三千世界に烏は泥む
彼女が水銀湖の水底へ落ちてきて数日が過ぎた。
「ねぇ、まだ名前考えてくれないのヴァレット」
私の瞳が紫だから、ヴァイオレットから短くしたらしい名前。奇しくも元々の名前に近いので違和感なくついうっかり受け入れてしまった。
「ねーえ、ヴァレットってばー」
「静かになさい……別にいいじゃない一月くらい名前無くても。ここには私と貴方しか居ないんだから困らないでしょう?」
そうじゃないんだってばと駄々をこねる彼女に困りながら考える。
この身に掛けられた呪いを解けるのは呪いを掛けた魔女が居なくなった今、正規の手順で解ける第三者のみ。
真実の愛を知る……どのみち奇跡的に来た彼女が帰れば暫く機会は無いだろう。
けれど、別にそれでいいのではと思う。ここに居れば誰かをついうっかり殺してしまうこともない。
ちらりと彼女を見る。その目の奥に誰かを信じきることが出来ない怯えの色を見れば愛して欲しいなどと言えるわけもない。
「ねえってば!!」
瞳を覗き込まれて思わず目を閉じ頭を叩いた。
「不死者の目を覗き込むな無用心な……」
痛いときゃんきゃん騒ぐ彼女にホッとする。
最初に無意識でチャームを掛けてしまったので万一掛けてしまったら私は……私は、何がしたいんだろう……?
目を開くとじっとりとした目で見つめられていた。目を逸らす。
「分かった、分かったよ……考えておくから」
「約束だからね!あ、ご飯何が良い?」
にこにことしながらすぐに別の話題に移る彼女に溜息を吐く。
「別に食べなくて大丈夫だから自分の分だけ準備するといいと言ってるだろう」
「えー、私のでよければ血でも飲む?」
グイッと服を引っ張り首筋を晒す彼女に喉が鳴る。
「いや、いい。わざわざ晒すな」
首筋から目を逸らして自分の手に目線を落とす。
「何かしたいんだってば、させてよ」
少しだけ不安が滲む声音に降参する。
「好きにすればいい……出されれば食べよう」
そう言えば喜んで台所に消えていく。
彼女は何がしたいんだろう……。