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魂魄、この世に留まるならば

熱い電流のようなものが流れこんでくる。

身体の記憶と、すこし抵抗を覚える新しい記憶が混在している。

分離したり、融合したり、受け入れたり、拒絶するものを説得しようといていたり。


さきほどまでの記憶、船内から庭園とラボでの記憶とは、それぞれが異質のものだが、皆は同時に存在し、また認識されている。


川本は、それを受け入れつつ、また融合する様子を見ている。

後に日記を書きながら整理してみると、良くわかる。


受け入れる様子を見ている意識は、当たり前だが、川本自身のものである。

電流のような強い刺激に耐えながら、受け入れている意識も、いまでは、川本のものとして自覚できる。

そして、なにより、すこし強引とも感じられた「流れ」の本体となる意識と記憶こそが、バックアップされて、データベースから入力されている、川本自身の生前の記憶だとわかる。


日誌を書こうと思い立ち、すこしニュアンスは変わったかもしれないが、今は日記を書いているので、わかる。


以前よりも「展開」が早い。

現象と観察に対して湧き上がる疑問は、通常の思考の速度と較べても早い。

閃きは光速を帯びている上に、時間の経過を自覚する間もなく、答えが浮かぶ。


人工の躯体の意識、これは神道でははくと呼ばれるものだろう。

魂魄こんぱくこの世に留まりて」と能や歌舞伎でも使われるセリフを思い出す。

きっと、肉体にも意識があるに違いない。


流れこんだ電流のような記憶と意識は、墜落前夜までにバックアップされたものに違いない。

それがわかる。

推測ではない。

直感でもなく、直観でもない。

直覚として、初めから理解されているような感覚だと思う。

そして、それらをすぐ側で見ている意識こそが、自我ある自分なのだとわかる。


墜落時に、肉体は意識を失い、既に死亡していたはずで、それから、すぐに火星の褐色の大地を見たり、光に包まれるような体験をしたり、淳の声を聞いて目覚めたり。

それを体験として理解している意識が、ぼくの本体なのだ。

感覚としては、なぜか遠くから、近くから。

過去 からも、未来からも。理解されている。

時空の交差する現在点にいる自分。

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