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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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王子様は従者様

作者: みや毛

「何故ですか!兄上!」

「何故、何故だと!お前が何故と問うのか!」


その叫びは血を吐くようであった、あまりにも我儘で、傲慢で、惨めで、それでいてその耳障りな言葉に魂を編んだようだった。その慟哭を受けて波打つ金髪の美男子は僅かに身を強張らせた、それでも消して目を背けはしない。その清廉な姿に叫ぶ男は一層憎しみを滾らせる、憎い、憎い、憎い。血走った目、乱れた髪、そして男のまとう怨念は向かい立つ者共にもしや幽鬼ではと錯覚させるほど。有象無象に恐れの目で見られることも気にせず男はぐちゃぐちゃと枯れ木のような指で前髪をかき混ぜる。


「昔からだ!昔からお前はその目で私を見る!哀れんでいる様でいて全く人の事など知りもしないその目で!ずっとその目が嫌いだった!」


兄と叫んだ美しき男の血のような赤い瞳が揺れる、幽鬼の瞳はといえば褪せて忘れられた花弁のような薄い赤で。その淡さが既に、この2人の兄弟の勝負の明暗を分けていたようであった。


あぁ、その男の名は。









「ジル!」

「おう、依頼分持ってきたぜ」

「助かるぜ、ポーションはいくらあっても余るってこたぁねえ」

「お互い様だろ?オレも仕事があって困るってこともないからなぁ」


ニッ、とカウンター越しに2人の男が悪い笑みを浮かべる、あえて言っておきたいのだが双方この取引に後ろ暗いところはない。ただ屈強な体躯と猛禽のごとき目を持つ禿頭の店主ともっさりとした黒い前髪を鼻をほとんど覆うほど伸ばして色付きメガネを掛けた胡散臭げなひょろい男が並んでいたら裏取引かと勘ぐるも無理はないだろう。

商人ギルドのカウンターに、水瓶がどんと置かれる。中身は緑の透き通ったポーションで覗き込めばふわりと清涼感のある香りがする。詰め替えはいつも通りそちらで、とジルと呼ばれた男が付け足すと店主、いや副ギルドマスターは軽く頷いた。ポーションといえばガラスの小瓶に入れられたものだが、ガラスとは高価である。容器代込みでポーション作成依頼など受けてみれば少数なら赤字だし大口でもギリギリ黒字だ。その上時間もかかるので人気が無い。中身だけなら面倒さはなく一気に済ませられてしまうのでこちらが主流であった。

ポーションは体力を回復させ傷を癒すものでありダンジョンを目指しモンスターを倒す冒険者の必携品だ、更に気ままな旅人も用意はする。効果こそ高いわけではないが需要と供給のバランスは崩れることもなくどこでもそこそこ売れる。女性たちの間では老化防止効果だったり美肌効果を求めて飲み物に混ぜるブームもあるらしいが苦いだけで効果がしっかりあるかは甚だ疑問である。


報酬の銀貨を数えて間違いがないことを確かめるとジルは使い古された革の鞄にしまい込む、ちらりと一瞥依頼板を見て目ぼしいものがないことを知ると軽く肩をすくめた。賑わいを見せるギルド内、よくもその前髪でと疑問を抱くものはいない。踵を返し立ち去ろうとするとギルドのドアが元気よく開き、1人の少女が飛び込んで来た。そして木よりは低い鳥の巣を見つけると嬉しそうに駆け寄ってその足に抱きついた。


「ジルおにいちゃん!」

「うおお、マリー、どうした?また本読んでほしいのか?」

「んーん!これ!リジーの分も作って!」

「もちろん。猫でいいのか?」

「うん!」

「おめー、本当に手先が器用だよなぁ、職人でも目指してんのか?」

「バカ言え、針金で儲かるか。その道の達人にゃ敵わねえよ」

「そりゃそうだ」


マリーが差し出したのは何処にでもある針金で作られた猫であった、立体ではなく平べったいが足のあたりに立つよう細工がしてあって窓辺にでも置いておけば影の猫が出来上がるだろう、お転婆なマリーが仕事をしようとするジルを邪魔するものだから気をそらすために作ったのだが気に入ったらしい。友達にも見せびらかして欲しがられた、という感じだろうか。

