24.狭い通路に隠れようぜギリー
全力で走っているうちに追ってくる五本牙との距離は、かなり開いていた。
俺は走りながらギリーに言った。
「無線で応援を呼んでくれ。このままじゃ、ずっと追いかけっこだ」
返事はなかった。
「おい。ギリー、聞いてんのか」
「……あ?」
ギリーは戦場で地獄を見てきた兵士みたいな目で俺をにらんだ。
正直、ちょっとこえーよ。
トニーのことで、そこまで自分を追いつめているのだろうか。責任感の強そうなタイプは、これだから困ったもんだ。
「その……あまり、自分を責めるな。トニーのことは、おまえのせいじゃない」
「あんたは、もっと自分を責めなさいよ」
ギラつく太陽みたいにトゲトゲしい口調だった。
俺、そんなに責められるようなことしたおぼえがないぞ。
などと思ったとき、ちょうど前方の建物に穴が開いてるところを見つけた。
「ギリー。あそこに……」
「行くなっ!!」
「あ、はい」
噛みつきそうな勢いで怒鳴られて、俺は考えていた計画の変更を余儀なくされた。
「こっち!!」
ギリーに言われるまま、建物の角を曲がる。
「きっとここなら安全よ!」
曲がり角の先にあった細い通路の奥に、ギリーは踏み込んでいった。
「ほら見なさいよ。この木箱の影とか、隠れるのにちょうどいいでしょ。ねえ」
「わかったから静かにしろって」
彼女が言うとおり、そこに大きな木の箱が置かれていた。
俺たちは箱の影に身をひそめ、五本牙が通り過ぎるのを待った。
「ねえ。あいつ、止まってない?」
ギリーが小声で言った。
俺たちが隠れた通路から見える位置まで来たところで、牙獣は動きをピタリと止めていた。
そして、そこから―――まったく動かなかった。
「なんなのよ。あいつ」
「シッ。音をたてるな」
「うぅー」
俺たちは息をひそめて待った。
しかし、五分たっても、十分たっても、五本牙はまったく動く様子がなかった。
「うー……」
「どうした」
ギリーがしきりに低いうなり声をもらすので、俺は問いかけた。
「もう少しだ。落ち着いて待つんだ」
「そんなこと言ったって、ここ寒いんだからしょうがないでしょ」
自分の体を抱くようにして、ギリーは身震いする。
たしかによく晴れているとはいえ、ここはちょうど建物の影になっているせいか、だいぶ温度が低い。風が吹き抜けると、涼しいというよりも、寒いくらいに感じる。
もちろん、上着を部分的に切り裂かれているなら、なおのこと体温が下がってもしまうに違いない。
「あんたの上着、貸しなさいよ」
「やめろって。服を脱ぐ音で気づかれでもしたら、どうするんだ」
俺はジャケットの裾をつまんでみせた。
「いいか。まず、上着の裾を結ぶんだ。外気に触れる肌の面積が減るだけで、だいぶ違う。それから、ベルトをはずせ。そっとだぞ」
「ベ、ベルトはずさせて、何するつもりなのよっ」
「そのままじゃ、ズボンがずり落ちるだろ。バックルの音が鳴らないようにはずせよ」
「バックルなんて、切り落とされてるわよ」
「それなら好都合だ。ベルトをはずしたら、まず腰の両脇あたりのループを通して……」
「右? 左?」
「どっちでもかまわん。通したら、ベルトを腹のほうに回して、半分に折って反対側のループをくぐらせて……そう。そんな感じだ」
俺はベルトが切れた場合の応急処置をギリーに教えた。
ようするに、短くなったベルトで腰の半周分だけを使って、両サイドのループでたるみをしぼる方法だ。ベルトが切れるなんて、めったにあることじゃないから、覚えておいてもそんなに役には立たないが。
ギリーは音をたてないように注意しながら、どうにか切られた服とベルトを整えた。
「よし。これで服は大丈夫だな」
「う、うん……あ、あ、あり、ふぁ……」
何か言おうとしたギリーが、ふいに大きく息を吸い込んだ。
くしゃみが出る。
それを察した俺は、ポケットからハンカチを取り出してギリーの口に被せた。
「ぶひっ」
音がこもっているせいか、豚の鳴き声みたいなくしゃみだった。
「ふがふが」
「くしゃみは、もう出ないか?」
「うーうー」
「そのハンカチ、やるから。腹が冷えないようにあてておけ」
「べべ、別にいらないわよ。こんなのっ」
「シー」
「……ごめん」
俺が静かにするようジェスチャーを見せると、意外と素直な声が返ってきた。できれば、いつもそうしてくれているといいんだが。
それにしても、五本牙のやつはさっぱり動く様子がない。
そろそろ他の連中も、この状況に気づいてもらえないだろうか。トニーのことだって、手当てが必要な状況だから、いいかげん助けに行きたい。
危機感を抱く俺の横で、ギリーがぶるっと身震いした。
「ううぅ~」
「なんだ。まだ寒いのか」
「な、なんでもない」
「ガマンしろ。やつに隙ができたら、そのときがチャンスだ」
俺は声をひそめて、辛抱強く言った。
けれども、ギリーの震えはぷるぷると小刻みなものとなり、痙攣でもしてるかのようになった。なんらかのショック症状だろうか。
「と、トイレ……行きたい」
「その場で漏らせ」
「なっ……!?」
きっぱりと言いきった俺に、ギリーが驚きに目を瞠る。
戦闘状況下での排泄問題なんぞ、いまさら語るまでもない。死ぬくらいなら漏らせ、以外に言うことなどない。命が優先だろ、命が。
「う、うぅぅぅ~」
「こら。静かにしろって」
ギリーが身悶えし始めた。
「落ち着け。その……素数とか、数えてみたらどうだ」
「あ、あんた、あたしのこと、バカに、してんの」
彼女の顔がひきつっている。
口の端がつり上がるほど、歯を強く噛んでいるようだ。そんなふうにしてしゃべっているものだから、口調が切れぎれになっていた。
「だから、その場で漏らしちまえって」
「い、嫌よ。この変態!!」
「静かにしろって。んじゃ、あっち向いてるから、そのへんで済ませちまえって」
「そ、それも嫌ぁぁぁぁぁ。あうぅぅぅ……」
尿意をこらえすぎてか、ギリーの顔色はみるみるうちに青白くなっていく。
「うぅぅぅ、くぅ、うぐぐ……」
「頼むから。静かにしろって」
「あうぅ。もっ、もう無理ぃ……げ、んかい……」
そのとき、五本牙がゆっくりと動き出した。
黒い霧の塊が、進行方向を逆にして戻っていく。
まずいことに移動先は、俺たちがやってきた方向だ。
「あ、ああ、あああ、ダメ、ダメ、ダメ……いや、いや……いやぁぁぁ……」
背後から、ギリーの絶望的な嘆きが響いてきた。
「ギリー!! まずい。やつが動いた。ここのまじゃ、トニーが……」
俺が振り向いた瞬間、拳が飛んできた。
「こっち見んなバカぁーっ!!」
「コハッ……!?」
殴り飛ばされた俺は、五本牙の前まで転がった。
黒い霧の表面に、銀色の輝き。
「あ」
手遅れ、だった―――。
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一人称の練習で書いています。
読みにくい部分が多く、たいへん申し訳ありません。
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(例文)
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