2.クラリスの驚き
ドバァ!と。
きれいに真っ二つにされた魔獣の断面から、赤黒い血が勢いよく噴き出る。
「うわぁ……」
真っ赤に染められていく地面を眺めながら、僕は思わず声を漏らした。
僕自身は体を包み込むようにして展開している魔力障壁のおかげで汚れることはないが、それでも生理的嫌悪感みたいのはある。
魔窟でだいぶ慣れたとはいえ嫌なものは嫌なわけで、もうちょっといいやり方があったんじゃないかなと思う。
例えば魔窟のほうまで思いっきり吹き飛ばすとか、地面に大穴開けて埋めるとか。
「な、何をした、のだ……?」
僕がそんなことを考えながら突っ立っていると、護衛のうちの一人、魔獣に襲い掛かられそうになっていた人が声を上げる。
僕に問いかける、というよりはほとんど独り言のような疑問だったけれど。
「なにをって言われても……」
素手で殴って倒しただけなのだけど。
まあ実際にはそれだけではない。
さすがの僕も、こんな硬そうな鱗を素手で粉砕できるわけは……ない、と思う。
魔窟でレベルも上がったし、もしかしたらできるようになっているのかもしれないが、まあそれでも手に全くのダメージなしに、とはいかないだろう。
多分。
さっき魔獣を素手で真っ二つにできたのは、手ではなく纏わせてあった魔力障壁、詳しく言えば僕にかかる一定以上の任意の圧力をすべて無効化する魔法のおかげである。
圧倒的な速度の手刀が魔獣の鱗に接触した瞬間、力が魔獣方向にのみ働くのだ。
それは、魔獣にとって破壊不能の硬い物体が自分に突っ込んできたのと変わらないわけで、その結果、魔獣の鱗が粉砕された。
最も、ほかにもいろいろな魔法を発動させていたりしたのだが、護衛の人にそんな説明をしても意味がない。
僕は無難にはぐらかすことにした。
「ちょっとした魔法ですよ。……それよりあなた方は?」
その言葉に護衛ははっとしたように姿勢を直す。
いつまでも呆けていては、一応の恩人に対しては失礼だと思ったのだろうか。
それはただの戦士とは思えないような、ほのかな品格のある動きだった。
「申し訳ない、助けてくれた恩人に名乗りもなしで。我々は……」
「――それは私からお話しします」
馬車の中から出てきたのだろうか。
いつの間にか現れた一人の女が、護衛の言葉を遮った。
凛とした顔立ちに、よく整えられたブラウンの長髪。
白を基調としたシンプルな服装は、華美な装飾などがないにもかかわらず高貴な訃音気のあるものだった。
美しく神秘的な金色の瞳が僕を見据え、その唇が開かれる。
「私はクラリスとも申します。この度は私たちを救っていただき、ありがとうございました」
そう言ってクラリスさんは頭を下げる。
「あなたが来て下さらなければ、私たちはここで魔獣に殺されていたでしょう。命を救ってくれたあなたに、最大の感謝を」
「いえいえ、大したことはしていませんよ。僕も打算があってのことですし」
明らかに平民でないような人に頭を下げられると、なんだかいけないことをしている気になってくる。
「打算、ですか?」
「はい。実は僕、大きな街を探していまして。あなた方の馬車に同伴させていただけないかなと……」
「なるほど、そういうことだったのですか。……しかし、馬車の方が……」
そう言って視線を馬車の方に向ける。
そこには、倒れて壊されてしまった馬車があった。
「ああ、そういえば……」
確か車軸が折れてたんだっけ。
「なので申し訳ないのですが……」
「あれくらいならすぐに直せますよ」
「え?」
クラリスの言葉を遮って、僕はそう言う。
壊れているのが車軸だけなので、難しいことはない。
さっさと直してしまおうと、僕は馬車に近づいた。
そして
「錬金」
その言葉とともに倒れた馬車が輝き始め、ぽっきりと折れていた車軸がみるみる元の姿へと戻っていく。
前にイースに見せた、あの錬金術。
あの時は物質を返還させることに使ったが、今回のように物質の形を変えることにも使える便利な魔法。
