G.クララタウン通りのファング
一万年の長きに渡る生涯の中で、今ほど暮らしやすい時期はなかった。
吸血鬼たる我が身と言えど、生きていくために日々の糧を得るには、些少の手間というものがある。
魔物であっても、それは変わらない
生存し続けるための手順というもが、大なり小なりあるものだ。
「ヒャッホー!!」
とはいえ今の僕には、そんなもの関係ない。
ステッキを片手に、ビルからビルへと屋上を飛ぶように跳ね、ご機嫌な声が出てしまうぐらいには。
なにしろ、ここには僕の体を維持するための魔力が腐るほどある。
人間どもが牙獣と呼ぶ、あの魔力の塊が。
実際のところ、やつらは生物ですらない。
まあ、人類などという下等種族の感覚器では、魔力を感知できるものなどごく稀にしか存在しない。そのうえやつらは、自分たちに知覚できない対象を認識したがらない習性がある。なので、その事実を理解することなどできないだろうけど。
おっと。
獲物の気配がする。
ビルの谷間をめがけて、僕はひらりと飛び降りた。
眼下には、黒い霧を思わせる塊が凝縮している。
小型の集団が集まって、ちょうど大型の個体を形成しようとしているところらしい。
急降下してくる僕に気づいたのか、そいつはごく単純な反応を示した。
やつらは異界と、この世界を遮る壁そのものだ。
生物―――あるいは僕のような、生体に似た魔力器官を持った存在―――が近づくと、異界に続く扉を形成しようとする。
次元間を繋ぐ門、と言ってもいい。
ようするに、人間たちが牙獣と称するものは壊れた扉、その欠片にすぎないのだ。
もっとも小型の牙獣では、完全な門を形成することができない。せいぜいが、指が通る程度の隙間ぐらいのものだ。
ただ、そのわずかな幅しかない異界の扉が、この世界の物質に触れると何が起きるか。
極小の異空間に続く扉は、空間を削るという物理的な現象をひき起こす。そうして、抉り取られた一部分だけが、異界に送られるという結果になる。
その切り口が牙による斬撃のように見える、というだけのことだ。
いやはや。
人間の想像力というものには、まったく感嘆の念を禁じ得ない。
ただの空間作用にすぎないこいつらを生き物だと思い込んでいるだなんて、本物の化け物である僕から見ても、たいへんロマンに満ちた感性だと言うべきか。
さて。
その牙獣が作り出す、空間作用から逃れるにはどのようにすればいいか。
答えは簡単。魔力器官を用いて、より強い空間操作を行えばよい。
僕は魔力を変換して、理力を作り出した。
体の周囲に形成した理力壁ごと、落下の勢いに任せて牙獣につっこんでいく。
相手の繰り出す銀色の牙をペキペキとへし折りながら、ステッキの先端に仕込んだブレードを展開させる。人間の作った武器なんて本来なら必要もないのだが、このAFBKとやらを使わないと、あとの手続きがいささか面倒なことになる。
つき出したステッキの先が、牙獣の本体に沈んだ。
ドスッ……!!
鈍い手応えと同時に、黒い霧は散っていった。
僕は地面にちらばる牙の残骸から、青い結晶を取り出した。
「はぁ。うまそうすぎるぅ」
口の端からこぼれ落ちそうな涎をこらえる。
これこそが僕の食事。
異界から流れ込む魔力の高密度結晶体だ。
これに比べれば、生き物の血なんてメシマズ料理である。
なにしろ旧文明が滅んでしまったあと、世界から魔力が枯渇して、この八千年間というもの僕らはとんでもなく苦労した。
当時は僕ら魔物と人間が、世界をめぐって激しい争いを続けていた。
正直、僕は世界なんてどうでもよかった。
だけど、魔物の王―――魔王から、世界を支配するために人間と戦争するから手伝ってほしい、と頼まれた。手を貸してくれたら世界の半分をやるから、と。
まあ同じ魔物のよしみというか、一緒に異界からこっちにやってきた仲だったので断れなかったという事情もある。
しょうがないので渋々ながらに手を貸すことにしたのだけれど、あいつは人間の勇者とやらにあっさり倒されてしまった。
それで僕と生き残った魔物たちは、人間の目を盗んでコソコソと隠れ住むようになった。
それはそれで、争いとは縁のない平和な生活だった。
ところが人間たちは魔力を利用した技術を発展させようとして、何をどう間違えたか知らないけれど、自分たちの文明を滅ぼしてしまったのだ。
その結果、この世界からはほぼ魔力が失われてしまった。
さまざまな魔術の奥義の数々は、かつては人間にも魔力を扱う技術があった、という歴史もろともに消え去ってしまったのだ。
僕らは、そのまきぞえになった。
魔力がない世界では、魔物たちは生きていられない。
