21.輪島市
「急に猪谷駅なんかへやって来て、これからいったいどうするつもりなんですか?」
こらえていたものを一気に吐き出すかのように、麻祐がぼやきを恭助にぶちかました。
「ええと、これから列車に乗って移動するつもりだけど」
恭助がいつもの飄々とした顔で答えた。
「どこへいくのですか?」
「能登半島……」
「能登半島ですって? 私の記憶がたしかなら、関西の紀伊半島、我が北海道が誇る渡島半島、そして、関東の房総半島に続く、全国第四番目に大きな面積を持つ半島じゃないですか。たしか、半島内を走っていた唯一の鉄道がすでに廃線となってしまって、いまや公共交通機関たるものが途絶えてしまった過疎地域ですから、電車に乗ったところで、おそらく半島の付け根までしか行けなかったはずですよ。
その能登半島の、どこへ行くつもりなのですか? まあ、一言で能登半島といっても、かなりの広さがありますからねえ。目的地が半島のこっち側ならまだしも、あっち側だとすると、さあ大変です」
「ええとね、たしか、輪島市とかいっていたなあ」
「輪島ですって? それって、あっち側です……。どうするんですか、恭助さん!」
「どうするっていわれても、とにかく行くしかないみたいだね」
「そこへ行って、なにをするつもりなの?」
青葉も心配そうな表情で、口をはさんできた。
「事件の最後の手掛かりの持っている人物に会いに行くのさ」
「最後の手掛かりを持つ人物?」
「弓削志貴子だよ。彼女の実家が能登半島にあることを、さっき柿沼警部から教えてもらったのさ。葛和村を追い出されて居場所を失った志貴子が向かう場所といえば、生まれ故郷のほかは思い浮かばないからね」
「なるほど。恭助さんの意図はよおく分かりました。でも、それで本当に有益な情報が得られますかねえ?」
「そもそも確実に会える保証もないわよね」
「まあ、そうだね。でも、俺の直感では、志貴子に会えば事件解決の最後のピースが手に入るような気がするんだ」
「最後のピースですか……」
「そう。そして、そのピースこそが、なんでも屋が俺たちにひた隠した、あの一枚の報告書に書かれた内容じゃないかと、俺は踏んでいる」
「あやつはいったいなにを隠したのでしょうね?」
「さあね……。まあそれも、行ってみれば分かることなんじゃないかなあ?」
恭助が唐突に意味ありげな含み笑いをした。
「ふーん。なんだかおおかたの察しが付いているような口ぶりですね。まあ、いいでしょう。行きましょう。いざ、能登へ……」
能登半島の北部に位置し、日本海に面した石川県の輪島市へ行くには、猪谷駅からは、まず高山線で終着駅の富山まで行って、そこから北陸新幹線に乗り換えて金沢へ移動したのちに、高速バスを利用して、二時間ほどかけてようやく到着することができる。葛輪村へどうしても戻らなければならなかった弓削巡査部長とはここで別れて、恭助たち三人は高山線で富山を目指した。
「恭助さん、どうしても分からないことが一つあるのですけど、聞いてもらえますか?」
車内で突然、麻祐が恭助に語りかけた。
「いいよ、まゆゆ。なにか気になることがあるのかい?」
「ええ、いくら考えてもつじつまが合わないのです」
「なんの?」
「宮地久子がした話を覚えていますか? それによれば、事件当日、娘の宮地奈美香と弓削鉄男が家の近くで立ち話をしていますが、その時刻はたしか午後三時より前でした。一方で、鉄男がした証言によれば、鉄男が酒屋を出たのが四時半で、それから戻ってきて、奈美香と出会い、そのあとで立ち話をしたということでした。
酒屋から会長宅近くまで歩けば、どう急いだところで二十分はかかりますよね。ということは、立ち話をしていた時刻が、五時近くになってしまうのです。どうです、この二人の証言って、明らかに食い違っているでしょう?」
「そうだね。二人の証言は真っ向から対立している」
間髪を入れずに、恭助が答えた。
「二人のうちのどちらかが、嘘を騙っているということ?」
今度は青葉が問いかけた。
「まさか、鉄男と奈美香が同じ日に二度立ち話をするという不可解な行動を取らない限り、少なくとも鉄男と久子のうちの片方が嘘を吐いていることになるよね。じゃあ、いったいどちらが嘘を吐いているのだろう?」
「心情的に私は久子を信じたいですけど、残念ですが、久子が嘘を吐いている、と結論付けざるを得ませんね」
「どうして?」
「だって、鉄男の証言は、酒屋の夫婦と会長の証言とも符合しているのですよ。もし鉄男が嘘を吐いているとすれば、それは同時に、酒屋夫婦と会長を含めた四人が、同時に嘘を騙っていることとなってしまうのです」
「ちょっと待ってよ。まゆゆは今、酒屋夫婦といったけど、鉄男が四時半に酒屋を出たと証言したのは、主人の清志だけだよね。景子はその時に店にはいなかったと、清志自身がはっきりと証言している」
「そうでしたっけ? まあ、いずれにせよ、鉄男が偽証をしたとすれば、それは同時に、鉄男と酒屋主人と会長の三人が、そろって嘘を吐いていなければなりません」
じっと考え込んでいた青葉が、ポツリとつぶやいた。
「うーん、でも、鉄男の証言が正しかったとすれば、会長にワイン瓶を手渡した時刻も五時頃となるのよね」
「そうですよ、先輩」
「そして、その時刻には、日が照っていてとても暑かったと、鉄男はたしかいっていたわよね」
