された製品しか口にしない。
肉食はほぼしない。なので、口に入る野菜や果物、穀類にナッツの類いは、全て工場で栽培され、必要に応じて加工、製品化される。
食堂でさえ、自動調理されたものが個包装で出され、自分で殺菌済みの皿に広げて食べる形式である。
エルフたちはあまり食に興味がない。栄養さえ採れればいいという考え方をする。なんなら食事を取るのも面倒で、自分で光合成を行う者すらいる。
であるから、自分で料理をするエルフは、まずいない。
せいぜいがお茶を入れるくらいである。
──というわけで、ヴィヴィアンのお菓子作りは、エルフとしてはかなりビックリの行動ではある。
でも、だからといって人の会話に首を突っ込んで、行儀が良いはずもないのだが。
「自分で料理だなんて。ましてやそれを人に食べさせるだなんて、まるでゴブリンの親愛行動みたいだわ! ゴブリンや小鬼族みたいな生き物は、仲間に食料を分け与えて絆を深めるそうだけど、それとまったく同じ行動をとるなんて……」
ジルルコはハンカチで口元を押さえながら、一歩引いた目線でヴィヴィアンを見つめる。
「やっぱり、ゴブリンのDNAが組み込まれているって、本当ではないの? というよりあなた、もはやエルフの皮を被ったゴブリンよね?」
なんでやねん! と、ヴィヴィアンは思わず、心の中でツッコミを入れてしまう。
ゴブリンといえば、知能の高い獰猛な肉食生物で、繁殖力が強く、特定エリアでは駆除対象にされている。
これほど失礼な話があるだろうか? 泣いて怒って、ぶん殴るには、十分な案件だろう。
思わず目の前の美女を、頭の中でタコ殴りしてみせる。実際にはしない。しないけどね。
しかし残念なことに、ジルルコに悪気はないのだ。
彼女が面倒くさいのは、本当に悪気がなく、マジメにそう思考しているという点だ。
ヴィヴィアンは怒りをこらえて、できるだけ冷静になるよう心がけて、思考を組み立てる。
ここで怒ってわめいても、それは相手の思うツボである。
「……ゴブリンのDNAねぇ。簡単に組み込むなんて言うけど、お互いの相違の決め手となる塩基配列は、まだ完全には解明されてないよね。それなのに、それをどうやって組み込むの?」
ヴィヴィアンはしごく真っ当な質問を返す。
実際、どの塩基配列がゴブリンの獰猛さとなり、どの部分が親愛行動につながるかなど、すべてがきっちり解明されているわけではない。
もし解明されていたとしても、それをそのままエルフに組み込んで、その通りに発現するとは限らない。
「あら、組み込めるわよ。最新の研究は、いろいろと進んでいるもの。普段から見られるあなたの突拍子もない野性的な行動からして、ゴブリンを組み込まれている可能性は高いわ」
「それはあんたの推測だろ。印象から受ける憶測に過ぎない。大体、なぜ他種族のゴブリンなんだ?」
ヴィヴィアンだけでなく、ジルルコもリュイノーマも、今のエルフはほとんど遺伝子デザインされている。
遺伝子疾患対策のためだが、その他はせいぜい目や髪の色が選べるくらいだ。
結局は、優秀な者同士の交配だった。
他種族の遺伝子をエルフに組み込むなど、聞いたことがない。
「実際のところ、何がどう改変されてるかなんて、一部の長老しか知らない最高機密情報だよね」
「確かにその通りよ。だけどあなた普通じゃないわよ……」
ヴィヴィアンはその言葉にカチンとくる。
せっかくがんばって論理的に考えているのに、ジルルコの方が曖昧な言葉をつかってくる。
(普通って何だ。普通がそんなに偉いのか?)
