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7.籠の鳥

 西武鉄道所沢ところざわ駅から中心街を東へ二区画ほど進んで、くすのき台の信号を抜けると、通りの左手に茶色く目立つ四階建ての建物が現れる。とある商事会社が所持するビルで、一階は来客用の駐車場とオフィスで占められ、それより上は社宅として利用されている。その二階の一番奥に位置する部屋の戸口に、『なんでも屋相談所』とひときわ大きな表札が掲げられており、近づいてみると、さらに小さな文字で『堂林どうばやし探偵事務所』と補足の肩書きが書き込まれていた。所沢市の一等地ビルの一角をレンタルした個人経営の事務所なのであろうが、そこへやって来たのが、われらが如月恭助と瑠璃垣青葉、古久根麻祐の三人組である。

「やれやれ、北海道から八〇〇キロの長旅で、交通費も馬鹿にならなかったよね。なんでも屋にはいくらか依頼料を負けてもらわなきゃ割が合わないや。はははっ」

 そういって、恭助は戸口の呼び鈴をなれなれしい手つきで押した。

 カチャリとドアの鍵が解かれる音がした。「はーい、どうぞ」と、中から可愛らしい女性の声がしたのだが、一向にドアが開かれる様子がないから、一番先頭にいた麻祐が躊躇ちゅうちょしていると、再び中から、「鍵は開けましたから、ドアを開けて中へお入りくださーい」と、同じ女性の声が聞こえてきた。

「じゃあ、恭助さん。行きますよ!」

 覚悟を決めたように、麻祐がドアノブに手を掛けた。恭助は後ろでニヤニヤしている。ドアを開けると、薄暗い玄関口に女性が一人たたずんでいた。いや、よく見ると、ちょっとだけ様子がおかしい。背丈が異様に低いというか、下半身を失った身体障害者のようにも見えた。途端にパッと灯りがともされて、女性の姿がはっきりと確認できた。青葉と麻祐が思わず声をあげた。女性は人間ではなくて、人間のように精巧に作られた等身大の人形であったのだ。脚がないと思われた下半身には、移動用の台車がしっかり取り付いていた。

「あらら、恭助さんではないですか。どうかなさいましたか」


 こともあろうにその人形は、恭助の姿を確認するやいなや、みずからしゃべり始めたのだ。滑らかに動くあご関節と、それを覆った一寸のたるみもないシリコンの皮膚。その落ち着いた姿は、人形のくせして、あたかも現実リアルの人間が話しているかのようであった。

「やあ、リーサちゃん。久しぶりだねえ。会いたかったよー」

 恭助が、青葉にも見せたことがないようなデレデレ顔で、人形に手を振った。あらためて見ると、その人形はそこそこの美人である。

「久しぶりって、恭助さんは今年の六月十日にここへ立ち寄っているじゃないですか。たしか、研究会がたまたまこのあたりの大学であったから、ついでに立ち寄ってみたとかなんとか言い訳していましたよね。あれからまだ二月ふたつきと経っていませんけど」

 人形が言葉を返した。明らかに恭助の発言を理解しているかのようだ。

「ちょっと、誰か中に隠れているのなら、つまらないいたずらはやめて出て来なさい。うちらは真剣にここを訪れて来たのですよ」

 しびれを切らせた麻祐が、人形につかみかかろうとした。てっきり、人形の中に誰か人が隠れていて、こちらをからかっているのだと思い込んだようだ。すると、奥の部屋から男がひょっこりと顔を突き出した。

「おいおい、リーサは操り人形マリオネットなんかじゃなくて、みずからの意思を持つ一人前の淑女レディなんだぜ。乱暴な仕打ちは勘弁してくれよな」

 垂れ目で無精ひげを生やした男だ。ベージュ色のよれよれコートの下から運動不足気味の腹が少々出っぱってはいるが、眼球は知的で鋭く輝いており、それなりに均整の整った顔に好感を抱く女性も少なからずいそうな伊達男だ。