「そうでしたよね」
「でも、それと同じ時刻に、コウメイ先生が公民館へ向かって歩いていたはずよ!」
「先輩は、もしかして、エロじじいと鉄男が出くわさなかったことがおかしいとでもいいたいのですか? そんなの、わずかな時間差ですれ違ったとすれば、ちっともおかしくなんかありませんよ」
「いいえ、おかしい点はそこじゃないのよ。たしかコウメイ先生の証言によれば、公民館へ着いたのが五時少し前だったけど、その時刻になってから急に、ものすごい夕立が降ってきたとも証言していたわ!」
青葉の指摘を聞いた後、三人の間には凍り付いたような沈黙がしばらく続いた。
「ふふふっ、その通りだよ」
おかしさをこらえるような表情で、恭助が最初に発言をした。
「この点に関して、鉄男の証言とコウメイ先生の証言は、真っ向から矛盾しているのさ。
つまりは、鉄男と酒屋の主人、それに道夫が嘘を吐いているか、久子とコウメイ先生が嘘を吐いているか、という二択となる。さあ、これで双方の戦力が三対二となったね」
麻祐は、依然として何もいい返すことができずに、黙って恭助を見つめていた。
「ところで、仮に久子が嘘を吐いたとして、五時に起こった立ち話の出来事を、三時だったと偽証したところで、彼女になにか得があっただろうか? 彼女にとって明確なメリットがあったとは考えられない。それに、コウメイ先生と久子の間に、取り立てて協力をしそうな動機があるようにも思えない。
それに対して、道夫、鉄男、酒屋主人の三人組となると、こいつらがそろって口裏合わせをしそうな動機は大いにあり得る!」
「どうしてですか?」
ようやく、麻祐が口を開いた。
「道夫がワイン瓶を手にした時刻を五時とすれば、その直後に守に手渡したことになるから、道夫自身にワイン瓶に小細工をする機会がなかったことを裏付けることができる。この事件で毒を仕込めた人物がいるとすれば、それは守しかいない、と結論付けられるんだ。
もし、守が容疑者でなかったら、この事件で一番怪しまれた人物は誰あろう、道夫自身だよね。妻を殺したかったか、あるいは、愛人を亡き者にしたかったか。彼にはさまざまな動機が想定される」
「それであの二人に偽証を強要したわけですか? でも、よくいうことを聞きましたよね」
「鉄男は、かつて道夫から村八分の件で恩恵を受けているから、道夫の命令には絶対に従わざるを得ない。酒屋の主人だって、金持ちの道夫は大切なパトロンだ。道夫が頼めば、迷うことなく口裏合わせをしてくれるだろうね」
「父は、まんまとその計略に嵌められたってわけですか?」
「その可能性は十分にあり得るね……」
北陸新幹線つるぎ号に乗れば、富山から金沢まではあっという間であった。金沢駅にはガラス張りの巨大なドームの空間できていて、その先にある兼六園口を出たところに、バス乗り場のロータリーがあった。恭助たちは一番乗り場から発車をする輪島行きの特急バスに乗り込んだ。
バスが輪島市内へ到着したのは六時近くになっていた。まだ夕日がまぶしいものの、陽が暮れるのもそうは遅くならないはずだ。
「とりあえず今夜宿泊するホテルを探さなければなりませんね。でもあまりお高いところはやめましょう。もう軍資金が限界です」
「そいつはお互い様さ。じゃあ、直接目的地へ行くとしようか。歩いても、せいぜい一時間程度で着くと思うよ」
「目的地って、おばあさんの――、いえ、志貴子の家ですか?」
父方の祖母である志貴子に会うことに関して、麻祐にはいくらか戸惑いがあるようだった。
「でも、せっかく行っても相手先が留守ってことはないかしら?」
青葉がポツリとつぶやいた。
「それはあるかもしれないね。なにしろ、アポを取っているわけじゃないからね。はははっ」
あきらめたように、麻祐が大きくため息を吐いた。
「どうぞ、ご勝手に。どうせ、どこまでも付いていく覚悟でしたから……」
海岸線を走る道路を、東へ向かって突き進むと、やがて街並みが途絶えて、景色が一気に寂しくなった。左手には勇壮な日本海が広がっているのだが、今日は風もなくて、比較的穏やかな様相を呈していた。小一時間ほど歩くと小学校があって、そこから丘へ延びた小道を進んでいくと、ちょっとした住宅地となっていた。番地が書かれた住居表示の看板とスマホのメモとを交互に確認しながら、急坂の途中にたたずむとある一軒家の前で、恭助はピタリと歩みを止めた。玄関口の白いモルタル壁には、『新谷』と刻まれたかまぼこ板のような木の表札が掲げられてあった。
「どうやらここで間違いはなさそうだな。志貴子は、結婚して『弓削』という姓になったけど、もともとは『新谷』という姓だったのさ」
そういって、恭助は呼び鈴のボタンを押した。しばらくすると、腰が曲がった背の低い女性が現れた。女性からの、どなたですか、との問いかけに、恭助は、愛知県からやって来た学生です、と一言告げただけで、後ろで控える麻祐を手招きをして呼び寄せた。緊張をしていたのか、喜怒哀楽を押し隠した表情で、麻祐は静かに恭助の横に立った。その麻祐の顔を一目見るなり、腰の曲がった女性はあっと大きな声を張り上げた。
「お前……、もしかして、マユかいね……?」
そういわれて、今度は麻祐が目を丸くする。
「はっ、はい、そうです……。でも、どうして分かったのですか?」
横にいる恭助だけが一人、口を押えながらくすくすと笑っていた。