なぜなら僕ら魔物は、生体内に魔力器官が備わっており、そこから吸収した魔力を理力に変換することができる。
外部のエネルギーに干渉したり、あるいは理力そのものを防御に使ったり、自己を強化することも可能だ。
もちろん、生きていくためにも必要なのである。
正常な魔力器官の働きを保つためにも、魔力が必要になってくる。人間でたとえるなら、必須ビタミンとでも言うべき働きをするのだ。
わかりやすく言うと、魔物はただ生きていくだけであっても魔力が欠かせない。
そんな事情もあって、わずか数年で魔物の数は激減していった。
その中には魔物や人間の体内にわずかに含まれる魔力を狙い、血を啜って生きながらえようとする同胞もいた。なんともおぞましい共食いである。
そういった努力の甲斐もなく、魔物たちはあっさりと滅んだ。
今でも生き残っているのは、僕をふくめて十か二十にも届かない程度の数しかいない。
「あいつらにも食べさせてやりたかったなあ」
月の光を浴びた結晶が、青く輝く。
僕は、それをコートのポケットにねじ込んだ。
そのまま吸収するよりも、さらに効率よく、大量に入手する手段があるからだ。
この結晶を管理局とやらに届けると、引き換えに人間たちの使う金が手に入る。
そして、その金を使い、雇った代理人を通して結晶を買わせればいい。
結晶そのものは、人間にとっては何の使い道もない。脆すぎて宝飾としての価値すらなく、石ころにも等しい値段なのである。
滑稽なことに、この街の外壁を建造する際にコンクリと一緒に混ぜて工事に使われていた、というのがまた驚かされる。僕がその事実をはじめて知ったときには、驚愕のあまり壁に齧りつきそうになったくらいだ。
なので、結晶の価値はきわめて低い。市当局が委託している建築資材の販売業者に話を通せば、タダ同然でいくらでも買うことができる。
ようするに僕からしてみれば、相手にとって価値のないガラクタを送りつけるだけで大金が手に入り、爆安の食費で生活ができるという仕組みなのだ。
いやもう、まったくありがたい。
このシステムを生み出したやつにだけは、人間様のおかげで暮らせております、と感謝してやってもいいぐらいである。
「今夜は、これでこれ終わりかな」
魔力検知を働かせると、あとは小さな反応ばかりだ。
これなら昼の連中に任せてもいいだろう。
最近はこの地域に大物が出てくるようになったので、僕の稼ぐペースとしてはそれで十分だ。
と、その瞬間―――。
「えっ……?」
背筋に氷柱をつき込まれたような寒気が来た。
ビルの谷間にある路地。
僕が立っているそのすぐ近くに、ぞわりとくるほど強い異界の力を感じたからだ。
いやいやいやいやいや。
ありえない。なんだ、これは。
異界の力はこの世界にくると、拡散と収縮を繰り返す。そうして、薄まることで僕ら魔物にとって吸収しやすい魔力となる。
けれど今、僕の背後から伝わってくるこれは、そんなレベルではない。
吸血鬼として異形の力を持った魔物である僕から見ても、ばっきりと言える。
こいつは、この世界にとって真性の異物だ、と。
まさに異界の力そのものだ。
かの地を統べる、誰の瞳にもとどまらざる異界の主―――不可視の王と見まがうばかりの濃縮された魔力の塊だった。
どうしてそんなものが、ここにいるのか理解できない。
さっきまで、その存在すら感じることができなかったというのに。
僕はゆっくりと振り向いた。
そいつは、人の形をしていた。
けれども魔力を感知できる僕の目には、やつの本質が見えた。
黒々とした蛇体のごとき、濃密な異界の力。忌まわしいほどに強すぎる魔力が、そいつの体から溢れ、奔流となって渦巻いている。
そのどす黒い怨念めいた力の波を全身に幾重にもまとわせた、二本の足で立つ獣。
こいつは、ただ人の形を真似ているだけの異形だ。かつての盟友、魔王ですらこれほどの魔力を持ってはいなかった。
異界で生まれて、この地に逃れた吸血鬼である僕以上の怪物が、そこにいた。
たちまちのうちに、僕の腰から力が抜けていった。
気づけば、ペタンと地面に尻餅をついている。
―――殺される。
魔力を変換して攻撃に用いようとする理力化すら、おそらく必要としない。
殺意をこめた腕のひと振りで、僕の五体はバラバラに分解される。飢えた猛獣を前にした脆弱な人間の気持ちが、今はじめて理解できた。
終わった。
一万年に渡って生きてきた記憶が、頭の中で泡沫のようにはじけ、消えていく。
つらいことも、楽しいこともあった。嬉しいことも、悲しいことだってあった。
思い出などという言葉で、ひとくくりにはしきれない、滅んだ同胞たちの生きた証がそこにある。