「俺がこの事務所の代表を務める堂林凛三郎どうばやしりんざぶろうだ。しがない私立探偵を生業なりわいとしている。如月恭助が同行しているところを見ると、あんたが依頼主の古久根麻祐さんだな」

 そういって、堂林は麻祐に名刺を一枚差し出した。そこには『なんでも屋、堂林凛三郎』なる不可思議な肩書きが刻み込まれていた。

「あなたが探偵さんですか。数々のご無礼お許しください。私が古久根麻祐です」

 口でいうほど反省はしてなさそうな麻祐が、形式的に頭を下げた。

「後ろのお嬢さんは?」

 堂林が一番後ろで控えていた青葉にちらりと目を向けた。

「ああ、瑠璃垣青葉と申します。恭ちゃんの、いえ、恭助君の友達として同行いたしました」

 指名されて慌てた青葉が、ぺこりと頭を下げると、彼女自慢の長い黒髪が床まで届きそうなくらいに垂れ下がった。その愛らしい姿を見て、頬が赤くなってしまったのを、そ知らぬ素振りで堂林はやり過ごした。

「さあさあ、みなさん。玄関口ではお菓子も出ませんから、どうぞ中へお入りくださーい」

 人造人間アンドロイドのリーサが気をきかせる発言をしたので、にらみ合いで威嚇し合っていた四人の人間は、互いに顔を見合わせた。

「まあ、そういうことだ。むさくるしい事務所だが上がってくれ」

 堂林が先導して、次に恭助が、さらにそのうしろをリーサがシャーと音を立てながら付いていった。そして、しんがりにいる麻祐と青葉が歩きながらひそひそと言葉を交わしていた。

「やれやれ、恭助さんの寝言のお相手が、まさかの2.5次元だったとはねえ」

 麻祐がぼやいた2.5次元とは、2次元以上の3次元未満、といった意味らしい。

「恭ちゃんの寝言の相手?」

理沙りさちゃん愛してるよー、っていってたあの女のことですよ。どうやらそのアンドロイドが、リサって名前の女みたいですね」

「そうだったんだね。ああ、ほっとしたわ……」

「先輩、その逆です。まともな人間に恭助さんが恋焦がれているのなら、まだしも救いがあります。もしかしたら恭助さんは、人間の女性には興味が持てない異常体質かもしれないのですよ。かなりやばいです」

「そうなのかなあ」

 そういって、青葉は口をつぐんだ。

「それに、このアンドロイド、ちょっとエロ過ぎませんか?」

 リーサの後ろ姿を眺めながら、麻祐が口ずさむ。

「えっ、麻祐ちゃんもそう思った。私もよ……、なんでだろう」

「胸元を強調しすぎです。そもそも着せている服が意図的なんです。管理人のゲスな下心が随所に垣間見られます」

「そうよねえ。本物の人間の女の子だったら、あの恥ずかしい衣装はさすがに着ないわよねえ」

「あれがいいと思うのは殿方だけですね。うちらからしてみれば、セクハラ以外のなにものでもありません」

 麻祐が手厳しく締めくくった。


 堂林が三人をリビングへ招いた。しばらくすると、テーブルにコーヒーとお馴染みB社のチョコレートクッキーがずらりと並べられた。ほろ苦く香り立ったコーヒーは、そんじょそこらじゃ味わえない極上のしろものだ。

