10.違和感
「では、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
そう言葉を交わすと、イースは部屋へと戻る。
いつもよりも早めだが、今日はいろいろあったので疲れてしまったからかもしれない。
誰もいなくなった部屋の中、僕は椅子に深くもたれかかって今日の魔獣暴走のことを思い出していた。
魔窟中層レベルの群れ。
これが外へ出てくるのはどう考えてもおかしい。
あっさりと倒してしまったもの、あれらは本来国が全力を挙げて対処するべきレベルの出来事だったはずだ。
中層レベルの魔物が出てくるというのは、そのくらいの大きな事態なのだ。
僕は魔窟がどんなところだったかを知っている。
魔窟は確かに地獄のように過酷な場所だ。
魔獣同士の縄張りの争いは毎日のように起こっていたし、気候や地形などといった環境もめまぐるしく変わる。
それゆえに、魔獣が争いに負け、住んでいたところから逃げ出すこともよくあった。
ただ、それは魔窟内で完結されていたものだった。
魔窟の中で完璧ともいえる生態系があって、魔窟の魔獣は魔窟だけで生きていく仕組みが完璧に出来上がっていたはずだ。
詳しいことは理解すらできなかったが、魔窟で過ごしている中でそのことだけは肌で感じられた。
あっても外縁にいる魔獣が何かのはずみで外へ出てきたりする程度。
「何かが、あったな」
魔窟内で、その生態系を壊すだけの何かがあった。
中層レベルの魔獣を脅かす何かがあった。
それが外来種の侵入なのか魔窟の変化なのかはわからないが、その原因が収まらない限りは今後もこのようなこと、魔獣の暴走が続くだろう。
そうしたら最悪、人類の生存可能な地域が小さくなってしまうことも考えられる。
「あまりこの世界の人間とかかわってきてはいなかったけど……」
やはり僕も人類。
同じ人類の危機を見過ごすわけにもいかない。
「……明日、可能な限りまで行って確かめてくるか」
魔窟は、今の僕にとっては対処不可能な脅威というわけでもない。
深層のさらに奥へと行かない限りは日帰りで戻ってこれるだろう。
「原因を消すことができればよし、もしどうにもならないことだったら……」
この世界にははっきりとした神様とやらがいる。
もし僕の手に余るような事態であったなら、世界の危機はこの世界を管理する彼らに任せるとしよう。
◇◆◇◆
翌日。
日が上ると同時に、目覚まし時計がけたたましいベルの音を鳴り響かせる。
「うぅん……、何だってこんな時間に……」
そう言ってから僕は昨日決めたことを思い出す。
「魔窟へ行くために目覚ましを速めにセットしておいたんだっけ……」
そう呟くと僕はベッドから起き上がった。
ちなみにこの部屋は僕の能力で音が外部へと漏れないようになっている。
完全遮断防音室というやつだ。
その為、目覚ましの音でイースが起きてしまうことはない。
さすがにこんな早くに起こしてしまうのは可哀そうだからな。
そこら辺の配慮はできている。
着替えを澄ませて顔を洗うと、イースあてに書置きを残して家を出た。
イースも少しは文字が読めるようになってきたのであれで伝わるだろう。
そう考えると僕は天井にあたらないよう低空飛行をし、洞窟の外へと飛び立った。
魔窟はざっくり言うと直径1000キロ程度の円状に広がっている。
これはあくまで僕が目分量ではかったものなので、正確なものとは程遠いだろうが。
そして魔窟を150キロほど進んだところ、環境ががらりと変わり、より強い魔獣たちが現れる場所を中層と呼んでいる。
約一時間ほど飛行して中層にたどり着いた僕は巨大樹の枝の上で昼食をとっていた。
「さてさて、とりあえず環境が変わったっていう線はなさそうだけど……」
木の上から辺りをざっと見降ろして、そんなことを呟く。
辺りにも似たような気が生い茂っていて、なおかつ謎の霧が立ち込めていたのであまり広い範囲は見まわせなかったが。
魔窟は相変わらずの地獄をしていた。
辺りから変な生き物の鳴き声するし。
魔獣のうめき声聞こえたし。
下にはなんかうごめいていたり光ったりしてる植物あるし。
気持ち悪い巨大な虫いるし。
……いつもの魔窟だ。
ただ、ここで何かが起こっているのは間違いがない。
