9.救い
「…うっ……、っぐっ……」
アリシャは一人、泣きながら道を歩いていた。
もうすでに日は傾き、アリシャの進むその道には、長い影が映し出されている。
誰もいなくなりしんとした市街の様子も相まって、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
いつもなら気にも留めないカラスの鳴き声も、不吉を知らせるかのように聞こえてきた。
「お父さん、お母さん……」
一人ぼっちになってしまった。
その事実がアリシャを不安にさせる。
いつも一緒に楽しく遊んでいた友達、最近商売が繁盛してきて喜んでいたお父さんお母さん、そしてこんな状況でもアリシャを守ってくれたエル。
つい昨日まで当たり前のように周りにいた存在は、今はもういない。
「エル……」
自然と口からエルの名が出た。
怖くなった時、不安になった時、そんなときはいつもエルがそばにいた。
村の子供にいじめられそうになった時も、道に迷って帰れなくなった時も、野犬に追い回されて襲われそうになった時も、エルが助けに来てくれた。
同じ年のはずなのになぜだか大人に見えるエルがそばにいると、安心できた。
ただ今、アリシャの隣には誰もいない。
エルはアリシャを助けるために囮になって、……あの状況で生き延びることができるとは思えない。
死んでしまうのもいいかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
私が大切に思っていた人がこの世にいないなら、この悲しみを一生背負っていかなければいけないのなら、もういっそ終わらせて、楽になるのもいいかもしれない。
ふと、
目の前から気配がした。
それに、何かこすれる音が近づいているのが聞こえる。
下を向いていた視線を少し前にやると、巨大な影が、アリシャへ向かってきているのが分かった。
それは、手足がなく、細長い胴体を引きずるようにして進んでいる。
蛇の様な形をしているが、頭にはいくつもの目がついていて、それが異質な不気味さを醸し出していた。
「あぁ…、魔獣……」
さっきのとは違う魔獣なので、村へ襲ってきたのは一体だけではなかったのだろう。
あの時ほどの恐怖はなかった。
驚くほど冷静な気持ちで魔獣を眺めていた。
これで簡単に死ねる。
これでエルと同じ所へ行ける。
そんなことを考えてすらいた。
魔獣は、アリシャに気づいたのか大きな口を開けて近づいてくる。
その動作はゆっくりしたものだったが、アリシャは逃げようともせず、その場を動かなかった。
あの牙で刺されるのかな。
それとも丸のみにされて溶かされるのかなあ。
あまり痛くないといいけど。
そう思い、目の前の様子をぼんやりと眺めていたその時だった。
――魔獣が、爆ぜた。
「え……」
村人はおろか、冒険者たちでも敵わなかった魔獣が、一瞬で消えた。
元の形がわからないほどにばらばらになって、消滅した。
「今のが最後かしら?結構多かったわね」
肉塊の奥から女の声が聞こえる。
魔獣を倒した張本人だろう。
しかし、こんな圧倒的な力を持っているのなんて、S級の冒険者とかなのか?
「しっかしまあ、種持ちがいるからってついでに来てみれば、村人ほとんど全滅じゃない。こんな辺境まで無駄足だったわ」
女は、後ろを向きながら何かぶつぶつと愚痴を呟いている。
すると、どこからともなく一人の男が、空から現れた。
「まったく、単独行動をよしてくださいと何度言えばわかるんですか!探すのに苦労したんですよ。鑑定神様」
「――なっ」
その言葉を聞いた瞬間、アリシャは思わず小さな悲鳴を上げていた。
その声を聴いたのか、二人がこちらに気づいたように振り向く。
鑑定神。
82柱いる神の中でも最高位にあたる神で、その序列は8位だ。
神の中でも圧倒的な権力を誇る神のうちの一人だ。
めったに下界に降りてこないはずなのに、なんでこんなところへ……。
「あら、生き残りがいたのね。能力を完全に使っていなかったから気づけなかったわ」
その言葉に驚いたように男が振り返る。
「なっ、こんなところで能力を使わないなど何を考えているのですか!危ないではないですか!」
能力とは神様特有の魔法のことを言っているのだろうか。
「大丈夫よ、そんなのがなくても神であるこの私が、ここら辺の魔獣なんかに後れを取るわけないでしょう」
「そうですが……。それでどうしますか、この少女」
「そうねぇ……」
そう言って鑑定神はアリシャのほうを向く。
その目は品定めをしているようでもあり、少し不気味に感じる。
しかしアリシャは、そんなことを気にせずに、願いを、言った。
「殺してください」
意外にはっきりと、口から言葉が出てきた。
二人はその言葉に驚いたようにこっちを見つめる。
「…一応、なぜ?と聞いておこうかしら」
「もう私には何も残されていないんです。友達も、両親も」
――そしてエルも。
心の中で、そう呟く。
「だからもういいんです!もう生きてなくてもいいんです!私なんかが生きていても意味なんてないですから!」
「そうかぁ……」
鑑定神はちょっと困った顔をして、考え込むようなそぶりをする。
そして、次に放たれた言葉は、この神が知るはずもない少年のことだった。
「君を守ってくれた人、エル君…かな。かっこいいじゃん。女の子を守るために囮になるなんてさ」
「――っ、なんで彼のことを?」
「そんなことはどうでもいいのよ。彼の最後の言葉、覚えてないの?」
「エルの最後の言葉……」
あの時のことは、気が動転していたのにもかかわらず、よく覚えている。
忘れるはずもない、あんな衝撃的なこと。
確か……
「生き延びて、って言ってたでしょ。それが彼の最後の願い。死んでほしいなんて思ってないはずよ」
「あ……」
確かにそうだ。
逃げて、僕の分まで生きろと、そういっていた。
「あなたの両親だって、友達だって、あなたが死ぬことを喜ぶわけないわよ。生きて、生き延びて、幸せになることを望んでいるはず」
「みんな、も……」
皆の願いがそうであるなら、エルの願いがそうであるなら、なんで私は死のうと思ったのだろう。
命を張って助けてくれたエルのためにも、生きて、報いるべきなのではないだろうか。
ふいに、悲しみとも苦しみともとれる感情が、胸の中で湧き上がってきた。
目から涙がこぼれる。
「やっとわかったようね。だったら私に言うことがあるんじゃない?殺してくれ、なんて願いじゃなくて」
そうだ、私は……
アリシャは目をこすり、乱れそうになる呼吸を必死にこらえると口を開いた。
「――助けてください!」
自分でも驚くほど大きな声が出たが、鑑定神は嬉しそうな表情でうなずいた。
「わかったわ。その願い、聞き入れましょう。神の名において」
◇◆◇◆
ウェルスト帝国の端にある小さなこの村は、魔獣の襲撃で終わりを迎えた。
誰にも気づかれることなく、ひっそりと。
犠牲者多数、生存者なし。
のちに商人や冒険者によって調査されたこの事件は、あまりの凄惨さからそう報告された。
あそこから生き延びたられたものはいないだろうと。
そのため、少女を救うため囮となったその少年のことは誰が知ることもなかった。
勇気ある行為が、誰に称賛されるわけでもなかった。
ただしかし。
誰にも語られることのなかったその行動が、実は大きな意味を持っていて。
のちのこの世界に大きな影響を与えていくことになる。
そのことは、まだ誰も、神でさえも知る由はなかった。