8.K&Dオフィスのジェシカ
昼飯をおごってもらった礼をしよう、などと気を使ったのが運の尽き。
高層ビルの最上階にあるK&Dのオフィスにやってきた俺は、応接室に通された。
吸いつくような座り心地のソファに腰掛けて、栗色髪の若い女と向き合っている。
「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます。ファングさん」
やわらかな口調でそう言ったのは、K&Dの女社長だ。
「たまたま通りがかったからな。気にしなくて結構だ、社長さん」
「それで、その……誰さんと言ったかしら。うちのメンバーとトラブルになった……」
「アマンダ」
「ええ、そう。アマンダさんはおケガをなさっていたりしないのかしら」
「いいや。ピンピンしてるよ」
やつなら昼飯にステーキ三ポンド食ってましたよ。
「そういうわけだから、今日のところはこれで手打ちにしてくれ。アマンダのほうも、やりすぎたって反省している」
俺は座ったまま、軽く頭を下げる。ジェシカの手が、絶対に視界からはずれないように気をつけながら。
すると、部屋の中に並んでいた屈強な男たち、そのうちの一人が動いた。
そいつがソファの背もたれごしに、ジェシカに顔を寄せる。
「姐さん。こんなやつの言うことなんか、気にすることありませんぜ。あのゴリラ女と一緒に、まとめて川に放り込んでやりましょう」
そう声をかけた刹那―――。
ジェシカの右腕だけが、すばやく動いた。
卓上にあったクリスタルの重そうな灰皿をつかむ。武器を手にする動きからのなめらかな切り返しで、その凶悪な鈍器が男の顔面に吸い込まれた。
「ガッ―――!!」
鼻血を吹いて男が床に転がる。
すぐさま別の男たちが、倒れた男を運び出していった。
運の悪い新人が主人からごほうびを頂いちまった、といったところだろう。雇い主のことについて、不勉強すぎるとしか言いようがない。
「ごめんなさい。新しく入った人には説明するよう伝えてあるんだけど、理解が足りなかったみたいね」
「いいよ。気にするな」
俺はジェシカの右手から注意をそらさずに言った。
お察しの通り、彼女の右手は特別製だ。
見た目は生身とまったく変わらない。そういった偽装が施されてはいても、反応速度の速さから中身が機械製であることは一目瞭然だった。
そして、もう一点つけ加えるなら、俺についてる機能と同じものが搭載されているということだ。
言わなくてもわかるだろうが、コンフー・マーキナである。
ジェシカがどうして右腕を失ったかについては、俺の知るところではない。
だが、彼女の父親は大枚はたいて、娘の右腕に最強のボディーガードを雇うことにしたようだ。生身の体にはつけられないものでも、機械式の腕なら内臓できる。つまりは、そういうことらしい。
俺のコンフー・マーキナを制御するのが防御型のAIだとしたら、ジェシカの右腕を操っているのは攻撃型のAIと言っていい。
たとえばジェシカのそばで、誰かが彼女にとって不快な行動をとったとしよう。
その瞬間、機械の右腕はすぐさまその対象を排除しようとする。
不用意に近づいた運のないやつは、先程のように即座に攻撃を受ける、といった寸法だ。
俺にとって何よりおそろしいのは、コンフー・マーキナの視覚情報をもってしても、現実の攻防と同じく、防御型よりも攻撃型のほうが勝るという点にある。
だって、そりゃそうだろう。勝つために殴り続けているやつと、負けないために避け続けているだけのやつとで勝負したら、勝つのはどっちかなんて言うまでもない。矛と盾の逸話なんて嘘っぱちである。
彼女が銃でもナイフでも―――べつになんでもいいんだが、武器を持って近づいてくるだけで、俺はフルマニュアルの動作で対応しなくてはならなくなる。
そういうわけで、俺はこの女が苦手だ。
この街で二番目か、三番目ぐらいに。さっきから低姿勢で話しかけているのもそのせいだ。べつにビビっているわけじゃないぞ。
「つかぬことをおうかがいしますが」
「なんだ?」
「ファングさんと、そのアマンダさんはどういったご関係ですの」
いや、同業者としてのお節介をしてるだけなんですけどね。あとくされがないように。
でもなんか、うかつなこと言ったらまずい雰囲気だな。これ。そんな気がする。
「ただの友達だよ」
「男の人でも、女の友達がいらっしゃるものなの?」
「たまに、ボクシングしたりする程度ぐらいなら」
「それってデートのことですか」
なんでそんなこと聞くんだよ。
俺が口を開くより先に、オフィスのドアが開いた。
「失礼します、社長。合同演習の件でFBCUから連絡が」
中に入ってきた男が言い終わるより先に、パンと軽い発砲音が響く。
ジェシカの右手に金ピカのルガーP08が握られていた。
ドアの影にすばやく身を隠した男は、あやういところで命拾いしたようだった。あとちょっとでも銃口がこちらの近くに向いていたら、俺も飛びはねてソファの陰にもぐり込んでいたかもしれない。
「その話は、お客様がお帰りになってからでよろしいですか」