なぜならここに来る途中、明らかにレベルのおかしい魔獣がたくさんいたからだ。
そのどれもが中層の方向から逃げてきているように感じられた。
もれなくすべての魔獣は狩っておいたが、もしあれらが魔窟の外に出ていたらどんな惨状が起きていたのかわからない。
そう思うと、僕は早く原因をつぶさないとな、と再度意気込む。
「……だけど、ここに来たの間違いだったかなあ。もう少し西の、山脈のあたりだったら木も少ないから見晴らしがよかったのに」
もちろんそこも複雑怪奇の地形を持つ巨大なアンデッドの住処なのだが。
ジャングル然としたここよりは動きやすくて探しやすいだろう。
失敗したな。
そう思い、持ってきたカバンの中に手を突っ込む。
しかしその手は何もつかむことがなく、空を切るのみ。
いつの間にか昼食を全部平らげていたらしい。
「よし、天気も悪くないしさっさと探し物を始めますか」
僕はそう言うと、巨大樹から下へ降りた。
中層の気候は、濃い魔力の影響なのだろうがとにかく変わりやすい。
しかも気象学の因果は無視するような形で。
霧が立ち込めていたと思えば次の瞬間からっと晴れ、そのあとに雷雨になっては雪が降り、寒さを感じたらすぐにじめじめとした暑さに襲われる、なんてこともざらにある。
霧もそれほど濃い方ではなく気温も少し肌寒い程度なので、今のうちにここら一帯を調べておきたかった。
ちなみに空から調べないのには訳がある。
中層、深層になってくると空の障害物も多くなってくるのだ。
それらをすべて対処するのは集中力を使うし、調査の妨げに可能性がある。
それを嫌ったからだ。
「しかしここに来たのは本当に間違いだったなあ。濃い草とか木で何も見えない」
草木をかき分けながらそうぼやく。
障壁を作っているので草木からのダメージは入らないし、魔獣に気づかなくても攻撃をもらうことはないので心配はないが、視界が奪われるというのはどうにも不快だ。
いっそのことここら辺一体吹き飛ばしてしまおうかな、などと危険なことを考えながら、僕は魔窟の中を少しづつ進んでいった。
「ん?おかしいな……」
少し魔窟の中を歩いていると、僕は違和感に気づいた。
半径数キロの魔力の流れを探知していたのだが、魔獣のものだと思われる魔力元の動きに不自然なところがみられたのだ。
「ある一点を避けているような……」
急に進路を変えたりUターンしたりして、進行方向の先にあるものから距離を置こうとする流れ。
それらはすべて、魔力探知外の、ある方向に対してのみ行われているようだった。
「深層の魔獣が出てきたか、それとももっと別の原因か……」
どちらかわからないが、この先に何かがある。
それは確かだった。
そしてそれは、今までにないほどの脅威であることも。
中層の魔獣がこんなに避けるであろう生物を、僕はまだ見たことがなかったからだ。
「何とかなるの、かなあ……」
不安から、思わずつぶやいてしまう。
少しばかり緊張もし始める。
こんな気分になるのはいつぶりだろうと思いつつ、今まで以上に慎重に、ゆっくりと歩いていると、少し先に明かりがあるのに気が付いた。
電球や蛍光灯などといった人工の明かりではない。
日光の温かくて明るい光がさしていたのだ。
「明かり?なんでこんなところに」
僕が今いるようなジャングルの地帯は、もう少し広がっているはず。
それはここら辺に生えている植物を見ればわかる。
ただ、魔窟に限っては奇妙な現象もいくつか起きることがあり、そうすれば例外的な生物の生息が起こることもある。
この場合、地形の変動で一気に地形が変わったのだろう。
日光を遮る木の少ない山岳系とか砂漠系、草原系の地形に。
そう考えると僕は、方向を少し変えて明かりのさす方向へと歩きだす。
違和感のもともこっちの方だし、行ってみるしかないだろう、と考えて。
攻撃的な行動をとってくる草木を軽くあしらい、僕は明かりへどんどんと近づいていく。
調査を始めて最初に見つけた異常だからか、心なしか歩くスピードも速まっている。
そしてついに、明かりのもとへとたどり着き、何が待つのかと若干不安になりながらもジャングルの外へと踏みだした。
しかし、そこにあったのは。
荒野でも砂漠でも草原でもなく。
――巨大なクレーターだった。




