ワンライ:テーマ「最後に見た景色」
【記憶サバイバー】
その女性がベッドで目を覚ましたのは、死んでから一ヶ月も経たない頃だった。
その時に見た光景は、恋人である男性が不安そうに自分を覗き込んでいる姿。どうしたのか、と思い彼の名を呼べば、涙を流しながらも笑みを浮かべる表情が見えた。
*
時代はテクノロジーが進化した先。
この頃になると、死んだ者を疑似的に生き返らせる技術・サービスが一般化し始めていた。
死後すぐの新鮮な遺体に対し、生前のカルテなどのデータを元に電磁波で似非脳波を作り、調整して記憶を取り出し、機械の身体へとインストール、もとい移植する。
未だ、世界の理に反している、死者への冒涜だ、などといった倫理の観点から忌避する者も多いが、いざ親しい人が亡くなったとなれば、それまで反対していたとしても結局は手を出す者も少なくない。この男性も、その一人だった。
突然事故で失ってしまった恋人を、再びこの世に呼び戻したのである。
この女性の場合、事故死ではあるが死因は失血死であり、脳の他にも主要な内臓などが綺麗に残っていたため、細胞記憶からも十分な記憶を取り出すことができた。そして、生前の女性をほぼ完全に再現することに成功。もちろん見た目もそっくりに。
女性は生前の記憶をしっかり引き継ぎ、アンドロイドの身体に生まれ変わったのである。
「事故の後、病院で君が死んでしまって、でも諦め切れなくて。本当は君はもっと生きるべきだった。病院に着くまでは生きていたんだ。血が足りなくなっただけで、幸い他は綺麗なまま残ってたから。いきなりだったから、判断する時間もほとんど無くて。でもあのまま君を失うのは怖くて。それで、」
「……、そう。ありがとう」
女性は男性に事の経緯を説明されると、事故当時のことを思い出しながらも現状に納得した。死んだ実感も無く、ただ意識が遠退いて、気絶していただけのように感じる。何の変哲も無い、『いつも通り』の続きに思える。
「私も死にたくなかったの。でもこれ、うまく動けるかしら?」
試しに手足を少し動かしてみると、いくらかぎこちない動きになった。動かしてはいるのにその感覚が自身に伝わらないような、多少の鈍い違和感。
しかし、起動に立ち会っていた技師によれば、数日で慣れて違和感無く過ごせるようになるらしい。人の魂が胎児に宿りその胎児としての意識を持つまでにラグがあるのと同じで、記憶が機械にインストールされてからその機械としての感覚をモノにするにも、多少時間が掛かるという。
実際にそれを体感したのは、確かに数日後だった。それまではいくらか不安があった二人も、それからは今まで通り、否、それ以上に生を満喫し始めた。
今までやりたかったこと、できなかったこと。海を泳ぎ、山を登り、遊園地を回り、映画館で観賞する。今までの分を取り戻すように、生き急ぐように、生前よりも娯楽に耽り尽くした。
様々な場所に行き、楽しみ、そこの景色を背景に二人で写真を撮る。
記憶よりも明確で、データに残せば色褪せることも無い記録。記念。
二人が写る写真には、笑顔が溢れていた。
二人は「ずっと一緒にいよう」と約束する。
「次にどちらかが死ぬ時は、最後に見る景色が一緒だと良いな。同じものを見て終わろう」
「あら、お互い一人だけを見つめ合って終わるのも良いと思わない?」
他愛無い話の中で、二人はささやかな願いを口にした。
それから、しばらく。
ある日、新しい技術が一般に広く使用可能になった。
アンドロイド技術よりも強く非難されていながら、待ち焦がれられていた禁忌。
クローン技術である。
二人は話し合った。
機械の身体は老いない上に頑丈であり、万が一、大破したとしても、定期的にバックアップしているデータさえ残っていれば、別の身体に移行できる。メンテナンスに関しては、人間の健康診断と同等で、負担はそう変わらない。年齢については、いつでも外見を調整すればいい。
しかし、片方がアンドロイドで片方が人間のままだとすると、出てくる問題が一つ。
『寿命の違い』である。
未だ、倫理を訴える声は機能している。故に、生きている者のアンドロイド化は今でも禁止されている。わざと死んでアンドロイドになろうにも、それがバレればサービス適応外となり無駄死にとなる。
この一連のサービスは、あくまで不慮の事故や病気で亡くなった者に対する救済処置なのである。その名目で倫理の声を掻い潜った、と言われる程に、世間に潜む反対派の目は厳しく、不正は難しい。
となれば、クローン技術を利用するのも良いかもしれない。
やり方はアンドロイドのものと似ており、遺体や遺骨、所持品から採取したDNAやカルテなどのデータを元に生身を作り、記憶データを移植するのだという。
二人は決意した。
*
その日、新しい身体の、生身の女性が起き上がった。
以前より、アンドロイドの頃よりもなめらかに、しなやかに動く四肢。高揚感で心が躍る。思い出した生身の感覚は、馴染み深くも懐かしいものに感じられた。
男性が、生身の女性の頬を両手で包む。アンドロイドの頃には感じられなかった、じんわりとした温かさが、手の平に滲んでくる。
――――生きてる。
二人はそう強く実感すると、どちらからともなく抱き合った。
アンドロイドの女性は、その光景を黙って見ていた。
否、見ていることしかできなかった。
記憶データを取り出すために、と動作を停止させられ、喋るどころか瞬きすらもできない。ただ目の前の光景を、生身の自分の姿が恋人である男性と抱き合っている様子を、黙って見ていることしかできなかった。
自分の声が聞こえてくる。
「ねぇ。やっと生身になったんだから、元の身体は早く処分してね」
生身の女性がアンドロイドの女性を指差し、眉を顰め、男性に訴える。
今のアンドロイドの女性には、何かを伝える術は無い。
「自分が二人いるなんて、気味が悪いわ」
「ああ、それもそうだな」
男性がアンドロイドの女性を一瞥する。
「大丈夫だ。記憶の移植も無事に終わったし、あとは電源を落としてスクラップにするそうだ」
安心させるような穏やかな笑みは、生身の女性へと向けられていた。
そして、その笑みのまま、何の感情も無く再びアンドロイドの女性へと振り向く。
今、二人は対面している。
傍らには、生身の女性、自身。
女性が最後に見た景色は――――
〈了〉