7.絶望
死体が、あった。
前世でも今世でも見たことのないような、亡骸が積み上げられていた。
ひっかき傷のような跡のついた死体。
腹が食い破られ、臓物をまき散らしている死体。
四肢が欠損している死体。
そんなものは序の口で、人間としての形が残されてない死体が、尊厳の残されていない肉塊が、そこら中に散らばっていた。
「え、あ……」
ナンダコレハ。
悲鳴も出なかった。
驚くものもできなかった。
人間、自分の理解の範疇を超えたことに直面すると何もできずに固まるというが、本当にそうなってしまってのはこれが初めてだった。
現実を受け入れることができずに、目の前のことが理解できずに、僕はその光景を他人事のように見つめている。
自分の体が、自分のものではないような奇妙な感覚に陥る。
しかし、いつまでもそうしていられるわけではなかった。
「きゃああああああぁぁぁッーーーー!」
アリシャの悲鳴で、僕は、はっと我に返った。
それと同時に胸の奥からむかむかとする吐き気が、押し寄せてくる。
「うっ……」
しかし、ここで出すわけにはいかない。
その匂いで、魔獣を呼び寄せることになってしまうかもしれないからだ。
血や、死体のにおいと混じって気づかれないかもしれないが、そういったにおいをかぎ分けられる魔物もいるのだ。
僕は、こみ上げる衝動を抑え、アリシャのもとへ向かった。
「アリシャ、とりあえずここから離れよう。悲鳴を聞きつけて、魔獣がやってくるかもしれない」
アリシャは泣きじゃくり、聞いているのかどうかもわからない状態だったが、僕はそう言う。
「早く逃げないと!」
そうせかすが、アリシャは地面に座り込んだまま、動こうとしない。
仕方ないか。
まだ二桁もいかないような幼い少女が、こんなものを見てまともでいられるわけではない。
僕だって、今すぐここから立ち去りたい気持ちでいっぱいなんだから。
ただ、早く逃げないと本当に危険だ。
「ちょっとごめんね」
そう言うと、僕はアリシャを抱きかかえて走り出した。
一刻も早くこの地獄の景色が見えない場所に行きたい。
その一心で。
◇◆◇◆
「はぁ、はぁ、はぁ。ここまでくればだいぶ離れたか」
アリシャを抱えてしばらく走り、僕たちは村の外れの茂みに身を潜めていた。
腕がパンパンでもう抱きかかえながらは走れないところまで来ていたが、アリシャもだいぶ落ち着いてきて、自分で走れるまでには回復していた。
「どこへ…いくの?」
木にもたれかかり、うつむきながら、アリシャがそう聞いてくる。
それは考えてなかった。
さっきはあそこから離れることだけを考えていたから。
「どこに、逃げるの?」
答えを返さない僕に、アリシャはもう一度問いかける。
「だってみんな死んじゃったじゃん。どこにも行く場所ないじゃん、私たち。もうこのまま魔獣に襲われるしかないんだよ」
アリシャは覇気のない声で続ける。
僕は、とっさに何も言い返せなかった。
唯一の村の戦力だった冒険者も、神官もやられてしまった。
そして、このまま待っていても、援軍として領軍や、冒険者は来ない。
こんな辺境にそんな大戦力を送り込むわけもないし、そもそもこの村で何が起きようが、気にされないだろう。
たとえそれが、村の壊滅でも。
逃げるにしても、隣の町まではかなりの距離がある。
徒歩しか移動手段がない以上、その距離を僕たちが歩ききることは不可能だし、道を歩いている間に襲われる。
打つ手なしだ。
あの数では、村人がほとんどやられたとしか考えられない。
仮に村人が少し残っていたとしても、彼らに何かができるとは思えない。
魔獣に襲われて、終わりだろう。
それに一瞬しか見えなかった、いや、見なかったが、あそこには、ノエルがいた。
見間違うわけもない。
信じたくもなかったが、受け入れざるを得ない。
あの髪は、目は、口は、顔は、明らかにノエルのものだった。
明らかに、母さんのものだった。
ノエルは、その顔、首から上だけが残っており、だれがどう見たって生きているとは思えない。
僕の最後の家族であるノエルも、例外ではなく、殺されたのだろう。
僕の帰りを待つ人は、これで一人もいなくなった。
ただ、死ぬわけにはいかない。
目の前の少女を死なせるわけにはいかない。
内であふれそうになる恐怖に我慢して耐え、弱気になりそうなになる気持ちをぐっとこらえ、僕は口を開く。
「まだわからない。村人にも生き残りがいるかもしれない。何か奇跡が起きて、魔獣がみんないなくなるかもしれない。最後の一瞬まで、生きるのをあきらめちゃだめだ」
必死に、励ます。
「でも……」
「大丈夫。まだみんないなくなったわけじゃない。ほら、僕だっているし」
「うん……」
「とりあえず、ここに長い間いることもできないから、家を探そう。入り口が二つ以上あって、食べ物がありそうで、壁の頑丈そうなやつ」
最初の二つはともかく、最後に言った条件は、ほとんど気休めに近い。
あの魔獣が暴れたであろう現場を見る限り、建物の壁なんて簡単に壊されてしまうだろう。
ただ、物理的な意味がなくとも、壁が頑丈である、というのは心に安心を与えてくれる。
今はそれだけで、ありがたい。
僕は、茂みから少し顔を出すと、あたりを見回した。
何かがいる気配は、ない。
「アリシャ、大丈夫そうだ。今なら出ていける」
アリシャに声をかけると、僕は茂みから出た。
市街は、相変わらず何の物音もならない。
風すらもやみ、不気味な沈黙が僕らを襲う。
ゆっくりと、足音を殺し、僕らは建物を探しに歩いた。