8.報告書
「さあ、なんでも屋からの報告書を開くよ。その前にさ、ジュースでカンパーイ」
所沢の駅前にある古びた喫茶店で、奥のテーブルを取り囲むように三人は着席した。
「いやあ、驚いたよ。たかが戸籍を調べるだけのちゃらい仕事で、五万円も請求するんだからねえ。なんでも屋の野郎、ぼったくりもいいところだ」
「でも、他人の戸籍って、誰でも簡単に調べられるものなの?」
青葉が首を傾げた。
「そいつはダメだよ。本人の依頼書がなければ、役所に行ったところで門前払いさ」
「じゃあ、堂林さんはどうしたのよ?」
「それはまあ、専門家のやることだから、たとえば、まゆゆの依頼書を偽造したとか、あるいは、役所の職員とつるんでいるとか、何らかの裏手段を持っているんだろうね」
青葉の疑問を恭助は軽くはぐらかした。
「それにしてもあの着ぐるみ人形、最後まで正体を明かしませんでしたね」
麻祐が口惜しそうにつぶやいた。
「着ぐるみ人形?」
「リーサとかいうあの人形です。人工知能とかいって煙に巻いていましたけど、あれはきっと中に人が隠れていて、うちらの会話に合わせてしゃべっていたんですよ。でも、そうだとすると、あの小さな人形の中に隠れなければならないから、そいつは恭助さんよりもチビ助ってことになってしまいますよね。うーん、そんな奴、あり得ないですねえ」
「あのなあ、リーサちゃんは正真正銘の人工知能を搭載した人造人間なんだって。だいたい、あんな狭い中に人が入れるわけないじゃんか。それにさ、俺より小さい人間があり得ない、って言葉にも、なんだかカチンと来るんだよなあ」
「だとすると、すごい科学技術よね。あれだけ自然に会話ができるのだから」
青葉が感心してうなずいた。
「まさか……、先輩、それは絶対にないですよ。あんな冷笑的で嘲笑的な会話が、現在の人工知能ごときにできてたまるもんですか!」
平然と麻祐はいい放った。
「まあ、とにかく開けるよ。なんでも屋の報告書をね」
恭助はリュックから角2号の封書を取り出した。
「わくわくしますよねえ」
麻祐は他人事のようにはしゃいでいる。
「でも、堂林さんは中身を絶対に見ない方がいいとか、怖いことをいっていたけど……」
相変わらず青葉は慎重派だ。
「大丈夫ですって、単なるおどしの決まり文句でしょう。さあ、恭助さん。さっさと開けちゃってください」
「オッケイ。じゃあ、開けるよ」
取り出した三枚の書類に向かって、三人がいっせいに頭をくっつけた。
『 古久根麻祐氏両親の諸事情調査に関する報告書
なんでも屋 堂林凛三郎
古久根麻祐氏、一九九五年十月七日生まれ、二十二歳女性、の依頼に基づく、依頼人の両親の出身地、氏名、及び、二人其々の行方に関する調査の報告を、此処に記すもの也。 』
「あはは、見てよ。文章の語尾が『也』だってさ。なんでも屋の野郎、妙に格好つけやがって」
こらえ切れずに恭助が大声を張り上げた。
「形式を持って相手の威嚇を試みるタイプですね。おそらく血液型は典型的臆病者のA型と見て、まず間違いないでしょう」
麻祐もすかさず同意した。
『 戸籍謄本に記されし依頼人の両親なれど、父親の名は、弓削守と申し、一九六九年十一月二十三日の生まれ也。出身は富山県の南部に位置せし婦負郡細池村の葛輪と申す部落也。同地区にはかつて守の実家が在りしものの、今其処は空き家と化し候。
猶、補足なれど、二〇〇五年四月のいわゆる平成の大合併により、当時の婦負郡に属せし四町村、八尾町、婦中町、山田村、細池村が、今の富山市に合併され、是を以て婦負郡は完全に消滅せり。
依頼人の母親は、弓削恵理なる名にて、旧姓は古久根恵理と申す也、一九七一年の七月二十八日生まれで、出身は北海道足寄郡陸別町トラリ地区也。同地区には、恵理の実家が現存せり。猶、恵理の父親たる古久根誠、七十三歳と、母親たる古久根節子、七十歳、及び、恵理の娘であり本件の依頼人たる古久根麻祐、二十二歳、以上の三名は、今其処で同居生活を営むもの也。 』
「どうしたの、恭ちゃん……」
青葉が恭助の異変に気付いた。さっきまできゃあきゃあ騒いでいた恭助は、いつの間にか真面目顔になっていた。
「なんか気にかかるんだよなあ、ここまでの文章の何かにさ……」
そういって、恭助は頭を抱え込んだ。一方で、麻祐は相変わらず浮かれ気味であった。
「父の名が弓削守だったということは、私の本当の名前は、弓削麻祐ってことになりますね」
