プロローグ
プロローグ
バシャッ……!!
水のつまった風船をトラックが踏み砕くと、こんな音がするだろうか。
ただ、異なる点がふたつある。それが風船ではなく、人間であったことだ。
そして、そいつはトラックでもなかった。
空中に浮かぶ、真っ黒い霧の塊。
その霧から生えた鋭く細い銀色の牙が、憐れな犠牲者の体を貫いていた。
おそらく避ける暇さえなかったのだろう。
霧はすさまじい速さで牙を繰り出し、武器を持った男を一瞬であの世に送った。目にも止まらぬ動きは、野生の獣そのものだった。
おそろしく―――速い。
強さに直結するシンプルな要素が、俺に恐怖を感じさせた。
見たこともない白い部屋。
手術室を思わせる、さまざまな器具の置かれた空間だ。
そこで俺が目を覚ました直後、数人の男たちが部屋に飛び込んできた。
直後、銃声、金属のぶつかる音、怒号と悲鳴。
俺は本能的に自分が寝転がっていたベッドから、転がるようにして床に落ちた。数瞬ののち、どこからともなく現れた黒い霧が、男たちを皆殺しにしていた。
残っているのは、俺一人。
部屋の中央にある、医療用寝台のむこう側。
空中に浮かぶ霧は、まだ俺に気づいていないようだ。
部屋の出口は、扉が開け放たれたままだった。
扉の位置はあいにく、壁際で尻をついた俺とは反対側―――黒い霧の浮かぶ方向にあった。
このままじっとしていれば、霧は部屋から出ていってくれるかもしれない。
俺の想像は、すぐさま裏切られた。
黒い霧からつき出ている、銀色の牙。
たった今、人を一人、あの世に送ったばかりの凶器だ。
そいつが、まるで動物が首をめぐらせるみたいにゆっくりと動いている。霧そのものは位置を変えないまま、鋭い牙だけがスウッと黒い表面の上をすべって移動していく。
獲物を探す、獣じみた動きだ。
このままでは―――死ぬ。
確信してしまった瞬間、指先がわずかに動いた。
金属の感触。
俺の指が、床に落ちていた銃に触れていた。
おそらく死んでいる男たちのうち、誰かの使っていたものが、ちょうどここに落ちたのだろう。
ぶ厚く、重そうな鉄の塊。四連装の銃身に、やけに長い角形の弾倉部を持つ、ありえないほど奇妙な形状をしたリボルバー。
俺はゆっくりと手を伸ばし、床に沈みそうなほど重いそいつを手に取った。
撃鉄は四つとも、すべて起こされていた。
これを持っていた男は、一発も撃つこともなく殺されたようだ。
「フゥ……」
銃把を握ったとき、俺の口からかすかに息がもれた。
とたんに黒い霧が反応する。
白銀に輝く牙が形を変え、鋭く細い針のようになり、俺の背後にあった壁を刺し貫く。
その攻撃より、一瞬速く横に転がった俺の寿命が数秒伸びた。
いや。数秒もなかった―――なぜなら霧の中から伸びてきた、二本目の牙が俺の頭を狙ってつき出されてきたからだ。
「くっ!!」
首をねじって避けると同時に、熱いものが頬をかすめる。
攻撃にともなう運動エネルギーが俺の左目から、ほんのわずかに下を通り抜けていった。あと数ミリ上にズレていたら、目ん玉とおさらばどころじゃない。脳まで貫通する一撃をくらっていたことだろう。
俺は銃を構えた。
銃口とハンマーは四つあるのに、トリガーはひとつしかなかった。
両手でグリップを握り、親指に力をこめて銃身を固定する。
と、その瞬間だった。
俺の視界に異変が起きた。
すでに見えているものはそのままに、奇妙なものが追加されたのだ。
小さな赤い矢印―――とでも言うべきか。
矢印は黒い霧の中から現れ、俺に向かってゆるやかに伸びてこようとしている。
そして、赤い矢とはまったく逆の向き。俺の握った銃の先端から黒い霧に向けて、緑の線で描かれたもうひとつの矢印が現れる。
いったい、これはなんだ?
唐突な視界の変化に思考が追いつかない。
だが、考えが止まるよりも先に、俺の体はそれまでやろうとしていたことを勝手に続けていた。
バォンッ……!!
