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ブラッドファング  作者: ことりピヨネ
51/72

J.子供部屋のサラサンディー

 ニーナは、あいかわらずだった。


 明るくて、元気で、あたしよりもたくさんのことを知ってて―――


 でも、賢い女じゃなかった。


「手の傷。どうしたの?」


 あたしがたずねると、ニーナはにへらと笑った。


「ああ。これね。これはね、あのね」

「ニーナ」


 ごまかさないで、というときの声で、あたしはもう一度聞いた。


 あたしは知っていた。

 ニーナが学生ボランティアだった頃からだ。


 教会に訪れる彼女の頬に殴られた跡があったり、火傷や小さな切り傷のある手に包帯を巻いているときがあることを。


「えへへ……メイプル。あのね、メイプル。みんなには秘密にしてね。私の旦那さんね、とっても、とってもいい人なの。本当よ」


 ニーナがちょっと困ったような顔をすると、なぜだかあたしの胸が少し苦しくなった。


「でも、お酒を飲むとね、ちょっとね。ちょっとだけ、元気になりすぎちゃうみたいなの。でも、内緒にしてね。シスターにも。心配しちゃうから」

「わかった」


 あたしは頷いた。


 そうする他に、九歳のガキにできることなんてなかった。


 それからも、ニーナは街であたしを見かけるたびに声をかけてきた。


 子供に会いに来てほしいという申し出を断るために、あたしは仕事があるからと断った。


 会わないのには、理由があった。


 ニーナの子供は、きっと私と同じで不幸な子供だ。

 酒飲みの父親に殴られて、泣いているに違いない。ニーナの境遇を見れば、そのことはひと目でわかる。そういうことは、この街ではよくある話だった。


 そんな子供の顔を見ても、私の不幸は減ったりしない。

 自分よりも不幸せな人間と不幸の量を比べあっても、誰も幸せになんかなったりはしない。


 だから、私はニーナと顔をあわせるたびに、彼女の誘いを断り続けた。サラサンディーという名の娘と、私の運命が交わることはなかった。


 そういうことを三年ぐらい繰り返しているうちに、あるときシスターにあたしのこずかい稼ぎがバレた。


 シスターからのお説教はなかった。


 そして、仕事を辞めるときにはひと言ぐらい挨拶するもんだ、とシスター・バルセラに言われ、あたしは最後にもう一度だけバーに行くことを許された。それから、夜中に抜け出すおまえを三年も見張り続けるのは大変だった、とも言われた


 ようするに、あたしのセコい商売は最初からバレていたのだ。


 運のいいことに、バーテンは五体満足でカウンターのむこうに立っていた。


「おごりだ。飲めよ」


 あたしがスツールに尻をひっかけると、ミネラルウォーターを注いだグラスがカウンターの上に置かれた。


「ただの水だよね」

「酒が飲める歳になったら、また来いよ。そしたらちゃんとしたのを飲ませてやる。そんで気が向いたらまた俺と組んで、ひと稼ぎしようぜ。相棒」

「残念だけど」


 あたしはミネラルウォーターを飲み干した。


「バルセラは、あたしをこの仕事から、きれいさっぱり足を洗わせたいみたい」

「そりゃまあ、そうだよなあ」

「仕事を手伝え、って。バルセラの」


 グラスを磨いていたバーテンが、ククッと楽しそうに笑った。


「そりゃいい。ここで働くより、おまえさんにずっと似合ってるぜ」


 あたしはそれから、店には近づかないようにした。


 彼に迷惑がかからないように。

 十二歳にもなれば、ダーツボードのかかっていた壁を穿った弾痕で、バルセラがどんなお説教をバーテンにかましたかを理解することができたからだ。


 バルセラの仕事は、ハンターだった。


 普段は教会のシスターとして活動しながら、この地域を縄張りにして牙獣を狩っていた。


 その手伝いとは言っても、あたしにできることなんてたかが知れていた。

 荷物持ちだったり、管理局まで金を受け取りにいくおつかいだとか。バルセラはあたしに、そういうことしかさせてくれなかった。


 ただ、報奨金の受け取りに必要な委任状をいちいち書くのが面倒だという理由で、バルセラはあたしをハンターとして登録してくれた。

 そのことは、街で最年少のハンターが誕生したとニュースに取り上げられて、あたしをちょっとだけいい気分にさせてくれた。


 ナイフも新調してもらった。

 AFBKと呼ばれる、対牙獣用の近接武器をバルセラから就職祝いとして贈られた。


 今まで人からもらった贈り物など、何ひとつ大事にしたことのないあたしだったけれど、これにだけは感謝した。あたしはナイフの柄にワイヤーを結びつけて、投げた後もすぐ手元に引き戻せるようにした。