『 此れ以降の、依頼人の両親の馴れ初めに関する記載は、調査人の憶測の域を出でぬ事を、予め断り申し置き候。如何せん、双方の両親が故人となりし此の状況下には、其れも止む無しとご理解たまえたき候。
依頼人の両親が出会いし土地は、札幌市と断言して先ず間違いあるまじ。なぜならば、古久根恵理は、札幌市内のさるバス会社に一九九〇年に就職し、其の地にて一人生活を営みつつバスガイド業に専念し、一九九五年の四月に同会社を退職せり。
一方で、弓削守は、富山の実家から一九九四年の十一月に行き先も告げずに一人飛び出し行方を眩ませたれど、其れより五年を経し一九九九年の七月中旬に、新妻となりし恵理を引き連れ、故郷へ里帰りを果たせり。
以上を総合するに、実家を飛び出しし守は、あてど無き一人旅を続け、やがて北海道へたどり着きけれど、其処でバスガイドをしたる恵理と出会い、結婚をし、しばらくの間札幌に居座りし後、富山へ帰りしものと考えられる。なお、恵理がバス会社を退職せし真の理由は、退職せし時期と、実娘たる依頼人の誕生日を考慮するに、子供を身籠った為ならむと推測される。 』
「あはは、見事に完膚なきまでの、できちゃった婚ですよねえ。うちの父と母の間にそんな馴れ初めがあったなんて」
麻祐が上機嫌にはしゃいでいた。
「まゆゆ、自虐ネタじゃないよね」
「でも、さすらいの観光客とバスガイドさんがお互いに一目惚れだったなんて、なかなかロマンチックよね」
恭助はやや警戒していたが、青葉はにこやかに微笑んでいた。
『 次に依頼人の両親の行方に関する報告に移る也。結論から述べると、依頼人の両親、弓削守と弓削恵理は、共に亡くなりし候。以下に、其々の死亡年月日及び推定さる死因を記載する也。
まず、先に亡くなりし弓削恵理なれど、死亡日は一九九九年七月二十八日、享年は二十八歳也。 』
「先に亡くなりし――、だって? どういうことだ。二人同時の事故死じゃなかったのか?」
恭助の眉が一瞬動いたが、それも青葉の次の言葉にかき消された。
「二十八歳だったのねえ。まだお若いのに……」
「七月二十八日ですか。どうやら、母は誕生日に死んでしまったみたいですね」
「へえ、まゆゆ、よく見ているね。たしかに、誕生日と同じ日に亡くなっている」
『 同女が死亡せし土地は、富山県婦負郡細池村也。 』
恭助が目を丸くした。
「えっ、まゆゆのお母さんが亡くなった場所って、お父さんの実家があったところじゃんか。うーん、里帰りした時に体調を崩したのかなあ」
「あるいは、そこで不慮の事故に遭われたとか……」
青葉も考え込んでいた。
「そうですね。なんでも屋さんは、死亡理由までちゃんと調べてくれていますかねえ」
麻祐が口を尖らせた。
「まあ、とにかく先へ目を通そう」
『 死因は、劇薬たる有機リン酸化合物を過剰に経口から摂取したる為の、中毒死也。 』
恭助の顔色が瞬時に蒼ざめた。
「そうか! 富山県の婦負郡、一九九九年、それに有機リン酸化合物……。しまった、どうして今まで気付かなかったんだろう。
まゆゆ、こっから先は読んじゃだめだ!」
恭助は書類を手に取ると、すかさず裏に返した。
「急にどうしたんですか、恭助さん」
麻祐が首を傾げた。
「恭ちゃん。もしかして堂林さんの警告の意味が分かったのね」
「ああ。なんでも屋が警告したのも無理もない。まゆゆ、たとえ婚約が破棄されようとも、この先は絶対に読んではいけないよ」
この言葉に麻祐が強く反発した。
「ちょっと待ってくださいよ、恭助さん。婚約破棄を諦めろとか、勝手なことを簡単にいわないでください。今の私にとって、なによりも大事な問題なんですよ」
「でもさ、結婚とかはさあ、今の彼氏でなくても相手なんかいくらでもいるよ。まゆゆは魅力的な女の子なんだし。いずれにせよ、この先の文章は読んではいけない。一度読んでしまえば、二度と取り返しがつかなくなってしまうんだ」
「じゃあ恭助さんは、私の両親の身に起こった真実を知らないまま、私に一生を生きていけ、というのですね。そんな残酷なこと、私には納得ができません」
いつになく真剣な顔つきで、麻祐は一向に引く気配がなかった。
「それは、理屈はそうだけど……。あのなあ、まゆゆ。世の中には常識で我慢できることと、我慢できないことが、いくらでもあるんだ。理屈が正しくても、それに従っちゃいけないことだって、たくさんあるんだよ。