ジルは鞄から一本短い針金を取り出してちょいちょいと小道具を使って捻じ曲げる、その様子を見た副ギルドマスターは意地の悪い笑みと共に揶揄った。


ジルは手先が器用だった、とはいえ職人技、とか、芸術的、と言ったことではなくとにかく器用なのだ。伝説の薬師も顔負けという極上の腕があるわけではないが名のあるポーションの製作工場に紛れ込ませても問題がない品質の物を提供できるし、ベテラン冒険者も目を見張るというものは無理にしろ山賊くずれにたたらを踏ませる罠を針金やらなんやらでちょちょいと作れる。大体のものは人並み以上、だがそれ以上は進めない。要するに器用貧乏の気質がある。


マリーに友達分のおもちゃをくれてやり、綿毛のようにギルドの外へ出た。ジルは村の外れというか村近くの森にいつか木こりが捨てたボロ小屋を買って住んでいる、それ故に怪しいやつと視線を受けることもしばしばだったが、どう見ても見た目から怪しいやつなのでそのうち考えるも馬鹿らしいと飽きられてしまうのが常であった。

布屋によって端切れと下着と糸を買い、パンやらミルクやらも買い漁って軽い足取りでジルは帰路に着く、帰ったら罠にリスでも引っかかっていたら嬉しい、小屋の裏のバジルも育っていたし共に焼けば美味いだろうなと考えるとついよだれが口に溜まった。


「なあ、聞いたかよ、セレスティアの話!」

「あぁ、あれだろ…」


ふと耳に入った噂話に少しだけ足が遅くなった、セレスティアというこの国から3つは離れた国では傾国の女の為に国が滅びそうだという、現実味のない話だとジルは頭を小さく振って小走りで小屋へと向かった。


村の喧騒が遠のくとこじんまりとしたボロ小屋が視界に入る、虫は勿論ネズミも同居人だが泥棒対策はしっかりした見た目よりは堅牢なジルの家である、扉に手を掛けようと伸ばした手は今の今まで気配も感じなかった男によって阻まれた。


「お迎えにあがりました、殿下」

「………はい?」


小屋の影から出てきたのは青みがかった黒髪の美男子であった、思わぬ来客に硬直するジルに男は慇懃な礼をする。景色に似つかわしくない気品と旅装ながら立派な服にジルはしどろもどろになりながらなんとか言葉を探した、自分よりも格上の相手であることは火を見るより確かである、無礼な真似でもしたら命が危ない。


「あの、殿下ってなんのことです?ワタクシ、ただの平民でございます」

「お忘れですか、カイロスです、カイロス・シェッツァ」


澄んだ水色の瞳に射抜かれてもジルは首をかしげるだけだ。


「はぁ…?貴族様、ってやつが何の用で?やはり人違いをなさってらっしゃいます」

「…そうですか、失礼を」

「いやいや構いません、そいではこっちも失礼」


ジルの否定にカイロスは数秒考えて、小屋の側から数歩離れた。ほう、と安堵から息を吐き出して少し逸りながらドアに手を掛ける。家に片足が入る、その瞬間ジルのもう片方の腕が捻り上げられ大きく体勢を崩す、相手が誰など敢えて言うこともない。カイロスだ、この男はジルの言い分を全く信じていなかった。ジルの長く重い前髪が乱れ、カシャと小さな金属音がする。


「うおっ!?」

「──薄桃色の目は、2人といませんよ」

「は、は、はははは………」


前髪を更に優しい手つきでかきあげられ、頼りの眼鏡も外れてしまってはもう言い逃れなど出来ようものか。



男の名はジル。

そして本当の名はジラルディーノ・セレスティア。セレスティア王国、その第一王子である。


1つ話をしておこう、ジラルディーノには前世の記憶がある。自分が弟たるクリスティアーノに反目し、自分を差し置いて王太子に据えた国家に叛逆。しかし力及ばず捕らえられ処刑された前世の記憶だ。

