15.避妊具
「恭助さん、これからどこへ行くのですか?」
酒屋から外へ出たところで、麻祐が訊ねた。
「富岐の会の参加者は、まだいるからね。とりあえず、片っぱしから当たっていこうよ。
ここからだと、まずは、商店街の散髪屋に、薬屋だな。蓮照寺の和尚にも会っておきたいし、それから、被害者の遺族である、宮地久子と、診療所のコウメイ先生。でも鈴屋の主人の話によれば、弓削志貴子は、もうこの村にはいないらしいから、彼女に会うのは無理なのかな……」
恭助たちはまず散髪屋を訪れることにした。散髪屋は山村酒店のすぐ向かいである。看板こそ弓削理髪店となっているが、実際に経営している人の名前は、後藤だった。店の看板がとてもインパクトがあって立派だから、取り外してはいないが、弓削さんはもう経営していない、とのことだった。後藤の話では、富岐の会に参加していた弓削夫妻は、とうの昔に村から引っ越ししてしまったそうで、理由こそはっきりとは告げなかったが、やはり事件のあとで、村にはあまりいたくはなかったのではないか、ということだった。
次に恭助たちが出向いたのは、小林薬店である。店主の小林桐子は、事務的な眼鏡を掛けて、不愛想な表情をした、初老の女性だった。女性としての器量はほとんど感じられず、かっこいい男性が通り過ぎようが、いっさい気にも留めなさそうな雰囲気だった。
「あの事件の話が聞きたいですって? はるか大昔のことだし、あまり思い出したくもないことですからねえ。私はたまたまワインに手を付けなかったから運が良かったけど、飲んでいたら死んでいたわけだし、本当に、冗談じゃないわ!」
最後は吐き捨てるように、桐子は答えた。
「お酒を飲めないことも、たまには幸いとなるのですね」
桐子にもっと話をさせようと、恭助なりの気を遣った発言だ。
「違うわよ。本当のところ、私はお酒に関しては底無しなの。でも、あの日はたまたま車を運転していったから、遠慮しただけなのよ」
「酒屋の山村夫妻も、そういえば、当日は車で公民館へ行った、とかいっていましたね」
「ふん、能天気な清志らしいわ。飲酒運転上等、お構いなし、ってことよ。まあ、こんなド田舎の葛和村で、真夜中に警察に取り締まられる危険性なんて、さざれ石がいわおにまで成長する可能性よりも、ずっと低いのでしょうけどねえ」
桐子は簡単にいえば済みそうな皮肉を、あえて無意味に長い表現で答えた。案外、話好きな性格のようにも思われる。
「会が始まってから、なにか気付いたことはなかった?」
「さあ、別に」
「ワインの蓋を開けたのは、本当に守だったの?」
相手を見て臨機応変に切り替えるのか、恭助の話し言葉は、いつものタメ口と化していた。
「ああ、それは間違いないわ。最初はコルクの栓抜きがどこかにないかと喚いていたけど、すぐに見つかったみたいで、少ししてからポンっとコルク栓が弾ける音がしたわ」
「栓抜きはT字型をした、力で開けるやつだよね」
「そうよ……」
「音が本当に聞こえたの?」
「ええ、私は守にわりと近いところで座っていたから、はっきりと聞こえたわ」
桐子はきっぱりといい切った。
「それにね、守は栓を開けた時、コルクがボロボロと崩れてヤバかったけど、どうにか抜けたっちゃ、といって、笑っていたのよ。
もし私が信用できないっていうんだったら、誰かほかの人にも聞いてみなさい。きっと、みんな同じことを証言するはずだから」
最後はムスッとしながらも、桐子は、守の手によってコルク栓が開けられたことを、断言した。
「職業柄、薬剤に関する知識が豊富だろうから、聞きたいんだけどさ、事件で使用された毒の種類は、分からないかなあ」
さりげなく恭助は話題を切り変えた。
「警察の説明を聞いているけど、私が直接調べたわけではないから、想像の範疇でしか答えられないわ。でも、使われた毒は、まず間違いなく農薬ね。それも有機リン系のテップ剤。一九七〇年には、国から使用と販売が禁止されてしまったほどの、とんでもない猛毒よ」
「そんな危険な薬品が、なんで売られていたの?」
「さあね、当時はその危険性がよく分かっていなかったんじゃないの? 実際、お茶栽培の時、ウンカやアブラムシなんかの害虫を駆除するのには、相当効果があったみたいよ。だから、販売が法律で禁止されたあとでも、しばらくの間、商品は市場に出回っていたらしいし、農家の倉庫にも、ずっと使われないままで保管されていたものがかなりあったと思われるわ。実際、事件が起こった一九九九年に、警察が強制捜査をしたところ、守の家から、『ニッカリンT』というテップ剤の農薬が出てきたそうよ」
「なるほど、お茶栽培のための農薬、ニッカリンね。でもそういうことなら、犯人じゃなくたって、その農薬を所有する村人は、ほかにもいたんじゃないのかなあ」
「そうかもしれないわね。まあ、法律で使用禁止にされたんじゃ、使うわけにはいかないから、廃棄するか、そのまま放置し続けるのか、そのどちらかしか選択肢はないからね」
「とどのつまり、ニッカリンを所持していたという理由だけでは、守を犯人と決めつけるわけにはいかなかったはずだ。それにもかかわらず、警察は守を犯人とはっきり断定した。どうしてだろう?」
恭助が首をかしげるふりをすると、それを見て、桐子が答えた。
「簡単よ。本人が自白をしたからよ!」
「自白?」
「ええ。警察から疑いをかけられた守は、もはや逃げられぬと観念したのか、事件の五日後になって、姿をくらませたのよ。わざわざ家から日本刀まで持ち出してね」
「日本刀ですって?」
青葉が甲高い声を発した。
「おそらく近隣のどこかの山へ逃げ込んだのだろう、ということになって、村人たちと警察が協力をして、大規模な山狩りが行われたの。それから三日経って、古狐山の山頂で、守の遺体が発見されたわ。結局のところ、自殺をしていたみたいだけど」
桐子は、驚いている青葉には目もくれず、淡々としゃべり続けた。
「遺書も発見されて、そこに事件の詳細が記載されていたらしく、犯行を自白するコメントも書いてあったそうよ。
まあこれで、犯人であることは確定よね。もしそうじゃなかったら、村人の中に犯人がいなければならないのだから、怖くて、夜もおちおち寝らなくなっちゃうわ!」
そういって、桐子はふっとため息を吐いた。
「犯人の弓削守ってどんな人?」
「女たらしの色情狂ね」
「女たらしだって?」
「ええ。あれは金曜日だったから、事件が起こる五日前ってことになるかしら。守はうちへやって来て、男性用避妊具を二箱購入して、帰っていったわ」
「コンドームだって?」
恭助が目を丸くした。
「そうよ。この村で欲しくなったら、うちの店頭で買うしかないからねえ」
「ひとつの箱にいくつ入っていたの?」
桐子は立ち上がって、レジの正面に置かれた棚の一番奥まで行って、名刺ほどの大きさの箱を取ってきた。
「たしか、この商品だったかしらね。だとしたら、五個よ……」
「つまり、二箱で十個を買って行ったことになるんだね。まあ夫婦生活にも、いろいろとあるのだろうしねえ」
恭助が茶化すように笑った。
「ふっ、夫婦生活ねえ……」
なにかをほのめかすかのように、今度は桐子が含み笑いで返した。