三千世界と烏の香り
昼食に肉を焼いた。我ながら良い焼き加減だ。
ヴァレットを呼ぼうと振り返ったがいつも居る場所に居ない。
「ヴァレット〜ご飯だよ〜」
呼んでみた。出てこない。何処だろう。
「ヴァレット〜?」
お風呂場を覗く。居ない。
寝室を覗く。居ない。
立ち入り禁止区域は駄目って言っていたしあとは……庭ならいいかな?
リビングの隣のガラス張りの部屋の戸を開ける。
ここも見てはいたけど来たのは初めてだ。
机と椅子があればお茶するのに丁度いいかなぁ。
「ヴァレット〜ご飯できたよ〜」
返事はない。庭に足を踏み出す。見える範囲には見当たらない。
この機会に館の周りを一周してみようかな。
周囲を見ながら少しゆっくりと足を進める。角を曲がる。
「あ、結構広い?」
背が高めの緑が生い茂っている。近くの葉を引き寄せて見てみる。この感じなら手入れすれば綺麗に花が咲くだろうと思う。
というよりも蕾がない?後で世話してもいいかも訊いてみよう。
そんな事を思いながら足を奥に進める。
ふと違和感を覚える。ああ、なんだっけこの臭い。
鉄みたいな、でもなんだろう花の香りもする。
ずる……ずる……と何か重い物を引き摺るような音がもっと奥の方からかすかに聞こえた。
「ヴァレット?」
少し小走りで音のする方に向かう。臭いも強くなっていく。
ああ、この臭いは血、かな?少し花の香りが強くて分かり辛い。花は咲いていないのに。
呻く声が聞こえる、ヴァレットの声だ。その声を頼りに頼りに更に急ぐ。怪我をして動けないのかもしれないし。
「一体どう、したの……?」
たどり着いた先に居たのは血溜まりの中倒れているヴァレットだった。
駆け寄って抱き起こす。
ひっくり返して固まる。血を、吐いてる。
まるで毒を盛られた、みたいな。
怪我していたら手当をしようと思っていたのに、少しも動けない。
「どうして……」
震えが止まらない。ヴァレットが目を開く。
少し焦点が合っていなくて虚ろな目をしていた。やめて、そんな目で見ないで。
だから急に動いたヴァレットに反応が少しも出来なかった。
勢い良く首元の布を破られ噛み付くように顔を寄せられた。首筋に冷たい物が当たる。ああ、牙か。
噛み殺されると思った。そのまま力を抜く。一思いに殺されるのもありかなって、思ってしまった。
目を瞑る。噛みつかれるのを待つ。
一向に噛みつかれなくて不思議に思って目を開けるとそっと身体が離されるところだった。
「すまない」
一瞬だけ目が合って逸らされた。いつものヴァレットの目だ。少し安堵した。
「少し、調子が悪いだけだ」
「庭で倒れてたらびっくりするよ……ベッドで寝なよ」
外で一人血を吐いて倒れているのは心臓に悪い。
「すまないが一人にしてくれ……ご飯は要らない。暫くここに近寄らないでくれ」
そう言うヴァレットの真剣な瞳に何も言えなくなった。
「あと三日で満月だ……三日後に会おう」
早く部屋の中に帰れと背を押される。言われた通り部屋に戻りながら少し振り返る。
一瞬だけ目が合う。いつも通り目を逸らされる。ヴァレットが口元の血を拭うとふわりと花の香りがした気がした。