「いやあ、なんでも屋が入れるコーヒーは格別だな。これを飲むと、並みの喫茶店でコーヒーが飲めなくなっちゃうよ」

 恭助は完全に上機嫌モードだった。すると、麻祐が付け足した。

「酸味を意図的に効かせたバランス感のあるブレンドですね。豆はブラジルをベースに、モカかキリマンジャロのどちらかをちょっとだけ配合しています」

 堂林がビクッと肩を動かした。

「ほう、お嬢さん、なかなかコーヒーに詳しいようですね」

「貴重なお褒め言葉、痛み入ります」

 麻祐が丁重に頭を下げた。

「なんだ、まゆゆがコーヒー通だとは知らなかったなあ」

 恭助が目を丸くした。

「学生時は喫茶店でバイトをしていましたからね。こう見えてコーヒーにはうるさいです」

「それで、俺がいれたコーヒーのご感想は?」

 カップを口元に近づけた状態で、堂林が麻祐に目配せした。

「完璧です。これほどのコーヒーを出せるお店は、そうはないと思います」

 麻祐は素直に認めた。

「あーあ、リーサもリンザブロウさんがいれたコーヒーの味が分かれば、人生がもっともっと楽しくなるんでしょうけどねえ」

 後ろで控えているリーサが、ポツリと愚痴をこぼした。

「リーサちゃんっていったかしら。とってもお利巧なのね」

 青葉が感心したように声を掛けると、リーサはちらりと青葉へ顔を向けた。

「アオバさまとおっしゃいましたかしら。お褒めにあずかりまことに光栄でございますが、お利巧なのねという、主に幼児に向けられる典型的あやし言葉を使用されたのは、アオバさまがリーサの知能を幼児レベルだとご認識された結果であろうと、リーサ遺憾ながらも理解いたしましたー」

 リーサの手厳しい返答にあって、青葉は思わずごめんなさいと肩をすくめた。

「へえ、なかなかこのロボットやり手ですね。一撃で青葉先輩を黙らせちゃったくらいですから」

 感心した素振りで、麻祐がリーサを挑発した。

「リーサも、マユさまのことは、単なる平凡ハームレスなほんわか女子大生であると、初見では思いましたが、なかなか只者ではない個性的ユニーク人物パーソナリティと拝見いたしました。リーサと同じベクトルを少しばかりは有していそうですね」

