E.まだ生まれる前のサラサンディー
トッ、と壁にたてかけたダーツボードにダートが刺さる。
教会の裏庭と隣り合わせになった、養護施設の宿舎。
ふたつの建物の間には、三メートルの幅がある。
そこは裏路地みたいな細さで、土臭くて、めったに誰もやってこない。
近くに植えられたカエデの落ち葉が積もった狭い庭は、あたしのお気に入りの場所だった。
壁際の段差に腰掛けたまま、あたしはひたすらにダートを投げた。
投げる。
当たる。
投げる。
当たる。
投げる。
当たる。
ダートはあたしの狙ったところに当たってくれる。
すごく、楽しい。
五歳のあたしの思い通りになるものは、この世界でこれだけだ。
あたしは、不幸な子供だった。
親のいないあたしには、クリスマスプレゼントだってない。
サンタの仮装をした教会のボランティアが渡してくれたクマのぬいぐるみだって、ただの物にすぎない。
あたしは、それを他の女の子がもらったクレヨンのセットと交換した。
十二本入りのクレヨンを今度は男の子たちに一本ずつ渡して、かわりにカラプルなバッヂを手に入れた。
バッヂを手に入れたあとシスターから借りた工作用のニッパーで、ピンだけを切り取り、細い鉛の棒の先端にテープで固定する。棒の反対側の端には、施設の庭で拾った鳥の羽をつけた。
それから倉庫にしまってあった古ぼけたダーツボードを手に入れたあたしは、あのクソ忌々しい讃美歌やガキ臭いお遊戯以外の自由になる時間は、ずっとこれをやっていた。
手元のダートを投げつくした。
あたしは的からそれを抜いて、また元の位置に戻った。
投げる。
当たる。
投げる。
当たる。
投げる。
当たる。
すごく、楽しい。
一日中だって、ずっとやっていられる。
誰かに邪魔さえされなければ。
「おはよう! おはよう!! こんなところにいたのね、メイプル! メイプル、いた!!」
路地のはずれから、騒がしいやつがやってきた。
そいつはあたしの横に座った。
「お姉さんの名前、おぼえた? メイプル、もう覚えた?」
「うん」
そいつは目をキラキラ輝かせて、あたしの返事を待っていた。
「マリア」
「ええー!! 違うよぉ、違うってばぁ。ぜんぜん違うぅ」
「ごめん。おぼえてない」
あたしがばつの悪い表情を見せると、そいつはニッコリ笑った。
「ニーナだよ、ニーナマンディー。ニーナでも、ニーナマンディーでも、好きな呼び方して。メイプルが好きなように呼んでね。自由に呼んでいいよ!」
「ニーナ」
「なぁに? なぁに、メイプル? 今、私の名前、呼んでくれた! 呼んでくれたよね!!」
「うん」
「何かな~? 何かなー? なんなんだろ? まさか、私に用事があったとか!?」
「呼んだだけ」
「そっかぁ!! ちゃんとおぼえてくれたんだね。えらい、えらい」
ニーナが私の頭を撫でた。
そうして、別れ際にはぶんぶんと大きく手を振ってくれた。
「来週、また来るから! 私ね、ボランティアだから!! ボランティアっていうのは、えーと……ここでね! ここのお手伝いをしてるの!!」
ニーナは大学生だった。
それから毎週、日曜日になると教会にやってきては、そのたびにあたしのいるところに顔を出すようになった。
あたしは最初、ニーナのことをただのおせっかい焼きだと思っていた。
けれど、それは違っていた。
端末でダーツの世界大会を見せてくれたり、私が行ったこともない街の名所の話をしてくれたり、彼氏とデートしたとか自慢話をうざがる私に聞かせたがったり、たくさん、たくさん―――意味のない話をたくさん聞かせてくれた。
ニーナはめんどくさいやつだったけど、あたしの好きなものを決してバカにしたりはしなかった。
だからあたしは、いつのまにかニーナと仲良しになっていた。
ニーナは大学を卒業しても、教会のボランティア活動を続けた。
最初に会ったときから三年ぐらいしてからも、ずっとだった。
「おまえ。バルセラのところのガキか」
ニーナが彼氏と行ったというバーに、一人でやってきたあたしは、痩せぎすのバーテンダーにそうたずねられた。
バルセラというのは、教会にいる一番偉いシスターの名前だ。
どうしてこいつが、いつもしかめっ面をしているあのクソババアの名を知っているのだろうか。あたしには、その理由がわからなかった。
きっと、つげ口される。
ごまかしが効かないと踏んだあたしは、正直に答えた。
「そうだよ」
「そうかい。んで、こんなところに何しにきたんだ。悪いが、軽く一杯ってわけにはいかないぜ」
「働かせて。ここで」
「ここにはガキにやらせる仕事はねえよ。さっさと失せな。お嬢ちゃん」
あたしは店の入り口に立ったまま、手製のダートを投げた。
店の奥にあるダーツボード、その中心にある黒い部分にダートが刺さった。
そのまま右手と左手で、交互に投げた。くるりと半回転してから肩越しに背面投げをキメたあと、最後はハンカチで目隠しをしてから投げてやった。