セレスティア王国では王族に赤色の眼が継承される、歴代ではその色が深く濃いほど魔力に満ち、慈愛に富んだ王が生まれていた。しかし第一王子たるジラルディーノの目は赤とは程遠い薄桃色であり国王と王妃は落胆した。そして残念なことにその5年後生まれた側妃の子は真紅の眼を持っていた、その事実は王妃の心を狂気へと誘った。ジラルディーノはその目の色から両親は勿論使用人からも遠巻きにされた、その中でも心優しい弟は兄と関わりを持とうと接触したがその強い赤色に貫かれるたびジラルディーノの心がどのように乱れていったかは敢えて語るまい。使用人にも当たるようになり王城で彼に心を向けるものは一人、また一人いなくなっていった。

そして10年前、ジラルディーノの乗った留学へ向かう船が難破する、捜索が行われたが生存は絶望的と断じられ遺体のない葬儀が行われ、クリスティアーノが正式に立太子したのだ。しかしジラルディーノは死んではおらず奇跡的に打ち上げられ他国で力を磨き、遂にクリスティアーノの結婚式に姿を現した、血と剣と共に。



そして終わったジラルディーノの生であったが、奇妙な事に目がさめるとジラルディーノは赤子になっていたという。2度目の生と膨大な記憶に戸惑いながら幼年期を過ごした彼は表面上1度目と同じ行動を繰り返しながら1つのことを強く思うようになった。


生きたい

死にたくない

王位などいらないから生きていたい、と。


そして今回の10年前、ジラルディーノは難破することを理解した上で船に乗り金貨を持ち出して別国へ辿り着いた。人気がないことは分かっており、捜索も早々に切り上げられることを理解していたから、過度に怯えることもなくジルと名を変えて悠々と市井に下った。使用人がいない生活に苦しむかと思ったが、放置されていたことが幸いして大体のことはクリアできた。何より助けとなったのは自分の器用さである、前回では使用人を転ばせたり罠に嵌めたりとしようのないことにしか使っていなかったがなかなかどうして便利な腕前である。シャツのほつれだのはちょちょいと縫えるし、王城にあった莫大な量の本の知識を活かしてポーションを作ったり、薬草を煎じて薬を作れたり、罠だって獣に使えた。そういった感じで気ままに暮らし、スラングだってスラスラ使えるようになってもはや警戒というものすら忘れていた。尤も結婚式が起こるはずの先週何もなかったのは、はてな、とは思ったのだが、自分だって前回と違うのだから予定外のイベントもあろうと素通りしていたのだ。前世を変えたいのなら関わらないことが第一だと考え、居酒屋で探る事もしなかった。


その始末がこれである、なんと探索はまだ続いていたらしい。



「ごめんなさいぃぃぃぃ!!許してぇ!!許してください!!ギロチンも火あぶりも絞首刑も嫌なんですぅぅ!!!ひっそり生きたいだけなんですぅぅ!!!」

「で、殿下!!」

「おねがいいぃぃぃ!!命に関わることとセレスティア王家に関わることと子作りに関すること以外ならっ!なんだって!なんだってするからぁぁぁぁ!!!帰ってくださいぃい!!!!

「意外と要求が多いですね!?」

「要求を受け入れてくれないなら公衆の面前であなたの靴を舐めますよ、いいんですか?」

「なんですかその腰の低い脅しは!」


小屋にカイロスとともに入ってジルが真っ先にした事は土下座である、しかも泣きながら。王家のプライドなどあったものではないその醜態にカイロスはおろおろと行き場のない手を彷徨わせる。なお先程首を傾げたのは演技ではなく素である、こんな奴いたっけと思うくらいにはジラルディーノも使用人に興味がなかった。どうせ捨てるし捨てられるのだ、名前など覚えたところで無駄だろう。婚約者にすら義務的な触れ合いしかしていなかったが、おそらく向こうも願ったり叶ったりだろう。

