22.目撃者
志貴子は訪問者の三人を家の中へ招き入れた。さほど広くない家であるが、こざっぱりしていて、家具も最小限のものしか置いてなく、三人がフロアに座っても十分にくつろげるくらいのスペースができていた。棚の上にはガラスケースに収められた市松人形が飾ってあった。黒髪のおかっぱ頭で、緋色の鮮やかな着物をまとった可愛らしい少女である。
志貴子は温かいお茶を運んできたが、三人がまだ夕食を口にしていないことを聞くと、あわてて何かを用意するといって立ち上がろうとしたのを、恭助が、まず先に話を済ませたいと告げて、志貴子を強引に座らせた。
「麻祐が来たっちゅうことは、葛輪で起こった事件のことを聞きたいっちゅうことかいね?」
志貴子は穏やかな口調で話を切り出した。六十は優に超えた感じの老女だが、かつてはそれなりの美人であった面影をいくらか残している。かさかさの口元のまわりには、縦方向に数本のしわが走っていた。
「その通りです。息子の守さんが事件の犯人とされていますけど、本当に彼の仕業だったのでしょうか?」
恭助がさりげなく応対した。いつもの彼らしく、単刀直入の質問であった。
「さあ、分からんけんど、うちにはどうしても息子が犯人やったなんて思えやせん」
「なぜですか?」
「守は、一見不愛想でいつもざっくばらんに振舞っとるが、ありゃ見せかけで、本当はとても繊細で気が小せいがや。あんな大それたことができる子じゃありやせん。
それに、事件当日の公民館へ出掛ける時も、嫁が村ん衆に受け入れられんと厄介じゃから、今日の集いはとても重要なんさ、と意気込んどったさかいね。もし守が犯人だっちゅうなら、あんな発言はせなんだやろ」
いい終えると、志貴子は自らを納得させるかのように、小さく頷いた。
「その富岐の会に、あなたご自身は出席されませんでしたが、どうしてですか?」
「あの日、うちは孫の面倒を見にゃならんかったがね。守は、会では嫁の紹介だけをするっちゅうて、子供は家に残したがや。あん時はまだ三歳じゃったさかいね」
そう告げて、志貴子は麻祐にそっと目を向けた。
「守さんが出掛ける前に、会長さんから電話があったそうですが?」
「ええ」
「何時頃でしたか?」
「五時十五分やね。警察からも何度も訊かれたわ」
「そのあと、守さんはすぐには会長宅へは行かずに、二十分ほど経ってから訪れましたよね。どうしてすぐに行かなかったのですか」
恭助の直球の質問に、志貴子は一瞬口ごもった。
「それは……、あん時の外は、ものすごい土砂降りじゃったさかいね」
恭助の目がきらりと輝いた。
「やはり、その日の夕刻には大雨が降っていたんですね。うんうん。それで息子さんはしばらく待機したと……?」
「そうやね」
志貴子は顔色を変えることなく、静かに答えた。
その時、バタンと玄関のドアが開く音がした。
「ああ、帰ってきたわ――」
物音に気付いた志貴子が、廊下の方へふっと目をやった。やがて、ふすまがさっと開いて、若い女性が顔をのぞかせた。
「ばあちゃん、下足箱に靴がたくさんあったけど、誰かお客さん来とるの?」
部屋に入ってきたその女の子を目の当たりにした麻祐は、思わずあっと叫び声をあげた。
彼女と麻祐――、この二人は、背丈から始まり顔かたちに至るまで、何から何までまったくの瓜二つであったのだ!
