B.廃工場のファングとマーガレット
廃工場の敷地と隣り合ったビルの上。
屋上に立ったあたしは、防塵用として被せている眼帯をめくった。
右目を閉じると、普段は熱源感知と時刻表示にしか使っていない機械の目が、視界にズームをかけた。
廃工場の一点、そこを走り抜けていく人影が拡大されていった。
「お。いたいた。うまく逃げてるみたいじゃねえの」
ファングぼうやは、FBCUの女性隊員と一緒にいた。
もう一人いた男性隊員は牙で刺されたらしい。それをかばうために、発砲して五本牙の注意を引きつけたようだった。
「そのまま、うまく逃げてくれよ」
走る二人を見ながら、ふと呟きが漏れた。
ここまでは順調だ。
今までどおり、うまくいっている。
事の起こりは半年前―――何回目の半年前か、までは覚えていないんだが。
事務所に電話がきた。
マーガレットが出払っているときだったから、あたしは一人で仕事に出ることにした。
警察からの連絡によると、とある会社の社屋内に牙獣が出たとのことだった。
そこはホワイトテック社という、人工義肢パーツのプランニングを中心とした、生活補助機械の設計を行う企業だった。
まあ、この街では知らない者はいない大企業だ。
もしかしたら、通常の報酬以外にも礼金ぐらいもらえるかもしれない。
そんなわけであたしは、スピード違反確定の速度でバイクをかっ飛ばした。
現場に到着したときには、すでに警察がいた。
「オセロット。またてめえか」
「どーも、どーも。お仕事ゴクローさまっすぅ。おーまわぁりさぁん」
顔見知りの巡査部長が渋い顔をするものだから、あたしはいつもの笑顔で愛想を売った。
「さっさと通れ。避難はすでに終わっている。中には誰もいねえが、金目のものに手を出すんじゃあねえぞ」
「あー、そりゃいいね。ここのは高く売れそうだぁ」
「手ぇつけんなって言ったろ。そんときゃ、てめえをしょっぴぃてやるからな」
「そう言わないで、いつもみたいに山分けしましょうよぉ。旦那が七割、あっしが三割でどうでがす?」
周囲の連中に聞かせるため、これみよがしの大声を出してやった。
巡査部長の口は、への字になっていた。そのすぐそばにいた、おっぱいの大きな新人っぽい婦警が、クスクス笑っていた。
「冗談言ってないで、さっさと行け」
「へいへい」
「先に四人、入ってるぞ」
「誰? おっさんの知ってるやつ?」
「いいや。新顔だな。悪い予感がする」
おっさんの予感は的中した。
ただし、死体は五つあった。
「どういうことでしょうねぇ、これは」
と、その瞬間だった。
視界が暗くなり、誰かの笑い声が聞こえた。
「冗談言ってないで、さっさと行け」
「あれ?」
あたしはついさっきの、おっさんの横を通り抜けようとした時点に戻っていた。
とっさに左目の時刻表示を確認した。
時間が巻き戻っていた。解せぬ。
「おい。聞いてるのか。先に四人、入っていったぞ」
「あ、ああ。うん」
「新顔みてえだ。嫌な予感がするから、急いで行ってやれ」
という、やりとりを五回ぐらい繰り返してたら、状況が変わった。
「う、うぅ……誰か、助けて……痛い、痛いよ」
開け放たれた扉のむこうから、うめくような声が聞こえてきた。
そっと中をのぞくと、前回まで私が倒していた三本牙の姿はなかった。
かわりにデカい銃と、へし折れた指から血を流しているガキが床に転がっていた。
この変化に、どういった意味があるかはわからなかった。
あたしはガキをその場に残し、気づかれる前に廊下の先を進んだ。
「冗談言ってないで、さっさと行け」
はい、元通り。
何回やっても、あのガキはあたしの前に現れた。まるで銃の弾丸をリロードするみたいに、同じ状況が繰り返されるのだ。
それから何度目かの繰り返しで、またガキに変化があった。
「ハァ、ハァッ……ハァ……」
あのゴツくてデカい大砲みたいな銃をぶっぱなしても、ケガはしていないようだった。息を乱してはいるが、会話ができる程度には冷静なようでもあった。
そこからが大変だった。
あたしは、そのガキを連れて、ひとまず入り口に戻ろうとした。
すると、途中で現れた牙獣に襲われて、ガキが死んだ。
「冗談言ってないで、さっさと行け」
そしたらまた、リロードされて逆戻り。
どれだけ繰り返しても、足手まといのガキを警察に保護してもらうという、あたしの目論見がうまくいくことはなかった。
しょうがないので、あたしはそのガキを連れて奥に進んだ。
さっさと仕事を終わらせて、こいつの死ぬ要素を排除すればいいことに気がついたからだ。