困ったなあ、青葉からも説得してくれよ」
恭助が青葉に振った。
「私には恭ちゃんの心配する理由が分からないけど、でも、ご両親の過去の真実を知りたいという麻祐ちゃんの気持ちは、絶対に曲げられないと思うわ」
青葉は麻祐側に着いた。
「ちっ、これだから女ってやつは困るんだよ。最後は論理を捨てて感情に突っ走っちまう」
恭助が口を尖らせた。
「ちょっと待ってください。今、恭助さん。全世界の女性を敵に回すような発言をしましたね。人情も分からないような冷血な恭助さんに、私の人生を決め付ける権利なんてありませんよ!」
「ああ、そういう意味じゃあないんだよ、まゆゆ。畜生、なんでも屋の野郎、こうなることが分かっていたんだから、報告書なんて適当にごまかしてくれれば良かったのに」
「恭ちゃん。ここまで来て真実を隠すことはできないわ。麻祐ちゃんだって、たとえどんな真実でも受け入れる覚悟はできていると思う」
青葉が麻祐を援護した。
「だから、そんな簡単なことじゃ……。ええい、分かったよ。もう、どうなっても知らないからな」
ついに恭助がさじを投げた。
「自分の責任は自分で取りますよ。だから、恭助さん、報告書の先を読ませてください」
麻祐の言葉に、恭助はしぶしぶ伏せていた書類をおもてへ向けた。
『 死亡時刻は午後八時頃也。其の日は地区の公民館にて“富岐の会”なる親睦会が催されし候。富岐の会なる面妖な名の由来は、事の起こりし葛輪部落が極めて風変わりな部落たるゆえん也。当時六十名程の住民を有す葛輪部落は、東側の地区が、富山県婦負郡細池村(二〇〇四年より富山市に合併す)に属し、西側の地区が、岐阜県吉城郡神岡町(二〇〇四年より飛騨市に合併す)に属す也。即、二県に跨りし世にも珍しき部落也。其の葛輪部落にて、毎年東地区と西地区の住民が寄り集まりて、恒例の親睦会が開かれし候。その会は、富山県と岐阜県の交流を深める意味も込めつつ、富岐の会と名付けし候。 』
「一つの部落が二つの県にまたがって存在するなんてことが、現実にあるのね」
青葉が感心していた。
「インド・パキスタンのカシミール地方、スペイン・フランスのバスク地方、そのような境遇の土地は世界各国に点在しています」
「きっと由緒正しい部落なんだよ。国が定めた県境にも左右されなかったってことだからね」
恭助が適当な発言をした。
「私の幼い頃の記憶は、もしかしたら、この部落の光景だったのかもしれません。赤いお地蔵さんに、低い石垣、それに畳の間でたくさんの人が阿波踊りをしていたのも、きっとその富岐の会とやらで、住民が盆踊りの練習を行っていたのでしょうね。それでピッタリ説明が付きます」
みずからに納得をせまるように、麻祐は独り言をつぶやいた。
『 一九九九年七月二十八日に催されし富岐の会に集いし地域の住民は、男衆が十四名、女衆が十一名の二十五名也。此処で酌み交わし酒こそが、娯楽の乏しき集落の貴重な催事にもありし候。親睦の為に振舞われし酒は、日本酒と果実酒也。日本酒は男衆が飲む為に用意せし故、果実酒が女衆に振舞われし候。親睦会が始まり、酒が並ぶと、男衆は日本酒を女衆は果実酒を飲みし候。程無く、八名の女衆が中毒症状を訴え(十一名の女衆のうち三名は果実酒に手を付けざりけり)、うち五名が死亡せし候。此の事件の被害者五名は全員が女衆也。此れが世に称せれし、細池毒果実酒事件也。親睦会に出席せし弓削恵理は、此の五名の犠牲者の中の一人也。
果実酒に手を付けざりし女衆三名の無事なりし故、果実酒内に何者かが毒物を混入せし事疑われし候。其の後の警察の捜査にて、瓶に残りし果実酒内に猛毒の農薬が混入されし事実判明し候。程無く、弓削守が五名を毒殺せし容疑者に浮かびし候。始めこそ無罪を主張せしものの、事件より五日目に、守はもはや逃げること能わずと観念し、自宅に在りし日本刀を持ち出し、姿を眩まし候。三日におよびし警察の捜索の結果、古狐山山頂付近にて守の遺体と遺書が見つかりし候。遺書には、事件の犯行はさながら守ひとりにて行いし事と、その手段が克明に記されし候。享年は二十九歳也。
猶、今回の依頼は調査期間が著しく短期に限定されし故、細池毒果実酒事件に関する情報は巷に出回りし大域情報網から取り寄せし候。其の為、本書に記載せし事件詳細の真偽に関して、報告者は一切の責任を放棄するもの也。何分致し方無きこと故、多大なる配慮をたまわりたく、かつ悪しからず候。 』
