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初恋

作者: まるゆ

初恋をした。4年前のことだ。春の初め頃、グラウンドで走っている君を初めて見た。一目惚れだったと思う。当時吹奏楽部だった私は部室から見える君の姿にいつの間にか見入ってしまっていた。


しばらくして気持ちの抑えられなくなったある日私は彼に告白をした。振られても仕方がない、それで諦めがつくのならという思いだった。結果、見事に振られた。今は部活に専念したい、というありきたりな理由だった。しかし初めからわかりきっていたことだから私も深く傷つかずに彼の言葉を受け止めることが出来た。それに何より私は彼に認知されている事が嬉しかった。いつも朝早くに来て朝練してるよね、グラウンドにも聞こえてきてるよ、友達からでもいいかな、たったそれだけの言葉だったけれど私にとっては天にも昇るような言葉だった。


朝、君と出会うと毎回少し話をするようになった。おはようと眠そうに返してくれる君が愛おしかった。調子はどう、なんてつまらない話題しか出せない自分が凄く悔しかったけれど、それでもそんなとりとめのない会話をしている時が至高の瞬間のように思えた。このくすぐったい気持ちから逃げてしまいたいような、それでいてその真ん中でずっと浸っていたいような、そんなどっちともつかずのぐずぐずとした心情がまた恋らしかった。


そうしてその時くらいから振られたら諦めがつくという考えが間違いだったことに気が付き始めていた。朝君と話をするたびに、吹奏楽部の部室から手を振るたびに、君の微笑を見るたびに行き場のない思いが胸中に溢れかえっているのに気付いた。以前より彼も自分に好意的になってくれていると思っていたが、今の彼には恋愛よりも大切な物があるし、それにもう一度告白して振られたらと思うと、また告白しようという気にはなれなかった。


だから私は彼との些細な日常に甘えることにした。運動会ですれ違うたびに手を振ってくれたり、まだ朝早い薄暗い時間帯に2人で話をしたり、雪の上に二つ並んだ足跡を見たりして私は小さな幸せを覚えていた。今はこれでいいのだ、と自分に言い聞かせていた。


三年の夏、彼が陸上を引退した時にもう一度告白しようと心に決めていた。この時になるともう一度振られることよりも思いを伝えたいという気持ちの方が遥かに上回っていた。


しかしそんな矢先、最後の大会を前に彼は怪我をした。飲酒運転をしたトラックが路上でランニングをしていた陸上部員に突っ込んだというニュースが報道された。私はどこからとなくやってくる胸騒ぎを押さえつけようと、必死に彼に連絡をとったけれど一向に返ってくることはなかった。


次に彼が学校に来た時、彼は記憶を失っていた。自分の名前、親の顔、年齢など彼自身に関わる根幹的なことは覚えていたが、それ以外は全て忘れているようだった。それに事故の後遺症で彼はこれから毎年記憶の大半を失ってしまうそうだ。


スマホをスクロールするといくらでも彼との会話が出てくるのに、彼との思い出がその情景がありありと想起できるのに、それなのにまるで一夜限りの夢のように彼と私の関係は消えてしまった。もう一度やり直しても一年後にはすべて無に帰してしまう。ベッドを叩いても声を出して泣いてもどうにならなかった。悲しくてたまらなかった。あまりにもやりきれなかった。涙が次から次へと溢れて仕方なかった。


一人ではどうにもならず私は友達に相談した。どうしたいいのかわからないと言うと、友達はもう一度彼と話してみたらと言った。もう傷つきたくないと返したが、それでもその気持ちをどうにかしたいと思うなら話すべきだと言われた。傷つくのを恐れて何もしないのは自由だが、そこで得られるものは何もないと。


結局私は彼との思い出を忘れることが出来なかった。もう一度彼と話すことに決めた。友達に背中を押されて傷ついても逃げないということで、彼と向き合うことにした。


次の日の早朝、学校に着いてみるとグラウンドで彼が走っているのが見えた。辛いんだろうけど額に汗を浮かべて何よりも気持ちよさそうに走る横顔を見て、やっぱり私の好きな人だと思った。


走り終えた彼はグラウンドの隅でじっと見つめている私に気が付いていたのか、向こうから近づいてきてくれた。どうかした?と彼が何気ない顔でいうのが辛かった。ううん、どうして走ってるの、と聞くと、わからないただこうしていると少し落ち着く気がするんだ、と彼は言った。そっか、私の事覚えてる?と続けてそう聞くと、彼はさぞ申し訳なさそうな面持ちで、ごめん何も覚えてないんだと言った。


彼は何一つ悪いことをしていないのに、どうしてこんな表情をしなくてはいけないのだろうか。ギュッと心を締め付けられるような疼痛を覚える。ダメだ傷ついても逃げないって決めたんだ、そう自分に言い聞かせながら、そうだよね、と声を振り絞っていった。自然と生まれる沈黙がここまで辛いものだとは知らなかった。そんな時、あっでも、と彼は思い出したように言葉を綴った。


「いつも朝練してるよね、教室まで聞こえてくる。凄い綺麗な音だよ。それに……」


そう言った彼の言葉を最後まで聞かぬまま私は駆け出してしまった。走っていなきゃ涙が溢れてしまう。彼は変わってなんかいない。記憶がなくなっても私の好きな人、私が好きになった人。忘れる事なんてできない。あの春の淡い初恋。いつか私の事を思い出してくれるまで何度でもこの初恋を繰り返そう。



ツクツクボウシが鳴いている。煌々と照らしつける太陽が小さな私の影を映し出す。彼と出会って4年目の夏。今日の彼は昨日までの私との記憶はもうなにも覚えていない。一緒に食べたアイスも、一緒に見たイルミネーションも、小さな橋の上でキスをしたことも。そう思いながら歩いていると遠くに見覚えのある背中が見える。いつもの髪型、身長、歩き方なのにいつもとは違う彼の背中がみえる。急ぎ足で近づいて一言声をかける。


「君が好きです。付き合ってください!」


初恋はまだ終わっていない。何度彼に振られてもいつも思い出すのはいつの日かの彼との思い出、あの時の横顔。これは何度目かの私の初恋。


「いいよ。」


「え?」


「いいよ、付き合おう。」


ふと顔を上げると、優しく柔らかな彼の微笑の奥に、あの春の彼の姿が見えたような気がした。

たまたま早起きしたので書きました。ショートショートは短い文章で綺麗に物語を畳まなきゃいけなくて難しいです……

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