ジラルディーノの見た目はどうも冴えなかった、クリスティアーノの髪は蜂蜜の溶けた金色だというのに、ジラルディーノは燻んだ金色である。目付きも悪く、引きこもりの白い肌にそばかすは目立つし、男だというのに薄桃の目なのだ。気に入られぬよう性格も悪く振舞っていたしいいとこなしである。ジルは万が一のために髪を黒く染めて、色付き眼鏡で誤魔化していたが事情を知っていたら疑ってくださいという見た目であったことは肯定するほかない。


カイロスの何もしないという必死の宥めでやっと上体を起こし、床に正座に座ったままジルは鼻をすすった。先ほどの狂乱ぶりはどこへ、冷静な視線でカイロスを見てから大きく息を吐き出す。


「あのぉ、マジで居座られると困るんですよ。オレ仕事に生存に大忙しなので…」

「…10年ですっかり変わられましたねジラルディーノ殿下」

「ジルです、ただのジル。モグラのジルです」

「モグラ?」

「色眼鏡なんて、付ける人間稀ですからねぇ」


ちゃっと小さく金属を鳴らして晒されていた目を眼鏡で隠す。これに突っ込まれた時は強い光が目に毒だからと言い訳をしてきた、結果付いたあだ名はモグラ。ジルも小屋から頻繁には出ないしいいあだ名だと考えている。間抜けなあたり王家とも掛け離れているし。得意げに口角を上げて見せるとハッとしたようにカイロスは背を伸ばしまた丁寧に腰を折った。


「殿下、お戻りを」

「…それだけのためにこんな辺鄙な場所まで?」

「我が国の噂を、ご存知ですか」

「先王と陛下が…あ、いや、陛下と殿下が王妃にたぶらかされていると?なかなか信じ難いですね、あのお二方は名君のはずでしょう?」

「カサンドラという女はおそらく真っ当ではありません、魔女という噂さえある」

「魔女!おお、魔女!恐ろしや!平民になんて何も出来ることはありません!」


大袈裟なくらい肩を抱いて震えて見せるとカイロスのなんとも言えない視線が降り注ぐ、ちょっとくねくねとしてみたが温度が冷えたような気がするのでジルは気まずく姿勢を正した。曰く、カイロスがその女の蜜にやられていないのはずっとジラルディーノ捜索を1人で行ってきたから接触機会が少なかったからだとか、なんというかご苦労な話だとジルは前髪の奥で半目になった。そこまで探すような価値はこの自分にはないだろうに。

それにしても前回のカサンドラはクリスティアーノの腕に寄り添い震えるようなか弱い乙女であった気がするのだが、この変貌はどうしたことだろう。もしや向こうにも記憶があって権力に酔ってしまったのだろうか、憶測に過ぎないが自分と正反対の行動にやれやれと頭を振る。


「領民が各地で反乱を起こし、それに対する粛清で日に日に民は数を減らしています」

「そりゃな」

「中枢は国税を無駄遣いし、王妃の機嫌をとる事だけに力を注いでいる」

「ほう」

「このままでは国は倒れてしまいます!どうかご帰還を!血の通った貴方様の説得であればあの方々の目を覚ますことが!」

「いや無理でしょ」


優しいクリスティアーノもジラルディーノの顔など覚えていまい。むしろ1人の女を取り合うような状態になっているとしたら新たな男の参戦など火に油ではあるまいか。一刀両断され、カイロスは目を伏せる。この反応を見るに夢物語であることは自覚していたのだろう、その為だけに自分を探していたのだと思うと10年無駄にさせてしまったなと憐れに感じるが、感じるだけだ。ジルは少し姿勢を崩して面倒そうに頭をかく。


「…現体制を倒したところでこの目の色だ、おまけに民衆を扇動出来るほどの容貌でもないしカリスマもない、というか頭だってそれほど出来は良くない。むしろ平民からしたら王家なんぞ減ってほしくても増えてほしかないでしょう」