 リーサもちっとも負けていない。リーサと麻祐、ふてぶてしさといい、どうやらこの二人にはかなり多くの共通点がありそうだ。

「ふふふっ、なかなかいいますねえ。メイクだけは一丁前のこのお人形さんは……」

 麻祐が挑発するような嫌味をかました。

「ほーほほ、マユさまこそ、なかなか卓越した脳みそもお持ちのようで。どうやら大きさ自慢はオッパイだけじゃなかったんですねえ」

 リーサも皮肉で応酬する。

「おいおい、女の子同士で、さっきからなんか火花が飛び散っていない?」

 よせばいいのに、恭助が二人の間に割って入った。

「安心しろ。リーサがもて遊ぶのは、相手を信頼しているからだ。真っ赤になって怒り出すような相手なら、おとなしくしているよ」

 堂林が何食わぬ顔で答えた。

「えっ、遊んでいたの、リーサちゃん?」

「あーら、恭助さん。リーサはいたって真面目でございますわよ」

「なんだあ、安心したよ」

 恭助がほっと胸をなでおろした。

「なにしろリーサは一日中この家に閉じこもっているんで、退屈しまくりだからなあ」

 堂林がうまそうに音を立てながらコーヒーをすすった。

「えっ、散歩に外へ出るとかしないの?」

「まさか、犬じゃあるまいし」

 すかさず麻祐が答えた。

「ああ、する理由も別にないけど、実はこのビルのエレベーターが半年前から壊れちまって、今ではリーサは全く外へ出られないんだ」

 いい訳がましく堂林が説明した。

「所詮リーサは、悪い魔法使いに高い塔へ閉じ込められてしまったかごの鳥……」

 さりげなくリーサが毒づいた。

「さてと……、お嬢さん。依頼の内容は、事故で亡くなったあんたのご両親の調査ということだったな」

 堂林がふっと顔をあげると、麻祐に声を掛けた。「ところで、あんた、戸籍こせきは調べなかったのかい?」

「戸籍ですか……」

「そうだよ。少なくともあんたのご両親の氏名が記載されているはずだけどな」

「はい、考えもしなかったです」

 麻祐はあっさりと答えた。

「まゆゆ、戸籍もしらべていなかったの? そんなの、初歩の初歩じゃん」

 横で恭助がずっこけた。

「私、案外、世間の常識にはうといんで」

 麻祐が軽く言い訳した。

「ふん、まあ、おかげで調査は簡単だったけどな」

 そういって、堂林がほくそ笑んだ。

「まあ、いいや。それで、なんでも屋。結果はどうなったんだい?」

「報告の前にビジネスだ。調ペイ料をまず支払ってもらおうか」

 堂林が恭助に右手をさしのべた。

「ええっ、お金取るの? やだなあ、なんでも屋と俺の中じゃんか」

 恭助が笑顔で茶化した。

「あのなあ、断っておくが、俺はお前とそれほど親しい中だとは思ってはいない」

 ムッとしながらいいかえす堂林の姿を見て、麻祐が青葉にそっと耳打ちをした。

「少年期によく見られる人間関係ですね。いじめている方は、相手のことを『友達』だといい張ってずけずけと近づいてくるのに、いじめられている側が、それを拒めないでいる……」

「ちぇっ、仕方ないなあ。それでいくらになるのさ?」

 堂林がパチンと指を鳴らすと、秘書のリーサの口が動き出した。

「恭助さん、今回のご依頼の請求額チャージをお伝えします。古久根麻祐さんのお父さま、お母さまのお名前、さらにはお亡くなりになった理由解明の調査ということでしたが、調査費及び謝礼を含めて計算いたしますと、しめて五万と三千円となります。詳細は明細書に記してありますので、ご参考に。ただですね、今回は知り合いの恭助さんのたってのご依頼ということで、特別に三千円負けてあげて、トータルで五万円のご請求となりまーす」

「ゲゲッ、五万円も取るの? 暴利だ。たかが戸籍を調査してもらっただけなのに。どうしよう。青葉お金持ってる?」

 恭助がうろたえた。

「どうしましょう。私もそんなに持っていないわ」

 青葉が申し訳なさそうに答えた。

「先輩にしかりです。私もそんなには持っていません」

「結局、三人が出し合ったなけなしの金が三万円か。なんでも屋、これで勘弁しておくれよ」

 恭助が形だけの土下座をした。

「三万円だと? お前、この俺に赤字で我慢しろってことか?」

「いいじゃんか、なんでも屋と俺の中なんだからさあ」

 恭助が駄々をこねた。

「何度もいわせるな。貴様とはそんな親しい付き合いなんかじゃねえ。まあ、仕方ないな。じゃあ、二万円分の情報をこの中から抜かさせてもらうぜ」

 そういうと、堂林は報告書の袋の中から、なにやら書類を一枚だけ、中身を確認してから、すっと抜き取った。

「ええ、手抜き調査かよ。あーあ、プロ意識がないなあ。なんでも屋の名が泣くぜ」

 恭助がすかさず愚痴った。

「黙れ。こいつが欲しかったら、あらためて二万円を持って来い。まあ、心配するな。今入っている袋の中の書類だけで、あんたらの依頼内容はすべて解決済みのはずだ」

「そうだったんだ。さすがはなんでも屋だ。対応が大人だねえ」

「だがな、お嬢さん――」

 突然、堂林が麻祐の目をにらみつけた。

「はい……」

「あんた、この報告書を読む時は、くれぐれも覚悟を決めた方がいいぜ。よほどの事情がない限り、俺はこの報告書には目を通さない方がいいと思う! あんたの今後の大切な人生のためにもな」

 堂林がなにやら意味ありげな言葉を並べた。

「もう覚悟はできています。私にとって何よりも重要なことのためですから、たとえ報告書の内容がどのような結末であっても、なにも怖くはありません」

 麻祐は強く断言した。それを聞いた堂林は、あきらめたように両方の手の平を返した。

「いっておくが、俺ははっきりと忠告はしたからな。もう責任はないぜ。恭助――、お前にも警告しておく。そのお嬢さんは、この報告書を見るべきではない。一度目を通せば、もう取り返しがつかなくなってしまうってことだ。いいか。たとえ、一方的な婚約破棄という理不尽な境遇に立たされてもだ!」

 いつになく激しい口調で、堂林はしつこく警告を繰り返した。


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