引き絞ったトリガーが、強烈な光を放った。
と同時に、耳を疑うほどけたたましい銃声が鳴り響く。密閉空間に充満するガスが引火して、ドアごと吹き飛ばしたかのような衝撃が腹の底まで響いてくる。
チィンと、甲高い音をたてて何が床に落ちた。
三本目の牙だ。
槍のごとく、細く鋭い銀色の凶器。
牙の攻撃が俺まで届くよりも先に、四発の弾丸は相手に届いたらしい。
黒い霧は消滅していた。ついでに、銃で狙った先の壁も消えて、そこにはマンホールの蓋サイズの大穴が残っていた。
「ハァ、ハァッ……ハァ……」
どうやら俺は助かったらしい。
そのことを自覚すると、それまで無意識に抑えていた呼吸が速くなった。
視界の矢印は消えている。
あの黒い霧はなんなのか。
目の中に現れた矢印はなんなのか。
理解がまったく追いつかない。
そもそも、ここはいったいどこなんだ。
「……おいおい。なんだこりゃあ」
入り口から、女の声が聞こえてきた。
「ルーキーどもがお遊戯を始めてると思ったら、まぁたおかしなことになってるじゃあねえか」
俺はとっさに、声のしたほうに銃を向けた。
気配もなく近づいてきた相手に、警戒心が最大音量で騒ぎたてている。
「おい。こっちに銃向けんな」
「おまえは誰だ」
「そりゃ、こっちが聞きたいっての」
眼帯をつけた女は、右手の拳銃で俺に狙いをつけながら言った。
いつのまに構えたのだろう。俺が銃を向けるよりも先であったことは間違いない。
俺は銃身を下げた。
女のほうは、構えたままだった。
「あんた、名前は」
「俺の名前は―――ウッ!!」
頭に激痛が走り抜ける。
同時に、何か大事なものがこぼれ落ちていく感覚があった。
「どうしたのさ」
女がぶっきらぼうな口調でたずねてくる。
「名前ぐらいあるでしょ。それとも、思い出せない?」
「ああ。名前が思い出せない」
「カンベンしろよな……ったく」
女はそれで、俺から興味を失ったらしい。
銃を手にぶら下げたまま室内に入ってくる。それから、床に落ちた牙の残骸をさぐり、何かを拾い上げた。
「三本牙か。悪くないね」
拾ったものを黒スーツのポケットにねじこむと、女は振り向きざまに発砲した。
開け放たれたドアめがけて放たれた銃弾は、そこに忍び寄っていた黒い霧を粉砕する。
女は部屋の入り口に戻り、また床を調べて牙の残骸をさぐりだした。死体には目もくれていない。
「うっわ、ザコい。牙イチかよ」
ぶつくさ文句を言いながら、ポケットに手を運ぶ。その手の中に、青い輝きがチラリと見えた気がする。
「それじゃ、あたし行くから。じゃあね」
女が立ち去ろうとしたので、俺も部屋から出ようとした。
「ここから出ないほうがいいよ」
「なぜだ」
「牙獣が出るからに決まってるでしょ」
「ファング……なんだって?」
耳慣れない単語を口にする。
「あんた、そんなことも知らないの? そんな素人が、こんなところで何してんの」
俺を見る女の目が、不審げなものに変わった。
ここで目覚める直前の記憶を俺は思い出そうとした。
なぜだか不思議なことに、思い出せることがバラバラになっているというか、頭に思い浮かぶ情報が断片的だ。
学校に行く途中、道を歩いていたら何かがあった。
直近の出来事で思い出せるのはそれだけだ。そのあとは、いきなりこの部屋で目覚めたところまで記憶が飛んでいる。
「わからん。何も思い出せない。どうやって、ここに連れてこられたかも記憶にない」
「マジで? ここの職員は避難済みって聞いてるんだけど。要救助者なんてありえなくない」
どうやら彼女の善意にすがることは無理そうだ。
「悪かった。あとは自分でなんとかする」
俺は部屋の中に戻った。
少々、抵抗はあったが仕方がない。
俺は死体のポケットをさぐり、弾丸を探した。
目的のものは、すぐにみつかった。
やけに長い弾丸だ。
確認のために、銃のシリンダーをスイングアウトさせる。試しに弾丸を装填してみると、ピタリとはまった。
それにしても、この銃、やたらとデカい。
四発の弾丸を収めるシリンダー部分は、まるでビールのジョッキかと思う太さだった。
使用している弾丸も、指の先から手首まで届きそうなサイズである。
薬莢部までふくんだ長さから推測するかぎり、十二.七ミリであろうか。五〇口径弾というやつだ。重機関銃や対物狙撃銃あたりで用いられるのが、本来の用途であることには言うまでもない。
広い世の中にはこんなものを使う拳銃もあるかもしれんが、あったとしてもカタログ通りの性能は出せないだろう。
なぜなら普通の拳銃サイズの銃身長では、弾丸がバレル内を滑走する間に装薬の燃焼を終えることができない。そのため弾頭の初速が最高速度に達することがなく、本来のパワーを発揮できないからだ。
この銃のデカさは、おそらく多少でも弾丸の威力を増すためのものだ。
バレルの長さは十八インチに達するだろうか。装弾部分をふくむフレームと合わせれば、全体は六十センチを超える。拳銃の形をしているから銃と思い込んでいたが、見た目はトンファーと言えなくもない。はっきり言って、ただの鈍器だ。
その見た目どおりに、すこぶる重い。少なく見積もっても十五キロか、あるいは二十キロに近い重量がありそうだ。
俺は、どうしてこんな重いものを平気で持っていられるんだ。
そして、なぜ知っているはずもない銃器の知識が、頭に思い浮かぶのだろうか。