「ミユ、お帰り――。みなさん、こちらは孫娘の美祐やがいね」
麻祐にそっくりな若い女性を、志貴子は三人に紹介した。紹介された女性も、目を丸くしたまま声を出せないでいる。無理もないが、自分を鏡に映したかのようなまったく同じ容姿をした別の人物に不意に出会ってしまうと、大なり小なり、誰でも困惑状態に陥ってしまうということのようだ。
「もしかして、二人は双生児なのですか?」
ようやく青葉が落ち着きを取り戻して、たどたどしい口ぶりで声を発した。
「そうやね。麻祐と美祐は、守と恵理さんの間に生まれた双生児の姉妹や」
志貴子が説明した。
「恭助さんは、まさか……、こうなる事態を予測して、ここへやって来たのですか?」
不意に麻祐が恭助の方を振り返った。
「そうだよ」
恭助が、そっけなく答えた。
「今回の事件の発端となったまゆゆの小さい頃の記憶――、つまりは回想のことだね。そいつをもう一度思い返してみようよ。
公民館へ向かう途中にあった石垣を、三歳のまゆゆがのぼってしまい、それを見つけた守が、慌ててまゆゆを抱きかかえて下へおろしたという出来事だけど、その時のことを説明したまゆゆの言葉からは、まるでまゆゆが、まゆゆ自身の姿を石垣の下からのぞいているかのような描写で語っていたのが、俺は気になった。
というのも、まゆゆの性格は主観視型なのに、まゆゆが語った説明は客観視型になっていたからだ。
ほかにも、事件真っ最中の惨憺たる現場の中で、テーブルの下へもぐりこんで何かを見た、という今回の事件の鍵を握る極めて重大なまゆゆの記憶も、まゆゆ自身がびっくりした顔をしていた、とか、要所要所での説明が客観視型なんだよね。おまけに、まゆゆは自分が見たはずの光景を、全く思い出せずにいるしまつだ。
俺はこれらのことがずっと腑に落ちなかったんだけど、よく考えてみるとすべてを上手に説明できる答えが一つある。それは、まゆゆが自分自身だと思い込んでいる記憶の中のまゆゆは、実はまゆゆじゃない別の少女だった、という答えだ。
仮にもし、まゆゆ自身が、自分だったと勘違いをして記憶にとどめてしまうほどまで、まゆゆにそっくりな女の子がいたとすれば、それはまゆゆと同じ両親から生まれた子供であろうと考えられる。
では、それはまゆゆの姉だったのか? いや、それはない。なぜなら、守と恵理が出会って、すぐにできちゃった婚で生まれた女の子がまゆゆだったんだ。だから、まゆゆの姉がいた可能性は、まっ先に否定される。
では、まゆゆよりも年下の妹だったという可能性は? いや、それもあり得ない。なぜなら、まゆゆの記憶によれば、当時のまゆゆは年齢が三歳だった。もしも、まゆゆに妹がいたとしても、必然的に年齢が二歳以下だったことになる。そこまで小さな子供だと、自力であの石垣にのぼることが無理だろう。
すなわち、まゆゆの記憶を矛盾なく説明するためには、まゆゆに双生児の姉妹がいなければならなくなるのさ。そして、もしその姉妹がいるとすれば、志貴子と一緒に暮らしている可能性が極めて高い、と俺は睨んだわけだよね」
「じゃあ、事件の直前に風邪をひいて寝込んでいたというのは?」
戸惑いつつも、かろうじて麻祐は質問を返すことができた。
「そいつはたぶん、みゆゆの方が熱を出していたのだろうね」
恭助があっさりと答えた。隣に座っていた青葉が、ああ、断りもなく『みゆゆ』と彼女のことを愛称で呼んでしまった。初対面なのに……。でも、恭ちゃんなら仕方ないわね、と声には出さずに自らを納得させていた。
「で、でも、どうして、この年になるまで、互いの存在に気付かずに生活ができたんですか?」
「そうよ、おばあちゃん。こんな大事なこと、今までどうして教えてくれなかったのよ!」
美祐と呼ばれた女性も、冷静さを失って声を荒げていた。
「それはなあ……」
志貴子が重々しく口を開いた。
