10.マクリントン通りのセヴェラ
日が沈みそうな時間になっても、俺はせこせこと勤労に勤しんでいた。
病院でよけいな時間をくっちまった分、自主的な残業に励む。たいして稼ぎのない日だったから、このままじゃ食費どころか家賃すら払えなくなっちまう。
そういうわけで、俺はバイクを飛ばしてマクリントン通りを進んでいった。
昨日、ケインズから教わった情報にあった三か所。
そのうちのひとつはホリデーパークスクエアで、残りのふたつのうち、もうひとつがここだ。
「さて。到着、っと」
俺はバイクを止めて、人気のないストリートをぶらついた。
アパートメントが立ち並ぶ通りは、すでに薄暗い。ときおり、家路を急ぐ人の姿があるだけで、たまに見かける店もシャッターを下ろして営業時間の終了を継げていた。
ビルの隙間の暗がりに、俺はチラチラと目をむける。
牙獣が潜んでいるのは、そういう場所だ。
やつらの本体は、黒い霧の塊にしか見えない。なんの変哲もない、どこにでもあるありふれた暗闇が牙獣にとっては有利に働く。
天然の迷彩。
それこそが、やつらの牙を最大限に生かす、二番目の武器となる。
夜は危険だ。日没後の活動がハンターの負傷や、死亡の原因を占める大半となっているぐらいには。
もちろん誰だって管理局の入り口にある、本日の負傷者数ボードを飾る数字になるつもりはないだろう。
しかしまあ、俺のように経済的弱者には選択の余地がない。
てなわけで、出発。闇のむこうにゴー、ってなもんだ。
ハンティングを始めようとした、そのとき―――。
アパートメントの前に、少女が一人、座り込んでいるのが目に入った。
おいおい冗談じゃないぞ。
いくら犯罪が減ったとはいえ、この街で子供を一人歩きさせるなんて、まともな親なら絶対しないはずだ。
座り込んだ少女がいる建物の前までさしかかったとき、俺は声をかけた。
「もう暗いぜ。はやく家に帰りな」
それだけ言って、通り過ぎる。
本音を言えば、きちんと家に帰るまで確かめたいところだが、昨今の事情としてはそうもいかなかった。
誰かに見とがめられて、声をかけた俺のほうが不審者扱いされてはたまらない。もし俺がそんなめにあって、ジョンジーのやつに知られでもしたら、あいつきっと腹かかえて転げまわるぜ。
そういうわけで俺は足を速めて、その場から立ち去ろうとする。
が、背後から小さな足音が追ってきた。
「待って」
振り向くと、パンダの人形を抱いた少女が、俺の上着の裾をちょいとつまんでいる。
少女はもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「待って」
「何か用かい」
俺はしゃがんで彼女にたずねた。
「お友達が、あなたに話があるって」
「ほう。お友達ってのは、そのパンダのことかな」
少女が首を振る。
腕にしっかりと抱かれたぬいぐるみは、そこらじゅうに縫い目が走っていた。
どうやらこれまで、かなりの修羅場をくぐり抜けてきたらしい。見た目にそぐわぬ武闘派のパンダである。なかなか頼もしいやつだ。
「お友達はね、お空の上にいるの」
「空?」
俺は頭上を見上げる。
空はすでに青さを失い、紫から藍色に変わりつつあった。
「あの子ね。すごく、すごく、さびしいんだって。ずっと、ずっと、一人なんだって」
俺は黙って彼女の話を聞いた。
「だから、私。あの子のお手伝いしてるの」
「お手伝いってのは?」
「お友達がね、あなたに、気がついてもらえない、って」
「俺に?」
「そう。だから、私。かわりに、あなたに声をかけたの」
「ふむ」
さっぱりわからん。
これはあれか。
思春期の少女にありがちな幻想とか、そういうのか。
はたまた両親の虐待に耐えかねて、とか。いやでも、手足の肌が見えているところに外傷はないし、その他の健康状態にも問題なさそうだ。
しかしまあ、この子のイマジナリーフレンドとやらをいないことにしてしまうのも、大人げないというものだ。
「お友達は、俺に何か言いたいことがあるのかな」
少女が、こくんと頷く。
「よかったら、お友達が言ってることを俺に教えてくれないか」
そのとき、どこからともなくカカカッ、カカカッ……と鉄で地を打つ軽快な音が、俺の耳に飛び込んできた。
「逃げて」
小刻みに続く蹄鉄の響きが、俺の背後から迫ってくる。
「あぶないから、逃げて、って。ここから逃げて、って言ってる」
俺はゆっくりと息を吐いた。
「あぶないのは、お嬢ちゃんのほうだぜ」
「私?」
「そうだ。いくらお友達に頼まれたからって、こんな時間に一人で外に出ちゃいけないぞ」
少女がうつむいた。
「わかったら、すぐに家に帰るんだ」
「わかった」
「いい子だ。俺も、そのお友達とやら言うとおりにする。だから安心しろ」
俺の言葉に、彼女は納得してくれたらしい。
くるりと背を向けて、アパートメントの入り口に走っていく。
階段を上がりきってドアの前まで来たところで、少女が振り返った。
「私、セヴェラ」
「おやすみ。セヴェラ」
「この子は、バラガン」
そう言って、人形の腕をつかんでぶんぶん振る。
俺は手を振り返して、笑顔で言った。
「頼んだぞ、バラガン。俺のかわりに、セヴェラをベッドまで送り届けてくれよ」
セヴェラの小さい手が、パンダの後ろ頭を押して頷かせる。
「バイバイ」
別れを告げたセヴェラの姿が、扉のむこうに消えた。
「さて、と」
立ち上がった俺の耳は、不気味な馬蹄の響きをとらえることはなかった。
あれは、いったい何だったんだろう。
そもそも、こんなところに馬なんぞいるはずがない。というか、いまどき馬に乗るやつなんて、さすがにこの街でも見たことないぞ。
だとすると、幻聴だろうか。
実際に俺の自動防衛装置も作動しなかったし、誰かが近づいたというわけでもなかろう。現実には何も起きていないのだから、気のせいで済ませるしかない出来事だった。
俺は路地の暗がりに目を向ける。
セヴェラと話していたほんのわずかな時間だけで、あたりの闇は濃さを増していた。
「帰るか」
すっかり勤労意欲を削がれた俺は、今日の仕事を切り上げることにした。
あ。いかん。
事務所に戻る前に、ドライヤーを買わないといけないんだった。
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一人称の練習で書いています。
読みにくい部分が多く、たいへん申し訳ありません。
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