忘れるはずのないことが頭からすっぽり抜け落ちているのに、知らないはずのことはスラスラと思い浮かべることができるのは、なぜだ。
何もかもがわからない。
ただひとつ確実なのは、ここでジッとしていても答えがわかるはずがない、ということだけだった。
「あんた、どうするつもり」
眼帯の女は、まだそこにとどまっていた。
俺は持てるだけの弾丸をポケットに詰めた。
「さっきの黒いのから、身を護る必要があるんだろう」
「あんたの弾丸じゃないだろ」
「死体は銃を撃たないからな」
「そういう意味じゃなくってさ……ああもう」
女が前髪をくしゃくしゃとかき上げる。
「自分用の弾丸で撃たないと賞金がもらえない、って話してんの」
「今は金より命だな。それと、あいにく自分用の弾丸は持っていないようだ」
俺が着ている学生服のポケットには、見事に何も入ってなかった。今では拾った弾丸をギッチリ詰めているのだが。
女はチッと舌打ちした。
そうして、ポケットから取り出したものを俺に放り投げる。
飛んできたものをキャッチして、俺は手の中に視線を落とした。
「なんだ。これは?」
親指の先ぐらいの大きさがある、青い結晶を見て問う。
「さっきの三本牙の分。あんたが撃ったやつだ」
「なぜ、俺に?」
女がニッと笑う。
悪賢い、野生の猫―――いや、猫科の猛獣を思わせる笑みだった。
「あんた、ハンターになりなよ。あたしが仕込んであげる」
「ハンターだって?」
「そうさ。はじめての獲物が三本牙なら、あんた才能あるよ。すくなくとも、そこに寝転がってる連中よりはさ」
女は壁のスイッチに手を伸ばし、部屋の明かりを消した。
そのまま左手で眼帯をめくる。
そこには、チッ、チッと明滅する機械が埋め込まれていた。
「あたしはジョンジー。でも、みんなはオセロットって呼ぶ。あんたもそう呼びな」
それから、彼女は機械の目で俺を見た。
いや。
正確には、俺が握ったままの銃を見ていた。
銃把に描かれた牙の紋章を見つけて、言う。
「あんたに名前をつけてあげる。ファング。いい名前だろ」
「元の持ち主に対して、敬意が感じられないな」
「死体は銃を撃たないんだろ。だったら名前をもらっても、文句なんて言いっこないさ」
たしかに、その通りかもしれない。
俺は曖昧に頷いた。
べつに納得したわけでもないからだ。
「用意ができたら、ついてきな。ルーキー」
俺はジョンジーの後に続いて、部屋を出た。
「ルールは三つだ。頭に叩き込め」
「わかった」
「よし。まず、ひとつめ。銃を撃つのは、あたしが指示したときと、あんたが自分の身を護る必要があるって自分で判断したときだけだ」
俺たちは廊下を進んだ。
部屋と同様、白く無機質な廊下。
だが、そこには確実に何者かの気配があった。
「ふたつめは、人間を撃つな。特に、味方は絶対に撃つな。それから攻撃してこないやつと、武器を持っていないやつ。あと美人」
「美人?」
「あたしのこと。わかるな。それと、そこらで目につく高そうな機械も、あまり撃たないほうがいい。以上で二点目の説明終わり」
「みっつめは?」
ジョンジーは、ちらと横目を俺の様子をうかがう。
「みっつめは、朝起きてあたしの顔を見たら『今日もお綺麗ですね、オセロットさん』って挨拶して、冷蔵庫からオレンジジュースを出してこい」
「流行りのジョークか」
「本気だぞ。それから、よっつめ―――」
俺たちは同時に振り向いた。
銃声は一度。狙った相手も同じく、背後から迫る黒い霧だった。
「牙を剥いてくるやつは、迷わず撃て」
ジョンジーが銃口から立ちのぼる硝煙をフッと吹く。
「ご命令のとおりに」
「いい子だ。ファング。あんた、くぁわいぃねぇ」
ねばっこい口調の女から目をそらす。
「三つのルールは守るよ」
「四つ、って言っただろ」
「言ってない」
「言ったよ」
「言ってない」
「言った」
「言ってない」
俺は、ルールの三番目を記憶から追い払おうとした。
こいつも俺の本当の名前と同様に、思い出せなくなるといいんだが。
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一人称の練習で書いています。
読みにくい部分が多く、たいへん申し訳ありません。
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・校正をなさってくださる方へ
お手数ですが、ご指摘等をなさっていただく際には、下記の例文にならって記載をお願いいたします。
(例文)
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>~(←ココに修正箇所を引用する)
この部分は、(あきらかな誤用orきわめてわかりにくい表現or前後の文脈にそぐわない内容、等)であるため、「~(←ココに修正の内容を記入する)」と変更してみてはいかがでしょうか。
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以上の形式で送っていただければ、こちらで妥当と判断した場合にのみ、本文に修正を加えます。
みだりに修正を試みることなく、校閲作業者としての節度を保ってお読みいただけると幸いです。
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