けどまあ、このガキ、そのあともポロポロ死んだ。
あたしの視界からはずれると、とたんにすぐ死ぬ。銃のマガジンを交換している隙に死ぬ。後ろに下がらせていても、背後から迫ってきた牙獣によって死ぬ。ほっとくとうっかり火災報知器を作動させて、消火剤まみれの中で牙に貫かれて死ぬ。階段の踊り場から下をのぞきこんだら、上から降ってきた牙獣の牙で頭ぶっ刺されて死ぬ。廊下を移動中にでくわした牙獣が崩した床から、足をすべらせて死ぬ。三本牙の群れに囲まれて、撃ってる最中に死ぬ。
―――とにかく、見てるこっちがあきれるくらい死にまくった。
おかげであたしは、こいつから目が離せなくなった。
あたしはあんたのママじゃねえんだぞ、と怒鳴りたい気持ちをこらえて、この頼りないガキが死なないよう気を配りながら先に進んだ。
救いはひとつだけあった。
こんなことが続けられたのは、こいつが死ぬたびに確実に強くなっていったからだ。
暗がりを警戒するようになった。
銃の狙いが正確になった。
敵を撃つときは正面じゃなく、できるだけ死角から狙うようになった。
自分で残弾を把握し、あたしと再装填のタイミングをずらすようになった。
あなた強くなったのね―――ママ、嬉しいわ。
そんな言葉が思わず、出てきちまいそうになる成長ぶりだった。
けどまあ、強くなったせいで死ぬなんてこともあった。
だいたい誰が、最初に出会った手術室の中で、そこらじゅうに牙獣がうようよしている危険な状況なのに部屋の明かりを消して、眼帯めくってあたしの義眼のことをあらかじめ教えておかないと、こいつが死ぬなんて想像できるんだ。
動きがよくなったせいで、あたしの死角をカバーしようとする位置取りしたから牙獣にやられるとか、普通は考えないだろ。責任者出てこい。
しかも、あれだ。
三本牙の群れをどうにか始末したところで、やつが出てきた。
そいつがどうにも倒せない。
何度も戦っているうちに、今度はガキだけじゃなくって、あたしもぶっ殺されるようになる始末だった。あたしが完全に息絶える前に、あのガキも同じ運命を辿ったけど。
「冗談言ってないで、さっさと行け」
それでもまた、リロードされる。
どうやらあたしは、このガキと一蓮托生の運命を背負っちまったらしい。
いいぜ―――ママ、がんばっちゃう。こいつはやりがいのある仕事だぜ。
しかしまあ、何事にも限界がある。
今の装備じゃどうしても、やつを倒せない。
それを察したあたしは、二番目の得意技を使うことにした。
三本牙の群れをある程度まで減らしたところで、そのあとに控えているはずのやつが出てくる前に逃げの一手を繰り出した。
窓のガラスをぶち破って、三階の高さから傾斜のついた建物の壁面を駆け降りるという方法で。
もちろんそれも、クッションとなる車の位置を把握するまで、三、四回は繰り返すはめになったのだが―――あんなの、二度と―――いや、五回目は御免だ。
どうにか外に出たあたしは、ようやくやってきたFBCUに後を任せ、ガキを巡査部長に押しつけて、長かった夜を終わらせようとした。
「冗談言ってないで、さっさと行け」
最悪だ。
三階からの六回目のダイビングが確定した。
どうやら運命ってやつは、マジであたしをママにしたいらしい。
そう。このガキを手放そうとすると、それだけでリロードがかかるのだ。
仕方ないので、あたしは警察の目を盗んでガキを事務所まで連れ帰った。
んでもって、そんときお姉さんちょっとムシャクシャしてたもんだから、こいつを寝室にひっぱり込んで軽くひと汗かかせてやったわけよ。
「冗談言ってないで、さっさと行け」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……。
今のはさすがに、あたしが悪かった。反省した。
それから半年―――いろいろあった。
最初のうちは、つきっきりでハンターとしての仕事を教え込んだ。
しばらくするうちに、あいつもそこそこ仕事に慣れてきた。
そのうちに、あたしが一緒にいないほうがリロードが起きない日も、だんだんと増えていった。
なので、試しにあいつに一人で仕事をさせてみることにした。
おかげであたしは、つらい労働の日々から解放された。
そのときは、手のかかるガキをやっとのことで幼稚園に放り込んだ母親、みたいな気分になったもんだ。
リロードのほうも、だいぶ落ち着いてきた。
戻る時間も一日前とか、二日前の朝ぐらいになっていた。あいつが無事に過ごした翌日、あたしが目を覚ましたタイミングから、やり直せるようになっているって寸法だ。