 バルセラはあたしが銃を持ちたがらないことに、不満そうではあったけれど、投げたナイフが一度も狙いをはずさなかったことで、多少は機嫌を直したようだった。


 それ以外にも、もうひとつ。

 ハンターになるような男たちは、山みたいにデカい大男や、子供を頭から齧りそうなクマみたいな強面のやつばかりだった。


 そういう連中はあたしを見ると、すぐさまガキ扱いしてちょっかいを出してくる。

 けれど、バルセラの名前を出すと、男たちはたちまち縮こまった。叱られて小便でもチビりそうな悪ガキみたいな顔して、あたしに道を譲ってくれた。


 おかげで、あたしは自信がついた。


 不幸な子供だったあたしは、もういない。

 ここにいるのは、ハンターの―――まだ、見習いだけど―――メイプルだ。


 けれど、それから一年ほどが過ぎたときのことだ。


 あの事件が起きた。


 ハンターになったことで、あたしも自分の端末を手に入れていた。

 そこに、ニーナから連絡があった。


 ニーナは混乱していた。

 口調はいつも以上に乱れ、「助けて。助けて、メイプル」と繰り返すばかりだった。


 通話ごしの内容は支離滅裂だったけれど、彼女の家に牙獣が現れたことだけはすぐにわかった。

 あたしは、すぐさまバルセラに連絡を入れて、ニーナの家まで走った。


 はじめて目にするニーナの住まいは、こぢんまりとした二階建ての一軒家だった。

 その家の外まで響く大きな声が、中から聞こえた。


「さっさとこいつを追い出せって言ってんだろうが!」

「大丈夫!! 大丈夫、平気だから! 落ち着いて!!」


 あたしは玄関のドアを叩いた。


「ニーナ。あたしだ。メイプルだ」


 反応がなかった。


 悪い予感がした。すぐさま庭の裏に回り、台所に続いてそうな扉を開ける。


「ニーナ!!」


 そう呼びかけた瞬間、あたしの目に入ったのは酒瓶を振り下ろす男の姿だった。


 ガラスの欠片が飛び散った。

 殴られたニーナは、キッチンの床に倒れた。


 あたしは中に飛び込んで男を押しのけると、ニーナを抱きおこした。


「ニーナ!! ニーナ……」


 名前を呼ぶと、ニーナはわずかに目を開いた。


「メイプル。来て……くれたのね」

「ニーナ……」

「サラを……あの子を、たすけ……」


 ニーナの声が途切れ、その首から、かくんと力が抜けた。


「ニーナ……ニーナ……」


 返事はもうなかった。


 その場で動けなくなっていたあたしのジャケットの胸倉を誰かがつかんだ。


「おい。てめえ、女房が呼んだハンターか」


 白い冷蔵庫のかたわらに、小さく丸い、黒い塊が漂っていた。


 針みたいに小さな牙しか持たない、小型の牙獣だった。


「ハンターなら、さっさとあいつを始末しろ!!」


 あたしは、バルセラから教わったとおりのことをやった。


 男の手首をつかんで、腕をねじりあげてから首の後ろを押さえつけた。

 軍隊経験のあるバルセラからたたき込まれた格闘術のおかげで、十三歳のガキの力でも、酔っ払った男をねじ伏せるのは容易いことだった。


「おい、やめろ! 何するんだ!!」


 手で固定したそいつの頭を押して、黒い塊のほうに近づけていく。


「やめろ、やめてくれ!!」

「黙れ」

「頼む!! 俺にはガキがいるんだ。サラって……」


 あたしの中で、どす黒い感情が一気に膨らんだ。


「おまえが、その名前を口にするな」


 あたしは腕に力を込めた。


 けれど、それよりはるかに力強い手が、あたしの腕をつかんだ。


「およし」


 バルセラが、そこにいた。

 あたしにまったく気づかせることもなく、彼女は手の届く位置まで近づいていた。


「……放せよ」


 息を荒くするあたしを見返すバルセラの青い瞳が、冷たい光を放った。


「メイプル。冷静に」