目尻をキリッとつり上げ、ヴィヴィアンは完全にどうでもいいモードにはいる。
「そうですか。わたしが『ゴブリン』なら、あんたには『ミスリル・リスボア』が混じってるんじゃないの?」
「ええっ? ミスリル・リスボア……?」
「あいつら見た目だけはカワイイんだけど、突撃力がものすごいんだよね。突進が始まったら木の壁なんか、ぶち抜いて大穴をあけるんだ。弾丸みたいな石頭なのに、本人は『あたし知りません』ってカワイイ顔して、知らんぷりしてくれて、ソックリだと思わない?」
失礼な相手には、同じく失礼千万な対応でやり返すのみである。
だけどじつは前々から、こっそり思っていたことである。
ジルルコってば、ミスリル・リスボアにソックリだなぁ、って。見た目も行動も。
ふと見るとリュイノーマがうつむき加減で、手を口元に当て、肩を震わせている。笑いをこらえているに違いないが、エルフは滅多に笑ったりしない生き物である。
だからその姿も人目には、むせて苦しんでいるようにしか見えない。
「よくわからないわね。私は壁に穴をあけたりなんてしないわよ? で、ミスリル・リスボア……って、何なのよ」
「とっても稀少な生き物だよ。知らないかな? その名の通り、ボア(イノシシ)の一種。ちっちゃくて銀色の毛並みがとてもカワイイんだよ。だけど突撃力がハンパなくて、何にでもブチ当たっては突き抜けちゃう──。っていう、カワ恐ろしい生き物」
ジルルコはいぶかしげな顔つきのまま、空中に指先を滑らせる。端末ですぐさま調べるらしい。
検索の結果、出てきたのは、害獣とは思えない愛らしい映像。
キラリとジルルコの目が輝く。
「すごいわ。この破壊力にしてこの可愛らしさ。確かに私が求める理想を体現している。納得だわ」
納得するんだ。納得しちゃうんだ。ボア(イノシシ)なんだけど。
ちょっとびっくりだが、かわいいものはやっぱり最強なのだ。
ゴブリンよりもミスリル・リスボアのほうが断然カワイイし、気に入るのは分かる。
このハニー・エルフのジルルコにしてもそう。
遠慮なくグリグリと人の心を突き破る発言をしてくるが、見た目はかわいくて心底からは憎めない。
ただチョット、まともにつきあうと疲れてしまう。だから本当は遠く離れて、見ているぐらいがちょうどいいのだ。
せっかくのリュイノーマとの時間だったが、今日のところはもう退散したいところだった。
「それじゃあ、リュイノーマ。衛生的に気になるなら、ちゃんと検査してから食べてよ。おかしなモノは入れてないけど、注意するに越したことはないからね」
「ああ、また今度ゆっくり話そう」
リュイノーマも、ヴィヴィアンとジルルコの相性が悪いことは知っている。
早々に立ち去ることにしても、寛容に許してくれる。
「ジルルコにも今度、何か差し入れしようか?」
本当は自分も欲しかったんじゃないの? という言葉は飲み込む。
エルフは食に興味はないが、どちらかというと甘い物は好きなのだ。
「丁重にお断りするわ」
「あっ、そう」
食欲よりも衛生観念が上回るらしい。
バッチイもの扱いされるのは癪だが、軽く肩をすくめてやり過ごす。
なら、これ以上ここにとどまる理由もなかった。
軽く手を振って二人に背を向ける。
知らずため息がもれたが、歩き始めてしばらくしてから思い出す。
明日、リュイノーマに会う約束を取り付けるのを忘れていた。
鮮度が命の『桃色の神聖樹の実』が、ちょうど明日には手に入りそうなのだ。今回を逃したら、またしばらくは渡すことができないだろう。
面倒だが、ここで伝えておくのがいい。あとにして忘れても困る。
そう考えたヴィヴィアンは、くるりときびすを返して、サロンへと後戻りする。
そうしてその他のエルフよりも、ほんの少しすぐれた聴覚を持つヴィヴィアンの耳に、聞こえてしまったのだ。
リュイノーマとジルルコ。二人の会話が──。
ご読了、ありがとうございます。
まだまだ続きます。
ちなみにキャラメルソースが掛かったザブレって、フロランタンをイメージしています。
キリナッツはアーモンドをイメージした、何かそれっぽいの……です。