「それは…」

「第一に、国はいつか滅ぶんです。平民に革命の力を持つ勇士がいないなら隣国に食われておけばいいんです。今よりは余程マシになるでしょう」


その言葉にカイロスはハッと顔を上げた、当然の反応である。仮にも王族が国を滅ぶことを是とし、侵略を望むような言葉を吐いたのだ。だが残念なことにここにいるのはジラルディーノではなくただの、モグラの、ジルである。ゆっくり立ち上がりテーブルの上の麻袋を取るとジルはカイロスの横をすり抜けた、もう話すことはないと言うように。ドアを開ける瞬間自分でも思っていたより冷たい声が口から溢れた。


「ワタクシに出来ることは何もありません、お帰りください。カイロス様」

「…ご家族ではありませんか。それを見捨てるのですか」

「小狡い真似をしますね。国はジラルディーノ殿下とやらの捜索も本腰ではなかったくせに、今更それを持ち出すんですか?」

「それは」

「オレの居る場所はここです。少なくとも、王家の方より多く触れ合った人々が既にいますので」


事実、ジラルディーノの家族のと関わりは18年あったと言うのに、箱を開けてみれば触れ合った時間が1ヶ月あったかどうかだ。血が通っただけの他人に付き合う義理はない、王族として恥ずべき姿勢だが自分は28歳の平民ジルなのだ。片足で落ち葉と土を踏む。身体が小屋から出るその前にジルはポツリと小狡い真似を返してみた。


「あなたこそ、家族の方がいるのでしょう。ここに留まるのは非情だと思います」





2ヶ月後、またジルは水瓶を両手で抱えて商人ギルドを訪れていた、今日は加えて調合の依頼が入っていたので鞄から紙に包んだ薬もカウンターに置く。ジルは初級薬師の免許を取っていたので民間薬程度であれば作れるのだ。銀貨を数えていると副ギルドマスターが思い出したように話題を振ってきた。


「へー、セレスティアの国が滅んだって?」

「近くもねえ国だからどうだっていいか?」

「オレには関係ないしね、仕事が増えるなら嬉しいけど」


大嘘である、だが王家が倒れたと言うことは2度とカイロスのような追っ手が来ないということだ。必死に緩む口元を押さえつけて目だけで笑う、こういうとき顔が見えないほど前髪を伸ばしていて良かったなと思う。スキップをしそうになりそうなのを我慢して商人ギルドを出る、今日は少し贅沢をしてもいいのではないだろうか。身内の不幸にとんだ親不孝ものであるが、自分の身が可愛いのだ、これで当分は死なないはず。保存してあるボアの肉を解禁しようとうきうき気分で小屋に到着しドアを開くといないはずの人物にジルは悲鳴を上げた。カイロスがいる、家主以外が入ろうとすると罠にハマるはずなのに平然と立っているのだ


「うぎゃああ!?何で!?!」

「お久しぶりです、ジル殿」

「あ、は、はい」

「改めまして、ご挨拶に伺いました。レオファード・サジタリアスと申します」


丁寧な礼にぽかんと口が開いた、偽名だった、それはいい、よくあることだ。ただサジタリアスという姓なのが問題である、セレスティアの隣にある大国パニジアの宰相一族の名前ではなかっただろうか。


「な。な、なんで…」

「元々、パニジアの間諜として遣わされたのです。利益を感じなくなったら簒奪せよとの命も受けておりました」

「は……」


まぁそういうこともあるだろう、両国王の仲が友好であったから交流をしていただけの話で、頭が弱体化したとあらば攻め込む冷酷さは国の上に立つものとして重要である。しかし王命を受けるとなってはこの男相当有能ではないのだろうか、年は自分よりいくらか下に見えるがそれが10年も前から自分の近くにいたと思うとゾッとするものがある。そして一番はその男がジルの前にいることだ、カラカラの喉を唾で潤してなんとか声を出す。