「放せ、って言ってるだろ!」

「状況を伝えろ」

「こいつがっ、ニーナを!! だから、あたしはっ……」


 あたしは生まれてから一度も出したことないほどの大声で叫んだ。

 けれど、どれだけ力をこめても、バルセラにつかまれた腕はびくともしなかった。


 それどころか、バルセラが軽く手を振っただけで、あたしはあっけなく床に転がされてしまった。


 そして、あたしが起き上がるよりも速く、バルセラは修道服の袖から引き抜いたM9を一発だけ撃った。


 たったそれだけで、黒いけだものは消えた。

 落ちた薬莢の床を打つ音だけが、やけに響いていた。


「ニーナには子供がいたはずだね。どこだい?」


 銃を握ったまま、バルセラが問う。


 床にへたり込んだ男が、震える指先を天井に向けた。


「メイプル。二階に行って子供を保護しろ。私は警察が来るまで、この男と話がある」


 あたしは、まだ感情が収まらなかった。


 腰の後ろにつけたシースから、ナイフを抜こうとしたまま体を強張らせていた。


 ニーナを殺したあいつを生かしておくつもりはなかった。


「メイプル。復唱しろ」


 バルセラの呼びかけに、あたしは返事をしなかった。


 かわりにバルセラの手元を―――見ようとしたが、見れなかった。


 バルセラの手は握ったM9ごと修道服の広い袖口にすっぽりと隠れて、そこからどういう動きをするのか、まったく予測ができない。

 今もうすでに、袖の中で銃口があたしを狙っているのかもしれなかった。


 バルセラは掛け値なしに強い。

 あたしなんかは射的の的も同然だ。


 どれだけナイフを速く投げたところで、この化け物を相手ではまったく勝ち目がない。確実に理解できるのは、その事実だけだ。


 それはつまり、今のあたしにはニーナの仇を討つことができないということだった。


「そのナイフは、人間相手に使ってはいけないものだ」


 バルセラの声が、わずかに低くなった。


「それがわからないやつを生かしておくほど、私は情け深くはない」

「あたしは……」


 あたしはナイフを握った手を開いた。


 指を伸ばした手のひらがバルセラから見える位置にくるまで、腕をゆっくりと動かしていった。

 そうしなければ、彼女は迷わずあたしを撃っていたはずだ。


「……メイプルは、二階に行って子供を保護する。バルセラの命令で」

「よし。行け」


 あたしはバルセラに言われたとおりにした。


 二階に上がり、子供部屋を探す。


 階段のすぐ脇に、『サラの部屋』と書かれた色紙の看板を貼りつけた、ドアがみつかった。


「サラ」


 あたしは扉を開けて、声をかけた。


 明かりのついていない部屋の暗がりで、ベッドの上の何かがもぞりと動いた。


 毛布の中から、ぴょこりと小さな顔が出てきた。


「お姉ちゃん、誰?」

「あたしは……ニーナの友達だよ」


 そう答えると、サラは毛布にくるまったままベッドから下りてきた。


「サラのママのお友達?」

「うん」

「お姉ちゃんのお洋服。真っ黒。真っ黒で、かっこいいねえ!!」


 そのあと、サラはパッと手で口元を覆うようにして声をひそめた。


「シーッ!! あのね、サラのパパがお酒を飲んでいるときは、おうちで大きな声を出しちゃダメなの。わかる?」

「うん」

「サラのパパはね、いつもはとっても、とってもやさしいの。でも……」


 サラの声から、元気がなくなった。


「でもね、サラのパパはお酒を飲むと、サラのママをいじめちゃうの。でも、サラはそれが、本当はよくないことだって知ってるの。だから……これね」


 毛布の中から、サラが古ぼけた掃除機を取り出す。


「これでね。これを使ってね、サラは牙獣をやっつけるの。サラは大きくなったら、ハンターになるの。そしたら、たくさん、たくさん……いっぱいお金を稼げるの。いいでしょ」