だがしかし、そのすべてを―――ついに手放すときが来たのだ。
「ううっ、う……」
僕の目から、涙がこぼれ落ちた。
どうやら吸血鬼でも、泣くことができるらしい。
嫌だ。死ぬのは嫌だ。
どれだけ長く生きていても、消えたいなんて思いはしない。
それに、僕がいなくなってしまったら、誰もあいつらのことを思い出してやれなくなるじゃないか。そんなの悲しすぎる。
けれど、僕の死神はゆっくりと、僕の前に近づいてきた。
そして、手を伸ばし、僕の頭を―――。
「……ヒッ!!」
「おい。大丈夫か。こんな時間に子供がうろついてると、あぶないぞ」
僕の頭に大きな手のひらが乗って、髪を撫でた。
たったそれだけで、僕の口から情けない命乞いが出ていた。
「こ、殺さないで……」
「待て待て。落ち着けよ。悪かった。驚かせるつもりはなかったんだよ」
「お願い……お願いだから、やめて……」
「大丈夫だって。ほら。立てるか」
「こっちに来るなぁ。化け物ぉ……」
「化け物よばわりはねえだろ。ったく、しょうがねえなあ」
「ひゃっ」
そいつは僕を腕に抱えて、軽々と持ち上げた。
「は、放せ」
「暴れるなって。家どこだよ。送ってくからさ」
「やめろぉ。放せってば」
僕は必死にもがこうとしたが、相手の体にまとわりつく異界の力からくる圧のせいで、手足が強張ってしまっていた。
結果、そいつにお姫様抱っこされたまま、僕は体を丸くして縮こまることしかできなかった。
「怖がらなくていいって。俺はファング。ハンターだ」
「ぼ、僕だってハンターだぞ」
「え? マジで?」
「…………」
「こんな時間に、このあたりをうろつくハンターなんて一人しかいない、とは聞いてるけどよ。まさか……?」
僕はそれ以上、しゃべるのをやめた。
こいつとは、口を聞きたくない。
理由はわからないけれど、僕を殺すつもりがなさそうだということは理解できる。
あきらかに人とは思えない力を持ちながら、人間のルールに従って生きているらしい。
だけど、これ以上こいつとかかわるのは危険だと本能が強く訴えてくる。
「そうか。おまえもハンターか。まさか、こんな小さな女の子がなあ」
「ぼっ、僕は男だ!!」
「えっ?」
とっさに言い返してから、後悔した。
「いや、その。すまん。暗かったから、コートがスカートみたいに見えちまってさ。色白で髪も長いし、それで……いや、そうじゃないな。ごめん。勘違いして悪かった。許してくれ」
謝ってきたけど、僕は無視した。
もう口を開くのも嫌だ。
そう思っている僕の都合など、おかまいなしに話が続いた。
「おまえ、名前は?」
「おまえじゃない」
「だから、名前ぐらい教えてくれてもいいだろ。こっちは名乗ったんだぜ」
「……ミララメラ」
「そうか。俺、この街に来てからの知り合いが女しかいなくてさ」
なんだそれ。
自分がモテるとか、自慢でもしているつもりなのか。
「男の知り合いは、いても年の離れたやつばかりなんだよ。同業者に至っては、ろくに口を聞いてもらえなくてな。だから……」
ひどく言いにくそうにためらってから、やつは大声を出した。
「俺と、友達になろうぜ!」
「絶対に嫌だ!!」
もうやだ、こいつ。
絶望感やらなにやらで頭の中がこんがらがって、また涙が出そうになってきた。
今夜は、一万年も生きてきた中で―――最悪の夜だ。
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一人称の練習で書いています。
読みにくい部分が多く、たいへん申し訳ありません。
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・校正をなさってくださる方へ
お手数ですが、ご指摘等をなさっていただく際には、下記の例文にならって記載をお願いいたします。
(例文)
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>~(←ココに修正箇所を引用する)
この部分は、(あきらかな誤用orきわめてわかりにくい表現or前後の文脈にそぐわない内容、等)であるため、「~(←ココに修正の内容を記入する)」と変更してみてはいかがでしょうか。
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以上の形式で送っていただければ、こちらで妥当と判断した場合にのみ、本文に修正を加えます。
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