「二人の子供を残したまま両親は死んじまって、それに守は事件の容疑者とまでされてしもた。なーん、うちはあの子が起こしたなんて、決して信じちゃおらなんだけど、恵理さんのご両親から見れば、守を信じ切ることなどできやせなんだ。そやさかい、二人の子供は両方とも引き取ると、向こうは強引に要求してきたけんど、うちにだって意地がある。あなたたちにとってもかわいい孫であるっちゅうがなら、うちにとっても唯一の大切な孫なのさ。そやさかい、最後にゃ、姉の麻祐を向こうで、妹の美祐はうちが引き取って、それぞれで育てることにしたがや。考え得る限りのぎりぎりの妥協案さね。そやけど、向こうからはさらに、今後麻祐が守の娘だとバレることは断じて困るさかい、うちたちとは一切縁を切って、互いのことは干渉しないようにする契約書を書かされたんさ。それに関しちゃ、うちは別にかまわなんだ。美祐と一緒に生活ができるがなら、麻祐を手放すことはやむを得んと思ったがね」
「でも、戸籍にだけはしっかりと二人の関係が残っていた……」
恭助が横から口をはさんだ。
「そいつを見つけ出したなんでも屋は、いったんは報告書にその事実を書き込んだものの、俺たちの値切り交渉に腹を立てて、ついにはそれを記載した用紙を一枚だけ抜き取ってしまった、というわけだね。はははっ」
「つくづくケツの穴の小っちゃな男ですね。堂林ってやろうは……」
「まゆゆ、その……、何度も繰り返すけど、婚姻前のレディが放送禁止用語をあまり軽率に口にしない方がいいと思うよ」
麻祐のした発言に、恭助は小声でたしなめた。
「それじゃあ、事件現場にて重大ななにかを目撃した少女は、この私ではなくて……」
「そう。まゆゆではなくて、みゆゆだったんだ!」
「守は公民館へは恵理さんだけを連れていき、子供たちをお披露目するのは後日で良いといい張っとったけど、うちはほんな面倒なことはせんで、恵理さんを披露した頃合いを見計ろうて、こっそり子供たちも公民館へ連れていこうて思うとった。もちろん、守には内緒でな。どうせ守のことやさかい、知り合うてすぐにできちまった子供を村の衆にお披露目するんは恥ずかしやさかい、ためろうたのやて、うちは思うけどな」
志貴子がとつとつと当時の様子を語り出した。
「せやさかい、うちは子供たちを連れて、夜の公民館へ出かけていった。時刻は八時よりは前やったように思う。玄関口を入ると、中で何やら大騒ぎとなっとるで、うちは廊下から部屋の仕切りのふすま戸を開けて、中をのぞき込んだのさ。じゃけん、そこにゃとんでもねえ凄惨な光景が繰り広げられとった。
気が付くと、美祐の姿がなかったんさ。麻祐の方はおびえ切ったままうちのうしろに隠れてぶるぶると震えとった。うちは冷静さを保とうと、必死に歯を食いしばって、それから中の様子をもう一度のぞき込んでみた。すると、近くのテーブルの下に美祐が潜り込んどった。うちは、そん時、何か面倒なことになるんはごめんや、て思うたさかい、とっさに美祐に声を掛けちまった。『さあ、こっちへおいで、ミユ……』ってな」
「私はあなたのうしろにいたまま、同時にその様子を見ていたというのですね」
麻祐がようやく納得したようにつぶやいた。
「とどのつまり、全国を震撼させたミステリアスな細池毒果実酒事件の、謎解きの最後の鍵を握る最重要目撃者こそが、ここにいらせるみゆゆ様、ということになるのだよね」
恭助がいい終えると、全員の目が一斉に美祐に集中した。
「私があの時に見たのは……」
美祐が意を決したように語り出した。
「私の目の前で、細くて雪のように真っ白な指が、両手で何かをつかんでいました。キュキュッと音がしてから、そのあとで、ポンと小さな音がして、つかんでいたものが一瞬で二つに引き離されたんです。片方は、ばねみたいにくるくるとした形状で、光っていたから金属だったと思います。もう片方は、小さな茶色い塊でした。私はなぜか妙に引き込まれて、その様子をじっと見ていたんですが、細い指の人がテーブルの下に隠れている私に気付いたみたいで、ぬっと顔をのぞかせてきたんです。その人は、眉が細くてきれいな若い女の人だったように思います――」
美祐の発言を横で聞いていた恭助が、納得したように大きくうなずいた。
「真っ白で細い指、眉が細い人、ということだから、おそらくその人物は女性だ。しかも、しっかりとメイクを心がけた女性ということになる。酒を食らって大声でわめいているような太ったおばさんたちでないことは明らかだ。富岐の会の参加者で、そのような条件に該当しそうな人物といえば……」
一言余分な恭助の発言を聞いていた青葉が、申し訳なさそうに顔をうつぶせた。
「まずは美人の亀井ゆり子――」
青葉の素振りに全く気付いていない恭助は、いよいよ饒舌になってきた。
