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5.黒電話

 時刻は五時になっていた。真夏なのに北海道はこの時刻ともなると、もうかなり薄暗くなってくる。

「長旅お疲れ様です。もうじき、うちに着きますから」

 麻祐がそう告げると、恭助が、

「まゆゆ、最後に行きたいところがあるんだけど」

「ええ、今からですか。もう時間も遅いから、どこへも行けませんよ」

「大丈夫、大丈夫。たぶんこの近くにあるんだよ。幻の秘境駅跡がね」

「また秘境駅ですか。まさかの、ふるさと銀河ぎんが線の秘境駅ですか?」

 ふるさと銀河線とは、北海道ちほく高原鉄道の愛称で、帯広おびひろ市から目と鼻の先の池田いけだ町に端を発し、北見きたみ市にまで至る、全長百四十キロメートルに及ぶかつての鉄道路線である。二〇〇六年に廃止となって消えてしまったが、もしも現在まで存続していれば、麻祐の家の近くにも大誉地およち駅という名前の駅があったことになる。

「それそれ。その秘境駅は名前を『薫別くんべつ駅』というんだ。たぶん、まゆゆの家の近くなんだと思うけど」

「ふっ、薫別駅ですか……」

 麻祐がほくそえんだ。

「たしかにあそこは誰も人がいない秘境ですね」

「おー、まゆゆ、知ってるんだ」

「はい、うちの近くにかつてふるさと銀河線の大誉地およち駅という駅があったのですけども、薫別駅はその一つ手前の駅ですね。そこならすぐに行けますよ」

「うんうん、頼むよ、まゆゆ」


 ちほく高原鉄道の薫別くんべつ駅がかつてあった場所には、赤さびトタン屋根のほったて小屋のような待合室がポツンと残っているだけで、他には何もなかった。

「薫別駅――。正真正銘の究極の秘境駅です。うわさによると、廃線になる頃にはこの駅の年間平均利用客数は五人に満たなかったそうですね。ここに比べれば、うちらの最寄り駅『大誉地およち駅』の方がずっと利用客が多かったんですよ」

 日が暮れて辺りは間もなく真っ暗になろうかという宵の刻にもかかわらず、気温はまだちょっと蒸し暑かった。セレナから降りた恭助は待合室の前までやってきた。待合室の小屋のまわりにだけ、なぜか大きな三本の木が生えていて、遠くからでもその位置がよく目立った。

「線路はたぶんここにあったんだろうね。プラットホームも跡形なしか……」

 かつての線路や枕木は完全に撤去されていて、道路の踏切跡もきれいにならされていた。恭助は待合室の中をのぞき込んだ。

「あるある、有名な木のベンチだ!」

 待合室の中はつぎはぎだらけの木の板張りになっていた。手前と奥にそれぞれ採光用のガラス窓がはめ込まれている。近隣の住民による手作りのベンチが設置されているのだが、このベンチが極めて個性的で、細い蔓木つるぎを編んで作られた骸骨のような姿をしていて、うっかり腰掛けようものならすぐさまポキンと折れてしまいそうな、なんともたよりないベンチであった。壁のところどころに額付きの写真が貼られていて、隅にはこころばかりの本棚も置いてある。今でも地元住民のささやかな手入れがなされているというのだろうか。

「なんだかほっとしますねえ。こんないい場所があったんですねえ。ちっとも知りませんでした」

 板張りの地べたにじかにお尻をついて、天井を見上げながら、麻祐がほろりと本音をこぼした。青葉もまねをして床にお尻をついてみた。木の床板から伝わってくるかすかな冷たさがとても心地よかった。


 恭助たちが帰宅したのは七時過ぎになっていた。薫別駅になんだかんだで一時間以上もいた計算になる。麻祐の祖父が庭までじきじきに出迎えてくれた。

「麻祐。お客さんらは晩飯済ませたべか?」

 祖父が麻祐に訊ねた。

「ああ、帰りに済ませたっぺ、じっちゃん。それより、お風呂は沸いてるっしょ」

「沸いてるべえ。やっと順番に入れさあ」

 青葉と恭助は老人に会釈して、母屋の中へ入っていった。

「へえ、まゆゆのおじいちゃんとおばあちゃんってどっちも元気だねえ。ところで、お父さんとお母さんはどうしているの?」

 歩きながら恭助がさり気なく麻祐に訊ねた。

「父と母は、どちらもいません」

 麻祐がさらっと答えた。

「いない?」

「ええ、両方とも死んでしまいましたから……」

 予期せぬ返答に、青葉と恭助は互いに顔を見合わせた。

「ええっ、そうだったのか。なんていったらいいのか分からないけど、とにかく、ええと……、まあその、お悔やみ申し上げます」

 恭助のトーンが徐々に下がっていった。

「麻祐ちゃん、ごめんなさい。恭ちゃんっていつも軽率なんだから」

 すかさず青葉が謝った。

「いいえ、気にしていませんから。それに、恭助さんが軽い人だってことは、もうよく分かっていますし……」

 表情を変えずに麻祐は答えた。


 恭助が風呂から出てきた時、玄関口に置かれた今ではほとんど見かけなくなった黒色の固定電話の受話器を片手に、麻祐が誰かと話をしていた。ただ、いつもの天真爛漫な彼女らしくない、しごく丁寧な言葉遣いであった。

「はい、そうですか……。あっ、そのう。……。分かりました」

 そう告げると、麻祐はうなだれるように受話器をおろした。その瞬間にチャリンという音が鳴った。よく見ると彼女のほおから一筋の涙がこぼれていた。

「まゆゆ、どうかしたの?」

 恭助がなにげなく声を掛けると、麻祐が驚いたようにこちらを振り返った。

「あら、恭助さん。いつからそこにいたんですか?」

「えっ、今、風呂から上がったところだったけどさ。なにかあったの?」

 恭助の問いかけに、いよいよ麻祐の表情が崩れてしまい、涙が目から止めどなくあふれ出してきた。

「あれれ、まゆゆ。どうしたのさ」

 麻祐が恭助に抱き着いてきた。困惑する恭助の胸元に顔をうずめながら、麻祐はいつまでも泣き続けた。


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