主の問いかけに、部下の男が三回は了解の返事をしていた。まったく危険な職場だぜ。正直、同情する。
ジェシカがルガーをぽいと投げ捨てる。即座にまわりの部下が拾った。
「すみません。大事な話の途中で」
そんなに大事な話題では、なかったような気もするんだが。
「アマンダさんは、ファングさんのお友達ということでよろしいのね」
「ああ。そうだよ」
「恋人とか、ではなく?」
「そういった、一般的な男女の関係ではないな」
「そうですか。よかったです」
何がいいのか、さっぱりわからん。
とにかく俺はさっさと話を終わらせて、ここからおさらばしたい気持ちでいっぱいだ―――くそ。なんで俺、三ポンドのステーキ食っちまったんだ。胃袋が重いだけで危機感あるぞ、この場所は。タダより高い物はないってか。
「それではアマンダさんの件は忘れなさいと、こちらのメンバーに周知しておきます。そういうことでよろしいですか」
「ああ、それでいい。じゃあ、俺はこれで帰らせてもらうぜ」
「それとは別に、ファングさんにお願いがありますの」
立ち上がりかけた姿勢から、俺は秒で尻をソファに戻した。
弱ったぞ。うかつに動けない。彼女の話が終わるまで。誰か俺を助けて。
「私、父からこの仕事を任されて日が浅いものでして」
俺は固唾を飲んで、次の言葉を待ち構えた。
「もしファングさんがよろしければ、うちの会社のお仕事を手伝っていただきたいの。ほら。現場に詳しい方がいらっしゃれば、心強いでしょう」
ピンを抜いた手りゅう弾でも、投げつけられたような気分になった。
いつもの調子で、この会社に就職したら出勤するたびに労災だけでガッポリ稼げそうですよね、などと軽口をたたきそうなったが、必死で言葉を飲み込んだことは言うまでもない。
「どうでしょう。お願いできないかしら」
「あのな、社長さん」
「ジェシカ、とお呼びください」
そんなおそろしいことできるか。
俺は慎重に言葉を選びつつ、彼女の言葉に答えた。
「ジェシカさん。俺のように身元がさだかでない人間を、こんな立派な会社で雇うのはやめたほうがいい」
「現場の待遇では不満、ということですか」
「そういうわけでは」
「経営者として、入っていただいても構いませんのよ」
「経営……?」
「その、私の……配偶者、という形になっていただくことになりますけれど」
政略結婚とやらの類だろうか。ほら、吸収合併的な。
いやまさか。俺なんか吸収しても、何もメリットがないぞ。せいぜいジョンジーがタダ酒めあてについてくるかも、ぐらいだ。
ジェシカは何も言わずに、俺の返事を待っているようだ。その無言がこえーよ。
しかし、このまま黙っているわけにもいかない。
俺は覚悟を決めて口を開いた。
「そんな大事な話は、こんな場所でするべきじゃないな」
「……はい。ごめんなさい」
思っていたよりも、しおらしい返事がきた。
ただ、ジェシカのまわりの部下たちは、顔をひきつらせている。
そりゃまあ、ギャングの世界じゃ面子が大事だから、自分らの親分が頭を下げたらショックだろう。けどな、俺だってこんなおっかないことしたくてやってるわけじゃないんだよ。
「無理なこと言って、すみませんでした」
しゅんと沈んだ様子のジェシカから、元気のない声が出てくる。
今だ。今しかない。
「今日のところは、これで失礼させていただく」
俺はソファを蹴るようにして立ち上がり、しゅたっと手を上げて挨拶した。
ジェシカの右手が上がった。まずい。
「あの……」
「こみいった話は、また日をあらためて。では」
俺はドアの位置まで後退した。
よし。安全圏確保。
「ファングさん。私、お待ちしてます」
「…………」
「お待ちしてます。いつまでも……」
「失礼しまし」
オフィスの応接室を出て、そっとドアを閉める。緊張しすぎて舌噛んだ。なんだよ、しましって。すこぶるかっこ悪い。
しかしまあ、とりあえずの危機は去った。
アマンダにもタダ飯の借りを返した。
今日は何もかもが順調だ。
収入がまったくないことを除けば、だが。
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一人称の練習で書いています。
読みにくい部分が多く、たいへん申し訳ありません。
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・校正をなさってくださる方へ
お手数ですが、ご指摘等をなさっていただく際には、下記の例文にならって記載をお願いいたします。
(例文)
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この部分は、(あきらかな誤用orきわめてわかりにくい表現or前後の文脈にそぐわない内容、等)であるため、「~(←ココに修正の内容を記入する)」と変更してみてはいかがでしょうか。
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