「うん」

「そしたらね、お金持ちになったサラが、サラのママに新しいおうちを作ってあげるの。普通のおうちじゃないよ。おっきなおうち、お城みたいな、おっきいの。サラはママと二人でそこに住むの。そしたらね、サラのパパは、もうサラのママをいじめられないの」


 彼女の顔に笑みが浮かぶ。

 ニーナと、そっくりの笑顔だった。


 あたしの予想は裏切られた。

 サラは、不幸な子ではなかった。


 自分の境遇を嘆いたりもせず、みずからの手で運命を切り開こうとしていた。

 あたしのようにやさぐれて、自分の殻にこもろうともしていないし、心のどこかで世界を呪ってもいなかった。


 あたしはただ、自分で勝手に、自分が不幸だと思い込んでいただけだった。

 自分が不幸だと思っていたから、サラも不幸になっているはずだと決めつけていた。


 だけど、それは違った。

 なにより間違っていたのは、まわりにいる大人たちに見守られていながら、それに気づきもしないで、両親のいない自分をみじめな存在だと思い込んでいたことだ。


 不幸な子供など最初から、どこにもいなかった。

 最初から幸せな子供だって、どこにもいやしない。


 この世にいるのは、サラのように―――自分ではない誰かを幸せにするため、大人になろうとしている人間だけだ。


 あたしは何も知らないまま、、不幸に酔った子供のままでいることを選び続けていたのだ。


「サラ」

「おょ?」


 あたしはその場に膝をついてから、戸惑うサラを抱き寄せた。


「サラ。ごめんね、あたし……」


 ニーナを守ってあげられなかった。


 その言葉は、あたしの口から出てこなかった。


 事実を認めてしまったら、自分がみじめで、ちっぽけで、どうしようもないくらいに憐れで、耐えられなくなりそうだったからだ。


「ウッ……ううっ……」


 あたしの目から、涙がぽろぽろとこぼれ落ちていった。


 とめどなく泣くあたしの頭の上に、サラがぽんと手を乗せた。


「えらい、えらい」


 その声は、ニーナの声と同じだった。


 だから、あたしは彼女には一度も言えなかったことをサラに願った。


「サラ。あたしを抱きしめて」

「いいよ。ぎゅーっ」


 あたしは生まれてはじめて、自分以外の誰かに、素直に甘えることができた。


「えらい、えらい」

「あたしは、偉くなんかないよ」

「あのね、サラがね。泣いてるときにね、サラのママがね。こうしてくれるの」


 頭の上で、サラの小さな手がぽん、ぽんと跳ねる。


「そうするとね、サラもえらくないのに、えらい自分になった気分になるの。そしたらね、サラの涙が止まっちゃうの。すごいでしょ」

「うん、うん」

「だからお姉ちゃんも、えらいお姉ちゃんになっていいんだよ」

「うん……そうだね。サラ。ありがとう」

「えらい、えらい」


 あたしが泣いてる間、サラはずっと頭を撫でてくれた。


 あたしはサラに、やさしい世界を見せてあげたいと願った。


 ニーナのように、バルセラのように―――あたしの世界を守ってくれていた、あの人たちのように。


 あたしはこの先、何があってもサラを守っていくことを心に決めた。


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 一人称の練習で書いています。

 読みにくい部分が多く、たいへん申し訳ありません。

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・校正をなさってくださる方へ

 お手数ですが、ご指摘等をなさっていただく際には、下記の例文にならって記載をお願いいたします。


(例文)

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>~(←ココに修正箇所を引用する)

この部分は、(あきらかな誤用orきわめてわかりにくい表現or前後の文脈にそぐわない内容、等)であるため、「~(←ココに修正の内容を記入する)」と変更してみてはいかがでしょうか。

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 以上の形式で送っていただければ、こちらで妥当と判断した場合にのみ、本文に修正を加えます。

 みだりに修正を試みることなく、校閲作業者としての節度を保ってお読みいただけると幸いです。

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