「それに、同じく若くて美人だった宮地奈美香……。どう考えてもこの二人が本命だな。
ほかには、酒屋の山村景子も当時は若かったから、その人物であった可能性は残る。ほんのわずかだけどね。薬屋の小林桐子は、化粧けもないし、まあ除いてもかまわないだろうね」
「鈴屋のおかみさんは?」
麻祐が口をはさんだ。
「彼女は事件当時には、まだこの村に嫁いでいなかったよね。会にも参加をしていないから、除外される。
あとは、弓削恵理子は若い女性だけど除外していいだろう。だってその人物が恵理子だったら、みゆゆは、見知らぬ眉の細い人ではなくてお母さんだったと、はっきりと認識しているはずだからね。
それ以外の女性陣、弓削小夜子や恩田のぞみも、すでに容姿がおばさん化していたことは間違いないから、速攻で除外だ」
恭助が高らかに宣言した。
「ちょっと待ってくださいよ。その中で、事件で死んでしまったゆり子と奈美香は、小夜子とのぞみもそうですが、毒を飲まされて苦しんでいるはずだから、美祐が目撃した人物ではあり得ませんよね。それに、山村景子もたしか服毒させられた被害者だったから、そうなると、美祐が見た人物って、誰も該当者がいなくなっちゃうじゃないですか?」
「いいえ、麻祐ちゃん。それは違うわ。会の参加者には、私たちが把握できていない女性がまだ数人いるはずよ。たしか参加した女性は、全部で十一名いたとかつて聞いたような気がするわ」
麻祐の発言に、青葉が反論した。
「十一名ということは、まだ分かっていない女性が、ええと……、四人ですか」
「宮地久子もいたから、三人だね。それから、散髪屋の夫人がいたという証言もあったけど、それでもまだ二人残っているなあ……」
恭助が他人行儀な口ぶりでつぶやいた。
「美祐が見た人物が誰なのか分からないようじゃ、事態は何も進展していないじゃないですか」
麻祐が不満そうに口を尖らせた。
「そうでもないよ。だって、みゆゆが見た人物が手にしていたものってなんだい?」
「それは……、はっ、紛失したコルク栓ですね。その人物は、栓抜きに付いていたコルク栓を栓抜きから外そうとしていたんですね」
「そうだよね。そして、その人物がおそらくコルク栓を持ち去ったんだ」
「つまりは、犯人だったということですよね。いったい誰なんですか? その人物は……」
麻祐が逆に恭助へ問いかけた。
「だけど、そのあとで警察が全員の身体検査をしているわよ、その時に、その人物はコルク栓をどこへ隠したのかしら?」
続いて、青葉が恭助に質問をした。
「それよりも、なぜ犯人は、いえ、その人物はコルク栓なんか持ち去ろうとしたのでしょうね?」
今度は美祐がさりげなく疑問を口に出した。それを聞いて、麻祐が目を丸くした。
「あれれっ、美祐。なかなか鋭い指摘じゃないですか。そうですよ。恭助さん、いったいどうして犯人はコルク栓なんかを持ち去ろうとしたのでしょう?」
三人の女性の視線が一斉に恭助に集まった。そのさなか、恭助がすくっと床から立ち上がった。
「もう少し待ってくれ。いろんな情報が飛び込んできて、実は俺自身も混乱をしているんだよ。でも、みゆゆの証言が俺の推理の後押ししてくれたことは間違いないから、明日になれば考えはまとまると思うんだ。だから大船に乗ったつもりで安心していいから、今晩はしっかりと寝ることにしようぜ。
あっ、おばさん、お風呂って湧いているんだよね? 俺、風呂はぬるめが好きなんだけど大丈夫かなあ」
志貴子をおばさん呼ばわりしながら、恭助がなれなれしく要望を出した。青葉が蒼ざめて志貴子に頭を下げた。
「あの、ごめんなさい。私たち、まだ今晩の宿を取っていなくて、これから町へ戻ろうと思っていますけど。今の恭ちゃんの発言は、全然お気になさらないでください」
「あっ、先輩。大丈夫ですよ。たぶん……。ねっ、美祐。こういうことですから、私たち今晩泊まるところがないんです。
そこで……、どうかお願いです、ここに泊めてください!」
麻祐は厚かましく嘆願してから、とって返して、その場で両手をついて土下座を始めた。
「いいよね、おばあちゃん?」
美祐が志貴子に目を向けた。
「もちろん、かまいやしないさ。遠慮なく泊まっていかれ」
志貴子はにっこりと微笑みながら、優しい口調で答えた。