回数自体は減っていたから、あたしが見ていないところでもあいつがうまくっている、ということだった。
それでもリロードがかかるときはあった。
そういうときは、あいつが仕事中になんかポカやらかしたってわけだ。もちろん、あたしの知らないところで。
そういうときには手の出しようがない。
どうすりゃいいのかなんてわからないが、あたしはわからないなりに対策した。
たとえばあたしがシャワーを浴びたあと、素っ裸でうろついてリタに出前の配達を注文する。そうするとひと悶着あって、あいつはヘレンのキャンディストアで朝飯が食えなくなり、別の場所をうろつくことになる。
すると、リロードは起きない。
あたしの時間は、翌日に進む。
おそらく、あいつが行くはずだった場所に行かないことで、まずい出来事を回避できるようになるのだろう。たぶん。
そうやって、だんだんとあたしはコツをつかんでいった。
あいつが帰宅する前にベッドに忍び込んで全裸で寝てたのも、ちゃんと理由があるわけだ。翌日のやつの出勤時間をずらすとか、そういう目的が。
あいつは、たぶんあたしのこと露出癖の持ち主だ、と思ってるはずだ。ちょっとドキドキさせてもらったから、まあ別にいいんだけど。
そんなわけでファングぼうやがうちに来てから、あたしは大忙しだ。
マーガレットにしてもそうだ。
ファングを働かせてからしばらくしたところで、マーガレットはそれまで続いていた、あたしとのコンビをいきなり解消して独立しやがった。
おまけに、あのフリフリのドレスからセクシー路線に服装を変えた。まったく似合わないこと、このうえない格好だった。
おそらくマーガレットなりに、何かに気づいたのだろう。
もしかすると、マーガレットもあたしと同じ状態になっているのかもしれない。
そのことは一度、本人に聞いてみようとしたことがある。
その目論見は失敗に終わった。
あたしが誰かに話そうとしただけで、リロードが起きてしまうからだ。
腹立たしいことに、誰かと秘密を共有することはできない仕組みになっているらしい。意地の悪いところだけ、税務署みたいによくできていやがる。
けどまあ、マーガレットとあたしは長年コンビを組んできた関係だ。
言わなくたって、何を考えているかはだいたい想像がつく。
マーガレットは性格がちょっとアレだが、一緒にケンカをするときにあれほど頼れるやつはいない。もしかすると、あたしの読みとは違って、本当にさっぱりわかってない可能性もあるけれど。
「何やってんだ、ペギー」
肝心のマーガレットは、敷地内のはずれをうろうろと歩き回っていた。
ときおり立ち止まってはあたりを見回し、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、また足を止めて、キョロキョロと周囲を見回していた。
完全に、道に迷っている人間の動きだった。
「そういうやつだよ。おまえは」
あたしは手を右目の上に覆いかぶせて、自分で事態をどうにかしたい気持ちをこらえた。何のために、今日ここに来るように頼んだと思ってるんだ、あいつは。
今日はまだ、あたしが動くわけにはいかない。
そのことは前回のリロードが起きる前に、よく学んでいた。
「こんなんでこの先、やってけるのかねぇ」
今のあたしには、不安しかなかった。
いくらか先の展開を知ったところで、人生に悩みは尽きないものであるらしい。
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一人称の練習で書いています。
読みにくい部分が多く、たいへん申し訳ありません。
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・校正をなさってくださる方へ
お手数ですが、ご指摘等をなさっていただく際には、下記の例文にならって記載をお願いいたします。
(例文)
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>~(←ココに修正箇所を引用する)
この部分は、(あきらかな誤用orきわめてわかりにくい表現or前後の文脈にそぐわない内容、等)であるため、「~(←ココに修正の内容を記入する)」と変更してみてはいかがでしょうか。
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