五本のダートはすべて、同じ場所に刺さった。
あたしが目隠しをはずすと、バーテンの目の色が変わるのがわかった。
「この店のどこにいても当たる。八百長だって、できる」
あたしは相手の反応を待った。
長い沈黙が続いた。
施設に連れ戻されて、シスターのお説教をくらうところまで覚悟したところで、バーテンが口を開いた。
「オーケィだ。おまえをここで使ってやる。ただし、もらったチップの取り分は、そっちが三割、こちらが七割もらうからな」
「山分けにして」
「四割だ。あんまり欲張ると、シスターにチクッちまうぞ」
「チッ……」
舌打ちしたあたしに、バーテンが苦笑いを向けてきた。
「おたがい賢く生きようや。バルセラの姉御に知られたら、俺たち二人まとめてクーゲートブリッジから吊るされて魚のエサにされちまうぜ」
「シスターのこと、なんで知ってる?」
「この界隈で、あの女の言うことに逆らうやつなんていねえよ。おまえもここで働くつもりなら、そのぐらい覚えとけ」
バーテンは真面目な顔で、そう言った。
それからあたしは、ダートの賭け試合でいくらか小銭を手に入れられるようになった。
夜になって施設を抜け出したあたしが、バーに行ってカウンターのすみっこでグラスを磨く。
そうしているうちにカップルが店に訪れると、女が席を立ったときを狙って、バーテンが男に声をかける。
その誘い文句は、
『お客さん。お連れの美人の前で、いいところを見せたいと思いませんか?』
とか、そんなふうにだ。
そうしてダーツの賭け試合が成立すると、どうしても勝ちたいという客を狙って、八百長をふっかける。
この場合、掛け金そのものは見せ金だ。かわりに、試合が始まる前に割増しの参加料をもらっておく。
たいていの客は相手があたしだとわかると、とたんに自信がつくらしく、通常の参加料で勝負を挑んでくる。
それであたしが勝てば、こちらの丸儲けだ。言うまでもなく八百長で負けるときは、あらかじめ割増しで参加料をもらっているから、その分が利益になる。
そして、あたしは普通の勝負のときは一切の手加減をしないし、一度も負けたりすることはなかった。
そんな仕組みだから、胴元は絶対に損をしない。
おかげであたしの稼ぎは、だんだんと増えていった。
一年もしないうちに、そこそこの貯金ができた。
家賃を払ったり、高級車を買えるほどの稼ぎではなかったけれど、着るものと食事ぐらいは不自由なく、いつでも好きなものを買うことができた。
その金で、あたしはナイフを買った。
酔っぱらったケチな客が普通の勝負で負けたあと、たまにゴタゴタを起こすからだ。
そういう連中にもにらみが効くように、暗い色のメイクを施し、髪を紫で染めた。
それからブーツもパンツもビスチェもジャケットも、ゴツゴツした金具のついたレザーで揃えた。そうすると、チビでひょろひょろのあたしでも、多少は格好がついた。
その買い物の帰り道の途中、道端で声をかけてくるやつがいた。
「メイプル!! メイプル! 元気? 元気にしてた! 起きてる!! 起きてるの、メイプル! 私の声、聞こえてる?」
大きくなったおなかを手で支えるようにして、ニーナがやってきた。
「メイプル、あのね! あのね、私ね!! 結婚するの!」
「うん」
「もうすぐ!! もうすぐ、赤ちゃん! 赤ちゃん生まれるから!」
「今?」
「今じゃないよっ。でもね、きっとね。天使みたいな!! かわいい子!」
ニーナは、あいかわらずだった。
明るくて、元気で、あたしよりもたくさんのことを知ってて―――
あたしよりも、ずっと幸せそうだった。
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一人称の練習で書いています。
読みにくい部分が多く、たいへん申し訳ありません。
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・校正をなさってくださる方へ
お手数ですが、ご指摘等をなさっていただく際には、下記の例文にならって記載をお願いいたします。
(例文)
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>~(←ココに修正箇所を引用する)
この部分は、(あきらかな誤用orきわめてわかりにくい表現or前後の文脈にそぐわない内容、等)であるため、「~(←ココに修正の内容を記入する)」と変更してみてはいかがでしょうか。
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みだりに修正を試みることなく、校閲作業者としての節度を保ってお読みいただけると幸いです。
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