「こ、殺しに、来たのか」

「確かに貴方を残しておけば禍根になる事もありましょう」

「ッ…!」

「しかし、要求は飲みました。貴方の命に関わることはしないと」

「じゃあ、なんで…」


ジラルディーノから王族の血を抜いたらどこにも利用価値などないだろう、だというのに条件を飲んで再び現れる理由などどこにもない。困惑するジルの前にすっとカイロス、いやレオファードの手が差し出された。


「お迎えにあがりました、ジル」

「………はい?」


あの時と同じセリフだ。手とレオファードの顔を交互に見るジルにレオファードはカイロスの時では浮かばなかったであろう悪戯な笑みを浮かべてくつくつと喉を鳴らした。どうやら本来はこっちの性格らしい、カイロスの時のおどおどとした態度や純朴そうな様子とのギャップにジルは瞬きをするしかない。


「命に関わること、王家に関わること、そして血の継続に関わること以外なら何でもしてくださるのでしょう?」

「う、うん、はい」

「未だに燻っている者がいまして、神輿にと今更貴方を血眼で探していましてね。あぁ、勿論国政には携わらせません、私が貴方を見つけ、貴方が従っている。そう見せる必要があります」

「それ条件ギリギリじゃねぇかな…」

「何でも、するんですよね?」

「しっ、します!しますします!お茶汲みでもトイレ掃除でも何でもしますっっ!雑用大好き!!」


美男子の貼り付けた背筋の凍る笑顔と圧力にジルは半泣きになりながら大袈裟に何度も頷いた、怖い。おそらく逆らえばより恐ろしい事になるとジルは魂で理解する。そして迂闊な言動と先程までの浮かれた自分に深く後悔し、過去に戻れるものならビンタをしたかった。死んだ目で過去を見つめるジルの手をレオファードが強引に掴み、小屋の外へと引きずり出そうと歩き出した。


「じゃあ行こうか」

「はっ、えっいきなり!?ちょ、家引き払うとかやること色々…」

「あぁ、それは済ませておいたよ。必要そうな道具も引き取ってある」

「嘘ーッ!?いつのまに!!」


売られる家畜とはこういう気分なのではないだろうか、変わった口調に突っ込む気力もなくジルはレオファードの従者となったのである。






やっと問題が解決した。嫌がるジラルディーノ、ではなくジルを無理やり浴室に放り込んだレオファードは軽く息をついた。

セレスティアの国は貴族制を廃して、パニジアの経済特区として機能させるつもりである。トップには自分が立つつもりだが、いずれは有能な人物に席を譲るつもりだ。中枢は議会制にして平民も議員に組み込めるように働きかける予定である。


実を言うと、ジラルディーノの居場所は数年前に分かっていた。王城では考えられなかった人当たりの良さと見た目でやや戸惑ったし、もしや記憶がないのかとも勘ぐったが、わざわざ髪まで染めて目元を隠しているあたりその線は薄かった。復讐の牙を磨いているのかと思いきや、のほほんと薬草を摘んだり罠に嵌めた肉を嬉しそうに頬張ったりと楽しげに暮らしていたのでどうすべきか迷ったのだった。この時すでにセレスティアの城でジラルディーノの名を聞くことは無かったし、新しく生まれた国民は存在さえも知らない者がいるほどだった。

まさか覚えられていなかったとは、とレオファードは軽く顎を撫でた。忘れ去られた王子を探っていたのはごく個人的な興味からである。

ゆっくり瞼を閉じて10年前の事を回顧する、あれは自分の本当の王からの命を受けて城に上がったすぐの事だった。回廊を歩いていた時、レオファードはぼんやりとしていて足元の紐につま先を取られ受身を失敗して膝を擦りむいてしまった。この罠は第一王子だな、と自分らしくない失敗を恥じ眉根を寄せているとそんな自分を遠くから青い顔で見つめる本人を発見した。恐らく転ばすつもりはあったが怪我をするとは思っていなかったのだろう。自分が世話役をしているクリスティアーノとは違い、少し頭が回らないようだ。けれど決して表には出さず少し怯えたようにジラルディーノの顔をチラッと見た。