堂林の報告分を読み終えた三人は、しばらくの間、声を発することができなかった。やがて、麻祐がもごもご口を開けようとするものの、顔は青ざめていて半分放心状態であった。
「お父さんが、お母さんを毒殺してから、みずからは自殺を遂げてしまったというのですか……」
「細池毒果実酒事件は当時のマスコミを驚愕させた歴史的な凶悪事件だからね。もっと早く気付くべきだったよ」と、恭助が言い訳をした。
「恭ちゃんは報告書を読んでいる最中に、それが分かったわけね」
青葉が小声でつぶやいた。
「で、でも……、それなら私の記憶は何を意味するのですか。みなが楽しそうに盆踊りの練習をしていたという……」
もはや麻祐はきちんと思考が取れないようだった。
「たぶん、まゆゆはその毒殺現場の公民館に実際にいたんだよ。両親に連れていかれて親睦会に参加していたのだろうね。
そして問題の、たくさんの人が踊っていたという光景なんだけどさあ……、それは、毒に咽ぶ被害者たちが、もがき苦しんでいる真っ最中の姿だったんじゃないのかな。
ああっ、まゆゆ。大丈夫か……?」
恭助が手を差し出す間もなく、麻祐は意識を失いその場に崩れ落ちた。
「婚約が破棄された理由は私の血筋に原因があったのですね。父親が五人も無差別に殺害した冷酷無比な毒殺魔なんだから、まあ無理もありませんけど」
緊急搬送された病室のベッドで、気を取り戻した麻祐が、開口一番につぶやいた。
「とにかく無事でよかったわ」
ベッドの傍に付き添う青葉が安堵していた。
「さすがは医学生だね。まゆゆが気を失ってからの対応が迅速だったよ」
少し後ろに立っていた恭助が、近づいてきて麻祐の顔をのぞき込んだ。
「お笑い種ですよね。あれだけ堂林さんが警告してくれたのに、婚約破棄されることよりももっとつらいことがあるなんて、考えもしなかったです。私って本当におバカさんでしたね」
「そんなことないわ、麻祐ちゃん。誰だってあの場面では麻祐ちゃんがしたようにするわよ」
「そうだよ。たとえまゆゆのお父さんがどんな人であろうと、まゆゆはまゆゆなんだから」
「慰めはもういいですよ。所詮、私は殺人鬼という精神異常者の遺伝子を持った娘なんです。でも、恭助さん。父はどうしてそんな恐ろしいことをしでかしたのでしょうね」
「さあ、それは……」
「このまま一生その疑問を抱えて、私は生きていかなければならないのですね」
麻祐の視線が天井に向けられた。
「とにかく十九年前に起きた出来事なんだ。一番身近だったまゆゆのお母さんがすでに死んでしまっている以上、今では誰も事件の詳細を語ることができないかもしれないね」
「じっちゃんやばっちゃんは事件を知らないのでしょうかね」
「さあね。でもさ、おじいさんとおばあさんは事件があった時は、おそらく現場にはいなかったと思うよ。だから、知っているとしてもまた聞きの情報に過ぎないよ」
「じゃあ、当時のことを知っている警察の人とか。そうだ、恭助さんはお父さんが刑事さんですよね。頼んで調べてもらうことはできないのでしょうか」
「そいつは無理だよ。富山はおやじの管轄外だし、実際に今事件が起こっているのならともかく、十九年前に解決済みの事件なんだからね」
「じゃあ、恭助さんがじかに知らべてくれないでしょうか。これまでに数々の難事件を解決してきたんでしょ。私のお父さんが十九年前に取った行動の理由を、私、絶対に知りたいんです!」
「無理無理、十九年前の事件の情報なんて、簡単に手に入るわけがないじゃないか」
「恭ちゃん、私からもお願いするわ」
青葉が突然、麻祐側へひるがえった。
「あのなあ、俺だって、そりゃ、まゆゆの力になってあげたいよ。でも、無理なんだって」
恭助が両手をかざしてかぶりを振った。
「そうだ――、地元に行けば住民たちの中に当時の事件現場にいて、まだ健在な人もいくらかいるんじゃないですか。まだ、十九年しか経っていないんだし」
「仮にいたとしてもさ、絶対に何もしゃべらないと思うよ。この事件はマスコミでもかなり取りざたされた悪名高き事件だ。当初から住民たちは事件の早期解決をひたすら願っていて、弓削守の、いや、まゆゆのお父さんの逮捕状が出て、そして自殺が発見された時、いずれも住民たちはこれで安心して夜が過ごせると全員が口をそろえていたんだからね」
恭助がいい終えた途端、布団に突っ伏して麻祐は号泣した。