折れた車軸を修復するのではなく、それ自体をもとの形に変換して直したように見せているのだ。
「すごい……。こんな魔法、見たこともないですよ」
「そうですか?簡単な、錬金術ですよ」
僕はそう嘯く。
幸いにして馬は傷一つない姿でそこにいてくれたので、これですぐに出発できそうだ。
「あなたは、一体……」
「ああそういえば名乗ってなかったですね。僕はエルと言います」
「いえ、そういうことでは……。まあいいでしょう、馬車にどうぞ。お話は、それからということで」
クラリスさんは若干呆れたような表情を見せると、そう言って馬車へと向かった。
◇◆◇◆
――あの魔獣は何だったのだろう。
クラリスは、馬車に揺られながらさっきの出来事を思い出していた。
(間違いなくA級は超えている。S級、もしかしたら伝説級の魔獣かも……)
クラリスは過去に、冒険者たちによるA級の魔獣の討伐作戦に立ち会ったことがあった。
さっきの魔獣はその時見た者よりも、恐ろしい魔獣であると感じたのだ。
それにクラリスの配下の騎士の中でも精鋭だった彼らが、何もできずにただ立ちすくんでいるだけだった。
国内でも実力者である彼らがをそこまで怯えさせる存在ならば、伝説級という判断もおかしくはない。
しかし
(そんな魔獣を一撃で両断した彼。……いったいどんな人なんでしょう)
クラリスの視線が、目の前に座るエルに向けられる。
黒目黒髪というこの辺りでは珍しい面持ちをしたエル。
しかしそんなことなどどうでもよくなるくらい、エルはクラリスにとって謎に満ち溢れた人物だった。
まず驚いたのは、その実力だ。
通常冒険者組合で出される魔獣の危険度は、対処できるパーティーのランクに対応する。
A級の魔獣一体が、A級の冒険者が複数人集まってできたパーティーと同程度、といった風にだ。
だから必ずしもA級の冒険者が一人いればA級の魔獣を倒せるというわけではないのだ。
もちろん例外はあるが、それにしたって対策を練って、長い時間をかけてやっと倒せるといったものだろう。
基本的には一つか二つ危険度の落ちる魔獣であれば、一人で討伐できるとされている。
しかしエルは。
S級を超えかねない魔獣をいとも簡単に屠ったのだ。
順当に考えるならばエルはS級冒険者なんかはるかに超えて、勇者や超越者とも呼ばれる人たちに並びうる存在といえるだろう。
さらに、彼の使う魔法。
そこにも驚くべき点があった。
魔獣を倒した時のことは言わずもがな、その後のこと。
エルが壊れた馬車を瞬時に直してしまった時のことだ。
車軸はぽっきりと折れていた。
クラリスが知っている魔法ではどうにもできないような、致命傷の故障だったはずだった。
しかしエルが何かを呟いた後、車軸が光り出してその形を変え、気が付いた時には元の姿に戻っていた。
本人は簡単な錬金術だといっていたが、そんなはずはない。
クラリスの知っている錬金術は、長い工程をかけて薬品や物質を作るような魔法。
間違っても瞬間的に物質の形を変えるような、便利なことができるものではない。
クラリスにはエルの使った魔法が、この世には存在しない、新しい魔法に思えて仕方がなかった。
(見たことのない魔法と、あの実力。もしかしたら神様にも届きうる存在……?)
そこまでいって、クラリスは思考をやめる。
人間が神様に届きうるなどという考えは、不敬と取られてしまうかもしれないからだった。
(それにしても街に行きたいといっていたけれど……)
何のために行くのだろうか。
その目的によってはこれから向かうラビルの、パワーバランスが大きく崩れるかもしれない。
なんせ彼の強さは破格だ。
その実力が明るみに出れば、街どころか国の権力者もこぞって手に入れたがるに違いない。
そして、それはクラリスにとっても言えることだった。
(彼を味方にできれば、もしかしたら私の望みも……)
長い間抱いてきた、しかし叶うわけもなかったクラリスの望み。
しかし彼の存在がそれを現実的にしてくれるのではないかと。
そんな希望が、クラリスの中で湧き上がっていた。