「で、殿下…?」

「あ…………」


声を掛けられ肩がびくりと揺れる、クリスティアーノづてに王に告げ口をされるとでも考えているのか、僅かにある良心が揺れているのかは判断に困る。けれど告げ口などする気は無いしこれは罠にかかる自分の未熟だ、苛立つ気持ちはなくもないがレオファードは怯える少年に健気に微笑んでやる。


「殿下、私は大丈夫です」

「あ、そ…そ、そうだ!ボーッとしてるのが悪いんだ!」


三流の捨て台詞と共に逃げ去るジラルディーノに心底呆れた。目の色だけで王を選ぶこの国の慣例は理解しがたいがあの薄桃色の少年の態度を見ても王の器とは言えまい、優秀な第二王子が王太子として選ばれるのは時間の問題だと思った。


仕事を終えて夜、使用人用の寮に入ると机の上に見なれない瓶が置かれていた。鍵は閉めたはずだし窓も開けてはいないのになぜこんなものが。恐々蓋を開け匂いを嗅いでみると薬草の匂いがツンと鼻を指す。どうやらポーションらしい、しかし手当てはとっくにすんでいたし擦り傷程度にポーションを支給するほど王城の執事長は甘くない。優しいクリスティアーノであれば分けるくらいはしただろうが、それなら手渡しで来るはずだ。不用心だがガーゼを外してそこに垂らすとみるみるうちに傷が治ってしまった、薄めたものではない中々の品らしい。さて、この傷を知っている相手というとガーゼを付けて登場した自分に気遣いの言葉を掛けた第二王子と、その場にいた侍女、執事…そして元凶の第一王子。


「なんだ。ただの不良ごっこか」


こんな迂遠な方法を取るのは自首にも等しいが、はてさて気が付いているのやら。ポーションを求めたとなればいくら影と人望の薄い第一王子といっても使用人の間で話の種に上がるだろうしこれは彼個人で作った品と考えてもいいはずだ。そしておそらく鍵を外したあたりジラルディーノは手先がコソ泥のそれである。

思い返してみれば彼の悪戯や城の罠はどこか事務的というか、やっておかなくてはならない作業のようにこなしていた気がする。侍女や執事へのわがまま暴言もよく見てみると目が冷静だったし、普通は嫌われている素振りをみると怒りそうなところを気にしもしていなかった。


まさか、わざとか。

その結論に至った時面白くて笑ってしまった。カイロスは純朴で物静かなロールだというのにそれも忘れるほどに、布団に声を籠らせなければ翌朝怪訝な表情をされていたことだろう。以来、休み時間は勘付かれないよう第一王子の少し抜けた演技を見るのが日課になった。

ジラルディーノの留学の日、彼の目に何か決意のようなものを感じてレオファードは少し胸騒ぎがした。そしてその日の夜、難破の知らせを聞き薄い喜びで城が満ちる中レオファードはあぁ、なるほど、と納得した。彼の18年はこの日の為にあったのだと。形而上の探索が行われ一年、本当は1ヶ月でそれが打ち切られてもレオファードだけは仕事の合間を縫ってジラルディーノの跡を追った、絶対に生きているという確信があった。そして聞いてみたかった、こうなるためだけに貴方はずっと下手な芝居をしていたのかと。そしてもうセレスティアを倒すしかなくなった時やっと接触したのだ。


よもや、泣きながら土下座されて生きていたいだけと言われるとは思わなかったが。あの時は笑いを堪えるのに精一杯だった。


行儀悪くベットに上体を投げ出して、王命通り国を奪ったここ最近を思い出した。処刑された連中の命乞いは物語かと思うほど芝居がかっていたが、中でも悪女カサンドラの言い分はレオファードには理解しがたかった。


『貴方のことはわかっているわ、悪役王子に脅されて、パニジアの悪い王様の命令にもしたがってしょうがなく私を捕らえたのよね?』


『本当はこの国を愛しているのでしょう、そして私の事も!私も貴方が大好きよ!ねぇ!この牢屋から連れ出してくれるんでしょう?』


『ハーレムルートに浮気しちゃったけど、貴方が出てきたってことはこれってファンディスクだったのよね、ごめんなさい、貴方が1番の推しよカイロス、いいえレオファード。だからここから出して?』


なんだこの女は、と心底呆れた。悪役王子とはあのジラルディーノのことだったのだろうか、確かに目付きは良くないが、鼻歌交じりに血抜きをする男を悪役とも王子とも呼びたくはない。理解しがたい単語も飛び交うし、魔女という噂は本当だったのかと嘆息する。きらきらと瞳を輝かせる悍ましい女の何処が良かったのかと王子をはじめとした見てくれだけはいい男たちを思い浮かべてげんなりした。それに崇敬するパニジア国王陛下への侮辱も許しがたい。ジロリと詩人に歌わせれば春の妖精とでも称される女を睨み付けると、怯えるでもなく不思議そうに首を傾げた。何もわかっていないその様子に付き合いきれないと言い捨てて牢の檻を蹴り飛ばす、少し歪んだが問題はないだろう。それにカサンドラとかいう女の命も明日までだ。まだ何やら叫んでいる声を無視してレオファードは地下牢を出た。カサンドラの処刑はコロッセオの試合ばりに盛り上がったと話題を呼んだ。


思い出したくない女の形をした肉袋を記憶から消し飛ばすように頭を振る。さて、無理を言ってこちらに来たからには明朝馬車を急がせて旧セレスティアに戻らなくては。ここからだと1ヶ月はかかるだろうが仕方がない。

ギッと扉を開ける音がしたのでそちらに目を向ければ控えめに頭を覗かせるジルの姿がある。ペットリと長い前髪が張り付いてさながら幽霊のようである。風呂に入ったというのに肌は赤らんでおらず寧ろ白い。なるほど、大体察しがつく。にこりと笑顔を貼り付けて怯えるジルに首を傾げた。


「…髪は湯で戻るの?」

「へっ」

「ふーん、図星?洗うの手伝うけど」

「いいいいい、いえ!いいえ、いいです!あの!オ、ワタクシ平民ですのでお湯なんて贅沢めっそうもない!えっ、えっと!も、もう寝ます、し!」

「もう隠す理由もないんだから前髪もセレスティアに戻ったら切ろう、眼鏡もいらないだろ」

「ご、ごご後生ですからっっっ……!」

「な、ん、で、も?」

「……………ハイ、ちゃんと金髪にします」


まだ残る国民に恨まれるとでも思っているのだろうか、恨むほどの関心も持たれていないと知らせたらどんな反応が返ってくるだろう。もう少し心を許してくれてもいいのに、とレオファードは笑顔の奥でため息をついた。


本当は友達になりたいなんて言っても信じてはくれないのだろうな。


友達になりたい腹黒有能イケメンともう2度と死にたくない器用貧乏元悪役王子のバディものギャグを書きたかったのですが連載3本はきついので短編として消化しました。


1回目のカサンドラは本物のカサンドラで、2回目は転生した日本人が入ったカサンドラです。

乙女ゲーム本編ではジラルディーノが悪役王子としてクリスティアーノルートで立ち塞がり死ぬ役割ですが、FDでは立ち絵のないサブキャラでしかなかったクリスティアーノ世話役のレオファードルートが追加されます。ジラルディーノにパニジアのスパイであることを悟られ苦しむイベントとかあったはずなんですが、クリスティアーノと友情を築く前になんか面白い奴いるなぁとジラルディーノに興味が移ったレオファードはセレスティアに愛着を抱く事もなく、クリスティアーノへの敬意とカサンドラへの愛に挟まれて苦しむ事もなく普通に王命を遂行しました。めでたしめでたし。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ジル王子は頭がいいんだか悪いんだか。ギルドに所属しているはずなのに、契約内容をしっかりと読まないなんて。 ただ、レオもレオで、結構、頭が切れるほどの人間なのだから、しょうがないのかもしれま…
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